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迷宮狂騒曲
その九
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まいった。
何がまいったかというと、女性を泣かし掛けている現在の状況である。
「木村さん、どこからどう見ても具合悪そうにしか見えませんよ。やっぱり昨夜のカレーか紅茶の香辛料が悪かったんでしょう?」
朝からずっと社内の視線を集めてるなあとは思ってたんだよな。
そしたら昼休みに伊藤さんの襲撃にあいました。
そんなに酷い顔してるんかな? 俺。
困った。
さすがに昨夜眠れなかった理由は話せないし。
機密情報だらけだしな!
しかし隠し事をしないと言った昨日の今日に話せないような話が飛び込んで来るというのは、運命というやつの悪意を感じるな。
なんというか俺の目指していたはずの一般人から大きく逸脱している気がする。
うん、いや、俺だってわかってはいるんだ。
ハンターに復帰した時点で、もう一般人の道を大きく踏み外してしまったということは。
だけど、だからと言って、はいそうですかと悪足掻きしないでそれを受け入れられる程俺は出来た人間じゃない。
「ほんと、俺、香辛料平気ですから。昨夜あの後あっちの仕事関係で嫌なことがあったんです。それだけです」
言い訳は辛い。
しかも内容を丸々隠したままってのが酷い。
なるべくなら出来るだけ正直にいきたいと思ってもそれは叶わないことだ。
そういう気持ちは単に楽をしたいだけなのかもしれないとも思うけど、こうやって心配してくれる人に対しては出来るだけ誠実でありたいと思うのは、極々普通のことだと思う。
俺は俺の出来るだけの誠実さでもって答えたつもりだけど、それをどう受け止めるかは相手次第。
正直、愛想つかされてもおかしくないと思うんだよな。
伊藤さんも無理に俺に付き合う必要はない。
そんなことを頭の表面では考えながらも、俺は不安でいっぱいになって彼女を見ていた。
風が伊藤さんの顔に髪を吹き寄せてしまって彼女の表情が読めない。
俺はどきどきしながら沙汰待ちの罪人のように神妙にしていた。
大丈夫、どんな罵倒でもどんと来いだ。
伊藤さんはふいに顔を上げると、ちょっと拗ねたような上目遣いで俺の顔を窺う。
うっ、無意識なんだろうけど、そういうのは反則だと思います。
「そうだったんですね。そうですよね、話せないことありますよね。困らせてしまってごめんなさい。なんか、私、いつもこうやってよけいなことをしでかしてはただ木村さんにご迷惑を掛けているだけみたいで、自分が嫌になります。少しでも何かのお役に立ちたいと思ってやっていること全てが裏目に出てるみたいで、こんなんじゃ押し掛け恩返しじゃなくて、押し掛け迷惑ですよね」
怒られるかと思ったら、逆に落ち込んでしまった伊藤さんに、俺は慌てて言葉を掛けた。
「そんなことありません。昨日来てくださって凄く嬉しかったですよ。賑やかな食事なんて久し振りでしたし、それに、あれが無かったら、俺はもっと落ち込んでどつぼに嵌まっていたと思います」
実際、あの部屋に二人の気配が残っていたことでどれだけ救われたかわからない。
朝方、痛む頭を抱えて冷蔵庫を開けたら『温めて食べてください』とメモの貼られた保管容器を発見して、どれだけ励まされたか。
「ほんとうに?」
おおう、だから不意打ちみたいにまっすぐ目を見つめるのをやめて欲しいです!
