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第六章 その祈り、届かなくとも……
629 食事会3
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その瞬間、全員の食事の手が止まり、その場から全ての音が途絶えた。
沈黙が重い。
「ご冗談をファラリアさま」
「冗談じゃなくってよ」
「あなたはまだ学生のはずだ。卒業パーティでお披露目となりましょう? うかつに噂になるようなことをおっしゃるべきではありませんな」
「あら、私、もう修士号をいただいたの。卒業資格は得ているわ。パーティには出ません」
英雄殿はその言葉に驚いたように自分の主である大公陛下を見た。
大公陛下は重々しくうなずく。
「ファラリアは優秀な子だよ。もし男子なら官僚の道もあったであろうに」
「あの、女子では官僚になれないのですか?」
大公陛下の言葉に、聖女が疑問を呈する。
確かに優秀なら女性でも官僚になれないということはないはずだが、国によっていろいろあるからな。
「我が国では男女の在り方が完全に決まっておるのだ。政治や戦は男の仕事、家事や内向きの仕事は女の仕事、そこを外れると周囲が戸惑いを覚えて物事がうまく回らなくなるのだ」
「とても奇妙に感じられますわ。大聖堂では男も女も能力次第で仕事を選ぶことが出来ますので」
「確かに大聖堂の在り方を我らは尊く感じておる。だが、神と人とはまた違う視点があろう」
聖女は不満そうだが、大公陛下の考えもわかる。
何事も慣習に逆らおうとすれば大きな軋轢を生み、その渦中に飛び込む人間はもがき苦しむしかない。
自分の娘にそんな人生を送って欲しい親もそうはいないだろう。
ただ、先ほどからの話を聞く限り、ファラリア嬢の行動は十分慣習から逸脱しているように感じる。
「そも、俺とファラリアさまでは十年以上の年の差がある。いくら初婚とは言え、この年ならば、未亡人を娶れば美徳とされるが、若すぎる妻を娶れば誰もが眉を顰めるであろう。俺はそのようなそしりには耐えられぬ」
「それは嘘ですね」
英雄殿の言葉に対し、ファラリア嬢ははっきりと嘘だと断定した。
「貴方は世間の言葉など気にするような御方ではありません。気になっているのはもっと別のことでしょう? 例えば、忘れられない方がいらっしゃるとか」
ガタンと音を立てて、英雄殿が席を立った。
その顔には特にこれといった表情は浮かんでいなかったが、その無表情こそが気持ちを雄弁に語っているようだ。
「失礼。食事中に不作法ですが、少々ワインをいただき過ぎたようです。席を離れることをお許しください」
「……すまぬな」
「陛下がお謝りになられることなど、何一つありません」
ゆっくりと全員に一礼すると、英雄殿が食堂を後にする。
そのすぐ後に立ち上がったファラリア嬢がそれを追った。
「ファラリア、およしなさい!」
夫人が厳しい口調で叱責するが、ファラリア嬢は決然とした足取りを変えることはない。
「いい加減、腫物に触るようにあの方に接するのはどなたに対しても失礼ではありませんか? 私は私の言葉を伝えるまでです。それで拒絶されれば仕方がありません。でも、いつまでも足を止めたままでいても、失ったものを蘇らせることは出来ないということに、みんな気づくべきなのです」
そう言って、扉の前で全員に対して「楽しい食事の席を騒がせてしまって申し訳ありません」と礼をして、扉をくぐって姿を消した。
夫人は困ったような表情を見せたが、すぐにふんわりとした笑みを再び浮かべると、勇者や俺達に謝罪する。
「お客様のいらっしゃる場を、身内の話で荒らしてしまいました。ご不快でなければ、仕切り直して、お茶の席に移りたいと思いますが、よろしいでしょうか?」
