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日常と非日常は交錯する
4 職場はストレスの溜まり場だった
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「まあ、うちがもっと大手だったらその考えもアリかもしれんけどな」
課長が疲れたようにそう締めくくった。
残念ながら俺の構想は正式に却下となった訳だ。
よくあることだけどな、うん。
今、世は省エネ時代。
人間が掘り起こしてエネルギーとして使っていた、太古の魔法生物の化石燃料や鉱物などがやがて尽きるであろうことが大々的に取り沙汰されるようになって久しい。
ついでに言えばそういう採掘の時に掘り出される悪夢の遺産と呼ばれる封印が、事故や手際の悪さでいくつか開放されて、その度に世界に大打撃を与えるのも前々から問題になっていて、燃料採掘はもっと縛りを入れたほうがいいんじゃないかという世論を高めている。
魔竜が顕現した時には真面目に人類の歴史が終わり掛けたからな。まあ、あれは主に宗教的理由で睨み合っていた中東と新大陸の連中が悪いと思うんだ。うん。
せめて人類の敵に対しては協力すればいいものを。なんで相手にけしかけるん? 理解不能だわ、マジで。
つまりは人類はヤバイものに手を出すよりは慎ましく生きてみないか? という雰囲気になっていた。
それには俺も同意だ。
それでその世の流れに倣って、うちの会社も省エネ家電を大々的に売り出し始めた。
より少ない電力、より少ない水晶で動作する商品。自ら考え、出力の調整をしながら動作する商品。そんな家電が現在の人気商品なのだ。
具体的に言うと水流を工夫して僅かな電力でより綺麗に洗える洗濯機とか、一定の温度に保温するために外装に結界を発生させて電力をあまり使用せずに使えるようになったポットとかだ。
といっても大手はもっと大々的な工夫をしているので、うちの省エネ家電程度では話題にすらならないけどね。
そこで俺が提案したのはトータルコントロールである。
家電相互で通信して、家のなかの家電全体で省エネを計ろうというものだ。
例えば冷蔵庫なんかの常に通電してないといけないような家電と、一時的に電力を使う電磁調理器のような家電、それらをリンクさせることによってトータルでの消費量を抑えようという設計思想だ。
しかし、それも課長の、「うちの家電だけで揃えてくれる家庭がどのぐらいあるのだろうね?」という自虐ネタで終わりを告げたのだった。
ふう、と息を吐いて手元の資料をどうするかと考える。
やっぱ破棄して分解処理かな?
「それ、こっちで預かりましょうか?」
ふいに柔らかな声が俺の思考を遮った。
机の上にコトリと小さな音を立てて専用カップが置かれる。
何気なく見やると、課長の机にもどっかの寿司屋のような魚偏文字の模様の入った『コーヒーカップ』が置いてあった。
課長の趣味はともかくとして、どうやら話が一段落付いたのを見計らってコーヒーを淹れてくれたらしい。
「ありがとう。ええっと、預かるって?」
「今は使われなかった草案も、また何かの折に必要になる時があるでしょう? その時のためにリスト化してるんです」
「へぇ、そんなことまでしてるんだ、ご苦労様。じゃあ、頼もうかな? よろしく伊藤さん」
彼女は伊藤優香。うちの課の同僚でデータベース管理をやっている事務方の社員だ。入社時期的には二年程後輩になる。
と、あれ? ちょっと待て。
「あれ? 伊藤さん、お茶当番昨日もやってなかった?」
うちの課に女子社員は三人いて、彼女らが毎日交代でお茶当番をやっている。
女の子だけにお茶当番をやらせるのは男女差別的にどうなのか? とか思わないでもないが、彼女達がそもそも男性にやらせたくなさそうなのだ。
どうも給湯室にお菓子とかを持ち込んでいるっぽい。いや、いいけどね。
その毎日交代のはずが考えてみればここ数日ずっと彼女がやってることに今更ながらに気付いた。
まさかと思うが、虐めとか? ……なにそれ怖い。
俺が戦々恐々としていると、伊藤さんは突然真顔になって持っていたお盆を抱きしめた。
おお、俺もお盆になりたい! あの胸にギュッと! いや、違う、何? 深刻そうなその様子、まさか当たり?
