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おばけビルを探せ!
その十
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「迷宮と言ってたっけな」
周囲を見回してぼそりと呟く。
迷宮の基本として、よりプレッシャーの強いほうへと走り出した俺は、やがて嫌な感じに様子が変化していることに気づいた。
かなり廃墟化が進んでいるとは言え、この迷宮のモデルとなっているのは職場としても馴染んだビジネス街だ。
その思いがやはりどこかに油断を生んでいたんだろう。
気づけば方角を見失っていたのだ。
「まあでも、どう考えても目標はアレだよな」
視線をやや高い位置に向ける。
そこには崩れ掛けた高層ビル群にまるでかしずかれるように屹立する、一つだけ傷一つ無いビルがある。
光の角度で色が変化して白にも黒にも見える外観、他のビルが現実のそれの似姿であるというのに、それだけが本来はそこに存在しない物だ。
おまけにどんなに回り込んでも必ずビル群の中心に見える。
「つまりアレが噂のおばけビルってこったな。幻を透かして『表』に影を投影していたって訳だ」
その幻影で釣って誘い込む仕掛けなんだろう。
しかし理屈はわかっても、迷宮を突破出来る訳ではないのが厄介だ。
迷宮の中でもラビリンスの名を冠するのは、特殊な物だ。
入り込んだ者を惑わす仕掛けが施されていて、先へ進むためには複雑に仕組まれたその仕掛けを解きほぐさなければならないものだけにラビリンスという名前が冠される。
正直、俺はそういうのに向いてない。
由美子か浩二を呼び付けて丸投げしたいぐらいだ。
それに、とにかく時間を掛ける訳にはいかない。
あの三人がいつまで無事でいてくれるかわからないからだ。
そのことを考えると、胃の辺りがキリキリと痛む。
くそ、終天の野郎覚えてろよ、お前を倒す時になったらご先祖のように首と胴体とを切り離してただ埋めて安心するようなことは絶対にしないからな。
埋めるにしたって頭は汚物の中だ。
一つ角を曲がるたびに周辺の店舗やビルの並びが変わる。
この迷宮仕立てのビル街に入り込んだ時には見知っていたはずの通りも、もはや見知らぬ街も同然の有様だ。
辛うじて看板を見るとそれに見覚えがあったりして、知っている店だとわかるような感じだ。
しかもここの怪異は植物系、特にツタがウザい。
どこにでも生えているし、突然地面を割って現れたりもするのだ。
ともすれば絡み付いてこっちの動きを封じようとするし、うっかり絡まるのを許したら途端に大蜘蛛が走りよって来る。
まあ、ツタも蜘蛛も案外と外皮の柔らかい怪異なので、単純に殴ったり蹴ったりで済むから倒す時にいちいち考える必要が無いのはいいが、うっかり立ち止まれないおかげで考えるための時間を作れないのが問題だった。
「大都銀行か」
ビジネス街の一画を大きく占める都市銀行があった。
隣接するはずの新社ビルが無く、旧本社のみがぽつんと独立して建っていたので最初違和感があったが、その優美な外観は見間違えようもない。
年季の入ったその建物は、ほとんど崩れずにそのままの姿を残していた。
そういえばこの建物は天然の石材だけで作られた守護印持ちの建築物だったな。
この中央都市が、まだ電気的結界で囲まれる前、分厚く高い壁に囲まれていただけの頃に建てられたので、万が一のために怪異対策が施されていたのがそのまま残されているのだ。
「……まさかそこまで再現してないよな?」
古代神殿じみた大理石の柱が立ち並ぶ玄関を抜けてホールに入る。
予想に反して、その床には本物と同じように黒瑪瑙、柘榴石、長石なんかを使った魔法陣の素地があった。
