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西の果ての街
一日のおしまい
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闇のような黒髪が室内を照らすランプの輝きを受けて艶やかに翻る。
まなざしはとろりと濃密に艶を含んで、目の合った者全てに呼び掛けるがごとくに雄弁に無音の言の葉を放つ。
彼女の白く長い手足には銀で作った細い輪が嵌り、それから下がる小さな銀の雫のような玉が隣り合うものとぶつかり合ってシャラシャラと聞き取れるかどうかの小さな音色を響かせていた。
セタンという三弦の楽器が、高く細い、しかし歌い上げるような豊かな音を爪弾き、彼女の舞に一つの形を与える。
しかし、雅さなどとは無縁の見物の男達は、てんでに手拍子やら足踏みやらで騒音のような拍を取り、ともすればその儚き優しげな音は掻き消されんばかりであった。
「見たか! あの腰の動き!」
「ひょー、あの唇の艶かしい色はどうだ! たまんねぇな!」
興に乗って、思わず舞台(と言っても空間を開けただけの続き床だが)に飛び出して共に踊りだす客も出る。
だがそうすると、ニッと笑った踊り子が、奏者に目で密やかな合図を送り、曲のテンポをたちまちに上げてしまうのだ。
どすんどすんと酔った足で床を踏んだ客達は、挑むようなその速さに、足が縺れ、その上に酔いも回ってふらふらと転がる。
中には転がりついでに踊り子に抱きつこうとする者もあったが、交わした風も見せずに彼女は舞い続け、結局は誰の手にも収まらなかった。
嫣然と笑い。男を誘い。しかして誰の手にも届かない場所で踊る女。
彼女は思うがままに男を渡り、選ぶのは自分である事をその場の誰にも知らしめていた。
「でも、ロウスさまは特別よ」
「ふふん、今宵だけはというやつじゃな? じゃがそれで良し。一夜の女神に野暮は言わんよ」
「まあ、私の気持ちは分かって下さっているのでしょうに、意地悪なお方」
「なにを言う、こんなに身も心もお前さんの虜じゃというに。おお、綺麗な髪じゃのぅ」
頭を柔らかく撫でる無骨な手に目を細めて、彼女は白い頬を染めて見せる。
「嬉しい、ロウスさま」
「よしよし、柔らしい肌よの。こんな僻地で手入れも大変だろうに、その自らを磨く努力は素晴らしいもんじゃて」
「だって、私たちの持つものなど、結局はこの身一つ。いつかは枯れる花でありましょうと、最も美しく手折っていただきたいのですわ」
「神の風にすら逆らい咲く怖い花じゃからの、誰に手折る事も叶わぬのだろうに」
「まあ、本当に意地悪なお口」
くすくすと夜の闇に押し殺した笑いが響く。
― ◇ ◇ ◇ ―
トンと、一応家の戸を軒先に吊るした木槌で叩き、反応も、漏れ出る灯りもない事を見て取ると、ライカはゆっくりと我が家に体を滑り込ませた。
「やっぱりじっちゃん帰ってないな」
ほっと息を吐くと、そのまま壁に備え付けの燭台に寄り、そこに下げられた袋から小さなほくちと火打ち石を取り、片手に纏めて持つと、もう片方の手で金属片の埋められた火起こし器をそこに打ち付ける。
幾度かの繰り返しの後に、ようやくほくちに灯った火を燭台の燈芯に移し、わずかな灯りを得た。
「油が減ってる」
燈明皿を覗いてライカは眉根を寄せた。
どうやら祖父は暗い時間に一度戻ったらしいと気付いたのである。
新たな油を差しながら、何か伝言のような印を目で探すと、炉の上の下げ鉤に小さな鍋が掛かっていた。
中を覗くと生の芋と魚の干物が入っている。
「これでなんか作れって事だな」
ライカはなんとなく笑ってしまう。
祖父はちゃんと食事を摂ったのだろうか? という心配もあるにはあるが、そういう所はちゃっかりした祖父の事だ、どこかで適当に腹を満たしているに違いなかった。
明日になって帰宅した祖父が昨夜食べたい物が食べられなかった不満を一通り言い、匂いを嗅いで鍋を見て、文句を言いながらも残りを綺麗に平らげるだろう。
どこへ行っていたかと聞かれるだろうか?
そうしたら逆にいつも祖父がどこへ行っているのかを聞いてみようか?