いやいや、女の戦いに巻き込まれたら俺はお終いだ。
それとも覚悟を決めるか? 「木村隆志、二十六歳童貞、彼女の無いまま女の争いに首を突っ込んでその生命を散らす」う~ん、残念な生涯だな俺。
「実は、木村さんに相談に乗って欲しいことがあるんですけど」
ゲエェェ! 俺終了のお知らせ来た! 終わった、何もかもが終わった。
「ああ、俺で出来ることなら」
心の中では悲鳴を上げながらも、俺の口から出るのは調子の良い安請け合いの言葉のみ。
仕方あるまい、若い同僚の女の子からの相談を断れる男がいようか? いや、いまい。ならば俺の進むべき道は決まっているのさ。ふふふ。
「よかった! 実は給湯室のことなんですけど」
「給湯室?」
いささか肩透かし気味の相談に、俺の頭は疑問が一杯。
もしや給湯器の修理?
いや、それは業者の仕事だろ、さすがに俺には頼むまい。
「他の子達があそこを気味悪がって近づかないんです。だから必然的に私がお茶担当になっているんですけど」
「なんか、でるって事?」
彼女は小さく頷いた。どうやら人間関係の話じゃあ無いようだ。
だからといってホッとしていいのか? ってことだけど、てかなんで俺に話を持ってきたんだろう?
「そういうのって流……っと、一ノ宮チーフに相談したほうがいいんじゃないか?」
流は魔導者だ。
それはもはや名前からして隠しようのない事実である。
なにしろ有名な一族だからな。
だから普通超常の現象の相談なら流に行くのが筋だ。
俺は会社で自分の一族の家業なんか明かしてないし、何かをやってみせたこともない。
「それが、園田さんがチーフに相談したら、自分だと一つ間違うと悪化させてしまうから、木村さんに相談してみてくれって言われたらしくって」
あんにゃろ、何言ってくれちゃってるの?
いや、待て、これはもしやチャンス?
女の子達に俺をアピールするチャンスを貰ったということなのか?
「わかった、じゃあ昼休みに見に行ってみるか。ああ、それじゃあ伊藤さん大変だったね。お昼のお茶汲みも一人でやってたんだ」
「流石にお昼の準備を一人では大変なので、みんな給湯室の外で待機していてくれて、リレー方式でやってました」
そう言ってにこりと笑うと、彼女は高校生ぐらいに見えるほどに愛嬌がある。しかしなるほど、そこまで女の子達も薄情じゃないわけだ。いくら体質的な物だと言っても、一人に丸投げするようなことはしないらい。
実は彼女も流とはほぼ逆な意味で体質的な少数派だ。
いわゆる霊的不感症。波動透過体質ってやつだ。
実体を伴わないあらゆる現象をスルー出来る体質と言えばいいだろうか?
彼女は固定化してない怪異や、人や魔があやつる魔術、魔法の類を一切感知しないのだ。
彼女自身の波動は内向きに発生していて、他のあらゆる波動と干渉しない。
これは血筋的な物ではなく、いわゆる突然変異というか特異体質の一種で、珍しいが、そこまでいないというものでもなく、数百人規模の学校に一人か二人はいるぐらいの特異性を持つ体質だ。
少し前の戦争が盛んだった頃は、この体質の人間は魔的なトラップや攻撃を無効化する手段として問答無用で前線送りにされていたらしいが、現在は特別差別も無く普通に存在している。
一般的には無能力と呼ばれていて、生活する面で少し不便もあるらしいけどね。
俺からするとちょっと羨ましい体質だ。
だって見ることも干渉することも出来ないなら、そもそも家業は継げないからな。でもそうなると精製士としてもやっていけないわけか、ジレンマだな。
「引き受けてくださってよかった。ありがとうございます」
「ああ、でも期待しすぎるなよ、何しろ素人なんだから」
「え、期待しちゃいますよ?」
冗談混じりの会話を女子社員と交わせるとは、なんか俺の人生ちょっと運気上昇中?
