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3巻
3-3
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「どんな感じだ?」
「精霊の感触としては、こちらのほうが硬いですね」
「硬いというのは?」
「う~ん、なんて説明したらいいのか。精霊というのは意思を持った魔力のようなものなんです」
「それは恐ろしいな」
「ああ、いえ、ええっと、精霊自体は、何がしたいとかの欲求を持っている訳ではありません。好みはありますけど」
「いや、害がないならいいんだ。無理に俺に説明しようとしなくていい。それで硬いというのは、やりにくいということなのか?」
「たとえば扉があるとしますよね」
「ん? ああ」
「すごく重い素材で最初は開くのに力がいるんですけど、いったん開いてしまうと、後はその重さの分軽く開くことが出来る。そんな感じです」
「おお、わかりやすいな。なるほど。ということは難しいという訳じゃなくて、勝手が違う感じか」
「そんな感じです」
ということで、メルリルがこの大森林でも問題なく力を行使することが出来ると判明した。
基本的な下準備を整えた俺たちは、ギルドを訪れた。
「ギルドマネージャー。俺たちは海岸側から竜の営巣地付近に向かう。ひと月はかからんと思うが、まぁ安全基準はふた月ぐらい見ておいてくれ」
「馬鹿抜かせ。ふた月放っておいたら、お前ら骨も残ってないぞ」
「今回は場所が場所だ。探索隊は出すな。戻って来なかったら酒でも供えてくれればいい」
「おいおいやめろよ。お前、あのお嬢さん連れて行くんだろ? そんな無茶はお前らしくないじゃないか」
「結果がどうでもメルリルは無事に帰すつもりだ」
「じゃあお前も無事に帰って来い」
「そうだな」
「よし。ほれ、お前の認識票とお嬢さんの認識票な」
「ピャア!」
「うおっ! なんだこいつどうした!」
ギルドマネージャーが俺とメルリルの認識票を渡してくれたのだが、フォルテがギルドマネージャーに向かって翼を打ち付けながら文句を言ったのだ。
「あー、フォルテ。お前は冒険者登録出来ないんだ。すまんな」
俺がそう説明すると、今度は俺に抗議を始めた。
「ギャアギャア!」
「いてっ! 仕方ないだろ! 鳥は冒険者になれん! いてぇ!」
髪を引っ張るのをやめろ! 薄くなったらどうしてくれる!
「まったく、こっちはメルリルに大事なことを言い聞かせているっていうのに、騒がしいね」
俺たちの騒ぎを他所に、少し離れたところでは、ギルドメイドのリリがメルリルと何やら話をしていた。
「リリ姉さん。私大丈夫だから」
「だって、冒険者になったばかり。戦い方もろくに知らないような子を森の奥、しかもあのドラゴンの巣の近くにまで連れて行くなんて! いくらダスターさんだって無茶だよ」
「私は森人だから、森では誰にも負けない自信があります」
「うっ、そう言われてしまうと私もあんまり強く言えないけどさ」
「ダスターには冒険者として必要なことは教わりました。きっとこれからも教わることはたくさんあると思いますけど、だからといって足踏みだけしていても前には進めないでしょう?」
「絶対無事に帰って来るんだよ? うちのばか旦那みたいに約束を破るのはなしだよ」
「はい。必ず」
リリはどうやらメルリルを引き止めたかったらしい。
それなら俺に任せたりせずに、リリがメルリルをずっと預かっていればよかったように思うんだが、女というのは難しいな。
もしかしたら女の勘とやらで何かを感じていたのかもしれない。
「すまんな、リリ」
「信じてるから、ダスターさん」
「おう。今もギルドマネージャーからケツを叩かれてたところだ」
「絶対だから」
絶対というのは幻想のなかにしか存在しない言葉だ。
だが、だからこそ俺はリリに答えた。