「気にしない。なかなか楽しい成り行きだった。国を代表する英雄と言えども泣き所はあるということだ。俺にはあの娘が好ましいと思えたな」
夫人に答えた勇者の言葉に、大公一家がぎょっとした顔になる。
「あ、あの子はまだまだ子どもで、頭はいいけど女としての魅力はいまいちなの。わ、わたくしなら、勇者さまに楽しい時間を提供出来ましてよ」
「そ、そうだ。勇者さま、俺達と一緒に狩りはいかがですか? この近くにいい鹿狩りの狩場がありますよ」
大公家の次女と次男が慌てたように勇者に誘いをかけた。
「うっ、くっ……」
俺は思わず吹き出してしまいそうになって顔を覆ってしまう。
この子達は、勇者がファラリア嬢を女性として気に入ったと解釈したのだろう。
隣でメルリルが咎めるように俺を見たが、いや、これは仕方ないだろ。笑う以外にどうしろと言うんだ。
あ、勇者までこっちをジトッとした目で見ている。
「好ましいというのは女性としてという意味ではない。人として、はっきりとものを言うのがいいという意味だ。どうも身分の高い者は自分の本心を隠そうとする癖がある。結局のところ、不幸の種というものはそういう不正直に潜んでいると、俺は思う」
勇者は珍しく饒舌に自分の考えを語った。
もしかするとファラリア嬢に感化されたのかもしれない。
「不正直というのは手厳しいですな。確かに、私共はエンディイに対して遠慮をし過ぎていたのかもしれぬ。だから奴も我が家に寄り付かなかったのかもな」
「あなた……」
自嘲気味に語る大公陛下に、哀し気な大公夫人。
どうやらあの英雄殿との間に、乗り越えられない問題があるのだろう。
「勇者殿方は、この国とは関わりのない客人だ。もしご不快でなければ、少々私共の昔話に付き合ってはいただけませんか?」
「わかった聞いてやろう。だがその前に茶と菓子を出せ。食後の茶にするんだろう?」
大公陛下の深刻そうな言葉に対して、勇者がもっともらしい顔で要求した。
わかるぞ。
さっきから茶菓子の甘い香りが漂って来ているもんな。
だが、なんでも正直に言えばいいというもんじゃ、ないんじゃないか?
沈黙が重い。
「ご冗談をファラリアさま」
「冗談じゃなくってよ」
「あなたはまだ学生のはずだ。卒業パーティでお披露目となりましょう? うかつに噂になるようなことをおっしゃるべきではありませんな」
「あら、私、もう修士号をいただいたの。卒業資格は得ているわ。パーティには出ません」
英雄殿はその言葉に驚いたように自分の主である大公陛下を見た。
大公陛下は重々しくうなずく。
「ファラリアは優秀な子だよ。もし男子なら官僚の道もあったであろうに」
「あの、女子では官僚になれないのですか?」
大公陛下の言葉に、聖女が疑問を呈する。
確かに優秀なら女性でも官僚になれないということはないはずだが、国によっていろいろあるからな。
「我が国では男女の在り方が完全に決まっておるのだ。政治や戦は男の仕事、家事や内向きの仕事は女の仕事、そこを外れると周囲が戸惑いを覚えて物事がうまく回らなくなるのだ」
「とても奇妙に感じられますわ。大聖堂では男も女も能力次第で仕事を選ぶことが出来ますので」
「確かに大聖堂の在り方を我らは尊く感じておる。だが、神と人とはまた違う視点があろう」
聖女は不満そうだが、大公陛下の考えもわかる。
何事も慣習に逆らおうとすれば大きな軋轢を生み、その渦中に飛び込む人間はもがき苦しむしかない。
自分の娘にそんな人生を送って欲しい親もそうはいないだろう。
ただ、先ほどからの話を聞く限り、ファラリア嬢の行動は十分慣習から逸脱しているように感じる。
「そも、俺とファラリアさまでは十年以上の年の差がある。いくら初婚とは言え、この年ならば、未亡人を娶れば美徳とされるが、若すぎる妻を娶れば誰もが眉を顰めるであろう。俺はそのようなそしりには耐えられぬ」