しかし都会の真ん中の我社の近代的なビルで怪異騒動か。浩二の奴の言っていたように、結界内部だからってのほほんとしてるのはきっと間違いなんだろうな。
でも、だからといって、危機感を持って日々の生活を送るのは断じて嫌だ! お断りだ! どんなに馬鹿にされようと俺はのんびり平和に生きたいんだよ!
数歩歩いただけでダンジョンに迷い込むとか、学校帰りに怪異が毎日のように待ち伏せしてるとか、そういうのはもう御免です。
名有りの怪異から付け狙われるとか、意味がわかんねぇ。
あの頃まだ小学生だったんだぞ? 何この変態? とか思っちまったぜ。
「ふぅ」
嫌な記憶を彼方へと押しやり、とりあえず課長とのやり取りでヘコんでいた気分も回復したことだし、俺は既存の仕事の一つに取り掛かった。
昼休みはそう遠くないが、気負ってもいいことは無いからな。
昼休みは、うちの課は圧倒的に弁当派が多い。
お茶を配る女の子達三人組も大忙しだ。
一部、女の子と言っていいかどうかわからない方もいらっしゃるが、下手な差別は我が身を危うくする。あくまで『女の子』三人である。
その女の子達が俺へお茶を配ってくれる際に、「よろしくお願いします」とか言ってくれちゃったりしたので、ちょっとほんわか気分になりながら色気の無い自作弁当を食べる。
いざやゆかなん給湯室へ。
まあ、正直ちょっと舞い上がった。だってさ、こんな扱い一生に一度のことかもしれんし、ちょっとぐらい浮かれても罰は当たらないと思う。
「ご案内しますね」
伊藤さんがいささか緊張した面持ちで俺を案内してくれた。
彼女には一切見たり感じたり出来ないのだから緊張しなくてもいいと思うんだが、きっと生真面目な性格のせいなんだろうな。
給湯室はフロアの真ん中に小部屋を設けて設置されている。
ここは、そのフロアにある課が共通で使うようになっているのだ。
待てよ、そういえばうちの課以外はどうしてたんだろう?
「なぁ、他の課の人たちはどうやって使ってるの?」
「私も他の課のことまではよくわからないのですけど、何度か給湯室からこわごわ出てくる人は見たことありますよ」
なるほど、怖いけど我慢して使っているんだな。
そもそも霊障と言っても固定化していないものがほとんどだし、その場合は余程精神状態が悪くなければ実害はない。
「ここです。ここで作業していると人の泣き声が聞こえてくるとかでみんな怖がっちゃって」
「わかった、ちょっと見てみるね」
『人』の泣き声ね。
ってことは場所柄生霊かな? 水場だし寄りやすいんだろうな。
そういうのって一度浄化してもまた舞い戻ってきて同じことが起きるんだよな。結構面倒くさい。
流のやつ、そういうのが嫌で俺に振りやがったんだろう。
女子の聖地であり、男には禁断の地、給湯室に踏み込む。
中は細い蛍光灯が一つであまり明るくない。まずはこれを変えるべきだな。
しかし、わりと狭いな。
課名のラベルが貼られた棚、真ん中にドンと存在感を主張する洗い場、洗い物用の湯沸かし器と飲み物用の給湯器が並べて設置してある。
隅の方にはゴミ箱が置いてあるデッドスペース。光が届いてなくて暗い場所が数カ所存在した。
てかもういるんだけどね、隅の方に。
「なるほど」
見た目はかなりはっきりしていて、もうすぐ危険領域にさしかかりそうだ。
顔無しって事は個人の意識の産物ではないな。そして、ずっとジメジメ泣いている所から見て、範囲汚染タイプか。
ソレは、俺が近づいても全く動かない。
それも当然、怪異というやつは固定化するまで意識が無いのだ。
一見まるで意識があるかのように反応するやつがいたりするが、それはほぼ反射行動であって、そこに意思は無い。
固定化、つまり顕現して初めて生物と対等の存在になるのだ。