「ああ、わかってる」
「メルリルも」
「うん。大丈夫、私がダスターを守るから」
「まぁ」
「ほう」
メルリルの言葉に、リリとギルドマネージャーが揃ってニヤニヤし始めた。
まぁでも確かに、森のなかでは俺がメルリルに助けられることは多いと思う。
……どうでもいいがフォルテ、そろそろ髪を引っ張るのをやめろや。
さて、ギルドではつい周りに流されて、まるで今生の別れのような愁嘆場を繰り広げてしまったが、別に死にに行く訳じゃない。
単に頼まれた伝言を届けに行くだけの話だ。
あの青いドラゴンがまともなら、俺たちに危害が及ぶようなことはないだろう。
「あまり気負うなよ。あいつら、ちょっと大げさだからな」
「いえ、ああいう雰囲気嫌いじゃないです」
「そうかよかった。うちのギルドは特殊なんだ。なにしろギルドマスターが熱血でな。冒険者を使い捨てにするギルドに憤慨して、新たに自分でギルドを立ち上げた元冒険者という経歴だから」
「そうなんですね。私はあそこしか知らないから、普通なんだと思ってました」
「普通のギルドはもっとドライでビジネスライクだ。俺はうちのギルドが居心地いいんだが、若い連中はああいう暑苦しさを嫌う傾向があってな。それでうちには、あまり若い冒険者がいないんだ」
「わかります。若い子って干渉されるのを嫌がりますよね。……あ、こんなこと言ってると、もう若くないみたいでちょっとショックです」
「メルリルは十分若いさ。少なくとも俺よりは若い」
「それって慰めてます?」
「あはは」
俺たちは森に入り込むとメルリルの精霊の道を使った。
ただ、この道にも問題が多い。
一番の問題は、外の様子がメルリルにしか見えないということだ。
打ち合わせでは、特徴的な地形を目印にして、そこでいったん外に出て確認しながら移動をすると決めていた。
何より道のなかでは寝食が出来ない。
道のなかと外は完全に別空間となっていて、道のなかでは生理的な活動がかなり低レベルになるとのことだった。
感覚は鋭敏になるが体の活動は低下するらしい。
「風を纏うのならそういうことはないんですけど。風を纏えるのは自分だけなので」
「勇者たちを付け回したときに使っていたのがその風を纏うやり方か。外から感知出来なくなって移動速度も上がるんだったな」
「風と同化するみたいな感じです」
「精霊の森の道は別空間のなかから外の空間を繋いでいく感じ、か。さっぱりわからんな」
「すみません」
「いやいや、謝るようなことじゃない。むしろ誇るべきことだぞ。それに身体機能が抑えられるということは、寝食を節約出来るということでもある」
「あ、でもあんまりここにいすぎると体に負担になるんです。だから、普通は移動距離を縮める程度にしか使いません」
「いいことばかりじゃないか」
話しながらゆったりと進む。
精霊の道は、危険な森のなかを移動しているという感じがしない。
美しい花が咲き誇る明るい緑の洞窟を、鳥や小動物の気配を感じながら散策しているようだ。ついついのんびりとした気分になってしまう。
「あ、亀裂がいっぱいあるところに来ました」
「もうか。だいたい半日で来れるとはな」
「普通はどのくらい掛かる距離なんですか」
「トラブルなしで一日半。問題が起きたら二日というところか」
「その辺はうちの森と同じぐらいですね」
そう応えながら、メルリルは笑う。
もしかしたら故郷を思い出したのかもしれない。
「では、出ます」
メルリルは腰の横笛を取り、細く透き通るような音を響かせた。
「キュルルルル~」
なぜかフォルテがそれに合わせて歌った。
力を発揮している風ではないので、単に歌いたかっただけなんだろうな。
優しい旋律と共に、緑の洞窟は端から解けるように消えていく。
最後に甘い花の香りを残して、まるで最初から存在しなかった幻想のように道は消え去った。
「意識すると、確かに体の感覚が違うな」
