エンジニア(精製士)の憂鬱

蒼衣翼

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閑話5

幻想迷宮(バーチャルダンジョン)

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「基本構造は廃墟で良いのかな?」
「高層ビルの廃墟だからふつうの廃墟だと高さへの対応が今一つかも?」
「高さなら断崖フィールドが良いかもしれないな」
「ラビリンスにもなっているらしいし、洞穴も組み合わせて立体的なフィールドにしてみては?」
「わかった。要素を組み合わせて対応させてみるか」
「じゃあ私はモンスターデザインに移る」

 古式ゆかしい田舎家の離れ。
 広い敷地の一画である蓮池の前にある十畳程の板間のお堂のような建物の中で、この家の兄妹が作業を行なっていた。
 彼らの作業する部屋の真ん中には、両手で覆ってしまえるぐらいの大きさの黒いピラミッド状の物体があり、それに各種コードが繋がっている。
 その物体を据え置いた台座には、びっしりと曼陀羅が描かれていて、サイエンスとオカルトの融合した今風の魔道具のようだった。
 兄である青年が向かっているのは最新の電算機パソコンであり、そこから間に機器を介してピラミッド状の物体にコードが繋がっていて、イメージ的な混沌具合に更に拍車を掛けていた。

迷路ラビリンスか、技巧的迷宮となるとやはりトラップも必要だな。空間を二重構造にしてスイッチを押した者だけ別空間に飛ばす。すぐそこにいるように見えるのに助けることが出来ないというのがいいかな? 怪異のトラップは精神的負荷を掛けるタイプが多いし」
「コウ兄さん性格悪い」
「違うぞユミ、訓練用の迷宮は少し厳しめに調整したほうがいいんだ。本番で死なないためにね」

 兄の木村浩二は淡々と正論を口にする。

「わかった。それじゃあモンスターもそれ用に考える。軍相手だから群れで行動するものがいいかもしれない。地上は蟻タイプ、空中は蜂タイプにして、哨戒範囲に漏れがないようにするだけで難易度はかなり違うはず。後は広場には蟻地獄と建物に擬態した食人ウツボカズラを配置」

 まだ少女っぽさの残る妹である木村由美子は、話しながら次々と呪符用に特別に作られた和紙に細かい術式を書いて行く。
 別に書く素材は何であろうと術は発動するのだが、専用紙は意識の通りがいいので細かい設定がやり易いのだ。

「さて、ボスはどうするかな?」
「兄さんの話だとムカデだったらしいけど」
「そうだな。本来人間は低い位置からの攻撃に弱いんだが、くだんのムカデはわざわざ立ち上がったらしいな」
「最初の層は簡単にして油断を誘うやり方かな」
「巨体に上からのし掛かられるのも慣れてないと捌きにくくはあるけどね。うん。ここは同じタイプで難易度が高い蛇タイプがいいかもしれないな」
「じゃあサイドワインダーはどう? 動きがトリッキーで楽しんで貰えるかも?」
「お祝い品のデザインしてる訳じゃないからな? 楽しませる目的じゃないんだぞ。まあでもいいんじゃないかな? 単純な敵では脅威にならないかもしれないし、出来れば何回か死んで覚えるぐらいがバランスとしてはいいだろう」
「そう言えば」

 兄の浩二の言葉に反応して、由美子はふと疑問を口にした。

「擬似体験でショックを受けて本当に死んでしまう人もいるらしいけど、大丈夫?」

 浩二は妹の優しさに笑みを浮かべる。

「利用者は全員軍人だぞ。そんな心配なんかしたら逆に怒られてしまうだろ」
「そっか、そうだね」

 浩二は目を細めて妹を見た。
 最初は心配もしたが、大学に入ってから他人に対して随分気遣いが出来るようになったことが喜ばしいのだ。
 全く家族を顧みなくなった兄とは違い、由美子は思いやりに溢れていると浩二は考え、連想して思い出した弾みで薄情な兄を思い浮かべる。
 あれ程啖呵を切って自分の血のしがらみから逃げ出したくせに、結局はこの世界に舞い戻ることになった情けない男。
 昔パーティを解散する時に浩二が言った通り、結局宿命からは逃げられはしないのだ。