「とりあえず、掃除しとくか」
『それ』に手を突っ込み、触感ではなく本能じみた感覚で核を探る。
少し固い感じのナニカを探り当てると、それをぎゅっと握り潰した。
うん、まあ、いわゆる力技だ。俺ってこのジャンルでは繊細な技とか術とか苦手なんだよな。
見掛けも相まって、まるで獣みたいとか言われてショックを受けた思春期の俺、ご愁傷様。
僅かに手の中に抵抗を感じたが、呆気無くソレは消え去った。
途端に給湯室のどこかどんよりしていた空気が解消される。
よく空気の淀んだ場所というが、そういう条件に合致した場所があると、そこに負の感情が自然に溜まって怪異へと変化してしまうことがある。
これは別に人間の周囲に限ったことじゃない。
どんな存在でも魂持つ限りは感情を持つものだが、その感情が負に傾くと陰気を、陽に傾くと陽気を発する。
陰は集積、陽は開放の性質を持っているから、当然陰気は溜まるのだ。
それは自然の摂理であり、道理でもあった。
しかしやっかいなことに、怪異は、成長して固定化すると世界に顕現してしまう。
一概に全ての怪異が危険という訳ではないが、肉体が無い分成長に制限の無い彼らは、驚くべき能力を持っていることが多い。
そんな存在が、往々にして生物の存在を脅かす強大な敵になってしまうのである。
何しろ元が負の感情なのだ、圧倒的に破壊に傾く性質のモノが多いのは自明の理だろう。
ならば固定化する前に始末するのが一番いい方法なのは間違いない。
「終わったよ」
「本当ですか! よかった、みんな喜びます。でも、木村さんって退魔持ちだったんですね。知りませんでした」
「あ、ああ、昔ちょっとかじっただけだから、あんまり期待されても困るけど、まあ固定化してない怪異ぐらいなら、ね」
「そうなんですか、意外な感じです。技術畑の人って陰陽学とは相性が悪いみたいに思ってました」
「そうでもないさ、精製ってのは突き詰めれば本質は神秘学だしね」
伊藤さんと俺の言うオカルトという語感に僅かなズレを感じたが、いつものことなのでそのまま軽く流した。
一般の人は学問の大系とか興味ないだろうしね。
「それと、この件は課長に報告して給湯室の環境改善を上申してもらおう。そうしないとまた同じことが起きるし」
「あ、じゃあ霊って訳じゃなかったんですね?」
「うん、普通の淀みだから、他のみんなにもそう怖がらなくてもいいって言っておいて。怖がるとまた溜まるし」
「そうだったんですね。じゃあみんなが怖がったから急にはっきり見えるようになったのかもしれませんね」
「ああ、そういう経緯だったのか、うん、まあ怪異なんてそういうものさ」
霊というのは人の妄執が具現化したもので下手な怪異よりやっかいな場合がある。
人間を害する為に生まれた、いわば天然の毒のようなものだからだ。
だからなのか、普通の人は怪異を猛獣と同じような自然の脅威のようなモノと捉えているが、霊に関しては本能的な恐怖を感じるらしい。一般的に普通の怪異より霊の方が苦手な人は多いのだ。
しかもこの二つの現象をごっちゃにしている人もかなり多い。まあ、別にどうでもいいことなんだけどね。
その後、課長にことの顛末を報告して、給湯室の改善要求を上申するように頼んだのだが、その際、仕事上の提案をした時よりも熱心に聞いてくれたのが、なんとなく俺の気持ちをブルーにしたのだった。
いや、単なる被害妄想かもしれないが……。
給湯室の改修はその二週間後に始まった。
驚きの速さの裏には同じ給湯室を使っている女子社員連名の嘆願書の存在があったらしい。
女の子ってすげえな。
課長が疲れたようにそう締めくくった。
残念ながら俺の構想は正式に却下となった訳だ。
よくあることだけどな、うん。
今、世は省エネ時代。
