竜の御子は平穏を望む

蒼衣翼

文字の大きさ
上 下
194 / 296
竜の御子達

聖別の乙女

しおりを挟む
 学者だというレオニダスという男は、にこにことしたまま店の者が運んで来た酒の杯を手に取ると、それをライカに見せる。
 そこには赤っぽい酒が入っていた。

「例えばここに酒があるが、これを私が飲むとこの杯の中から酒は無くなる。その酒はどうなったと思う?」
「え?」

 ライカは目をパチパチと瞬かせると答える。

「それは当然、えっと、レオニダスさん、の口の中でしょう?」
「そうだね、だが、それが酒と呼べるのはどこまでだと思う? 私の口の中までか、喉までか、腹の中か、もしかすると小便として出て来る物も酒と呼べるのか?」
「えっ、うーん、わかりません」

 ライカは正直に言った。

「そしてまた違った疑問もある。この一杯の酒は元は樽に詰められている。では樽一杯の酒はこの杯何杯分なのだろう?」
「あ、それはわかりませんけど、わかると便利そうですね」
「ははは、それが立場での見方という物だよ。さては君は酒を出す店で働いたことがあるだろう」

 レオニダスは笑って指摘する。

「はい、そうです。そんなこともわかるんですか」
「酒を扱ったことがない人ではまず出てこない感想だからね」

 彼の言葉にライカはちょっと首を傾げた。

「それじゃあ俺ももう見方が歪んでいるってことではないですか?」
「そうだね。だけど誰だって生きて得る経験によって物の見方が変わるのは仕方のないことだ。それにその弊害なら簡単に解決出来る。既知、無知、それぞれの感覚を持つ者の差異を知ること、それもまた学問なのだ。しかし、身分の問題は難しい。人は誰もがその中で生まれ育つ。影響を受けないということがまずないのだ。ときに、君は身分が無い場所で育ったのかな?」

 彼の言葉にライカは頷いた。

「はい、十四の年まで人里離れた所で暮らしていました」
「なるほど、それでなんだな。うん、それに君には知性が感じられる。勉強をしたことがあるのかな?」
「え、はい、本は沢山読みました。育った所に色々な書物があったので」
「すばらしい!」

 突然、男が叫んで立ち上がったので、ライカは驚いて身を引いてしまう。

「どうかな? 私の所で学問を学んでは」
「えっ?」
「本を読むということは、すなわち知識を欲するということだよ。それを楽しむすべを知っている者は、既に学問に至る道の途上にある」
「はあ」

 男の、レオニダスのあまりの興奮具合に、それを聞かされるライカの方は戸惑うばかりだった。
 ライカとしては学問という物には興味があるが、だからといってこの見知らぬ男の所で働くつもりになるはずもない。
 治療所で働きながら学んでいるライカにとって、家族以外から学ぶとはつまり働くことであるという意識がある。
 そもそも王都に長居するつもりが無いのだから仕方のない話ではあった。

「くそ隠者殿、弟子探しか? 残念ながらこの坊やは貴族ではないぞ」

 そこへ女性との勝負が終わったのか、鎧の金属音を響かせてミアルが戻って来た。
 彼女はどうも音を立てるのも立てないのも自在で、その場面で使い分けている節がある。

「お戻りか、孤高の騎士殿。相変わらず女性におモテになるな」
「お前の嫌味は高尚すぎて腹が立たんのが欠点だな」
「お褒めにいただき光栄至極。それに騎士殿、私は弟子を取るのに身分で分け隔てしたことなどありませんよ。塾のことをおっしゃっているのなら、あれは単に仕事に過ぎません。個人的な徒弟はまた別の話でしょう」

 不在の間に同席していた男に対して驚くでもなく親しげな口を利いてみせた。
 ということは元より知り合いなのだろう。
 レオニダスのほうもミアルが戻るまでと言ったはずの自分の言葉を忘れたようにどっしりと居座っている。
 しかし、ライカはライカで別のことに頭が行ってしまっていた。

