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古民家は要注意物件
その六
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「そうか、うちの娘と同じ職場の方でしたか」
伊藤父の登場で、玄関で停滞していた俺達も、立ち話もなんだからと、ぞろぞろと揃ってリビングに移動することになった。
リビングと言っても、囲炉裏を囲んだ板間で、燻られ磨かれた黒艶の美しい床板に、イグサで編んだ座布団が敷いてある。
古民家と言っても、室内は現代風にアレンジするのが一般的だが、この囲炉裏端と良い、この家には徹底したこだわりが感じられた。
なんとこの囲炉裏もちゃんと実用に耐えるらしい。起こした炭の上には鈎に掛けられた鉄瓶が湯気を吐いている。
「私はジェームズ・伊藤、その娘の父だ」
そんなに激しくお父さんを強調しなくてもわかりますよ?
というか、伊藤ってどっちの姓なんだ? 普通に考えればお母さんの家にお父さんが入ったって感じなのか?
もうわかりましたので値踏みするように眺めるのは止めてください、伊藤父改めジェームズ氏。
なんか雰囲気に呑まれて、つい、「お嬢さんをください」とか言い出してしまいたくなるぞ。
「それで、この家の問題点とはなんだ?」
ズバリと直球。
ちょっとだらけかけた気持ちが叩き起こされる声の鋭さだ。
「はい。俺の見た所、この家は元々は集怪所、怪異を集めるための住居です。しかも、その仕掛けの多くがまだ生きていて、大変危険な状態です」
伊藤さんのご両親は、俺の言葉に酷く驚いた顔になる。
まあ、そりゃそうだろう。
「ふむ、それはしかしおかしいな」
伊藤父、ジェームズ氏は、鋭い目付きで俺を推し量るように見据えて来た。
「というと?」
「私は実は若い頃は冒険者をやっていてね」
ピクリと自分の口元がひきつるのを感じる。
伊藤父もそれに気づいて苦い笑みを浮かべた。
あー、俺、腹芸とか出来んから、ここは勘弁して欲しい。でも、失礼だったよな、申し訳ない。
「どうやらご存じのようだが、一応説明しておくと、怪異を倒して世界中を周る仕事だな。業界内では『死肉漁り』とも呼ばれているような、まあ、嫌われ者だった」
「お父さん?」
その自虐的な言葉に、伊藤さんは不思議そうな顔で父親の顔を見た。
どうやらその手の昔の話を娘にはしていなかったっぽい。
なんかつくづく申し訳ない。今回の件で伊藤さんに恨まれなければいいけどな。
なんか溜め息を吐きたくなって来た。
「私はそれ程実力のある冒険者では無かったから迷宮に挑んだりはしなかったが、狩場において何度も連中とは戦った経験がある。その私が連中の気配に気づかないとでも言うのかな?」
なるほど、確かにわかる理屈だ。
怪異という存在には、一種独特の気配がある。
命のやり取りの中でそれを感じていたというのならそう考えてもおかしくは無いな。
「それでは逆にお尋ねしますが、あなた方は何かおかしいと思われたことは無かったのですか?」
「おかしいと思ったことだと?」
「そうですね。たとえば鏡を見るととてつもない恐怖を感じて近づけなかった、とか」
その俺の言葉に、伊藤さんのご両親それぞれの顔色が変わった。
洗顔、髭剃り、化粧。
それらに共通するのは鏡を覗き込む行為だ。
『人』は、鏡に普段恐怖を感じたりはしない。
だが、怪異は違う。
さすがに、伊藤父は理解を示し、すぐに表情を改めて俺の顔を見る。
「なるほど『障り』か。日常の中で起これば、本人にすら違和感を覚えさせないと言うが、……今思い返してみると、確かに自分でも私の行動はおかしかったと思える。なるほどな、こういうものなのだな、不思議な物だ」
『障り』。
怪異として存在し始めた意識が、形を持った物に一時的に入り込むことを言う。
人に入り込むと様々な問題が起きる。
疳の虫、魔が差す、様々な言い回しがあるが、ともかく怪異の初期も初期の段階で起こる軽い事故のような事柄だ。
「最近は経験しない人のほうが増えてきたと言いますし、周囲に勘のいい人間がいなければ見過ごされるようなほんの僅かな変化ですからね。そもそも怪異とも言えない程度の些細なモノのしわざですから」
「それで、なんで鏡なんだ?」
「怪異の存在というのは初期は酷く薄い物です。彼らは鏡面に映る世界と現実の世界の区別がつかない。だから、彼らはそれに本能的な恐怖を感じるのです。実際に鏡は素人でも使いやすい封印具でもあります。昔、いえ、今も、山間部の隔離された小さな村では怪異の脅威を自分達の知恵と工夫でなんとかしなければなりませんでした。だからそういう弱点はいい狙い目なんです。実際田舎のほうに行けば今でもまだ、鏡に自我の薄い怪異を封じる罠がありますよ」
ジェームズ氏は苦々しい顔になる。
「なるほど封具か、迷宮組なら絡め手も常套手段。連中なら思いつきもしたのだろうな……」
え? いやいや、オープンフィールドの冒険者だって封具ぐらい使うよね?