人間が掘り起こしてエネルギーとして使っていた、太古の魔法生物の化石燃料や鉱物などがやがて尽きるであろうことが大々的に取り沙汰されるようになって久しい。
ついでに言えばそういう採掘の時に掘り出される悪夢の遺産と呼ばれる封印が、事故や手際の悪さでいくつか開放されて、その度に世界に大打撃を与えるのも前々から問題になっていて、燃料採掘はもっと縛りを入れたほうがいいんじゃないかという世論を高めている。
魔竜が顕現した時には真面目に人類の歴史が終わり掛けたからな。まあ、あれは主に宗教的理由で睨み合っていた中東と新大陸の連中が悪いと思うんだ。うん。
せめて人類の敵に対しては協力すればいいものを。なんで相手にけしかけるん? 理解不能だわ、マジで。
つまりは人類はヤバイものに手を出すよりは慎ましく生きてみないか? という雰囲気になっていた。
それには俺も同意だ。
それでその世の流れに倣って、うちの会社も省エネ家電を大々的に売り出し始めた。
より少ない電力、より少ない水晶で動作する商品。自ら考え、出力の調整をしながら動作する商品。そんな家電が現在の人気商品なのだ。
具体的に言うと水流を工夫して僅かな電力でより綺麗に洗える洗濯機とか、一定の温度に保温するために外装に結界を発生させて電力をあまり使用せずに使えるようになったポットとかだ。
といっても大手はもっと大々的な工夫をしているので、うちの省エネ家電程度では話題にすらならないけどね。
そこで俺が提案したのはトータルコントロールである。
家電相互で通信して、家のなかの家電全体で省エネを計ろうというものだ。
例えば冷蔵庫なんかの常に通電してないといけないような家電と、一時的に電力を使う電磁調理器のような家電、それらをリンクさせることによってトータルでの消費量を抑えようという設計思想だ。
しかし、それも課長の、「うちの家電だけで揃えてくれる家庭がどのぐらいあるのだろうね?」という自虐ネタで終わりを告げたのだった。
ふう、と息を吐いて手元の資料をどうするかと考える。
やっぱ破棄して分解処理かな?
「それ、こっちで預かりましょうか?」
ふいに柔らかな声が俺の思考を遮った。
机の上にコトリと小さな音を立てて専用カップが置かれる。
何気なく見やると、課長の机にもどっかの寿司屋のような魚偏文字の模様の入った『コーヒーカップ』が置いてあった。
課長の趣味はともかくとして、どうやら話が一段落付いたのを見計らってコーヒーを淹れてくれたらしい。
「ありがとう。ええっと、預かるって?」
「今は使われなかった草案も、また何かの折に必要になる時があるでしょう? その時のためにリスト化してるんです」
「へぇ、そんなことまでしてるんだ、ご苦労様。じゃあ、頼もうかな? よろしく伊藤さん」
彼女は伊藤優香。うちの課の同僚でデータベース管理をやっている事務方の社員だ。入社時期的には二年程後輩になる。
と、あれ? ちょっと待て。
「あれ? 伊藤さん、お茶当番昨日もやってなかった?」
うちの課に女子社員は三人いて、彼女らが毎日交代でお茶当番をやっている。
女の子だけにお茶当番をやらせるのは男女差別的にどうなのか? とか思わないでもないが、彼女達がそもそも男性にやらせたくなさそうなのだ。
どうも給湯室にお菓子とかを持ち込んでいるっぽい。いや、いいけどね。
その毎日交代のはずが考えてみればここ数日ずっと彼女がやってることに今更ながらに気付いた。
まさかと思うが、虐めとか? ……なにそれ怖い。
俺が戦々恐々としていると、伊藤さんは突然真顔になって持っていたお盆を抱きしめた。
おお、俺もお盆になりたい! あの胸にギュッと! いや、違う、何? 深刻そうなその様子、まさか当たり?