「マジか? 自分達に不利なもんまでそのまま再現してるとか、どんだけ凝り性なんだあいつ」
中学校で習うようなことだが、電気的結界が発明される前、大都市では重要な建物に封魔の陣を仕込んでいて、いざという時に発動出来るようにしてあったらしい。
実際に作動した所を見たことは無いが、これは単なる模様ではなく、完成すれば怪異を封じる機能を持った魔法陣になるのだ。
いっそ三人をここに誘導出来ればいいんだが、既に戻る道すらわからない状態だし、それは望むべくもないだろう。
だが、これは利用出来るかもしれない。
「緊急作動の仕掛けがあるはずだよな」
建物がほぼ無傷で残っているということは、この魔法陣を完成させる仕組みもまた残っているはずだった。
ここまでやってまさかそれは無いとかやらんだろうし。
やってたとしたらやつの性格の悪さが際立つけどな。
「あるとしたらカウンター内か」
この場所が見通せるカウンター内の位置から推し量ると、奥にある大きな柱が怪しい。
窓口の端、半自動ロック式の押し扉を飛び越えてそこへ行ってみる。
強盗などを相手にするのと違って、怪異相手だとカモフラージュをする必要などないのだから、作動させる仕組みはそれなりにわかりやすくしてあるはずだ。
変な偽装などはされていないと見ていいだろう。
案の定、柱には緊急用の札と共にスライド式のパネルがあり、それを開くと大きなレバーが設置してあった。
それを手前に引くと、ガコンという音と手応えがあり、ホールの床面が一部入れ替わる。
途端に大気が活性化したかのように細かい光の粒が乱舞し始めた。
魔法陣が起動したのだ。
この光の粒に見えるのは活性化した波動で、俺にはこういう風に見えるが、人によってその感じ取り方は様々であるらしい。
ホールに戻って魔法陣を観察してみると、案の定捕獲系の陣のようだ。
魔法陣は全体を見ると視覚にセーフティが掛かって模様がぼやけて見えるが、細部のみを注視すればくっきりと見ることが出来る。
そうやって見ていくと、中心近くに封印や捕獲によく用いられる、特徴的な文様化された二重螺旋が描かれていた。
捕獲の魔法というのはいわゆる停止命令だ。
怪異の波動に干渉して、停止命令を書き込むという、能動的な魔法なのだ。
「これをなんとかしてこの階層全体に作用させられないかな?」
魔法陣を形作っているのは天然石で、人造石などの混ざり物は無い。
かなり上位の造りだし、少々効果は薄れるかもしれないが、出力的には問題無いはずだ。
迷宮とは広義で言えばそれ自体が怪異であるとも言える。
怪異の発する波動と、迷宮それ自体の保有する波動は同質だ。
まあ、怪異を内包しているんだから当たり前と言えば当たり前の話かもしれないが。
その考えでいくと、迷宮それ自体に対して、この魔法陣の効果を及ぼすことは可能なはずなのだ。
さて、そうなると問題はその方法だが、普通この手の魔法陣は、屋外で発動する場合は座標を書き込んで範囲特定をするのだが、密閉された屋内の場合はそうではなく空間を指定するのだと、ついこの間、術式を利用した湯沸かしポット作成の時に聞いたばかりだ。
密閉空間においては一々座標数値を書き込むのではなく、天地四方の内壁を元に範囲を割り出して、そこに存在する該当物を対象として特定するという話だった。
という事は、この場合、範囲指定を迷宮全体にするためには、どこか一辺なりとも破壊して、迷宮の内壁を銀行の壁と誤認させる必要がある。
「四方と下はまあ無いよな。横だと隣の壁とかあるし、下は地面だし」
俺はちらりと天井を見た。
豪華なシャンデリア風の照明を吊ったそこは吹き抜けになっていてやたら高い。
そこから窓口へと続く天井は、低くはなっていたが、その段差部分に柱を入れて、仕切りなしでそのまま一つに繋がっていた。
