竜の御子は平穏を望む

蒼衣翼

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西の果ての街

入浴する

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 外に置いてあった汲み置きの水が凍ってしまったので、とりあえずその分は鍋に放り込んで、溶け出した所を桶に移して体を拭う用の布を絞って顔を拭く。
 井戸に行って来ないとならないなと、ライカは冷たい感触に頭をはっきりさせながら考えた。
 いつもはのんびり六の刻ぐらいまで寝ながら迎え酒とかなんとか言って芋酒をちびちびやっている祖父が、この日は珍しく陽が昇る頃に置き出して出掛けていたので、朝食の準備を気に掛ける必要もない。
 そもそもライカは一日に分割して主食を摂るという生活がどうもピンと来ないので、一人の場合の食事は、ひと働きした後に摂るようにしていた。
 ちょっと前までは朝は水を飲んで近場にある木の実を齧りながら遊んでいたのである。

「そうだ、弓木の実がちょっと干してあったっけ」

 赤く綺麗で美味しい実だが、種が毒だというので種を抜いて食べる。
 干すと甘味が増すので少し残った分を干してあったのだ。
 細工物に良い木だからと祖父が仕事用に枝を伐って来るのだが、ついでにライカにお土産といって実も採って来てくれるので沢山ある。
 ライカがそうして軽いおやつを口にしながら井戸に水を汲みに行って帰ってみると、何時の間にか祖父が戻って来ていた。

「おお、帰ったか、よしよしライカ、風呂に行くぞ!」
「あ、ジィジィお帰り、風呂って何?」
「ふむ、そうかお前は風呂を知らんのか。そうさの、人間の体内には火があって、それを燃やしながら生きている事は知っとるじゃろう?」
「う、ん、なんかちょっと違うけど先生も似たような事を言ってた」
「冬はそれが弱まるんで、体の中に入り込んだ悪いものを焼いてしまう事が難しくなる」
「そうなんだ」
「うむ、じゃから冬場には悪い病気にかかる者が多い。なので減ったものを補給しようと言うのが風呂じゃ」
「え? 体の中に火を入れるの? 焼けちゃうんじゃない?」
「そりゃそのまま火を入れりゃ焼けるわな。要するに足りないのは熱なんじゃよ。まぁ話だけじゃそりゃ分からんじゃろうから、とりあえず来い!」
「う、うん」

 ライカは良く分からないまま、祖父に連れられて家を出た。
 出る前に小さい荷物を渡される。
 軽い、畳んだ布のようだった。

「これは?」
「浴衣じゃ、別に裸でもいいんじゃが街のモンで持ち回りで風呂を使うんで、汚さないように巻いておくのが礼儀というもんじゃな」
「へぇ?」

 ライカには祖父の説明の殆どがさっぱり理解出来ないものだったが、確かに話で聞くより実際に体験した方が早いに違いない。
 そう思い、ライカは祖父の後に続いて、なんとなく初めてのものにワクワクしながら歩いた。

「あ、ご一緒しましょう?」

 途中、隣のリエラさんの一家が合流する。
 聞くと、どうやら地区割りで風呂を使う時間が決まっているらしかった。

「ほとんどロウスさんが建てたようなものだからここの地区が一番なんだよ。最初はハーブの匂いが強いから効果も強いんだ。ほんと、おかげさまで有り難いね」
「あ、ジィジィが朝から行ってたのはそれだったんですね、でも何か作るには短い時間だったけど」
「そりゃ、もう最初から枠が出来ておるんじゃよ。組み立てるだけで出来上がりじゃ。普通の家のように土台を作る必要もないから簡単じゃわい」
「建物なんだ」
「そうじゃ、見た目は窓のない小さい小屋じゃの」
「簡単そうに見えるが大変なんですよ。隙間があると蒸気が逃げるからぴったり組まなきゃならないし、あ、俺も手伝ったから分かるんですがね」

 リエラの旦那さんであるヤクが補足して説明する。
 どうやら今日は店を閉めているらしい。
 親子三人で一緒に出掛けるのが嬉しいのか、二人の間では彼等の一人息子のマウが例によって奇声を上げて喜びを表していた。