まさか全然使わないでやって来たのかこの人達? 脳筋も過ぎるだろ、まさか前衛しかいなかったとか?
……いや、まあそれでやっていけてたんだから問題無いのか?
今まで思っていたよりアバウトそうだな冒険者ってのは。
「つまり、私達が訳も無く鏡の前に立つことを拒絶していたのは、知らぬ内に怪異に汚染されていたから、ということか」
「やはり心当たりがお有りなんですね」
ジェームズ氏は俺の問いに獰猛な笑みを浮かべてみせる。
「さすがに今更白々しいだろう。君は娘から私達の様子を聞いたからこそ来たのではないのかね?」
う……っ、まあ、ばれるよなそりゃ。
「ええ、実はそうなんです。ご両親がなにか様子がおかしいということで相談されましてね。それで見に来てみたのですが、あまりにもはっきりと仕掛けが残っていて驚きました。これは明らかな不動産屋の手落ちですから、ちゃんと相談すればいいと思います」
「なるほどな、それで不動産屋と連絡を取るようにと言っていた訳か」
ジェームズ氏は鼻を鳴らすと、小さく悪態を吐いた。
って、あれ、今のって、極軽いけど呪いの文句じゃないか? もしかして俺、呪われた?
「あの」
そんな俺達のやり取りの最中に、それまでじっと話を聞いていた伊藤さんが手を上げて発言を求めた。
いや、ここ学校とかじゃないから、別に手を上げる必要は無いと思うんだけど。いやいや、もしかするとこの家の独特の決まりなのかも?
そう思ってご両親の顔を窺うと、その顔にそれぞれなりの苦笑が浮かんでいる。
なるほど、この娘さんはまごうかたなき天然なのですね。
「どうした?」
そんな、小学生か! とツッコミたいぐらい、おずおずとした態度で手を上げ続けている娘を見かねたのか、ジェームズ氏が話を促した。
「あ、はい。その、今までのお話の流れだと、父さんと母さんに怪異が憑依したみたいなんですけど。悪い影響は無いんでしょうか?」
そうか、気になるよな。
伊藤さんにとっては自分が全く感じ取れない世界の出来事、いわば異次元の世界のお話のような物だ。
逆に俺の側からしてみても、波動の影響を全く受けないということがどういう感覚か全くわからない。
日常生活ならさしたる問題はない。
伊藤さんは自動ドアに触れないと動かせないし、一部の特殊な芸術を観賞することも出来ない。
だが、その程度だ。
なので彼女は日常で不便を感じるようなことはあまり無いだろう。
なにしろ無能力者と呼ばれる、霊的不感症の人はそこそこの数が存在するし、現代社会は少数派を切り捨てないでいい程度の余裕がある。
だけど、彼女の言うところのオカルトの世界というものは、何一つとして彼女には触れることが出来ないものばかりなのだ。
固定化して存在を固めたような怪異連中はともかくとして、一般的な怪異では、彼女は見ることも影響を受けることもなく、目前で怪異が踊っていたとしても、決してそれを見ることは無い。
それだからこそ、他人がどれだけ怪異の影響を受けようと、それを伊藤さんは理解することが出来ないのだ。
給湯室の時もそうだったが、自分以外が訴える、恐怖も嫌悪も伊藤さんには届かない。
もしかすると、伊藤さんはそれを経験の共有を拒絶されているようにも感じてしまっているのかもしれない。
頭では自分の体質を理解しても、感情が納得できるかは別だ。
親しい者同士、特に家族であればそれは大きな不安に繋がっているのではないだろうか?