内部からはどうにもならん。外からだな。
「これってあれだな、犯罪を犯してるような気分になるな」
銀行の屋根を目指して外壁を登る。
さすがに犯罪防止のためか外壁に取っ掛かりが無いので、指を突き刺して穴を穿ってそれを手掛かりにしてひたすら登った。
気分はロッククライミングだ。
大理石は流石に堅くて、穴を穿つにも力加減が難しい。
やりすぎて割ってしまっては建物全体が倒壊しかねないし、そうなると積み重なる瓦礫で魔法陣まで壊してしまう恐れがあった。
俺がそんな風に苦労しているというのに、空気の読めない奴というのはいるもので、ブウンと耳障りな羽音を響かせて、なにやら黒いカタマリが襲って来た。
「うっせえ!」
左手で払うも手応えがない。
生意気にも避けやがったらしい。
ったく羽のある奴はこれだから嫌いだ。
ドンと無防備な背中にぶつかられ、イラっと来た俺は、思わず左腕を後方に振り抜いてしまった。
俺は指で体を固定しながら垂直の壁を登っている途中なわけで、そんなことをすれば当然ながら反動で体が泳ぎ、危うく壁面から落ちそうになった。
咄嗟の貫手でもって壁に大きく穴を開けて、なんとかそれに掴まって事無きを得る。
ヤバいな、確実に昔よりこの手の技能が劣化している。
大雑把な力技は問題無いんで気にしてなかったが、こういう細かい作業をやってみると一目瞭然だ。
ここに由美子や浩二がいればあからさまな冷たい視線を向けられたに違いない。
考えるだに恐ろしい話である。
右手一本でぶら下がりながら足元を見ると、半分に分断されたカブト虫だかカナブンだかに似た怪異が、夢のカケラへと変化していく所だった。
その周りに、何か見慣れない新しい瓦礫が転がっているのは見なかったことにしたい。
恐る恐る横を見ると、まだある程度ちゃんと建っていたはずの隣の建物が、見る影もなく崩れ落ちていた。
「老朽化してたんだな。まあ廃墟だし仕方ないよね」
誰に言い訳してるんだ、俺は。
気持ちを切り替えて体を半回転させると、再度壁に取り付く。
また邪魔が来ない内に急いで登ろう。
さて、屋根に辿り着いた訳だが、問題はここからだ。
本来ならホールの上、吹き抜け部分を壊すのが簡単だが、それだと確実に天井の破片や照明が魔法陣に降り注ぐだろう。
だからと言って金庫室なんかはそこだけ別個の密閉空間だ。
最初から作用範囲から除外されている可能性が高い。
「狙うとしたらカウンター内の天井か」
しかし、銀行の外壁は、防犯のために特別頑丈な造りになっているという話だし、たしかホールは吹き抜けだったが、カウンター内の天井は低く、おそらく中二階になっているような感じだった。
時間も無いし、出来れば一発で抜いてしまいたいんだがどうするかな。
そんなことを考えていると、あの嫌な羽音が大音量で聞こえて来た。
「団体さんかよ」
やれやれ、ますますのんびり出来なくなったぞ。
仕方ない。
覚悟を決めてへその下に力を溜めた。
筋肉はみしみしと音を立てて体を押し広げ、皮膚が柔らかさを失い硬質な照りを帯びる。
一瞬、昔終天の野郎に言われた嫌なことを思い出しそうになるが、意識してそれを振り払い、やるべきことを思い描いた。
屋根をただ打ち壊せば、それはホールの天井にも及ぶ恐れがある。
だから、この屋根の片側だけを切断して切り崩す必要があった。
硬く、鋭く、大事なのはそれだけ。
俺は真っ直ぐに右手を振り下ろした。
かつんと、頼りない程の軽い音がして、次の瞬間手前の屋根が崩れ落ちる。
ホールと窓口との間の太い柱の手前で屋根の崩壊は途切れていて、どうやら無事成功したらしい。
……まあ俺も一緒に落ちたけどな。
よく考えたら俺の立ってたのがカウンター側だったよ!