「昔から、馬鹿ではあったけどね、あの人は」
「コウ兄さん」
「どうした? ユミ」
「隆志兄さんをあまりいじめては駄目。この世には呪いでは縛れない物もある」

 勘のいい由美子は下の兄の考えを読んだらしい。

「ユミ……」
「私が村の外に出られたのは兄さんが派手な先例を作ってくれたおかげ。そうでなければ私みたいな出来損ないを一人で外に出すはずがない」
「ユミ! そういう言い方は駄目だって言っただろう? 能力が発現しなくてもユミは自分の実力でハンター検定をクリアしたんだ。能力者でも通らない者は多いんだぞ。出来損ないであるはずがない。もっと堂々としていろ」
「うん。ありがとう、コウ兄さん」

 由美子は頷いたが、その心中に降り積もった劣等感は容易には消えるものではないことを浩二は知っている。
 溜め息を吐きつつ浩二は幻想迷宮のデザインに戻った。

「悪かった。兄さんの悪口はもう言わない。パーティも再始動することだしな」
「うん」

 会話する間にもフィールドデザインが組まれて行く。
 それは、ゲーム等で使われる一般的な機械語ではなく、見た目的には曼陀羅を描いていくような作業だ。
 一つ一つの形、隣り合う図式の位置、色合い、その全てが意味を持ち、一つの架空世界を形作って行く。

「じゃあモンスターを読み込ませる」

 由美子が書き上げた符を持って、ピラミッド状の物体に触れる。
 すると黒いピラミッドは縦半分に割れて中身を晒した。
 そこには虹色に煌めく小さな宝石のような物が置かれている。
 その光に符を翳すと、融けるように次々と符が消えて行った。

「モンスターセット完了。配置による行動の微調整は大丈夫?」
「大丈夫なはずだ。後は実際に潜って確かめないとな」

―― ◇ ◇ ◇ ――

 そこは正に戦場だった。
 整然と見事な隊列を組み、空と陸から波状攻撃を仕掛けて来る虫型のモンスター。
 トラップに引っ掛かり、すぐそこに見えているのに手の届かない場所で無残に倒れ逝く戦友。
 道は行けども先に繋がらず隊員達の気力は恐ろしい程の勢いで尽きて行った。
 そこ以外のどこを指して地獄と言うのだろうと、選ばれし精鋭達は心に呟いた。

「このシミュレーターの設定は本当に適切なのか?」

 武部部隊長は協力者として在るはずのハンター達に噛み付いた。
 幻想迷宮を使用した訓練によって、実に八割の隊員が深刻な精神的ダメージを負ったのだ。

「もちろん。俺も事前に潜って試してみました。確かに実際のあの迷宮の一層目よりは厳しく設定してあったようですけど、訓練にはそれぐらいのほうがいいんじゃないかと思ってOKを出したのですが、いけなかったでしょうか? 一応怪異やフィールドの傾向は、俺の体験したものと方向性を合わせてありましたし」

 ハンター達のリーダーである木村隆志は、その肉食の獣を思わせる風貌に似つかわしくないほのぼのとした口調で説明した。
 危機感とか緊張感とかいう物をどこかに忘れ去ったような物言いである。
 ある一定以上の地位を持つ者にはなんとなくカチンと来る態度だ。

「でも確かに初心者向けとは言えなかったかもしれませんね。今からでも設定の難易度を下げますか?」

 武部は思わず奥歯を噛み締めたが、爆発したのは別の人間だった。

「馬鹿を言え! あの程度、すぐにあくび混じりに攻略してみせるわ!」
「橋田軍曹、控えろ」

 作戦立案、決定権は武部にあるが、実践指揮の要は軍曹である彼にある。
 隆志の言葉に、侮られたとの思いがあったのだろう。
 だが、軍の序列は絶対だ。
 上官の会話を遮る行為など言語道断の行いである。
 しかし、心情的には救われた思いの武部は言葉上でたしなめるに止めた。
 橋田軍曹も武部に礼をするとすぐに退く。

「失礼をした。しかし私とて彼と同意見だ。経験者である君が適切と判断するなら、それは我らの認識が甘かったということなのだろう。その程度の訓練をこなせないのでは実戦で大事な部下を死なせてしまいかねん」
「そうですね。幻想迷宮は途中離脱も簡単ですから、崩れた時は一度離脱して再挑戦という手もありますし」