特に二人きりでいるシチュエーションはヤバいから、マジで。
まあ二人きりとはいえ、また件の屋上庭園な訳で、ちょっと離れた場所からの視線が痛い程あるんですけどね。
いくら気持ちが弱っていても、この場で変なこととかやりようもない。やったら間違いなく社会的に殺される。
女性陣の絶対防御の視線がすごく怖いです。
「本当に。正直言うとですね、こうやって伊藤さんに弱音みたいなのを吐いているほうが、実は精神的に辛いというか、男としてですね、見栄を張りたいというか。ええっと、我が儘ですみません」
こう、女の子の前では格好良くいきたいなと思うじゃないですか。
情けない自分をさらけ出すってのは、けっこう辛いものなのです。
「我が儘なら私も負けませんよ。本当は木村さんに弱音を吐いて頼ってもらいたいだけなのかもしれませんよ。だからこうやって困らせてしまうのかも。ほら、我が儘でしょう?」
まいった。
本当に勝てないな。
いや、勝負ごとじゃないんだから勝ち負けもなにも最初から無い訳で。
「あの、ですね」
伊藤さんが遠慮がちに次の言葉を探すように俺を見る。
「今思いついたんですけど、もしよかったら、二人でたまに、叶えなくていい我が儘の言い合いっこをしませんか?」
「え?」
意味が分からずキョドる俺に伊藤さんは真っ赤になりながら説明した。
「我が儘って案外聞いて貰えるだけですっきりしたりするでしょう? だから、聞き届けないこと、叶えないを前提にお互いに言い合うんです」
赤くなりながらきちんと言うべきことを言って、伊藤さんは俺の顔を伺い見た。
なにそれ、すごく高度なプレイですか? って、何考えてるんだ? 俺。
「叶えない前提でも叶えたいと思った我儘は叶えてしまってもいいんでしょうか?」
「えっ?」
俺の口走った言葉にますます赤くなった伊藤さんは大変可愛らしかった。
―― ◇ ◇ ◇ ――
「これが格差社会というものか」
伊藤さんとのほのぼのとした時間を経験した俺が、週末、可愛らしいお誘いをお断りして出頭したら遭遇した男臭い連中に、思わずそう口走ったことを誰が責められよう。
傍らにいたゴツさのキングオブキングのような奴がぎろりと俺を睨む。
チキンなハートの俺にはしんどい状況だった。
「上層部の考えはともかく、俺は貴様らがこの作戦に必要だとは思っておらん。だが、むざと仲間を勝算の見えぬ場に送り出したやつらを処罰したのはお前達のチーム入りを提唱した一派だ。その働きには報いたくてあえて反対はしなかった。しかし、迷宮の、しかも最下層のみというこの条件にハンターの手を借りたとあっては、我が国の武威を疑われる事態となろう。ゆえに俺は貴様らと迷宮に潜るつもりはない」
キッパリとした宣言。
軍部がこっちを嫌っているのは最初から明らか過ぎる程だったが、これで逆に俺の気持ちは楽になった。
もし彼等が俺達を頼るようなら、共に迷宮入りするのは元から限り無く無謀な作戦でしかなかっただろう。
「ええ、俺もあなた方のみで作戦を決行したほうが成功率は上がると思いますよ。人数に制限がある以上、軍隊らしい戦い方は異分子を抱えてではやり辛いでしょうし」
俺の言葉に、傍らの男は、ぐわっと目を剥いて迫って来た。
こわっ!
俺もさんざん強面とか言われて来たけど、このおっさんは格が違った。
「わかっているならなぜ引き受けた? しがらみか? 首輪付きは主人の命に逆らえんか?」
首輪付きというのはハンターとしての立場にではなく、血統に対する揶揄だろう。
わかりやすすぎる挑発だ。
色々手配があるとかで由美子も浩二も今日は来ていないが、こういうご挨拶があるのなら来なくて正解だったろうな。
二人がバックレたと知った時にはちょっとショックだったけど。
気心が知れてるからって、予定を直前に言わなくてもいいんじゃね? 一応打ち合わせぐらいしようぜ? と思うのは、俺の贅沢なのだろうか?
「あなたは先程勝算の見えぬ場で仲間を失ったとおっしゃいました。それは情報の意味を知っての言葉と思いましたが、それは思い違いで、あなたも同じ轍を踏むつもりなのですか? 情報の価値を認めないと?」
「そのようなことはない。貴様の持つ情報をないがしろにするつもりではない。しかしなるほど、貴様も旧世代の猟犬のくせにただ吠えるだけではないという訳だな」
ええっと、このおっさんは俺を怒らせたいのかな?