瓦礫が積み上がっているが、なんとかホールからの空間は繋がっている。
這い上がってみるとブンブンうるさい虫共が空中で静止したまま羽を動かしていた。
微妙に上下には揺れているが、大きく動くことは出来ないようである。
ざまあみろ、今はとどめを刺す暇が無いからそこでずっと反省してろ。
後は実地テストあるのみ。
俺は大都銀行から離れると、おもむろにそこらの角を曲がってみた。
風景に変化なし。
「よっしゃ! 一昔前に流行った立体パズルじゃあるまいし、ガチャガチャ動きやがって、うざったらしい仕掛けだったからな。これでまっすぐ目標に向かえるぜ、とっととここのボスを倒してこっから出るからな! てめえなんかに付き合ってられるか! ばーか!」
うっぷんを晴らすようにそう宣言すると、俺は中心のビルに向かって走り出す。
……そして、ツタに足を絡まされておもいっきり転んだ。
どうやら魔法陣の弱まった効果では、怪異はその場を動けないだけで攻撃は出来るようだった。
教訓。油断は禁物だ。
周囲を見回してぼそりと呟く。
迷宮の基本として、よりプレッシャーの強いほうへと走り出した俺は、やがて嫌な感じに様子が変化していることに気づいた。
かなり廃墟化が進んでいるとは言え、この迷宮のモデルとなっているのは職場としても馴染んだビジネス街だ。
その思いがやはりどこかに油断を生んでいたんだろう。
気づけば方角を見失っていたのだ。
「まあでも、どう考えても目標はアレだよな」
視線をやや高い位置に向ける。
そこには崩れ掛けた高層ビル群にまるでかしずかれるように屹立する、一つだけ傷一つ無いビルがある。
光の角度で色が変化して白にも黒にも見える外観、他のビルが現実のそれの似姿であるというのに、それだけが本来はそこに存在しない物だ。
おまけにどんなに回り込んでも必ずビル群の中心に見える。
「つまりアレが噂のおばけビルってこったな。幻を透かして『表』に影を投影していたって訳だ」
その幻影で釣って誘い込む仕掛けなんだろう。
しかし理屈はわかっても、迷宮を突破出来る訳ではないのが厄介だ。
迷宮の中でもラビリンスの名を冠するのは、特殊な物だ。
入り込んだ者を惑わす仕掛けが施されていて、先へ進むためには複雑に仕組まれたその仕掛けを解きほぐさなければならないものだけにラビリンスという名前が冠される。
正直、俺はそういうのに向いてない。
由美子か浩二を呼び付けて丸投げしたいぐらいだ。
それに、とにかく時間を掛ける訳にはいかない。
あの三人がいつまで無事でいてくれるかわからないからだ。
そのことを考えると、胃の辺りがキリキリと痛む。
くそ、終天の野郎覚えてろよ、お前を倒す時になったらご先祖のように首と胴体とを切り離してただ埋めて安心するようなことは絶対にしないからな。
埋めるにしたって頭は汚物の中だ。
一つ角を曲がるたびに周辺の店舗やビルの並びが変わる。
この迷宮仕立てのビル街に入り込んだ時には見知っていたはずの通りも、もはや見知らぬ街も同然の有様だ。
辛うじて看板を見るとそれに見覚えがあったりして、知っている店だとわかるような感じだ。
しかもここの怪異は植物系、特にツタがウザい。
どこにでも生えているし、突然地面を割って現れたりもするのだ。
ともすれば絡み付いてこっちの動きを封じようとするし、うっかり絡まるのを許したら途端に大蜘蛛が走りよって来る。
まあ、ツタも蜘蛛も案外と外皮の柔らかい怪異なので、単純に殴ったり蹴ったりで済むから倒す時にいちいち考える必要が無いのはいいが、うっかり立ち止まれないおかげで考えるための時間を作れないのが問題だった。
「大都銀行か」
ビジネス街の一画を大きく占める都市銀行があった。
隣接するはずの新社ビルが無く、旧本社のみがぽつんと独立して建っていたので最初違和感があったが、その優美な外観は見間違えようもない。
年季の入ったその建物は、ほとんど崩れずにそのままの姿を残していた。
そういえばこの建物は天然の石材だけで作られた守護印持ちの建築物だったな。
この中央都市が、まだ電気的結界で囲まれる前、分厚く高い壁に囲まれていただけの頃に建てられたので、万が一のために怪異対策が施されていたのがそのまま残されているのだ。
「……まさかそこまで再現してないよな?」
古代神殿じみた大理石の柱が立ち並ぶ玄関を抜けてホールに入る。
