エンジニア(精製士)の憂鬱

蒼衣翼

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終天の見る夢

その一

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 その日、俺は職場でさして急ぎではない仕事を片付けていた。
 具体的に言うと、新規のプロジェクト自体は決まったものの、デザイン部門と設計部門が揉めていて、お馴染みのブランク状態に陥っていたので雑務をこなしていたのだ。

 どうでもいいんだが、デザイン部門が無茶なデザインを最初に打ち出して来るのは絶対わざとだと思う。
 最初に無茶なのを出せば、後からそこそこ無謀な物でも通りやすいと踏んでるに違いない。
 そのせいでいつもスケジュールが押すんだからいい加減腹の探り合いは止めて欲しいんだけどな。
 ともあれ、その時の俺は新商品の開発コンセプトを流し読みしながら今日何するかな? と考えていた訳だ。

 予告なく目の前の画面が消えた時には、俺は大して驚かなかった。
 読みに入っていて暫く操作をしていなかったんで休止モードになったんだろうと軽く思った程度だ。
 その時感じた疑問と言えば、待機に入る時間こんなに短く設定してたっけ? という事ぐらいだろう。
 だが、同僚の中にはそんな呑気な反応では無い者も当然ながら居た。

「あれ?」
「ああっ!」

 疑問や驚愕の声がチラチラと耳に入り、何かあったのかと顔を上げ、やけに暗いなと思った。

「停電?」

 どこか愕然とそう呟いたのは佐藤だったか。
 その頃にはオフィスの照明が全部落ちているのに気づいて、俺は思わず窓から外を見る。
 停電と聞くと外を確認したくなるのはなんでだろう?
 そもそも昼間に外を見たって夜程異常はわからない。
 それでも、流れの悪い車の列を辿ってその先に目をやると、信号機が沈黙しているのが確認出来た。

「信号止まってるぞ」

 なんとなくそう漏らす。

「おいおいおい! 俺の最高得点!」

 後ろから聞こえる絶叫の内容が酷い。
 何やってたんだ? 佐藤よ。

「一時間掛けて整理したデータが……」

 こっちは至極マトモなだけに同情心の刺激される呟きだ。
 声の方に目をやると、伊藤さんががっくりと机に突っ伏すのが見えた。
 可愛い。
 じゃなかった。

「後で手伝うよ、今日は手が開いてるし」

 チャンスだ。
 ここは売り込んでおくんだ、と、俺の本能が叫んでいる。
 以前はっきりとアウトオブ眼中だと宣言されたにも関わらず、悲しい男のサガだった。

「ありがとうごさいます。助かります。でも、うちはまだよかったですね」

 にこりと笑ってお礼を言う伊藤さんは、薄暗いオフィスでも輝いて見える。
 ちょっと自分の打算が嫌になった。

「そうだな、この停電がプロジェクトの追い込みの時期だったらと思うと恐ろしいな」

 俺達の会話に課長が割り込む。
 しみじみとそう言うのを聞いて、ふとその状態での停電を想像したら背筋が凍った。
 おそらく現在絶賛稼動中の部門では悲鳴が響いてることだろう。
 ご愁傷様です。うん、頑張れ。

 それにしても……。

「なんか復旧遅くありませんか?」
「変だな」

 この都市の電力は結界に直結していることもあって、何重もの安全装置が組まれている。
 何らかのトラブルが原因で局地的な停電が発生しても、長時間に及ぶことはまず有り得ないのだ。

 ぞっとするような幻視イメージが、唐突に俺を襲った。
 突然結界を失う平和しか知らない結印都市。
 それが辿る運命は容易く予想出来る。
 パニックの末怪異の大量発生で破滅。
 十中八九、そんな終わりが来るだろう。

 不安が作り出す新たな怪異マガモノ、大量の人の怯えの気配に寄り集まる怪異モンスター
 かつて一夜で滅んだという、きらびやかな栄華を誇った都市のように、そこはただの巨大な墓場となる。
 歴史を知る者なら誰もが思い至るであろう不安、本能的な恐怖が、ゆっくりと周囲の人々の胸に広がり始めるのを感じた。
 
「課長、ちょっとエレベーター見て来ます」

 空気を変えよう。
 俺は現実的な提案で場を動かすことにした。
 それに、実際万が一にも長時間の停電ともなれば、エレベーターに閉じ込められた人がいた場合大変だ。

「ああ、そうだな」

 課長もはっとしたように俺を見て、少し考えると頷いた。
 そうやって許可を得て部屋から出ようとした時だった。
 唐突に何事も無かったように照明が復活した。
 誰もがほっとして顔を見合わせる。

「やれやれ、驚いたな」

 そう言って、課長は俺に手で席に戻るように合図をよこした。
 確かに、電力が戻れば外に出る必要もない。
 俺は軽く肩を竦めると自分の席へ戻った。
 再び窓の外を見れば、道路は車が団子状態になっていたが、とりあえず事故などは発生していないようだ。
 時計を見ると大体五分程度の停電だったらしい。
 少し長いとは感じるが、危機感を覚える程の時間ではないだろう。
 どうも最近過敏になっているようだと思いながら、俺はほっと息を吐いた。