「大丈夫、伊藤さんが気づいたのが早かったおかげで憑依には至ってませんでしたよ。この程度なら昔はよくあった『障り』程度でしかありません」
「じゃあ心配は無いんですね」
「伊藤さんのお手柄ですね」
俺がそう言うと、心からホッとしたように伊藤さんは頬を緩めた。
「あ、お茶しか出してなくてすみません! 何か持って来ますね」
ションボリが治ったと思えば、なんという軽やかな動き。
正しい客人としては、ここは一度は遠慮するものなのだろうが、そんな隙もなかったぜ。
「それであの、不動産屋さんのほうは?」
「ああ待ってくれ。すぐ契約書類を出して来る」
うん、こっちはさすが元冒険者、普通に行動が早い。
それは伊藤さんとは違うベクトルでの隙の無さだ。
しかもジェームズ氏、一目見ただけで分かる外国の人なのに、倭国語ペラペラだ。
冒険者は職業柄、数か国語は母国語同様に操るって話も聞くが、それってそれなりの級の人達の話のはずだし。
ううむ、伊藤父侮り難し。まだまだその懐は深そうだ。
「お茶のお代わりどうですか?」
伊藤さんのお母さん(そういえば名前を聞いていなかった)が、ほんわかとした笑顔でそう言った。
「あ、はいありがたく」
うん、良いご夫婦だな。ちょっと羨ましい。
という訳で後は業者に任せて俺の役割は終わり。の、はずだったんだがなあ……。
「キャアアッ! お母さん! 伏せて!」
「ヒイイ! た、助けてくれっ!」
「きさまっ! なんとかしろ!」
眼前で繰り広げられる平穏とかけ離れた場面。
うん、これは正しく阿鼻叫喚の図だな。
「ふう」
溜め息が重い。
……どうしてこうなった。
伊藤父の登場で、玄関で停滞していた俺達も、立ち話もなんだからと、ぞろぞろと揃ってリビングに移動することになった。
リビングと言っても、囲炉裏を囲んだ板間で、燻られ磨かれた黒艶の美しい床板に、イグサで編んだ座布団が敷いてある。
古民家と言っても、室内は現代風にアレンジするのが一般的だが、この囲炉裏端と良い、この家には徹底したこだわりが感じられた。
なんとこの囲炉裏もちゃんと実用に耐えるらしい。起こした炭の上には鈎に掛けられた鉄瓶が湯気を吐いている。
「私はジェームズ・伊藤、その娘の父だ」
そんなに激しくお父さんを強調しなくてもわかりますよ?
というか、伊藤ってどっちの姓なんだ? 普通に考えればお母さんの家にお父さんが入ったって感じなのか?