予想に反して、その床には本物と同じように黒瑪瑙、柘榴石、長石なんかを使った魔法陣の素地があった。
「マジか? 自分達に不利なもんまでそのまま再現してるとか、どんだけ凝り性なんだあいつ」
中学校で習うようなことだが、電気的結界が発明される前、大都市では重要な建物に封魔の陣を仕込んでいて、いざという時に発動出来るようにしてあったらしい。
実際に作動した所を見たことは無いが、これは単なる模様ではなく、完成すれば怪異を封じる機能を持った魔法陣になるのだ。
いっそ三人をここに誘導出来ればいいんだが、既に戻る道すらわからない状態だし、それは望むべくもないだろう。
だが、これは利用出来るかもしれない。
「緊急作動の仕掛けがあるはずだよな」
建物がほぼ無傷で残っているということは、この魔法陣を完成させる仕組みもまた残っているはずだった。
ここまでやってまさかそれは無いとかやらんだろうし。
やってたとしたらやつの性格の悪さが際立つけどな。
「あるとしたらカウンター内か」
この場所が見通せるカウンター内の位置から推し量ると、奥にある大きな柱が怪しい。
窓口の端、半自動ロック式の押し扉を飛び越えてそこへ行ってみる。
強盗などを相手にするのと違って、怪異相手だとカモフラージュをする必要などないのだから、作動させる仕組みはそれなりにわかりやすくしてあるはずだ。
変な偽装などはされていないと見ていいだろう。
案の定、柱には緊急用の札と共にスライド式のパネルがあり、それを開くと大きなレバーが設置してあった。
それを手前に引くと、ガコンという音と手応えがあり、ホールの床面が一部入れ替わる。
途端に大気が活性化したかのように細かい光の粒が乱舞し始めた。
魔法陣が起動したのだ。
この光の粒に見えるのは活性化した波動で、俺にはこういう風に見えるが、人によってその感じ取り方は様々であるらしい。
ホールに戻って魔法陣を観察してみると、案の定捕獲系の陣のようだ。
魔法陣は全体を見ると視覚にセーフティが掛かって模様がぼやけて見えるが、細部のみを注視すればくっきりと見ることが出来る。
そうやって見ていくと、中心近くに封印や捕獲によく用いられる、特徴的な文様化された二重螺旋が描かれていた。
捕獲の魔法というのはいわゆる停止命令だ。
怪異の波動に干渉して、停止命令を書き込むという、能動的な魔法なのだ。
「これをなんとかしてこの階層全体に作用させられないかな?」
魔法陣を形作っているのは天然石で、人造石などの混ざり物は無い。
かなり上位の造りだし、少々効果は薄れるかもしれないが、出力的には問題無いはずだ。
迷宮とは広義で言えばそれ自体が怪異であるとも言える。
怪異の発する波動と、迷宮それ自体の保有する波動は同質だ。
まあ、怪異を内包しているんだから当たり前と言えば当たり前の話かもしれないが。
その考えでいくと、迷宮それ自体に対して、この魔法陣の効果を及ぼすことは可能なはずなのだ。
さて、そうなると問題はその方法だが、普通この手の魔法陣は、屋外で発動する場合は座標を書き込んで範囲特定をするのだが、密閉された屋内の場合はそうではなく空間を指定するのだと、ついこの間、術式を利用した湯沸かしポット作成の時に聞いたばかりだ。
密閉空間においては一々座標数値を書き込むのではなく、天地四方の内壁を元に範囲を割り出して、そこに存在する該当物を対象として特定するという話だった。
という事は、この場合、範囲指定を迷宮全体にするためには、どこか一辺なりとも破壊して、迷宮の内壁を銀行の壁と誤認させる必要がある。
「四方と下はまあ無いよな。横だと隣の壁とかあるし、下は地面だし」
俺はちらりと天井を見た。
豪華なシャンデリア風の照明を吊ったそこは吹き抜けになっていてやたら高い。
そこから窓口へと続く天井は、低くはなっていたが、その段差部分に柱を入れて、仕切りなしでそのまま一つに繋がっていた。
内部からはどうにもならん。外からだな。
「これってあれだな、犯罪を犯してるような気分になるな」
銀行の屋根を目指して外壁を登る。
さすがに犯罪防止のためか外壁に取っ掛かりが無いので、指を突き刺して穴を穿ってそれを手掛かりにしてひたすら登った。
気分はロッククライミングだ。
大理石は流石に堅くて、穴を穿つにも力加減が難しい。
やりすぎて割ってしまっては建物全体が倒壊しかねないし、そうなると積み重なる瓦礫で魔法陣まで壊してしまう恐れがあった。