「あの、もしかして先程挑まれていたのは求愛のダンスだったのですか?」

 巨大なテーブルの上では先程の女性が機嫌よく数枚の銀貨を握って、ミアルの背に手を振っている。
 どうやら酒以外にも金銭をせしめたらしい。
 勝負とやらは周囲の予想通りリズと呼ばれた彼女の勝利だったようだ。
 ライカのとんでもない発言に、それまで涼しい顔をして酒を煽っていたミアルがむせた。

「お前、私が女だとういうことを既に知っているだろうになぜそう思ったのだ? 答えによっては本気で斬るぞ」
「これはまた素晴らしく斬新な発想だね。なかなかに興味深い」

 二人の言葉に、自分がうっかりとんでもないことを言ってしまったのだと気づいて、ライカは赤くなった。

(そう言えば、竜だって同性に求愛したりしないよな)

 ライカは先程ミアルと競った女性の感情に僅かに求愛に近い意識があるのを感じて、とっさにそれを言葉にしてしまったのだ。
 しかし、それは確かに考えなしの言動だった。

「そんな訳ないですよね。ごめんなさい」

 ミアルはライカの謝罪に歯を剥き出して凶悪な笑顔を見せたが、反対側に座るレオニダスは真面目な顔で一人頷く。

「いやいや、その推測は案外と的を外れてはいないのではないかな? 先程の彼女を含め、多くの市井の民はこのお姿を見れば大概は男と思ってしまう。兵士に女はいない。それが当たり前のことだからね。先ほども言ったが、こういう歪んだ意識を通してしまうと、なかなか真実に辿り着けなくなってしまうのだよ」
「ああ、なるほど」

 ライカはレオニダスの説明に、自分が先ほどミアルをダンス勝負に誘った女性から感じ取った意識が決して間違いではなかったと理解した。
 ミアルが自身でそう言ったように、王国には女の兵士は彼女しかいないのだろう。
 そして、今までの様子からミアルは自分が女性であると公言していない。
 それならば周囲の人間が彼女を男として見てしまうのは在り得る話なのだ。
 それがこの学者の男、レオニダスの言っていた、歪んだ見方という物なのだろう。
 兵士が男であるのが当たり前という思い込みがあるから、ミアルが本来醸し出している女性らしさを他の人間は見過ごしてしまうのである。

「どうだね、歪みのある視点、歪みの無い視点の差がいかに大きいかわかっただろう? そういう訳で君を我が学びの家へと誘っているのだよ」
「いえ、せっかくですが……」
「よせよせ、そいつはかの英雄殿の子飼いだぞ。世の少年達の憧れを目の前にしている訳だ。それよりずっと陰鬱な隠者殿のほうが年若い少年に人気があると自信があるのなら止めはせんがな」

 ライカの断りを途中から攫って、ミアルはレオニダスをそう煽った。 

「ぬう」

 レオニダスは唸ったが、ただやり込められるのでは気持ちが治まらなかったのか、彼はミアルに反論した。

「我々学問を志す者にとっての英雄と言えば先王妃殿です。あのお方に比べれば戦の英雄など、ただ何かを破壊するだけの存在に過ぎませんね。学問は生み出すための物、戦などとは相容れないのですよ」
「はっ、お前らが誰を尊敬しているかなどが関係あるか。子供に人気があるかどうかの話だろうが」

 ミアルの返事はそっけない。
 レオニダスはむっつりとして酒をあおった。

「先王妃様……ですか?」

 なんとなく落ち着かない雰囲気になった場を和ませようとして、ライカはレオニダスに話を向ける。

「うむ、現在この王都で学問が盛んなのは先王妃様のおかげなのだよ。聖なるお告げの王妃様のね」
「はっ、庶民に夢を見せた罪深いお方でもあるがな」
「おやおや、そのおっしゃりようはいささかお気の毒ではありませんか?」