もうわかりましたので値踏みするように眺めるのは止めてください、伊藤父改めジェームズ氏。
なんか雰囲気に呑まれて、つい、「お嬢さんをください」とか言い出してしまいたくなるぞ。
「それで、この家の問題点とはなんだ?」
ズバリと直球。
ちょっとだらけかけた気持ちが叩き起こされる声の鋭さだ。
「はい。俺の見た所、この家は元々は集怪所、怪異を集めるための住居です。しかも、その仕掛けの多くがまだ生きていて、大変危険な状態です」
伊藤さんのご両親は、俺の言葉に酷く驚いた顔になる。
まあ、そりゃそうだろう。
「ふむ、それはしかしおかしいな」
伊藤父、ジェームズ氏は、鋭い目付きで俺を推し量るように見据えて来た。
「というと?」
「私は実は若い頃は冒険者をやっていてね」
ピクリと自分の口元がひきつるのを感じる。
伊藤父もそれに気づいて苦い笑みを浮かべた。
あー、俺、腹芸とか出来んから、ここは勘弁して欲しい。でも、失礼だったよな、申し訳ない。
「どうやらご存じのようだが、一応説明しておくと、怪異を倒して世界中を周る仕事だな。業界内では『死肉漁り』とも呼ばれているような、まあ、嫌われ者だった」
「お父さん?」
その自虐的な言葉に、伊藤さんは不思議そうな顔で父親の顔を見た。
どうやらその手の昔の話を娘にはしていなかったっぽい。
なんかつくづく申し訳ない。今回の件で伊藤さんに恨まれなければいいけどな。
なんか溜め息を吐きたくなって来た。
「私はそれ程実力のある冒険者では無かったから迷宮に挑んだりはしなかったが、狩場において何度も連中とは戦った経験がある。その私が連中の気配に気づかないとでも言うのかな?」
なるほど、確かにわかる理屈だ。
怪異という存在には、一種独特の気配がある。
命のやり取りの中でそれを感じていたというのならそう考えてもおかしくは無いな。
「それでは逆にお尋ねしますが、あなた方は何かおかしいと思われたことは無かったのですか?」
「おかしいと思ったことだと?」
「そうですね。たとえば鏡を見るととてつもない恐怖を感じて近づけなかった、とか」
その俺の言葉に、伊藤さんのご両親それぞれの顔色が変わった。
洗顔、髭剃り、化粧。
それらに共通するのは鏡を覗き込む行為だ。
『人』は、鏡に普段恐怖を感じたりはしない。
だが、怪異は違う。
さすがに、伊藤父は理解を示し、すぐに表情を改めて俺の顔を見る。
「なるほど『障り』か。日常の中で起これば、本人にすら違和感を覚えさせないと言うが、……今思い返してみると、確かに自分でも私の行動はおかしかったと思える。なるほどな、こういうものなのだな、不思議な物だ」
『障り』。
怪異として存在し始めた意識が、形を持った物に一時的に入り込むことを言う。
人に入り込むと様々な問題が起きる。
疳の虫、魔が差す、様々な言い回しがあるが、ともかく怪異の初期も初期の段階で起こる軽い事故のような事柄だ。
「最近は経験しない人のほうが増えてきたと言いますし、周囲に勘のいい人間がいなければ見過ごされるようなほんの僅かな変化ですからね。そもそも怪異とも言えない程度の些細なモノのしわざですから」
「それで、なんで鏡なんだ?」
「怪異の存在というのは初期は酷く薄い物です。彼らは鏡面に映る世界と現実の世界の区別がつかない。だから、彼らはそれに本能的な恐怖を感じるのです。実際に鏡は素人でも使いやすい封印具でもあります。昔、いえ、今も、山間部の隔離された小さな村では怪異の脅威を自分達の知恵と工夫でなんとかしなければなりませんでした。だからそういう弱点はいい狙い目なんです。実際田舎のほうに行けば今でもまだ、鏡に自我の薄い怪異を封じる罠がありますよ」
ジェームズ氏は苦々しい顔になる。
「なるほど封具か、迷宮組なら絡め手も常套手段。連中なら思いつきもしたのだろうな……」
え? いやいや、オープンフィールドの冒険者だって封具ぐらい使うよね?
まさか全然使わないでやって来たのかこの人達? 脳筋も過ぎるだろ、まさか前衛しかいなかったとか?
……いや、まあそれでやっていけてたんだから問題無いのか?
今まで思っていたよりアバウトそうだな冒険者ってのは。
「つまり、私達が訳も無く鏡の前に立つことを拒絶していたのは、知らぬ内に怪異に汚染されていたから、ということか」
「やはり心当たりがお有りなんですね」
ジェームズ氏は俺の問いに獰猛な笑みを浮かべてみせる。
「さすがに今更白々しいだろう。君は娘から私達の様子を聞いたからこそ来たのではないのかね?」
う……っ、まあ、ばれるよなそりゃ。
「ええ、実はそうなんです。ご両親がなにか様子がおかしいということで相談されましてね。それで見に来てみたのですが、あまりにもはっきりと仕掛けが残っていて驚きました。これは明らかな不動産屋の手落ちですから、ちゃんと相談すればいいと思います」
「なるほどな、それで不動産屋と連絡を取るようにと言っていた訳か」
ジェームズ氏は鼻を鳴らすと、小さく悪態を吐いた。
って、あれ、今のって、極軽いけど呪いの文句じゃないか? もしかして俺、呪われた?