 会話に潜ませた毒をものともせずに、飄々と更に屈辱的な提案までしてのける相手に、武部は怒鳴りつけたい気持ちを抑えて鷹揚に頷いてみせた。

「いきなり無理をさせずに離脱を繰り返して攻略するという訳か。なるほど期間に余裕があるのならよさそうだが、生憎と余裕は無い。残念だな」
「それならうちのパーティと合同で潜ってはどうでしょう? ある程度サポートもできますし、幻想迷宮なら人数制限も解除出来ますからね」

 何を思ったか、隆志は更に別の提案をして来る。
 暗に軍だけでは力不足であると言われている気がして、武部は頑なにそれを拒んだ。

「いや、結構。今迄通りモニタールームからチェックをお願いする」
「わかりました。今迄で隊員の方達も大体のコツは飲み込んだでしょうから、次はいけるでしょう」
「ええ、ありがとうございます」

 苦痛など感じることなく軽く共闘を提案して来るのも、当然のように彼ら軍の実力への信頼を語るのも、武部には全てが苛立たしいばかりだった。
 現在彼等武闘派は政治的に微妙な立場に立たされている。
 軍など税金泥棒でしかない。いざとなったら人々を守る実力もありはしないのだからと、したり顔で語る穏健派共の顔が思い浮かび、武部は拳を固める。
 今回の穏健派の暗躍は陰険で執拗だ。
 いつも通り武闘派の力を削ぐ目的以外に、どうやら外国との密約による後押しも見え隠れしている。
 彼等は目に見える武闘派の無能さを求めていて、もしこのシミュレーションでの醜態を知ればそれ見たことかと口を極めて攻め立てるであろうことは明らかだった。
 なので、武部は決して弱さを見せる訳にはいかない。

「お言葉ですが、軍人はいけるという曖昧な考え方はしません。我々は、やり遂げるのですよ」

 この特別仕様の幻想迷宮バーチャルダンジョンを用いての実践訓練は、かつてない過酷な訓練となった。
 しかし志願兵である彼等に挫折は許されない。
 文字通り死ぬ思いを乗り越えて、彼等の技術は磨かれ、戦闘能力は鍛えぬかれた。
 そして、彼等は見事期限内に迷宮の第一層を攻略し、内外に国軍の力を示したのである。

 祝杯と休養の後に行われた、攻略後ブリーフィングは全員の意気も高く、誰もが一流の戦士としてそこに在った。

「いよいよ第二層に挑む訳だが、だれか質問や意見はあるか?」

 指揮官としての貫禄を増した武部部隊長が重々しく告げる。
 そこに挙手をする者があった。
 全員の注目を浴びて伸びやかに手を上げているのは、ハンターの一人で紅一点の木村由美子である。
 華奢で小作りな顔立ちは、女性というよりも少女と言ったほうがいい外見だ。
 なにより、野に咲く凛とした花のような美しさがあって、男性とたくましい女性ばかりの軍隊においては、さながら一服の癒やしを得るような心地を覚えさせる。

「何かご意見がおありでしょうか?」

 その兄に対するのとは違い、武部はしごく穏やかに彼女に対した。
 しかし、彼女が一同に与えたのは、あらゆる爆弾に優る衝撃だった。 

「あの、第二層用に幻想迷宮の設定を変更したいのですが、何かご希望はありますか?」

 静寂がその場を支配した。
 しわぶき一つ聞こえない完全なる静寂だ。

「あの?」

 うら若く、美しいハンターの女性が言葉を重ねる。
 武部はごくりと喉を鳴らした。

「いや、お待ちください。我々はどうやら大切なことを見誤っていたようだ。我々の使命は迷宮を攻略することではない。迷宮を調査し、資源の収拾とそれにともなうメリットデメリットを知ることこそが国の兵士としての役割でありました。我々はただ一度の成果で、それをうかつにも忘れてしまう所でした」

 武部は由美子を手で制すると、部隊員に向けて言葉を続ける。

「我らは更に迷宮第一層の探索を深く行い、調査を進めることを第一義としたい。この件、上申しておく」

 そして、彼はそのまま由美子に向き直ると、笑顔のまま告げた。

「そういうことなので、まだしばらくはあの設定はそのままで問題ありません」
「わかりました」

 由美子はぺこりと頭を下げると着席する。
 場内からいずこからともなく拍手が起こり、それはやがて自らの指揮官を称える万雷の拍手と歓声となってブリーフィングルームを埋め尽くしたのだった。
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