「木村さん、申し訳ありませんけど新規格のコンデンサの対比表のほうお願い出来ますか?」
「あ、へえ、メーカーから案内が来てた奴か」

 短時間の停電。
 後にわかったことだが、それはあろうことか都市の全域で発生したものだった。
 しかし中央都市の住人の心を一時的に騒がせ、幾許かの経済的な損失を叩き出したのみで、数多の事件や事故と同様、過ぎる時間の中に埋もれて忘れ去られる些細な出来事にしか過ぎなかった。

 その本当の意味がわかるまでは。

 ―― ◇ ◇ ◇ ――

 停電騒ぎから一ヶ月余が過ぎ去った頃、それは起こった。 
 いつも通りの帰り道。
 俺は何故か咄嗟に全身を緊張させて身構えた。
 その本能的な行動に、俺自身、自分が感じている危機感が何なのかわからずに戸惑う。

 会社帰りの通い慣れた夜道、車通りも少ないし、今迄不安など一切感じたことの無い道だ。
 だが、今、周囲を探る俺には、まるで氷の滝にでも突っ込んだかのように恐ろしい冷気が押し寄せていた。
 しかも、この感覚には覚えがある。

 カツンカツンと、背後から響く靴音が、物理的な圧力を伴って俺の動きの一切を封じた。
 俺はギリリと奥歯を噛み締めると、まるで悪夢の中のようにままならぬ体を動かして、無理矢理背後を振り返る。

「ちっ!」

 何もない。
 真の暗闇だけがそこにあった。
 街灯も、建物の影も、足元の道路すら、そこには存在しない。

「なかなかによく出来た虫籠だ。暫くはただ愛でるのもいいと思えるぐらいにな」

 嫌な予想が確信に変わる。
 懐かしいと馴れ合うことの出来ない最悪の古い馴染み。
 全身に走る震えを、今更怯える訳ないだろ? と、我が身にうそぶくことで無理矢理止める。

「やあ、いい夜だな」

 どこか深い洞の内で陰々と響くような声。
 それは決して人の持てる音ではない。

「なんであんたここにいんの?」

 俺はわざと高圧的に、刺々しい詰問口調でそう言った。
 この相手を前にして弱気になる訳にはいかない。

「こないだ清姫が渡っただろう? 全く、女の執着心たるやたいしたものだな、気味の悪い女だが、そういう点は評価出来る」

 なるほどな、こいつは清姫の動向に網を張って、俺の行き先を突き止めたって訳だ。
 相も変わらず狡猾なこった。
 姿は別に見せなくていいんだが、暗闇で声だけが聞こえるってのは酷く苛つく。

「何か感動的な挨拶は無いのか? 久し振りだろ」
「うぜえ、こんなとこまで入り込みやがって、消え失せろ」
「そう言うな、これでも結構気を使ったんだぞ? 壊してしまうのは簡単だが、虫籠の中で安らいでいる儚いモノ達が憐れでな。だからそっと門を潜ったのさ。どうだ、俺だってやろうとすれば静謐を乱さないぐらいのことはやってのけれるんだぜ?」
「御託を並べに来たのか? それとも今度こそ俺と決着を着けに来たのか? やり合うってんなら俺は構わないぞ」

 奴はハハハといかにも楽し気に笑う。
 ふと、上空から光が差した。
 月がいきなりそこにあった。
 闇の中の赤いホオズキのような満月。
 まあ、今日は下弦の月のはずなんで、これも本物じゃないんだろうが。
 どうやら長年生きたせいでいらん芸ばっかり増やしているらしい。

「お前はいつも元気がよくていいな。生憎今のところ戦いたい気分ではないんだ。残念だよ。昔なら存分に楽しんだものだが、ずっとそればかりじゃあ流石に飽いてな」

 イライラする。
 こいつの繰り言はもうたくさんだ。

「なら俺に用は無いだろう。もう帰るぞ」

 どっか気配の薄いとこは無いか?
 いっそ特別濃いとこでも構わない。
 こいつの封印を破るにはこの暗闇の世界の安定を揺らがせるしかないのだ。

「ははは、相変わらず気が短いな。まだそんな事を言っているのか? ずっと言っているように、お前にこそ俺は用があるんだよ。お前は人間共が力を尽くして辿り着いた答だからな。なあ、教えてくれよ、一体どうやってそれを成した。俺達と同じ因子を持ちながら人として命を繋ぎ得るその存在。それさえわかれば、俺達も自らの存在を継ぐモノを生み出せるんじゃねえの?」

 満月がどろりと溶けて上弦の月に変わる。
 それはニヤリと笑った奴の口だ。

「俺が知るか。勝手に死人にでも聞け!」

 バカバカしい、怪異が後継だと? 自分を継ぐモノを望むだと?
 ただ個として在るのが怪異だ。
 奴等はそれのみで完結してしまっている。
 そこから先など存在しない。
 少なくとも今迄は考えることすら有り得なかったはずだ。

 こいつは長く生き過ぎ、人と交わり過ぎたのだ。
 夢が夢を見る。
 それは滑稽と笑えるような話だろう。
 だが、だからこそ、それは恐るべきことだった。

 終天童子しゅてんどうじ、かつてそう呼ばれた鬼は、古き時代に一度は滅んだはずだった。
 だが、そもそも千年を超える大怪異モンスターだ。そう簡単に消滅したりはしない。
 ひっそりと再び蘇っていたソレは、ガキだった俺の前に現れて問いかけた。
 お前の存在は何なのか?と。

 そんなこと、俺が知るはずもない。
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