手を握ったり開いたりして感覚を確かめる。
最初はふわっとした違和感を覚えたが、徐々にいつもの感覚が戻って来た。
これは用心しないと道から出た直後は危険だな。
まぁ安全な場所から外を確認しながら移動するんだから、万が一ということもないんだろうが、万が一のアクシデントに備えるのも大切だ。
俺は密かに道のなかで体の感覚を保つ方法を考えておくことにした。
俺たちが降り立ったのは、森のなかで地形が最も複雑な場所だ。
いくつかの亀裂が続いているので、地形的には谷が連続しているという、移動しにくい状態となっている。以前、竜の砂浴び場に行くルートで越えた亀裂の続きで、さらに北側にあたる。
「ここで一度、小休止するか。体の感覚も馴染ませる必要があるだろう」
「はい」
「水袋の水を飲んで、何か食べるものを口に入れておくといい。ここは精霊の道が通せないんだろう」
「そうですね。崖を越えて、植物が安定して生えているところじゃないと、道は開けないです」
「じゃあ俺はルートを確認する。フォルテ、メルリルを守っておいてくれ」
「あ、私は大丈夫です。いざとなったら風を纏います」
「不意打ちは防げないだろ。いいから新人はベテランの言うことを聞いとけ」
「うう……はい」
メルリルは不本意そうだったが、結局は折れた。
俺は改めて地図を確認する。
地形と照合して、ここが大森林から海岸へ抜けるルートのちょうど中間地点であることを、はっきりと認識した。
この分だと、海岸には明日の夕方には到着してしまうかもしれない。
さて休憩が終わったら、崖を越えて進むとするか。
崖の状態を確認しながらルート取りをして、降りられそうなところに杭を打つ。
この杭は先が丸く輪になっていて、輪の部分にフック状になっているロープの先を引っ掛けることが出来る。
下に降りた時点でロープをたわませてフックを外せば、ロープを回収出来るのだ。
場所によってロープを固定するか外すかを考えながら使い分ける必要があるが、このロープと杭ならどちらの方法にも利用出来る。
杭を崖の内側に打ち込めば、下からフックを引っ掛けることも出来るしな。
俺は地道に移動するとして、メルリルは風を纏えばこの崖をロープを使わずに降りることが出来る。
まぁそのほうが安全だな。
いっそ、崖を移動中はずっと風に乗っていてもらうか。
メルリルの巫女の力は、森では恐るべき威力を発揮する。
どこにでも移動し放題だし、いつでも身を隠すことが出来る。
単独で行動するならほぼ危険はないだろう。油断さえしなければな。
ルート確認から戻ると、駄目になりやすいものから食べていくようにという俺の言葉を守って、メルリルは食料のなかの果物を口にしていた。
フォルテもおすそ分けしてもらっている。
なんとなくほのぼのとした気持ちになる光景だ。
そうやって、出だしは穏やかに、竜の営巣地へのアタックは始まったのだった。
「俺は崖越えをする。メルリルは風を纏ってついてきてくれ」
「はい」
「お、ちょうど霧も切れたな。向こうに山の尾根が見えるだろ。あそこがドラゴンの営巣地の端っこだ」
「……あれが。すごく遠く感じる」
「実際けっこう距離があるが、メルリルのおかげでかなり時間は短縮出来そうだ」
「役に立てたのならよかったです」
「十分以上役に立っているさ」
お互いにうなずき交わすと、俺は連続する崖の攻略に取り掛かった。
メルリルは姿を消し、気配は全く感じられない。
「こりゃあ、勇者もわからないはずだ」
勇者は技術を磨いていないので、魔力を目で見たり、細かく操作したりするのは苦手だ。しかしあれでけっこう勘がいい。魔物を探索しているときに、当てずっぽうで歩きまわって見事引き当てたということが何度もあった。
ちゃんと鍛錬を詰めばすごい勇者になるだろうに、なまじすぐになんでも出来るようになるから、深く習得するために頑張るという発想がないらしい。