そう心に思い描きながら、ライカは祖父の好きな煮込み料理を作る為に準備を始めた。
── ◇ ◇ ◇ ──
「こちらには場を彩る高貴な女性もあまりおりませんし、宴を開いて華やかな歓迎という訳にもいかず、侘しい歓迎の儀になりました事、お詫び申し上げます」
広い部屋に延々と伸びる食卓には三本の燭台が置かれ、それぞれに挿された大きな蝋燭が金色の光を投げていた。
「いやいや、この心尽くしの料理だけで旅の疲れも癒される心地だ。それに華やかな宴など私からすれば肩が凝るばかりの場だよ。こうしてそなたと落ち着いて食事が出来る方が心も休まるというものだ」
「我が君におかれましては、臣に下されるお心使い身に染み入ります。陣の皆様にもささやかながら差し入れをさせていただきました」
「それはありがたい。皆喜んだであろう」
「守備隊の皆様が大物を仕留めてくださいましたおかげを持っての事。これも我が君のご威光あっての賜物です」
「そうか、彼等はよくやっているか?」
「はい、とても」
「我が兵はどうもよく地元の兵と揉め事を起こし易いようでな、頭が痛い。こちらでは迷惑を掛けてはいまいか?」
「そのような事は、それに陛下が我が兵とおっしゃったように、守備隊は我が国の誇り高き兵士です。同じ主に仕える者同士、諍いなぞあろうはずもございません」
臣下の言葉にうなずきを返した国王は、メインの肉料理を口に運ぶと声を上げた。
「素晴らしい!」
そして顔も上げぬまま言葉を紡ぐ。
「ふむ、そこの者。料理長に素晴らしい食事の礼を言いたい。呼んで来てくれぬか」
王の突然の呼びかけにも微塵も動揺を見せず、一人この席に在るを許されていた侍従は一礼をすると退室した。
しばしを待って、袖でぐいっと口を拭うと、王は片眉を上げて自分の斜め前に座すこの領の主を見た。
「それで忌憚のない所はどうなのだ?」
「忌憚のない所ですよ」
「ほう?」
「守備隊の方々はよくやっていらっしゃいます」
「ふん、まあそういう事にしておいてやろう。ところで、そなたうちの王子をいかが見る?」
「いかがとはいかなる所ですか?」
「いささか疲れて来たぞ、そう時間もないのではないか? 謎掛けは止めにしてはどうだ」
「謎掛けを成されているのは我が君では?」
しばしの沈黙が降りる。
王は手元の蜂蜜水で割ったワインを口に運んだ。
「意気地のない王は国の害にしかならぬと思わぬか?」
「穏やかな気性と意気地がないというのは違う事かと」
「我には同じにしか見えぬ」
「民は穏やかな国を求めておりますよ」
「民が求めているのは揺るがぬ国であろう? それは強さの元にある」
扉に穏やかなノックの音が響く。
瞬時交わされたまなざしの末に、領主は声を上げた。
「入れ」
扉の外には平伏して顔など見えぬ男が一人。
「罪な事ですな、我が君」
小さく主に囁いた男に、王は口元を歪めてみせた。
僻地の貧しい領の主に過ぎないラケルドは、不遜な事とは思いながらも、自らの仕える王の家庭の不幸を静かに思いやる。
ほとんど何の葛藤も無いまま、我が子を国の為に排除しようと考えられてしまう程のその不幸。
その元々の原因は平民であった王の母君にあった。
混ざってしまった血を浄める為と、無理やり二つの派閥から二人の妻を迎えさせられたこの王に、我が妻、我が子への愛は無い。
国を豊かにする事は出来ても、人は自らを豊かにするのは難しいのだ。と、ラケルドは思う。
「人に本当に必要なのは、互いを思いやる事の出来る相手なのだろうな。それがたった一人に過ぎなくても、それだけできっと人は救われる」
呟きは聞く者の無いまま夜の静寂へと消えて行った。
── ◇ ◇ ◇ ──
階下の灯を落とし、屋根裏の自分の部屋へと上がったライカは、寝台の上で開いた天窓から見える星を見ていた。
銀に輝く星を連ねてあの白き鱗の女性を思い浮かべる。
それに重なるように、故郷にある深い海が脳裏に浮かんだ。
青い海の底から見上げる銀色の空。