俺としてはいい加減ブリーフィングに移りたいんだが。
「橋田曹長、その辺にして彼を開放してくれないか? 彼も君も思っている通り、我々には情報が必要だ」
と、状況を打破する鶴の一声が掛かった。
といっても救い主という訳でもなさそうだ。
その顔にはありありと俺に対する侮蔑が刻まれている。
ほんと、軍人には嫌われてるな俺達。
俺のほうは別に嫌ってないんだが、噛み合わないって悲しいことだな。
何がまいったかというと、女性を泣かし掛けている現在の状況である。
「木村さん、どこからどう見ても具合悪そうにしか見えませんよ。やっぱり昨夜のカレーか紅茶の香辛料が悪かったんでしょう?」
朝からずっと社内の視線を集めてるなあとは思ってたんだよな。
そしたら昼休みに伊藤さんの襲撃にあいました。
そんなに酷い顔してるんかな? 俺。
困った。
さすがに昨夜眠れなかった理由は話せないし。
機密情報だらけだしな!
しかし隠し事をしないと言った昨日の今日に話せないような話が飛び込んで来るというのは、運命というやつの悪意を感じるな。
なんというか俺の目指していたはずの一般人から大きく逸脱している気がする。
うん、いや、俺だってわかってはいるんだ。
ハンターに復帰した時点で、もう一般人の道を大きく踏み外してしまったということは。
だけど、だからと言って、はいそうですかと悪足掻きしないでそれを受け入れられる程俺は出来た人間じゃない。
「ほんと、俺、香辛料平気ですから。昨夜あの後あっちの仕事関係で嫌なことがあったんです。それだけです」
言い訳は辛い。
しかも内容を丸々隠したままってのが酷い。
なるべくなら出来るだけ正直にいきたいと思ってもそれは叶わないことだ。
そういう気持ちは単に楽をしたいだけなのかもしれないとも思うけど、こうやって心配してくれる人に対しては出来るだけ誠実でありたいと思うのは、極々普通のことだと思う。
俺は俺の出来るだけの誠実さでもって答えたつもりだけど、それをどう受け止めるかは相手次第。
正直、愛想つかされてもおかしくないと思うんだよな。
伊藤さんも無理に俺に付き合う必要はない。
そんなことを頭の表面では考えながらも、俺は不安でいっぱいになって彼女を見ていた。
風が伊藤さんの顔に髪を吹き寄せてしまって彼女の表情が読めない。
俺はどきどきしながら沙汰待ちの罪人のように神妙にしていた。
大丈夫、どんな罵倒でもどんと来いだ。
伊藤さんはふいに顔を上げると、ちょっと拗ねたような上目遣いで俺の顔を窺う。
うっ、無意識なんだろうけど、そういうのは反則だと思います。
「そうだったんですね。そうですよね、話せないことありますよね。困らせてしまってごめんなさい。なんか、私、いつもこうやってよけいなことをしでかしてはただ木村さんにご迷惑を掛けているだけみたいで、自分が嫌になります。少しでも何かのお役に立ちたいと思ってやっていること全てが裏目に出てるみたいで、こんなんじゃ押し掛け恩返しじゃなくて、押し掛け迷惑ですよね」
怒られるかと思ったら、逆に落ち込んでしまった伊藤さんに、俺は慌てて言葉を掛けた。
「そんなことありません。昨日来てくださって凄く嬉しかったですよ。賑やかな食事なんて久し振りでしたし、それに、あれが無かったら、俺はもっと落ち込んでどつぼに嵌まっていたと思います」
実際、あの部屋に二人の気配が残っていたことでどれだけ救われたかわからない。
朝方、痛む頭を抱えて冷蔵庫を開けたら『温めて食べてください』とメモの貼られた保管容器を発見して、どれだけ励まされたか。
「ほんとうに?」
おおう、だから不意打ちみたいにまっすぐ目を見つめるのをやめて欲しいです!