「それは嘘ですね」
英雄殿の言葉に対し、ファラリア嬢ははっきりと嘘だと断定した。
「貴方は世間の言葉など気にするような御方ではありません。気になっているのはもっと別のことでしょう? 例えば、忘れられない方がいらっしゃるとか」
ガタンと音を立てて、英雄殿が席を立った。
その顔には特にこれといった表情は浮かんでいなかったが、その無表情こそが気持ちを雄弁に語っているようだ。
「失礼。食事中に不作法ですが、少々ワインをいただき過ぎたようです。席を離れることをお許しください」
「……すまぬな」
「陛下がお謝りになられることなど、何一つありません」
ゆっくりと全員に一礼すると、英雄殿が食堂を後にする。
そのすぐ後に立ち上がったファラリア嬢がそれを追った。
「ファラリア、およしなさい!」
夫人が厳しい口調で叱責するが、ファラリア嬢は決然とした足取りを変えることはない。
「いい加減、腫物に触るようにあの方に接するのはどなたに対しても失礼ではありませんか? 私は私の言葉を伝えるまでです。それで拒絶されれば仕方がありません。でも、いつまでも足を止めたままでいても、失ったものを蘇らせることは出来ないということに、みんな気づくべきなのです」
そう言って、扉の前で全員に対して「楽しい食事の席を騒がせてしまって申し訳ありません」と礼をして、扉をくぐって姿を消した。
夫人は困ったような表情を見せたが、すぐにふんわりとした笑みを再び浮かべると、勇者や俺達に謝罪する。
「お客様のいらっしゃる場を、身内の話で荒らしてしまいました。ご不快でなければ、仕切り直して、お茶の席に移りたいと思いますが、よろしいでしょうか?」
「気にしない。なかなか楽しい成り行きだった。国を代表する英雄と言えども泣き所はあるということだ。俺にはあの娘が好ましいと思えたな」
夫人に答えた勇者の言葉に、大公一家がぎょっとした顔になる。
「あ、あの子はまだまだ子どもで、頭はいいけど女としての魅力はいまいちなの。わ、わたくしなら、勇者さまに楽しい時間を提供出来ましてよ」
「そ、そうだ。勇者さま、俺達と一緒に狩りはいかがですか? この近くにいい鹿狩りの狩場がありますよ」
大公家の次女と次男が慌てたように勇者に誘いをかけた。
「うっ、くっ……」
俺は思わず吹き出してしまいそうになって顔を覆ってしまう。
この子達は、勇者がファラリア嬢を女性として気に入ったと解釈したのだろう。
隣でメルリルが咎めるように俺を見たが、いや、これは仕方ないだろ。笑う以外にどうしろと言うんだ。
あ、勇者までこっちをジトッとした目で見ている。
「好ましいというのは女性としてという意味ではない。人として、はっきりとものを言うのがいいという意味だ。どうも身分の高い者は自分の本心を隠そうとする癖がある。結局のところ、不幸の種というものはそういう不正直に潜んでいると、俺は思う」
勇者は珍しく饒舌に自分の考えを語った。
もしかするとファラリア嬢に感化されたのかもしれない。
「不正直というのは手厳しいですな。確かに、私共はエンディイに対して遠慮をし過ぎていたのかもしれぬ。だから奴も我が家に寄り付かなかったのかもな」
「あなた……」
自嘲気味に語る大公陛下に、哀し気な大公夫人。
どうやらあの英雄殿との間に、乗り越えられない問題があるのだろう。
「勇者殿方は、この国とは関わりのない客人だ。もしご不快でなければ、少々私共の昔話に付き合ってはいただけませんか?」
「わかった聞いてやろう。だがその前に茶と菓子を出せ。食後の茶にするんだろう?」
大公陛下の深刻そうな言葉に対して、勇者がもっともらしい顔で要求した。
わかるぞ。
さっきから茶菓子の甘い香りが漂って来ているもんな。
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