ともあれ、その比喩でもなんでもない神がかり的な勘でも、付け回していたメルリルを撒いたり撃退したりすることが出来なかったのだ。
それは本当にすごい能力と言える。
本当にそこにいるかどうかわからないというのは不安だが、メルリルを信じて、俺は崖越えに集中した。
しばらく進むと、風切りワシが姿を見せ、俺に対して執拗な攻撃を始めた。
どうもフォルテを狙っているようだった。
俺が愛刀の断ち切りを抜こうとする前にフォルテが飛び上がり、青い炎のような魔力を解放する。
渦を巻く青い魔力が風切りワシに絡みつき、ワシの魔物は悲鳴を上げながら崖下まで落下した。
「クルル」
フォルテが珍しく地面に降り立ち、羽を広げてなにやら細かく体を震わせた。
なに? 勝利の踊りか、それ。
光を集める羽がキラキラと輝き、たいへん美しいが、どう相手をしていいかわからない。
「偉いぞ」
とりあえず褒めることにした。
その俺の傍らに、ふわっとメルリルが現れ、「フォルテ、格好よかったですよ」と告げるとまた姿を消した。
何もこいつを褒めるためにわざわざ出て来なくてもいいのに。
だが、どうやらそれで満足したらしいフォルテは、俺の頭に戻ったのだった。
魔物も動物たちも嵐が過ぎると恋のシーズンに突入する種類が多い。
さっきの風切りワシもそうだ。
おそらく目立つ獲物を狩ってメスにアピールしたかったのだろう。
もしかしたら、フォルテの光る羽根で、巣を飾りたかったのかもしれない。
思惑が外れて残念だったな。
生きていたら、今後は目立つ獲物を狙うのはやめたほうがいいぞ。
俺は切り立った壁のような崖を上がったり下がったりを繰り返し越えていく。途中で岩トカゲに二度ほど突っかかって来られたが、軽く切断して食材に変えた。
「しかし本当に、技が軽く発動するようになったな」
今まで魔力を集中して時間を掛けて発動していた技が、一瞬で無意識の内に発動するようになったため、岩トカゲ程度ではほとんど障害にすらならない。
岩トカゲは飛びかかる前の動作に必ず溜めがあるので、そのときを狙うことで簡単に狩れるのだ。
「技が出やすいというよりも、魔力が自在に操れる感じか。いや、魔力量も増えてないか?」
おそらくはフォルテの存在が関わっているのだろうが、学者でもない俺に詳しい原理がわかるはずもない。
神の盟約は魔法を付与するという話なので、こっちの盟約も本当はもっと違う方向に行き着く力なのかもしれないが、俺たち平民には魔法の使い方とかわからないからな。
とりあえず岩トカゲを解体して、内臓と骨は崖下に落として処分する。まぁ同族が食うだろう。
肉は、今夜食うにはちょっと早すぎるので、皮に包んで保管する。
動物は死んだ直後はあまりうまくない。二日目ぐらいに食うのがちょうどいいのだ。
ただし、保管がわりと難しい。
今の時期ならあまり神経質にならずに保管出来るので、どうせならうまい時期に食ったほうがいいと思い、荷物のなかにしまい込んだ。
スライムジェル入りの箱で囲むと、温度変化も防げるので効果的だ。
「何か楽しそうです」
いつの間にかメルリルが出て来ていた。
「岩トカゲの肉は淡泊なんだが、その分つけた下味がきっちり反映するんだ。香りのいい香草を一緒に入れておいたから、うまい肉が食べられるぞ」
「ああ、おばさんもいつも言ってました。トカゲ肉は料理のしがいがあるって。ただ、私がやると、味がしなくて……」
「ま、まあ誰にでも苦手なことはあるさ。少しずつ覚えていけばいい」
「……そうですね」
「崖もあと二つ越えればまた森になる。頼りにしてるぞ、メルリル」
「はい!」
「ピィ! ピッ!」
「なんでお前はそこで自己主張するんだ? もしかして他人が褒められてるのが悔しいのか?」
「ジィーッ、チッチッチッ」
「どうしてそこで威嚇する」
「あはは」
メルリルが俺とフォルテのやりとりを見て笑う。
いや、そんなに面白いものじゃないだろ?