 レオニダスの言葉にミアルはやや意固地に吐き捨てるように応えた。

「庶民は麗しい表舞台だけを見ていればいいからな。実に気楽なものさ」

 彼女の態度に、しかしレオニダスは腹を立てる訳でも無く癇癪を起こした子供でも見るかのようにどこか冷めた視線を向けている。
 ライカの感応の力はごく未熟な物だが、そこから感じた限りでは、ミアルは怒っている訳ではなく少し悲しそうにすら感じられた。
 人生経験が圧倒的に足りないライカとしては、今の気まずい状態がどうしてなのか判断しようも無い。

「ああ、すっかり置いてきぼりにしてしまったね。話が逸れて悪かった。先王妃様が特別なのは、あの方が初めての完全な庶民出の王妃様だからだ。しかも精霊のお告げ付きのね」
「精霊の……お告げ、ですか」

 ライカは不思議そうに繰り返した。
 ライカの常識では精霊に自意識などない。
 そんなものがお告げなどするのだろうか? という疑問が当然あるのだ。

「不思議な話だろう? そうだな、話は先王様の時代にまでさかのぼる。今からそう、三十年以上は前の話だ。先王様は生来病弱なたちでね、ほとんどがベッドの上での生活だったそうだよ。時は大戦おおいくさの世。そんな時代に今日亡くなるか明日亡くなるかという王を戴いて、国は不安に満ちていた。そんなある時、王がいきなりおふれを出されたのだ。『夢にて精霊のお告げを聞いた。精霊に祝福されし乙女を王の妃とせよと』とね」

 レオニダスは語り手としてはなかなかに上手かった。
 どうやら大勢の前で語るのに慣れているようでもある。

「それが精霊のお告げですか」

 ライカはすっかり物語を聞くような心持ちで感心して聞いた。
 しかしレオニダスは「いや」と続ける。

「それだけじゃなかった。それに続いた言葉こそが私たちにとって肝心だったのだ」

「そりゃあお前達にとってはそうだろうさ」

 横合いからミアルがぼそりと呟いた。
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

冒険者パーティから追放された俺、万物創生スキルをもらい、楽園でスローライフを送る

咲阿ましろ
ファンタジー
とある出来事をきっかけに仲間から戦力外通告を突きつけられ、パーティを追放された冒険者カイル。 だが、以前に善行を施した神様から『万物創生』のスキルをもらい、人生が一変する。 それは、便利な家具から大規模な土木工事、果てはモンスター退治用のチート武器までなんでも作ることができるスキルだった。 世界から見捨てられた『呪われた村』にたどり着いたカイルは、スキルを使って、美味しい料理や便利な道具、インフラ整備からモンスター撃退などを次々とこなす。 快適な楽園となっていく村で、カイルのスローライフが幕を開ける──。 ●表紙画像は、ツギクル様のイラストプレゼント企画で阿倍野ちゃこ先生が描いてくださったヒロインのノエルです。大きな画像は1章4「呪われた村1」の末尾に載せてあります。(c)Tugikuru Corp. ※転載等はご遠慮ください。

間違い召喚! 追い出されたけど上位互換スキルでらくらく生活

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
僕は20歳独身、名は小日向 連(こひなた れん)うだつの上がらないダメ男だ ひょんなことから異世界に召喚されてしまいました。 間違いで召喚された為にステータスは最初見えない状態だったけどネットのネタバレ防止のように背景をぼかせば見えるようになりました。 多分不具合だとおもう。 召喚した女と王様っぽいのは何も持っていないと言って僕をポイ捨て、なんて世界だ。それも元の世界には戻せないらしい、というか戻さないみたいだ。 そんな僕はこの世界で苦労すると思ったら大間違い、王シリーズのスキルでウハウハ、製作で人助け生活していきます ◇ 四巻が販売されました! 今日から四巻の範囲がレンタルとなります 書籍化に伴い一部ウェブ版と違う箇所がございます 追加場面もあります よろしくお願いします! 一応191話で終わりとなります 最後まで見ていただきありがとうございました コミカライズもスタートしています 毎月最初の金曜日に更新です お楽しみください!