特に二人きりでいるシチュエーションはヤバいから、マジで。
まあ二人きりとはいえ、また件の屋上庭園な訳で、ちょっと離れた場所からの視線が痛い程あるんですけどね。
いくら気持ちが弱っていても、この場で変なこととかやりようもない。やったら間違いなく社会的に殺される。
女性陣の絶対防御の視線がすごく怖いです。
「本当に。正直言うとですね、こうやって伊藤さんに弱音みたいなのを吐いているほうが、実は精神的に辛いというか、男としてですね、見栄を張りたいというか。ええっと、我が儘ですみません」
こう、女の子の前では格好良くいきたいなと思うじゃないですか。
情けない自分をさらけ出すってのは、けっこう辛いものなのです。
「我が儘なら私も負けませんよ。本当は木村さんに弱音を吐いて頼ってもらいたいだけなのかもしれませんよ。だからこうやって困らせてしまうのかも。ほら、我が儘でしょう?」
まいった。
本当に勝てないな。
いや、勝負ごとじゃないんだから勝ち負けもなにも最初から無い訳で。
「あの、ですね」
伊藤さんが遠慮がちに次の言葉を探すように俺を見る。
「今思いついたんですけど、もしよかったら、二人でたまに、叶えなくていい我が儘の言い合いっこをしませんか?」
「え?」
意味が分からずキョドる俺に伊藤さんは真っ赤になりながら説明した。
「我が儘って案外聞いて貰えるだけですっきりしたりするでしょう? だから、聞き届けないこと、叶えないを前提にお互いに言い合うんです」
赤くなりながらきちんと言うべきことを言って、伊藤さんは俺の顔を伺い見た。
なにそれ、すごく高度なプレイですか? って、何考えてるんだ? 俺。
「叶えない前提でも叶えたいと思った我儘は叶えてしまってもいいんでしょうか?」
「えっ?」
俺の口走った言葉にますます赤くなった伊藤さんは大変可愛らしかった。
―― ◇ ◇ ◇ ――
「これが格差社会というものか」
伊藤さんとのほのぼのとした時間を経験した俺が、週末、可愛らしいお誘いをお断りして出頭したら遭遇した男臭い連中に、思わずそう口走ったことを誰が責められよう。
傍らにいたゴツさのキングオブキングのような奴がぎろりと俺を睨む。
チキンなハートの俺にはしんどい状況だった。
「上層部の考えはともかく、俺は貴様らがこの作戦に必要だとは思っておらん。だが、むざと仲間を勝算の見えぬ場に送り出したやつらを処罰したのはお前達のチーム入りを提唱した一派だ。その働きには報いたくてあえて反対はしなかった。しかし、迷宮の、しかも最下層のみというこの条件にハンターの手を借りたとあっては、我が国の武威を疑われる事態となろう。ゆえに俺は貴様らと迷宮に潜るつもりはない」
キッパリとした宣言。
軍部がこっちを嫌っているのは最初から明らか過ぎる程だったが、これで逆に俺の気持ちは楽になった。
もし彼等が俺達を頼るようなら、共に迷宮入りするのは元から限り無く無謀な作戦でしかなかっただろう。
「ええ、俺もあなた方のみで作戦を決行したほうが成功率は上がると思いますよ。人数に制限がある以上、軍隊らしい戦い方は異分子を抱えてではやり辛いでしょうし」
俺の言葉に、傍らの男は、ぐわっと目を剥いて迫って来た。
こわっ!
俺もさんざん強面とか言われて来たけど、このおっさんは格が違った。
「わかっているならなぜ引き受けた? しがらみか? 首輪付きは主人の命に逆らえんか?」
首輪付きというのはハンターとしての立場にではなく、血統に対する揶揄だろう。
わかりやすすぎる挑発だ。
色々手配があるとかで由美子も浩二も今日は来ていないが、こういうご挨拶があるのなら来なくて正解だったろうな。
二人がバックレたと知った時にはちょっとショックだったけど。
気心が知れてるからって、予定を直前に言わなくてもいいんじゃね? 一応打ち合わせぐらいしようぜ? と思うのは、俺の贅沢なのだろうか?
「あなたは先程勝算の見えぬ場で仲間を失ったとおっしゃいました。それは情報の意味を知っての言葉と思いましたが、それは思い違いで、あなたも同じ轍を踏むつもりなのですか? 情報の価値を認めないと?」
「そのようなことはない。貴様の持つ情報をないがしろにするつもりではない。しかしなるほど、貴様も旧世代の猟犬のくせにただ吠えるだけではないという訳だな」
ええっと、このおっさんは俺を怒らせたいのかな?
俺としてはいい加減ブリーフィングに移りたいんだが。
「橋田曹長、その辺にして彼を開放してくれないか? 彼も君も思っている通り、我々には情報が必要だ」
と、状況を打破する鶴の一声が掛かった。
といっても救い主という訳でもなさそうだ。
その顔にはありありと俺に対する侮蔑が刻まれている。
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