「はいはい、二人共、先に進むぞ」
なんだかんだで亀裂地帯を乗り越えて、そろそろ野営の準備をするべきという頃に森に到着した。
だが、到着した途端に森の方向から強烈な殺気を感じ、俺は慌てて飛び退く羽目になる。
危なく今越えて来たばかりの崖に真っ逆さまに落ちるところだったぞ。
「フシュー!」
「おいおい勘弁してくれよ」
鋭い威嚇音。
デカい蛇の魔物だ。もしかしたら迷宮化した湖方面から来たのかもしれないな。
テラテラと表皮がぬめりを帯びて光っている。
目の上あたりに大きく盛り上がったコブのような器官。
瘴気沼蛇だ。
体の表面を覆っている粘液も、目の上のコブの中身も全部が猛毒という厄介な相手である。
しかもデカい。
頭だけで俺より一回りは大きいだろう。
さらに胴体が太く長い。
この怒り方、もしかしたら子持ちかもしれない。
子持ちはヤバい。相手が死ぬまで、攻撃を諦めるということを知らないのだ。
太陽は少しずつ沈みつつある。すぐに空の色は赤く、風景はぼんやりかすみはじめるだろう。
一日の内で、最も周囲を視認しにくくなる時間帯となる。
「ダスター!」
「メルリル出て来るな、いきなりあの相手はさすがにきつい」
「でも」
「大丈夫だ。そうだな、出来ればあいつの気を散らしてもらえると助かる」
「やってみます」
言って、メルリルが指先を振ると、瘴気沼蛇の背後の草木が激しい風に煽られたようにガサガサと大きな音を立てる。
いや、実際あそこだけ風が起こっているようだ。
俺に今にも飛びかかろうとしていた蛇は、一瞬びくりとして盛んに舌を出して確認する。
今だ!
俺は愛刀「断ち切り」を抜き放つと、そのまま蛇に駆け寄った。
蛇はすぐに俺に意識を戻し、両目の端のほうから毒を飛ばして来る。
幅広の太刀である断ち切りを顔の前にかざして、毒が顔に掛かるのを防ぎ、そのまま振り払い、返した刃で「断絶の剣」を発動。
蛇の脇を走り抜けると同時に横っ飛びに離れた。
ドウッ! っと、巨体が地面に叩きつけられる音が響く。
巨大な頭が地面に転がり、次いで胴体が倒れ伏した。
「アツッ」
瘴気沼蛇は無事に倒したが、手の甲から腕にかけて毒が掛かったらしい。
もったいないが仕方ない。俺は水袋を取り出すと、毒の掛かった箇所を洗い流した。
それにしても本格的に暗くなる前に倒せてよかった。
もう少し暗かったら毒を避けられたとは思えないからな。
今でももう、手元も見えづらくなって来ている。
夕闇の頃は本当に視認がきつい。まだわずかに明るいから暗視も意味がないのがつらい。
「大丈夫?」
「キュゥ」
メルリルとフォルテが心配そうに俺を覗き込む。
右腕が赤くただれたようになっているのを見て、メルリルが息を呑んだ。
俺は荷物から蛇系の毒を中和する塗り薬を取り出し、ただれた箇所に塗り込み、スライムジェルでその上を覆う。
それほど効果が高い薬ではないが、これで悪化することはない。
「ええっと、癒やしの葉。う~ん、ひんやりとして幅広で、傷口をカバーするのにちょうどいい草が近くにないかな」
植物のことはメルリルに聞くのが早いが、問題は名前が一致しないことだな。
俺が説明すると、メルリルは少し考えてから言った。
「少しだけ意識を合わせていいですか?」
「あ? ああ」
「う~ん、あ、わかりました」
メルリルはさっと走り出す。
「フォルテ、カバー」
「ピッ!」
メルリルの後をフォルテが追って飛んで行った。
意識を合わせる、か。