いやいや、女の戦いに巻き込まれたら俺はお終いだ。
それとも覚悟を決めるか? 「木村隆志、二十六歳童貞、彼女の無いまま女の争いに首を突っ込んでその生命を散らす」う~ん、残念な生涯だな俺。
「実は、木村さんに相談に乗って欲しいことがあるんですけど」
ゲエェェ! 俺終了のお知らせ来た! 終わった、何もかもが終わった。
「ああ、俺で出来ることなら」
心の中では悲鳴を上げながらも、俺の口から出るのは調子の良い安請け合いの言葉のみ。
仕方あるまい、若い同僚の女の子からの相談を断れる男がいようか? いや、いまい。ならば俺の進むべき道は決まっているのさ。ふふふ。
「よかった! 実は給湯室のことなんですけど」
「給湯室?」
いささか肩透かし気味の相談に、俺の頭は疑問が一杯。
もしや給湯器の修理?
いや、それは業者の仕事だろ、さすがに俺には頼むまい。
「他の子達があそこを気味悪がって近づかないんです。だから必然的に私がお茶担当になっているんですけど」
「なんか、でるって事?」
彼女は小さく頷いた。どうやら人間関係の話じゃあ無いようだ。
だからといってホッとしていいのか? ってことだけど、てかなんで俺に話を持ってきたんだろう?
「そういうのって流……っと、一ノ宮チーフに相談したほうがいいんじゃないか?」
流は魔導者だ。
それはもはや名前からして隠しようのない事実である。
なにしろ有名な一族だからな。
だから普通超常の現象の相談なら流に行くのが筋だ。
俺は会社で自分の一族の家業なんか明かしてないし、何かをやってみせたこともない。
「それが、園田さんがチーフに相談したら、自分だと一つ間違うと悪化させてしまうから、木村さんに相談してみてくれって言われたらしくって」
あんにゃろ、何言ってくれちゃってるの?
いや、待て、これはもしやチャンス?
女の子達に俺をアピールするチャンスを貰ったということなのか?
「わかった、じゃあ昼休みに見に行ってみるか。ああ、それじゃあ伊藤さん大変だったね。お昼のお茶汲みも一人でやってたんだ」
「流石にお昼の準備を一人では大変なので、みんな給湯室の外で待機していてくれて、リレー方式でやってました」
そう言ってにこりと笑うと、彼女は高校生ぐらいに見えるほどに愛嬌がある。しかしなるほど、そこまで女の子達も薄情じゃないわけだ。いくら体質的な物だと言っても、一人に丸投げするようなことはしないらい。
実は彼女も流とはほぼ逆な意味で体質的な少数派だ。
いわゆる霊的不感症。波動透過体質ってやつだ。
実体を伴わないあらゆる現象をスルー出来る体質と言えばいいだろうか?
彼女は固定化してない怪異や、人や魔があやつる魔術、魔法の類を一切感知しないのだ。
彼女自身の波動は内向きに発生していて、他のあらゆる波動と干渉しない。
これは血筋的な物ではなく、いわゆる突然変異というか特異体質の一種で、珍しいが、そこまでいないというものでもなく、数百人規模の学校に一人か二人はいるぐらいの特異性を持つ体質だ。
少し前の戦争が盛んだった頃は、この体質の人間は魔的なトラップや攻撃を無効化する手段として問答無用で前線送りにされていたらしいが、現在は特別差別も無く普通に存在している。
一般的には無能力と呼ばれていて、生活する面で少し不便もあるらしいけどね。
俺からするとちょっと羨ましい体質だ。
だって見ることも干渉することも出来ないなら、そもそも家業は継げないからな。でもそうなると精製士としてもやっていけないわけか、ジレンマだな。
「引き受けてくださってよかった。ありがとうございます」
「ああ、でも期待しすぎるなよ、何しろ素人なんだから」
「え、期待しちゃいますよ?」
冗談混じりの会話を女子社員と交わせるとは、なんか俺の人生ちょっと運気上昇中?