「この子ったらまったく、どうしてこうなのかしら」
「感情が豊かなんですよ。自分の気持ちを表現する言葉を覚えたら収まるんじゃないでしょうか?」

 そう言ったライカに夫婦の視線が集中する。

「ライカは下手な大人よりしっかりしてるよなぁ」

 旦那さんのヤクが苦笑してそう評した。

「そりゃあもうあちこちで働いているんだもの、しっかりしてるに決まってるでしょ」

 奥さんのリエラが笑う。

 そうこう話している内に、五人は目的地に到着した。
 水路の手前に自宅より小さいが、大人十人ぐらいなんとか入れるだろう小屋がある。
 その隣では火が焚かれていた。

「おう、お疲れじゃな。どうじゃいい具合か?」

 ロウスが火を焚いている男達に声を掛けた。

「じいさん良い具合になってるぜ、もう入るなら入れとこうか?」
「よろしく頼む」
「おおよ!」

 男達は掛け声を掛けると燃える火の中からごろごろした大きな石を木の棒で突いて転がり出させ、もの凄く大きな鍋に転がし入れていく。
 いかにも力仕事が得意そうな男達は、そのかなりの重量の熱を発する代物に棒を通して担ぎ上げると、小屋の中に運び込んだ。

「よし、わしらも準備するか」

 興味深げにそれを眺めていたライカを笑いながら引っ張って、ロウスと隣の一家はその焚き火に近付き、服を脱ぎ始める。
 寒い中だから服を脱ぐのは抵抗があるが、焚き火もあるし、脱いだ直後は案外寒くなかった。
 脱いだ服は小屋の外に置いてある籠に入れるらしく、ライカも慌てて彼等の真似をして服を脱ぐ。
 服を脱いだら持ってきた浴衣を腰に巻いた。
 浴衣というのは紐の付いた長い四角の布で、ぐるりと腰に巻いたら紐で縛るようになっているのだ。

(これ、便利だな。スボンもベルトじゃなくてこの方式にすればいいのに)

 と、おしゃれなど理解しようもないライカがちょっと思っていると、祖父が横から手を出して来た。

「硬結びはするんじゃないぞ、こうやってこうして結ぶと後でここを引っ張れば直に解けるからの」
「へぇ、これも便利だね。今度ちゃんと教えてね」
「ほっほ、まかせておけ」

 二人が準備を終えると、リエラの家族も準備を終えており、マウが走り出しそうになるのをリエラが抱え上げている。
 マウは母の豊かな胸に顔を埋めてご機嫌だ。

「ぬぬ、今は譲ってやるが、坊主、それは本来父の物だという事を忘れるな!」

 なぜか我が子にそう宣言した父が、奥方に殴られていた。

 小屋の中は既に凄い熱気だった。
 外は寒いのに、入ってちょっとで汗が出て来る程だ。
 小屋の中、入り口以外の三方は壁の低い位置に出っ張りが棚のように作られていて、そこに人が腰掛けるようになっている。
 真ん中の地面には先ほどの石入りの鍋が置いてあり、すさまじい熱気はそこから来ていた。

「さて、いくぞ」

 鍋の横に水が入った桶があり、中には山ハッカらしきハーブが入っている。
 ロウスは、一緒に入れてある柄杓を手にすると、その水を焼けた石の上に振り掛けた。

「あつ!」

 ジュウウというなんともいえない音と共に白い蒸気が文字通り噴き出す。
 そのあまりの熱さにライカは悲鳴を上げた。

「あんまり近付くと火傷するぞ、ちゃんと落ち着いて腰掛けておれ」
「いや、ジィジィ、近付くも何も小屋の中蒸気だらけじゃないか、全部熱いって!」
「我慢するんじゃ、これで熱を入れて邪気を追い出すんじゃからな」
「うんうん、この熱さがたまらないんだよな。くそ、冷たくした酒が呑みたいな」
「何言ってんのあんた、ここで酒なんか飲んだら死ぬわよ」

