竜の御子は平穏を望む

蒼衣翼

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西の果ての街

前日譚――人のいない世界からの旅立ち

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 ライカが赤子の頃から住んでいた場所は、実の所本来の、連綿と生命が育まれて来た世界ではない。
 世界が変貌し、それまで世界に息づいていた生命の在り方が全て変わってしまったその後に、新しい変化した世界と相容れなかった一部の者達、具体的に言うと竜王と呼ばれる上位の生命種であるタルカス達が造り上げたもう一つの世界だった。

 元々の世界を写し取って、かつ古代のままの姿で存在を続ける、ことわりを無視した、本来の世界とは似て異なる世界、それが竜王達が暮らすもう一つの世界だ。
 そんな、いわば別世界で、竜王達はとある事情で赤子のライカを彼の母から預かり、身内として育てて来たのである。
 しかし、やがて物心つき、成長して少年となったライカが、母の遺言を受けて人の住む世界で生きる事を選んだ為、心配しながらもその意思を尊重して、彼を人の住む、本来の彼自身の世界へと戻す事としたのだ。

 ――◇ ◇ ◇――

 原始の灼熱のエネルギーが地中から沸き立つ場所、巨大な火山の火口に朱金に燃えるドロドロとした熱の塊がうねっている。
 そこにマグマとは別の赤が見えた。
 ボコリと浮き上がったその赤い姿はたちまちかさを増し、その全身を現す。
 巨大な火山と比してこそ小柄に見えるそれは、実際は文字通り山ほどの巨体であった。
 赤いマグマの塊を、熱を写しとったようなその体表に纏わりつかせたまま、ソレは翼を広げる。

 その翼は、鳥の物とは違い羽毛ではなく皮膜に覆われていた。
 あえて比べればコウモリのそれに近いだろう。
 しかし、あまりにも巨大だった。

 ばさりと広げた翼は、しかし周囲を騒がす事は無く、そのまますうっと、まるで重さが無いように巨体が浮かび上がる。
 ボトボトと体表から零れ落ちた灼熱の塊は、地に落ちて地面と僅かな草木を燃え上がらせた。

 急激に風が巻き起こり、その巨大な、『竜』が飛翔する。
 古の世に世界を育み、また、破壊したと言う伝説の存在が、その場所には未だ健在だったのだ。

 その巨大な赤い竜は、途中地上に走る野牛の群れを見付け、造作もなくその内の一頭を己が鉤爪にてわし掴んだ。
 必死で逃げる群れはひと飛びで平原の半ばを横切る竜の前に無力だった。
 掴まれた際に絶命したのか、赤い血潮を草原に振りまきながら、しばし飛んだ竜は、やがて緑深き森となだらかな山並みをいくつか越えた先の、天を突くような巨大な山脈に至った。
 先ほどの火山よりも更に巨大で、赤い竜がひと飛びでは越えられない高さの山脈である。
 その山脈の裾野、山から流れでた川が僅かな平地を横切る場所に、一つ人影があった。
 正確に言えば一頭の幼竜と一人の人間の子供だ。
 眼下に広がる広大な大地からすれば、ほんの僅かな砂粒のような大きさだったが、赤い竜はそれに気付いて急降下を仕掛けた。

 赤い竜が上空で気付いたのとほぼ同時に、地上でもまだ幼い竜が首を伸ばして上空を見上げていた。

「あ~、やばいエイムだ」
「え? ほんと? おーい!」

 地上の幼い竜、まるで闇のような深い青の色をその身にまとった竜は、首を振ってどこか諦めに似た言葉を吐き、人間の少年はそれまで抱えていた魚を放り投げて上空に向かって手を振る。
 とは言え、その少年は隣にいる幼竜に比べても格段に小さい。
 幼い竜の足首辺りと同じぐらいのサイズだ。
 その少年を、青い幼竜は器用にしっぽでくるりと包み込み、身を低くして防御の体制を取った。

 空に新たな雲がたなびき、遠くにゴウッと重い音が響いた。
 瞬間、ドーン! という地響きと舞い上がる土砂という彩りを纏って、赤い巨大な竜がまるで唐突に出現した。
 その横には新鮮な野牛の死体が転がっている。

