竜の御子は平穏を望む

蒼衣翼

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竜の御子達

精霊祭の夜 其の二

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 周囲は急激に暗さを増し、狭い路地を歩くには普通は支障がある状態だったが、元々夜目が利くライカは元より、暗さ自体が物を見る障害にならないサッズには普通に昼間歩くのとそれ程変わらない。
 二人は軽い足取りで、しかし急ぎすぎない速さで目的地へと向かっていた。

『それにしても酷い匂いだ、お前はこんな所で暮らしてよく平気だな』
『ああ、そうだこれ』

 ライカは懐に手を突っ込むと、小さな布の塊を取り出す。
 それをサッズの鼻先へと突きつけると、反射的に上げられた手に押し付けた。

『それを嗅いでれば少しはマシだよ』
『なんだこれ? ん? 甘い匂いだな』
『ハーブオイルを木の細かいチップに焚き込んだのが入ってるんだ』
『ハーブオイル? チップ? まぁなんか知らんが、助かる。でもこれお前の好みだな、ちょっと甘ったるい』
『俺用に作ってるから仕方ないよ。サッズは辛いような匂いが好きだったよね、花の匂いより青い草を千切った時の匂いとか好きだったし、とりあえず今はそれで我慢して』
『おう』

 短いやり取りの間に、広場が見える場所に辿り着く。
 二人が驚いた事に、そこにあったテント群は短い間にすっかり姿を消していた。
 人が大勢いてよく見えないが、どうやら奥が明るいところを見ると、水路の周りには既に篝火が灯されているらしい。
 コーン、コーンと木と木の打ち合わされる柔らかく響き渡る音が、人々を誘うように緩急を付けて鳴り、それに従っている訳でもないのだろうが、人の波が揺れるように動いている。

『うはあ、よくもまあ、ぞろぞろいるな』

 その反応に、サッズを連れて人混みの中を突っ切る事に不安を覚えたライカは、大きく南側に回り込んで移動した。
 思った通りレンガ地区に続く脇道は暗すぎるからか人気がなく、そこの渡り板を渡って水路沿いを城側から祭りの中心地まで辿る。
 城側には城の下働きの人々や街道の整備の為に城内に場所を与えられている人夫達、警備も兼ねているのか、警備隊と守備隊の赤と黒の隊服も炎に照らされて並んでいた。
 ライカはあえてその篝火の光の届く所までは進まず、篝火の明るさによって却って一段と見えにくくなった暗がりに留まる。
 ふと思い至って水路の反対側を見ると、同じような暗がりにレンガ地区の住人らしき一団もいて、その内の少なくもない人数が彼等二人を呆けたように見ていた。

「うわ、知り合いがいないと良いな」

 ライカはちょっと前の情けない気持ちが蘇って溜息を落としたが、連れの訝しげな眼差しと意識に、気分を切り替える。

『なんでもない。ほら、もう始まるみたいだよ』

 ふとサッズを見て、その髪に枯葉がいくつか絡まっているのに気付き、それを取ってやり、何気なく自分の方も編まれた髪に手をやると、何かあらゆる方向に乱れている手触りを感じ、なぜ見られていたか納得した。
 二人とも酷い有り様なのだ。
 衣服など元が綺麗なものだけに何かいたたまれないような着崩れ方をしてる。
 これでは注目されたとしても仕方がない。
 納得して、ライカは慌てて自分も髪を解すと、他の編み方も知らないので、いつもの通りに一本に編み直し背に流した。

『うん、せっかく心配性どもが工夫してくれたんだから、そうしてる方が良いと思うぞ。さっきのは綺麗だったけど、背中ががら空きだし』
『背中や首を心配するような事なんて街中じゃまず起こらないけどね』
『人間同士だって争いはあるんだろ?』
『争いがそのまま命の取り合いや食らい合いじゃないんだ。竜族とは違うよ』
『相手の力を奪うんじゃなけりゃ何の為に争うんだ?』
『そうだね、ほとんどはお互いの意見の違いを主張する為かな?』
『意見が違うのは当たり前だろ?』
『人間は協力し合って暮らしてるから意見が違うと困る事もあるんだよ』
『う~ん、さっぱり分からねぇよ』
『サッズは馬鹿だから仕方ないよ』
『お前という奴は』

 次の瞬間、ライカは頬がひっぱられる痛みを感じ、お返しとばかりにサッズに怒りの意識を明確に叩き付けて激しく抗議した。
 どうもサッズはライカの頬を引っ張るという行為が気に入ったらしい。
 ライカにとっては災難でしかなかった。

『心声しか聞こえないなぁ、口からはフガフガと変な音しか出てないぞ』
『心声が聞こえたなら止めろ!』

 ライカの足が素早くサッズの足の後ろに延ばされ、そのまま掬い上げるように手前に引かれる。
 サッズは空中で足踏みをするように片足を蹴上げた形になり、バランスを崩して背後に倒れ掛けたが、くるりと横に回転して体制を立て直した。

『心声は偶には聞こえない振りをするのが礼儀の時もあるだろ』
『サッズの場合は礼儀で聞かないんじゃなくて、都合の悪い事は聞き逃すんだろ』
『優しいお兄ちゃんを馬鹿呼ばわりするような奴の心声は聞こえないんだよ』
『正直者の心声を聞かないのは駄目だろ、サッズはもっと素直に真実を受け止めるべきだと思うな』
『お前の頭の中だけにある真実だろ』