しかし都会の真ん中の我社の近代的なビルで怪異騒動か。浩二の奴の言っていたように、結界内部だからってのほほんとしてるのはきっと間違いなんだろうな。
でも、だからといって、危機感を持って日々の生活を送るのは断じて嫌だ! お断りだ! どんなに馬鹿にされようと俺はのんびり平和に生きたいんだよ!
数歩歩いただけでダンジョンに迷い込むとか、学校帰りに怪異が毎日のように待ち伏せしてるとか、そういうのはもう御免です。
名有りの怪異から付け狙われるとか、意味がわかんねぇ。
あの頃まだ小学生だったんだぞ? 何この変態? とか思っちまったぜ。
「ふぅ」
嫌な記憶を彼方へと押しやり、とりあえず課長とのやり取りでヘコんでいた気分も回復したことだし、俺は既存の仕事の一つに取り掛かった。
昼休みはそう遠くないが、気負ってもいいことは無いからな。
昼休みは、うちの課は圧倒的に弁当派が多い。
お茶を配る女の子達三人組も大忙しだ。
一部、女の子と言っていいかどうかわからない方もいらっしゃるが、下手な差別は我が身を危うくする。あくまで『女の子』三人である。
その女の子達が俺へお茶を配ってくれる際に、「よろしくお願いします」とか言ってくれちゃったりしたので、ちょっとほんわか気分になりながら色気の無い自作弁当を食べる。
いざやゆかなん給湯室へ。
まあ、正直ちょっと舞い上がった。だってさ、こんな扱い一生に一度のことかもしれんし、ちょっとぐらい浮かれても罰は当たらないと思う。
「ご案内しますね」
伊藤さんがいささか緊張した面持ちで俺を案内してくれた。
彼女には一切見たり感じたり出来ないのだから緊張しなくてもいいと思うんだが、きっと生真面目な性格のせいなんだろうな。
給湯室はフロアの真ん中に小部屋を設けて設置されている。
ここは、そのフロアにある課が共通で使うようになっているのだ。
待てよ、そういえばうちの課以外はどうしてたんだろう?
「なぁ、他の課の人たちはどうやって使ってるの?」
「私も他の課のことまではよくわからないのですけど、何度か給湯室からこわごわ出てくる人は見たことありますよ」
なるほど、怖いけど我慢して使っているんだな。
そもそも霊障と言っても固定化していないものがほとんどだし、その場合は余程精神状態が悪くなければ実害はない。
「ここです。ここで作業していると人の泣き声が聞こえてくるとかでみんな怖がっちゃって」
「わかった、ちょっと見てみるね」
『人』の泣き声ね。
ってことは場所柄生霊かな? 水場だし寄りやすいんだろうな。
そういうのって一度浄化してもまた舞い戻ってきて同じことが起きるんだよな。結構面倒くさい。
流のやつ、そういうのが嫌で俺に振りやがったんだろう。
女子の聖地であり、男には禁断の地、給湯室に踏み込む。
中は細い蛍光灯が一つであまり明るくない。まずはこれを変えるべきだな。
しかし、わりと狭いな。
課名のラベルが貼られた棚、真ん中にドンと存在感を主張する洗い場、洗い物用の湯沸かし器と飲み物用の給湯器が並べて設置してある。
隅の方にはゴミ箱が置いてあるデッドスペース。光が届いてなくて暗い場所が数カ所存在した。
てかもういるんだけどね、隅の方に。
「なるほど」
見た目はかなりはっきりしていて、もうすぐ危険領域にさしかかりそうだ。
顔無しって事は個人の意識の産物ではないな。そして、ずっとジメジメ泣いている所から見て、範囲汚染タイプか。
ソレは、俺が近づいても全く動かない。
それも当然、怪異というやつは固定化するまで意識が無いのだ。
一見まるで意識があるかのように反応するやつがいたりするが、それはほぼ反射行動であって、そこに意思は無い。
固定化、つまり顕現して初めて生物と対等の存在になるのだ。
「とりあえず、掃除しとくか」
『それ』に手を突っ込み、触感ではなく本能じみた感覚で核を探る。
少し固い感じのナニカを探り当てると、それをぎゅっと握り潰した。