「エイム! このくそ乱暴者が! ライカがいるんだぞ、ちょっとは物を考えろ! バカ!」
「おー! 愛しの弟達じゃないか! 相変わらず丸呑みしたいぐらい可愛いな!」
「やめろ! お前が言うと本気そうで怖いわ! もしライカを齧ったらバラバラに引き裂いてやるからな!」

 自分に対する弟の言葉に、エイムと呼ばれた赤い竜は大喜びで長い尾を大地に打ち付けた。
 またもドーン! ドーン! という音と地響きで、砂埃と揺れが酷い。

「全く、サッズは生意気で可愛いな、よーしよーし、高い高いをしてやろうか?」
「ぶっ殺すぞ」

 赤い竜のエイムと青い竜のサッズとの体格差は、本来ならば山と山小屋程あるのだが、エイムは地上に降りてその身を少し縮め、サッズのおよそ三倍程のサイズになっていた。
 それでも成体と幼体だ、抗ったところで到底敵うはずもないのだが、サッズは果敢にエイムに頭突きを敢行した。
 それをびくともせずに受けて、エイムは機嫌良くまた尾を振り回した。

「エイム! 機嫌が良いね火山に行ってたの? それはおみやげ?」

 動き回る尾を器用に避けながら、ライカはその巨大な足の上に乗っかる。
 ほとんど山登りのような要領で鉤爪の上によじ登ると、そこに残った黒い石を剥がして落とした。

「お、そこ、丁度痒かったんだ。ライカは気が利くな、さすがは俺の弟だ」
「あ、言いながら不用意に足を持ち上げるな!ライカが潰れる!」
「サッズ、大丈夫だから、慣れてるからね」

 実際、ライカは赤い鱗と鱗の間、ライカの目から見れば赤い巨大な石の柱の間に慣れた様子で体を滑り込ませると、乱暴な動きでも転げ落ちたりしないように体を落ち着ける。
 一方のサッズはというと、弟の事を心配している場合ではなく、自分自身がエイムに首根っこを銜えられ、ジタバタと宙に浮いていた。

「さて、帰るか」

 巨大な赤い竜エイムはその羽根を広げると、ライカを片足に乗せたまま、もう片方の足で野牛の死体を掴み、弟竜のサッズを銜えたままふわりと宙に浮き上がって家へと向かう。
 彼はかつて世界で最強の存在だった竜の、その中でも最終段階まで成長を遂げた竜王だった。
 軽く一飛びするだけで世界を巡る事すら容易いその巨大で、雄々しいというよりいっそ禍々しい姿は、まさに地上を睥睨する王たるに相応しい。
 だが、彼らの家たる切り立った山脈の洞穴の前に降り立ったエイムは次の瞬間、その威厳を失った。

「エイム! あなたはまた弟を虐めて!」
「誤解だ! 俺は弟達を可愛がっているぞ!」
「あなたの可愛がりかたは乱暴すぎると口を酸っぱくして言っているでしょう? 少しは聞く耳を持ってください!」

 白い輝く羽毛のような一見柔らかにみえるしなやかな体毛がチリチリと優しい鈴の音のような音を響かせている。
 その身体全体を取り巻く白い炎のような輝きは、見る者の目を惑わす程に眩しくて直視出来ない。
 しかしその眩しさに耐えてよくよく見る事が出来れば、そこにいるのは優美な白い竜である事が分かっただろう。
 やがて説教を言い終えた彼は、ふわりとその姿を溶かして人の身体に变化する。
 彼もまた竜王であったが、自分の竜体があまり好きではなく、竜でいる時間よりも人の姿を模している時間の方が長かった。
 身体を小さく保つ事にかなりの忍耐を必要とする為、小さくなる事をあまり好まない竜族には珍しいタイプの竜である。
 その名を白の王、セルヌイと言う。

 ほんの幼い頃にこのセルヌイに拾われてその手で育てられたエイムは、同じ竜王であってもなんとなくセルヌイには弱い。
 喧嘩する時は思いっきり喧嘩するのだが、今回は怒られてしまったのでしょんぼりとその身を縮ませた。
 そこでやっと放して貰えたサッズが、長い尾でバシバシとエイムの身体を叩く。