 熱さにぐったりしたマウをあやしながらリエラが夫を注意する。

「マウは大丈夫なんですか?」

 ライカが心配して声を掛けた。

「大丈夫よ、子供は短い時間で出るの、ライカちゃんももう無理だと思ったら直に出てそこの水路に入って水を浴びてね」
「あ、だから水路の横なんですね」
「そうそう」

 なんとかマウやリエラと話すことで我慢をしていたが、かつて経験した事がないような汗が体中を流れ落ちて行く。
 ライカは自分の限界が近いのを感じていた。

「さてさて、そろそろいくかの?」

 ロウスは、小屋の片隅に纏めておいてあった細く裂いた木の皮らしきものを束ねたものを手にすると、ニヤリと笑う。

「おう! お願いします!」

 そう言って、ヤクも同じものを手にした。
 空気に何か得体の知れない緊張が走る。
 ライカは分からないまま彼等を見つめた。
 ぴしり! と濡れたものを打つ音が響く。
 祖父とヤクが互いをその木の皮を束ねたもので打ち始めたのだ。

「うわ!」
「全く男共と来たらこういうのが大好きなんだから」
「これってなんなんですか?」
「体から毒を出すのに使うのよ、全身が赤くなるまでやると効果が高いと言われてるわ」

 ライカはそれを聞いて更に気が遠くなりそうになってきた。
 そもそももう熱で皮膚は十分赤いではないか。

「ええっと、ふらふらします」
「あらいけない、ライカちゃんは初めてだもんね、うちの子もそろそろだし、先に出ましょうか?」

 そう言っていると、小屋に新たに人が入って来た。

「おじゃまします」

 見ると、ライカの家から見た時リエラと逆側の二軒隣の住人である。
 この一家は人数が多く、全部で五人来ていた。
 人数的に入れない事はないがちょっとキツイ。

「丁度いいわ、私達は先に出ますからどうぞ奥へ。あんた達も程ほどにね」
「ふん、我慢が足りんぞ、ライカ! 男ならもっとガンバレ!」
「もう倒れそうだよ」

 バシバシ叩き合ってる二人を置いて、新たな家族に場所を譲ると、ふらふらしながら外へ出た。

「ほうら坊主、飛び込め」

 水路で、足場のある場所に立っている青年が、リエラとマウを導き、ライカを押し出す。

「あ、」

 バッシャーンと、派手な音を立ててライカは水路に沈んだ。
 驚いたが、凍る寸前の冷たい水のはずがとても気持ちが良い。
 ライカはやっとほっとした。
 水から上がって服を着ると、体はだるいが不思議にすっきりしている。
 これが祖父の言う所の体に熱を入れた状態なんだろうか? そう考えて、ライカは大きく息を吐いた。

「どうだった? 初めてのお風呂は」
「料理される側の気持ちが分かりました」
「あはは! 上手い事言うじゃないか。確かにそうかもね」

 見ると水路に酒の樽が入れて冷やされていて、風呂の小屋の周りには何時の間にか机が並べられ、それぞれに木杯が置かれている。

「単にお酒を美味しく飲みたい為の苦行とかじゃないですよね」
「ふふ、確かにお風呂の後のお酒は美味しいものね。ライカちゃんも呑む?」
「いえ、俺酒苦手で、それにもう店に行かなきゃ」
「じゃ、冷やしたお茶があるからこれだけでも飲んで行きなさい。うちの子もお茶を飲むから」
「あ、はい頂きます」
「かしこまらないで大丈夫よ、ここのは振る舞いだから、どんどん飲んじゃって」

 まるで我が家のように仕切るリエラに促され、ライカは冷やしてあるお茶を口にした。
 甘い。

「これって特別なお茶ですか?」
「違うわよ。ああ、普段より美味しいんでしょ? お風呂の後だからよ。お風呂の後はお酒もお茶も格別なの」
「へぇ」

 驚いて、それならやっぱり体に熱を入れる云々は建前で、お酒を美味しく飲みたいが為にやっているんじゃないか? という疑いを、ライカは結局消せなかったのだった。
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