「あの」
そんな俺達のやり取りの最中に、それまでじっと話を聞いていた伊藤さんが手を上げて発言を求めた。
いや、ここ学校とかじゃないから、別に手を上げる必要は無いと思うんだけど。いやいや、もしかするとこの家の独特の決まりなのかも?
そう思ってご両親の顔を窺うと、その顔にそれぞれなりの苦笑が浮かんでいる。
なるほど、この娘さんはまごうかたなき天然なのですね。
「どうした?」
そんな、小学生か! とツッコミたいぐらい、おずおずとした態度で手を上げ続けている娘を見かねたのか、ジェームズ氏が話を促した。
「あ、はい。その、今までのお話の流れだと、父さんと母さんに怪異が憑依したみたいなんですけど。悪い影響は無いんでしょうか?」
そうか、気になるよな。
伊藤さんにとっては自分が全く感じ取れない世界の出来事、いわば異次元の世界のお話のような物だ。
逆に俺の側からしてみても、波動の影響を全く受けないということがどういう感覚か全くわからない。
日常生活ならさしたる問題はない。
伊藤さんは自動ドアに触れないと動かせないし、一部の特殊な芸術を観賞することも出来ない。
だが、その程度だ。
なので彼女は日常で不便を感じるようなことはあまり無いだろう。
なにしろ無能力者と呼ばれる、霊的不感症の人はそこそこの数が存在するし、現代社会は少数派を切り捨てないでいい程度の余裕がある。
だけど、彼女の言うところのオカルトの世界というものは、何一つとして彼女には触れることが出来ないものばかりなのだ。
固定化して存在を固めたような怪異連中はともかくとして、一般的な怪異では、彼女は見ることも影響を受けることもなく、目前で怪異が踊っていたとしても、決してそれを見ることは無い。
それだからこそ、他人がどれだけ怪異の影響を受けようと、それを伊藤さんは理解することが出来ないのだ。
給湯室の時もそうだったが、自分以外が訴える、恐怖も嫌悪も伊藤さんには届かない。
もしかすると、伊藤さんはそれを経験の共有を拒絶されているようにも感じてしまっているのかもしれない。
頭では自分の体質を理解しても、感情が納得できるかは別だ。
親しい者同士、特に家族であればそれは大きな不安に繋がっているのではないだろうか?
「大丈夫、伊藤さんが気づいたのが早かったおかげで憑依には至ってませんでしたよ。この程度なら昔はよくあった『障り』程度でしかありません」
「じゃあ心配は無いんですね」
「伊藤さんのお手柄ですね」
俺がそう言うと、心からホッとしたように伊藤さんは頬を緩めた。
「あ、お茶しか出してなくてすみません! 何か持って来ますね」
ションボリが治ったと思えば、なんという軽やかな動き。
正しい客人としては、ここは一度は遠慮するものなのだろうが、そんな隙もなかったぜ。
「それであの、不動産屋さんのほうは?」
「ああ待ってくれ。すぐ契約書類を出して来る」
うん、こっちはさすが元冒険者、普通に行動が早い。
それは伊藤さんとは違うベクトルでの隙の無さだ。
しかもジェームズ氏、一目見ただけで分かる外国の人なのに、倭国語ペラペラだ。
冒険者は職業柄、数か国語は母国語同様に操るって話も聞くが、それってそれなりの級の人達の話のはずだし。
ううむ、伊藤父侮り難し。まだまだその懐は深そうだ。
「お茶のお代わりどうですか?」
伊藤さんのお母さん(そういえば名前を聞いていなかった)が、ほんわかとした笑顔でそう言った。
「あ、はいありがたく」
うん、良いご夫婦だな。ちょっと羨ましい。
という訳で後は業者に任せて俺の役割は終わり。の、はずだったんだがなあ……。
「キャアアッ! お母さん! 伏せて!」
「ヒイイ! た、助けてくれっ!」
「きさまっ! なんとかしろ!」
眼前で繰り広げられる平穏とかけ離れた場面。
うん、これは正しく阿鼻叫喚の図だな。
「ふう」
溜め息が重い。
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