「おっこられた! おっこられた!」
「お前本当に可愛いよな」

 瞬時に身を躱したエイムは、サッズの足を掬って軽々と地面に転がした。
 ドシン! と地響きが響くが、鉱石で出来ている玄関口は埃も立たず、ヒビ一つ入る事はなかった。

「この! バカ兄貴! 乱暴者!」

 サッズは転がりながら兄の尾を捉えると、丈夫な顎でガシガシと噛み付く。
 やられている方は楽しそうに相手をしているのだから、サッズのこの奮闘が報われる事は無いのだが、この弟は飽きもせずに一方的に弄ばれる事を良しとせず、必ずやられたらやり返すのだ。
 そういう負けず嫌いな所が逆に兄に面白がられているのだという事がイマイチ分かっていないらしい。

「ライカ、お帰りなさい。まったく、酷い有り様ですね」

 銀の髪をした青年の姿となったセルヌイは目の前の少年をそう評した。
 髪は落ち葉や泥が絡まってボサボサに、着慣れておくようにと纏っていた服は泥だらけになっている。
 数え年で十四の少年は人としてもまだ小さく、人化したセルヌイの半分程の背丈だった。
 だが、ライカと呼ばれた人の子の少年はニコニコと終始嬉しそうに家族を見ている。
 そう、この人の子の少年は、赤子の頃からこの竜族の中で彼らの家族として育って来たのだ、いまさら何を驚く事もない。

「ただいま!セルヌイ、でもエイムを怒らないでよ。エイムのおかげですっごく早く帰れたんだし」
「ライカは良い子だなぁ」

 エイムはサッズの相手をする片手間にライカに鼻息を吹き掛けると、その風圧でライカはゴロゴロと転がった。
 その勢いで身体のあちこちを擦りむきながら楽しそうに笑い転げている。

「ライカ! エイム! 危ない遊びはよしなさい! ほら、ライカ、身だしなみを整えますよ。人間はいつも身だしなみをきちんとしていないと他人に信用されない生き物なんですから」
「猫族みたいだね」
「鳥族もですね。大体誇り高い種族は自分の姿を美しく保つ事にこだわるものです。それと、人の地へ行くのですから守りのおまじないを掛けておきましょう。あなたの髪は力を容れやすいのでまじないも馴染みますよ」

 セルヌイがライカの小さい手を引いてどうくつの中に消えると、残されたエイムとサッズもなんとなくじゃれあいを止めた。

「人間って、自分と違うものを仲間外れにするって前にセルヌイが言ってただろ? 急に人間の社会に戻って大丈夫かなぁ、あいつ、やってけるのかな」
「むう」

 エイムは赤い巨体でしばし玄関を眺めていたが、ふっと姿を変えて人の姿に変わった。
 エイムは意外な事に、実は竜王の中でも人化は得意な方である。
 普段はあまり人の姿にならないが、タイムラグなしに姿を変える事の出来る彼は、実の所、竜王の中では最も器用なのかもしれなかった。

「ライカの決めた事だから従うが、もし人間どもがうちの弟を苦しめるようなら、俺がやつらを喰らい尽くしてやるよ」
「エイムはその暴力から入る考えかたをなんとかしなよ、って聞いちゃいないし」

 青い幼竜であるサッズはイライラしたように尾を振って、さっさと野牛の死体を担いで家に入ったエイムを見送った。
 サッズは自分が人化出来ない事に対して別にこれまで特に気にした事は無かったが、今となって少しだけ焦燥を感じていた。
 人間の姿になれれば小さな弟に付いて行って守ってやる事が出来たのにと思うからだ。言葉も話せず、意思も定まらない小さな頃から見て来た弟が、たった一人で未知の世界へと行く事はどう考えても間違っているようにしか彼には思えない。

 しかし、竜の世界では末子の決定は絶対だ。
 ライカが決めた事は覆らない。

「はぁ」

 サッズは一人、拗ねるように家の前で丸くなった。
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