 二人が言い争いをしていると、突如、どよめくような人々の声が沸き上がり、すっかり意識をお互いに取られていたライカとサッズは、ふいを突かれた形でびくりとする。
 二人が揃って振り向くと、視線の先では上半身の衣服を脱ぎ捨てた男が、その筋肉のうねりを炎の照りに映えさせて手に持つ長い得物を振り上げていた。
 その手の中にある得物は、炎の照りに返す鈍い色から堅い金属と見て取れる。
 ガチンと堅い音が響き、その男の、腕に返る反動を受けた弾みで反らされた体から飛び散る汗が炎を反射してキラキラと光った。
 人々の間から「あ~」とも「ふ~」ともつかない声が溢れる。

『あれは何をしているんだ?』
『氷を割るんだって』
『氷?』

 二人は、自分達の近くの方の水路の、闇に沈んだ表面を眺める。
 それは固く、ひっそりとしていて、まだまだ人が乗れる程にぶ厚く見えた。

『割ってどうするんだ?』
『今年が実り多いように祈りを込めるんだって』
『? さっぱり意味が分からん』
『そりゃあ……』
『今度馬鹿とか言ったら鼻をつまみあげるぞ』

 ライカが言い慣れた言葉をまた繰り返す気配を察して、サッズは機先を制する。

『サッズ、そろそろ真実を受け止めるべきだと思うよ』
『うるさい! 俺の頭が悪くてお前に迷惑を掛けたか?』
『ごめん、自覚してたんだね。でも、迷惑は掛かってるから』

 サッズは無言でまたライカの頬をつまみあげた。
 ライカはその手をぱしぱし叩き、同じく無言で抗議の姿勢を見せる。
 その時、丸太で作られた楽器の音が一際高まり、人々の歓声が大気を震わせて沸き立った。
 ぴしっという氷に亀裂が入る独特な音がどこか遠くで小さく連続して聞こえ、次いでギシギシと氷がひしめく音も聞こえる。

「あ、もう割れる」

 ライカが思わず洩らした声を聞いた訳でもないだろうが、人々の間からも「割れるぞ」「いけ!」等という囃し立てる声が起こった。
 見覚えのある逞しい体躯の男が金属の棒を軽々と頭上で回すと、風を切る鋭い音を観客たちの耳に届け、その勢いのまま振り下ろす。

「頭ぁ! いけぇ!」

 野太い声が城側から多く上がり、バキリという岩でも割ったような凄い音が辺りに響いた。
 途端に、水しぶきと共に厚い氷の断片が立ち上がり、幾多の炎で揺らめき、通常より赤く濃い火の色をその無色と濁った白とで形作られた表面に映し出す。
 別の場所でも次々と得物が振り下ろされ、亀裂が走り割れ易くなったとはいえまだまだ分厚い氷を、それでも何箇所もで同じように立ち上がらせた。
 炎の色が男達の汗と肉体と氷の壁を染め上げ、悲鳴のように上がる歓声がそれを祝福する。
 空洞の丸太を叩いていた者達の周りで、仮面を付けた男女が唸るような声を上げて体を揺らし、飛び跳ねた。
 暗がりに潜んでいた人々も歓声を上げてその身を激しく動かしている。

「振る舞い酒が出るぞー!」

 城の中から声が上がり、人々の熱気も更に上がった。
 樽に突きこまれた杓が振り上げられ、独特の香りを放つ液体が、一番に氷を割った男に振り撒かれ、巨大な杯が彼に渡される。
 彼が杯を干すと、興奮した人々が次々と水路の渡りの道を踏んで押し寄せ、樽に群がった。
 呆れた事に、水路に落ちる者が一人二人ならずいて、最初から待機している守備隊の者に助けられている。
 どこからか肉の焼ける良い匂いも漂って来ていた。

『おもしろいなぁ、なんであんなに盛り上がってるんだ?』
『明日に希望が見えたからだよ』

 言って、嬉しそうに笑うライカに、よく分かっていないながらもサッズも笑った。
 ここでまた分からないと口に出す程サッズも愚かではない。

『食べ物がもらえるみたいだから行こう』
『は?』

 家族以外の相手とは食べ物は奪い合うものだという認識しかないサッズには、ライカの言っている事が理解出来なかった。
 だが、ふと、自分のいる場所が人間の世界である事を思い出して、サッズはニヤリと自分を笑う。
 知らないものというのは考える必要はない物の事だとサッズは思っている。
 初めての事ならばただその体験を味わえばいいのである。
 何か新しい経験をする時、そこに自分自身の考えは必要ないし、むしろ邪魔だ。
 無駄にものを考えるのが嫌いなサッズは、再会してからずっとそうであったように、末の家族に手を引かれて進んでいた。

 元々サッズは好奇心の強い性質だ。
 今までライカを探し当てる事に集中していたのでその性質は幾分か抑えられていたが、もはや他に考えるべき事もない。

『俺より前を行こうなんて、それこそ百年は早いぞ』

 言って、反動を付けてライカの手を引くと、サッズはポジションを入れ替え、自分の方がより先んじようと走り出したのだった。
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