そこを飛ぶように泳ぐ彼女の鱗は七色だったなと、どこか心の深い所が呟くのを聞きながら、ライカは眠りの海の誘いのままにその深みへと潜り込んで行った。
まなざしはとろりと濃密に艶を含んで、目の合った者全てに呼び掛けるがごとくに雄弁に無音の言の葉を放つ。
彼女の白く長い手足には銀で作った細い輪が嵌り、それから下がる小さな銀の雫のような玉が隣り合うものとぶつかり合ってシャラシャラと聞き取れるかどうかの小さな音色を響かせていた。
セタンという三弦の楽器が、高く細い、しかし歌い上げるような豊かな音を爪弾き、彼女の舞に一つの形を与える。
しかし、雅さなどとは無縁の見物の男達は、てんでに手拍子やら足踏みやらで騒音のような拍を取り、ともすればその儚き優しげな音は掻き消されんばかりであった。
「見たか! あの腰の動き!」
「ひょー、あの唇の艶かしい色はどうだ! たまんねぇな!」
興に乗って、思わず舞台(と言っても空間を開けただけの続き床だが)に飛び出して共に踊りだす客も出る。
だがそうすると、ニッと笑った踊り子が、奏者に目で密やかな合図を送り、曲のテンポをたちまちに上げてしまうのだ。
どすんどすんと酔った足で床を踏んだ客達は、挑むようなその速さに、足が縺れ、その上に酔いも回ってふらふらと転がる。
中には転がりついでに踊り子に抱きつこうとする者もあったが、交わした風も見せずに彼女は舞い続け、結局は誰の手にも収まらなかった。
嫣然と笑い。男を誘い。しかして誰の手にも届かない場所で踊る女。
彼女は思うがままに男を渡り、選ぶのは自分である事をその場の誰にも知らしめていた。
「でも、ロウスさまは特別よ」
「ふふん、今宵だけはというやつじゃな? じゃがそれで良し。一夜の女神に野暮は言わんよ」
「まあ、私の気持ちは分かって下さっているのでしょうに、意地悪なお方」
「なにを言う、こんなに身も心もお前さんの虜じゃというに。おお、綺麗な髪じゃのぅ」
頭を柔らかく撫でる無骨な手に目を細めて、彼女は白い頬を染めて見せる。
「嬉しい、ロウスさま」
「よしよし、柔らしい肌よの。こんな僻地で手入れも大変だろうに、その自らを磨く努力は素晴らしいもんじゃて」
「だって、私たちの持つものなど、結局はこの身一つ。いつかは枯れる花でありましょうと、最も美しく手折っていただきたいのですわ」
「神の風にすら逆らい咲く怖い花じゃからの、誰に手折る事も叶わぬのだろうに」
「まあ、本当に意地悪なお口」
くすくすと夜の闇に押し殺した笑いが響く。
― ◇ ◇ ◇ ―
トンと、一応家の戸を軒先に吊るした木槌で叩き、反応も、漏れ出る灯りもない事を見て取ると、ライカはゆっくりと我が家に体を滑り込ませた。
「やっぱりじっちゃん帰ってないな」
ほっと息を吐くと、そのまま壁に備え付けの燭台に寄り、そこに下げられた袋から小さなほくちと火打ち石を取り、片手に纏めて持つと、もう片方の手で金属片の埋められた火起こし器をそこに打ち付ける。
幾度かの繰り返しの後に、ようやくほくちに灯った火を燭台の燈芯に移し、わずかな灯りを得た。
「油が減ってる」
燈明皿を覗いてライカは眉根を寄せた。
どうやら祖父は暗い時間に一度戻ったらしいと気付いたのである。
新たな油を差しながら、何か伝言のような印を目で探すと、炉の上の下げ鉤に小さな鍋が掛かっていた。
中を覗くと生の芋と魚の干物が入っている。
「これでなんか作れって事だな」
ライカはなんとなく笑ってしまう。
祖父はちゃんと食事を摂ったのだろうか? という心配もあるにはあるが、そういう所はちゃっかりした祖父の事だ、どこかで適当に腹を満たしているに違いなかった。
明日になって帰宅した祖父が昨夜食べたい物が食べられなかった不満を一通り言い、匂いを嗅いで鍋を見て、文句を言いながらも残りを綺麗に平らげるだろう。
どこへ行っていたかと聞かれるだろうか?
そうしたら逆にいつも祖父がどこへ行っているのかを聞いてみようか?