うん、まあ、いわゆる力技だ。俺ってこのジャンルでは繊細な技とか術とか苦手なんだよな。
見掛けも相まって、まるで獣みたいとか言われてショックを受けた思春期の俺、ご愁傷様。
僅かに手の中に抵抗を感じたが、呆気無くソレは消え去った。
途端に給湯室のどこかどんよりしていた空気が解消される。
よく空気の淀んだ場所というが、そういう条件に合致した場所があると、そこに負の感情が自然に溜まって怪異へと変化してしまうことがある。
これは別に人間の周囲に限ったことじゃない。
どんな存在でも魂持つ限りは感情を持つものだが、その感情が負に傾くと陰気を、陽に傾くと陽気を発する。
陰は集積、陽は開放の性質を持っているから、当然陰気は溜まるのだ。
それは自然の摂理であり、道理でもあった。
しかしやっかいなことに、怪異は、成長して固定化すると世界に顕現してしまう。
一概に全ての怪異が危険という訳ではないが、肉体が無い分成長に制限の無い彼らは、驚くべき能力を持っていることが多い。
そんな存在が、往々にして生物の存在を脅かす強大な敵になってしまうのである。
何しろ元が負の感情なのだ、圧倒的に破壊に傾く性質のモノが多いのは自明の理だろう。
ならば固定化する前に始末するのが一番いい方法なのは間違いない。
「終わったよ」
「本当ですか! よかった、みんな喜びます。でも、木村さんって退魔持ちだったんですね。知りませんでした」
「あ、ああ、昔ちょっとかじっただけだから、あんまり期待されても困るけど、まあ固定化してない怪異ぐらいなら、ね」
「そうなんですか、意外な感じです。技術畑の人って陰陽学とは相性が悪いみたいに思ってました」
「そうでもないさ、精製ってのは突き詰めれば本質は神秘学だしね」
伊藤さんと俺の言うオカルトという語感に僅かなズレを感じたが、いつものことなのでそのまま軽く流した。
一般の人は学問の大系とか興味ないだろうしね。
「それと、この件は課長に報告して給湯室の環境改善を上申してもらおう。そうしないとまた同じことが起きるし」
「あ、じゃあ霊って訳じゃなかったんですね?」
「うん、普通の淀みだから、他のみんなにもそう怖がらなくてもいいって言っておいて。怖がるとまた溜まるし」
「そうだったんですね。じゃあみんなが怖がったから急にはっきり見えるようになったのかもしれませんね」
「ああ、そういう経緯だったのか、うん、まあ怪異なんてそういうものさ」
霊というのは人の妄執が具現化したもので下手な怪異よりやっかいな場合がある。
人間を害する為に生まれた、いわば天然の毒のようなものだからだ。
だからなのか、普通の人は怪異を猛獣と同じような自然の脅威のようなモノと捉えているが、霊に関しては本能的な恐怖を感じるらしい。一般的に普通の怪異より霊の方が苦手な人は多いのだ。
しかもこの二つの現象をごっちゃにしている人もかなり多い。まあ、別にどうでもいいことなんだけどね。
その後、課長にことの顛末を報告して、給湯室の改善要求を上申するように頼んだのだが、その際、仕事上の提案をした時よりも熱心に聞いてくれたのが、なんとなく俺の気持ちをブルーにしたのだった。
いや、単なる被害妄想かもしれないが……。
給湯室の改修はその二週間後に始まった。
驚きの速さの裏には同じ給湯室を使っている女子社員連名の嘆願書の存在があったらしい。
女の子ってすげえな。
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彼女は元は世界を守護する守護龍で、英雄や女神の陰謀によって邪龍に堕とされ封印されていたという。契約を結んだ俺は彼女を救うため、守護龍を封印し世界を牛耳っている女神や英雄の血を引く王家に立ち向かうことを誓ったのだった。
(1話2500字程度、1章まで完結保証です)
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