知識スキルで異世界らいふ

チョッキリ
ファンタジー
他の異世界の神様のやらかしで死んだ俺は、その神様の紹介で別の異世界に転生する事になった。地球の神様からもらった知識スキルを駆使して、異世界ライフ

モテる兄貴を持つと……(三人称改訂版)

夏目碧央
BL
 兄、海斗(かいと)と同じ高校に入学した城崎岳斗(きのさきやまと)は、兄がモテるがゆえに様々な苦難に遭う。だが、カッコよくて優しい兄を実は自慢に思っている。兄は弟が大好きで、少々過保護気味。  ある日、岳斗は両親の血液型と自分の血液型がおかしい事に気づく。海斗は「覚えてないのか?」と驚いた様子。岳斗は何を忘れているのか?一体どんな秘密が?

スライムと異世界冒険〜追い出されたが実は強かった

Miiya
ファンタジー
学校に一人で残ってた時、突然光りだし、目を開けたら、王宮にいた。どうやら異世界召喚されたらしい。けど鑑定結果で俺は『成長』 『テイム』しかなく、弱いと追い出されたが、実はこれが神クラスだった。そんな彼、多田真司が森で出会ったスライムと旅するお話。 *ちょっとネタばれ 水が大好きなスライム、シンジの世話好きなスライム、建築もしてしまうスライム、小さいけど鉱石仕分けたり探索もするスライム、寝るのが大好きな白いスライム等多種多様で個性的なスライム達も登場!! *11月にHOTランキング一位獲得しました。 *なるべく毎日投稿ですが日によって変わってきますのでご了承ください。一話2000~2500で投稿しています。 *パソコンからの投稿をメインに切り替えました。ですので字体が違ったり点が変わったりしてますがご了承ください。

巻き込まれ召喚・途中下車~幼女神の加護でチート?

サクラ近衛将監
ファンタジー
商社勤務の社会人一年生リューマが、偶然、勇者候補のヤンキーな連中の近くに居たことから、一緒に巻き込まれて異世界へ強制的に召喚された。万が一そのまま召喚されれば勇者候補ではないために何の力も与えられず悲惨な結末を迎える恐れが多分にあったのだが、その召喚に気づいた被召喚側世界(地球)の神様と召喚側世界(異世界)の神様である幼女神のお陰で助けられて、一旦狭間の世界に留め置かれ、改めて幼女神の加護等を貰ってから、異世界ではあるものの召喚場所とは異なる場所に無事に転移を果たすことができた。リューマは、幼女神の加護と付与された能力のおかげでチートな成長が促され、紆余曲折はありながらも異世界生活を満喫するために生きて行くことになる。 *この作品は「カクヨム」様にも投稿しています。 **週1(土曜日午後9時)の投稿を予定しています。**

スキルはコピーして上書き最強でいいですか~改造初級魔法で便利に異世界ライフ~

深田くれと
ファンタジー
【文庫版2が4月8日に発売されます! ありがとうございます!】 異世界に飛ばされたものの、何の能力も得られなかった青年サナト。街で清掃係として働くかたわら、雑魚モンスターを狩る日々が続いていた。しかしある日、突然仕事を首になり、生きる糧を失ってしまう――。 そこで、サナトの人生を変える大事件が発生する!途方に暮れて挑んだダンジョンにて、ダンジョンを支配するドラゴンと遭遇し、自らを破壊するよう頼まれたのだ。その願いを聞きつつも、ダンジョンの後継者にはならず、能力だけを受け継いだサナト。新たな力――ダンジョンコアとともに、スキルを駆使して異世界で成り上がる!

明日を信じて生きていきます~異世界に転生した俺はのんびり暮らします~

みなと劉
ファンタジー
異世界に転生した主人公は、新たな冒険が待っていることを知りながらも、のんびりとした暮らしを選ぶことに決めました。 彼は明日を信じて、異世界での新しい生活を楽しむ決意を固めました。 最初の仲間たちと共に、未知の地での平穏な冒険が繰り広げられます。 一種の童話感覚で物語は語られます。 童話小説を読む感じで一読頂けると幸いです

処理中です...