そう心に思い描きながら、ライカは祖父の好きな煮込み料理を作る為に準備を始めた。
── ◇ ◇ ◇ ──
「こちらには場を彩る高貴な女性もあまりおりませんし、宴を開いて華やかな歓迎という訳にもいかず、侘しい歓迎の儀になりました事、お詫び申し上げます」
広い部屋に延々と伸びる食卓には三本の燭台が置かれ、それぞれに挿された大きな蝋燭が金色の光を投げていた。
「いやいや、この心尽くしの料理だけで旅の疲れも癒される心地だ。それに華やかな宴など私からすれば肩が凝るばかりの場だよ。こうしてそなたと落ち着いて食事が出来る方が心も休まるというものだ」
「我が君におかれましては、臣に下されるお心使い身に染み入ります。陣の皆様にもささやかながら差し入れをさせていただきました」
「それはありがたい。皆喜んだであろう」
「守備隊の皆様が大物を仕留めてくださいましたおかげを持っての事。これも我が君のご威光あっての賜物です」
「そうか、彼等はよくやっているか?」
「はい、とても」
「我が兵はどうもよく地元の兵と揉め事を起こし易いようでな、頭が痛い。こちらでは迷惑を掛けてはいまいか?」
「そのような事は、それに陛下が我が兵とおっしゃったように、守備隊は我が国の誇り高き兵士です。同じ主に仕える者同士、諍いなぞあろうはずもございません」
臣下の言葉にうなずきを返した国王は、メインの肉料理を口に運ぶと声を上げた。
「素晴らしい!」
そして顔も上げぬまま言葉を紡ぐ。
「ふむ、そこの者。料理長に素晴らしい食事の礼を言いたい。呼んで来てくれぬか」
王の突然の呼びかけにも微塵も動揺を見せず、一人この席に在るを許されていた侍従は一礼をすると退室した。
しばしを待って、袖でぐいっと口を拭うと、王は片眉を上げて自分の斜め前に座すこの領の主を見た。
「それで忌憚のない所はどうなのだ?」
「忌憚のない所ですよ」
「ほう?」
「守備隊の方々はよくやっていらっしゃいます」
「ふん、まあそういう事にしておいてやろう。ところで、そなたうちの王子をいかが見る?」
「いかがとはいかなる所ですか?」
「いささか疲れて来たぞ、そう時間もないのではないか? 謎掛けは止めにしてはどうだ」
「謎掛けを成されているのは我が君では?」
しばしの沈黙が降りる。
王は手元の蜂蜜水で割ったワインを口に運んだ。
「意気地のない王は国の害にしかならぬと思わぬか?」
「穏やかな気性と意気地がないというのは違う事かと」
「我には同じにしか見えぬ」
「民は穏やかな国を求めておりますよ」
「民が求めているのは揺るがぬ国であろう? それは強さの元にある」
扉に穏やかなノックの音が響く。
瞬時交わされたまなざしの末に、領主は声を上げた。
「入れ」
扉の外には平伏して顔など見えぬ男が一人。
「罪な事ですな、我が君」
小さく主に囁いた男に、王は口元を歪めてみせた。
僻地の貧しい領の主に過ぎないラケルドは、不遜な事とは思いながらも、自らの仕える王の家庭の不幸を静かに思いやる。
ほとんど何の葛藤も無いまま、我が子を国の為に排除しようと考えられてしまう程のその不幸。
その元々の原因は平民であった王の母君にあった。
混ざってしまった血を浄める為と、無理やり二つの派閥から二人の妻を迎えさせられたこの王に、我が妻、我が子への愛は無い。
国を豊かにする事は出来ても、人は自らを豊かにするのは難しいのだ。と、ラケルドは思う。
「人に本当に必要なのは、互いを思いやる事の出来る相手なのだろうな。それがたった一人に過ぎなくても、それだけできっと人は救われる」
呟きは聞く者の無いまま夜の静寂へと消えて行った。
── ◇ ◇ ◇ ──
階下の灯を落とし、屋根裏の自分の部屋へと上がったライカは、寝台の上で開いた天窓から見える星を見ていた。
銀に輝く星を連ねてあの白き鱗の女性を思い浮かべる。
それに重なるように、故郷にある深い海が脳裏に浮かんだ。
青い海の底から見上げる銀色の空。
そこを飛ぶように泳ぐ彼女の鱗は七色だったなと、どこか心の深い所が呟くのを聞きながら、ライカは眠りの海の誘いのままにその深みへと潜り込んで行った。
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