俺がそんな風に苦労しているというのに、空気の読めない奴というのはいるもので、ブウンと耳障りな羽音を響かせて、なにやら黒いカタマリが襲って来た。
「うっせえ!」
左手で払うも手応えがない。
生意気にも避けやがったらしい。
ったく羽のある奴はこれだから嫌いだ。
ドンと無防備な背中にぶつかられ、イラっと来た俺は、思わず左腕を後方に振り抜いてしまった。
俺は指で体を固定しながら垂直の壁を登っている途中なわけで、そんなことをすれば当然ながら反動で体が泳ぎ、危うく壁面から落ちそうになった。
咄嗟の貫手でもって壁に大きく穴を開けて、なんとかそれに掴まって事無きを得る。
ヤバいな、確実に昔よりこの手の技能が劣化している。
大雑把な力技は問題無いんで気にしてなかったが、こういう細かい作業をやってみると一目瞭然だ。
ここに由美子や浩二がいればあからさまな冷たい視線を向けられたに違いない。
考えるだに恐ろしい話である。
右手一本でぶら下がりながら足元を見ると、半分に分断されたカブト虫だかカナブンだかに似た怪異が、夢のカケラへと変化していく所だった。
その周りに、何か見慣れない新しい瓦礫が転がっているのは見なかったことにしたい。
恐る恐る横を見ると、まだある程度ちゃんと建っていたはずの隣の建物が、見る影もなく崩れ落ちていた。
「老朽化してたんだな。まあ廃墟だし仕方ないよね」
誰に言い訳してるんだ、俺は。
気持ちを切り替えて体を半回転させると、再度壁に取り付く。
また邪魔が来ない内に急いで登ろう。
さて、屋根に辿り着いた訳だが、問題はここからだ。
本来ならホールの上、吹き抜け部分を壊すのが簡単だが、それだと確実に天井の破片や照明が魔法陣に降り注ぐだろう。
だからと言って金庫室なんかはそこだけ別個の密閉空間だ。
最初から作用範囲から除外されている可能性が高い。
「狙うとしたらカウンター内の天井か」
しかし、銀行の外壁は、防犯のために特別頑丈な造りになっているという話だし、たしかホールは吹き抜けだったが、カウンター内の天井は低く、おそらく中二階になっているような感じだった。
時間も無いし、出来れば一発で抜いてしまいたいんだがどうするかな。
そんなことを考えていると、あの嫌な羽音が大音量で聞こえて来た。
「団体さんかよ」
やれやれ、ますますのんびり出来なくなったぞ。
仕方ない。
覚悟を決めてへその下に力を溜めた。
筋肉はみしみしと音を立てて体を押し広げ、皮膚が柔らかさを失い硬質な照りを帯びる。
一瞬、昔終天の野郎に言われた嫌なことを思い出しそうになるが、意識してそれを振り払い、やるべきことを思い描いた。
屋根をただ打ち壊せば、それはホールの天井にも及ぶ恐れがある。
だから、この屋根の片側だけを切断して切り崩す必要があった。
硬く、鋭く、大事なのはそれだけ。
俺は真っ直ぐに右手を振り下ろした。
かつんと、頼りない程の軽い音がして、次の瞬間手前の屋根が崩れ落ちる。
ホールと窓口との間の太い柱の手前で屋根の崩壊は途切れていて、どうやら無事成功したらしい。
……まあ俺も一緒に落ちたけどな。
よく考えたら俺の立ってたのがカウンター側だったよ!
瓦礫が積み上がっているが、なんとかホールからの空間は繋がっている。
這い上がってみるとブンブンうるさい虫共が空中で静止したまま羽を動かしていた。
微妙に上下には揺れているが、大きく動くことは出来ないようである。
ざまあみろ、今はとどめを刺す暇が無いからそこでずっと反省してろ。
後は実地テストあるのみ。
俺は大都銀行から離れると、おもむろにそこらの角を曲がってみた。
風景に変化なし。
「よっしゃ! 一昔前に流行った立体パズルじゃあるまいし、ガチャガチャ動きやがって、うざったらしい仕掛けだったからな。これでまっすぐ目標に向かえるぜ、とっととここのボスを倒してこっから出るからな! てめえなんかに付き合ってられるか! ばーか!」
うっぷんを晴らすようにそう宣言すると、俺は中心のビルに向かって走り出す。
……そして、ツタに足を絡まされておもいっきり転んだ。
どうやら魔法陣の弱まった効果では、怪異はその場を動けないだけで攻撃は出来るようだった。
教訓。油断は禁物だ。
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