特に何かを感じた訳ではないが、おそらくメルリルは、俺が思い浮かべた草の姿を共有したのだろう。共感というのも便利な能力だな。
二人はすぐに戻って来た。
まぁ俺が言ったのはどこにでも大体生えている草だからな。
名前は癒やしの草だが、薬草のような効果はない。
昔から俺たち冒険者が包帯代わりに使ったりしているだけの、何の変哲もない草なのだ。
毒や強い成分がなく、安全でやわらかくて幅広で丈夫というのが特徴と言えば特徴だ。
メルリルはその何枚かの葉っぱを、荷物から取り出した布で丁寧に拭って準備を整える。
「じゃあ巻き付けますね」
「ああ、頼む」
メルリルは葉っぱの先端を二つに裂き、茎側を葉っぱの間に挟むように巻いた後に、裂いた両側を腕に結び、さらに細くて短い木の枝に結んでぐるぐるねじって葉っぱの間に突っ込む。
「メルリルたちのところでもこういう風に使うのか?」
「ええ。と言っても、私が使ったのは子どもの頃の話ですけど」
「そうか、思ったよりおてんばだったんだな」
「……子どもの頃の話ですよ?」
念を押したメルリルが可愛い。
さて、傷の手当が済んだら倒した蛇の始末だが、これはほんとどうしようもないな。
牙や毒袋は欲しい素材だが、そもそもこの蛇は触るのも危険な相手だ。
持ち運ぶための特殊な袋も必要で、準備なしでの解体も出来ない。
「放置するしかないか」
「そうですね。こういう毒持ちでも平気で食べる生物も森にはいるので」
「ピュィ! ジッジッジッ!」
突然フォルテが警告を発した。
慌てて周囲を見回し、うすぼんやりした地面に落ちる大きな影に気がつく。
「精霊の感触としては、こちらのほうが硬いですね」
「硬いというのは?」
「う~ん、なんて説明したらいいのか。精霊というのは意思を持った魔力のようなものなんです」
「それは恐ろしいな」
「ああ、いえ、ええっと、精霊自体は、何がしたいとかの欲求を持っている訳ではありません。好みはありますけど」
「いや、害がないならいいんだ。無理に俺に説明しようとしなくていい。それで硬いというのは、やりにくいということなのか?」
「たとえば扉があるとしますよね」
「ん? ああ」
「すごく重い素材で最初は開くのに力がいるんですけど、いったん開いてしまうと、後はその重さの分軽く開くことが出来る。そんな感じです」
「おお、わかりやすいな。なるほど。ということは難しいという訳じゃなくて、勝手が違う感じか」
「そんな感じです」
ということで、メルリルがこの大森林でも問題なく力を行使することが出来ると判明した。
基本的な下準備を整えた俺たちは、ギルドを訪れた。
「ギルドマネージャー。俺たちは海岸側から竜の営巣地付近に向かう。ひと月はかからんと思うが、まぁ安全基準はふた月ぐらい見ておいてくれ」
「馬鹿抜かせ。ふた月放っておいたら、お前ら骨も残ってないぞ」
「今回は場所が場所だ。探索隊は出すな。戻って来なかったら酒でも供えてくれればいい」
「おいおいやめろよ。お前、あのお嬢さん連れて行くんだろ? そんな無茶はお前らしくないじゃないか」
「結果がどうでもメルリルは無事に帰すつもりだ」
「じゃあお前も無事に帰って来い」
「そうだな」
「よし。ほれ、お前の認識票とお嬢さんの認識票な」
「ピャア!」
「うおっ! なんだこいつどうした!」
ギルドマネージャーが俺とメルリルの認識票を渡してくれたのだが、フォルテがギルドマネージャーに向かって翼を打ち付けながら文句を言ったのだ。
「あー、フォルテ。お前は冒険者登録出来ないんだ。すまんな」
俺がそう説明すると、今度は俺に抗議を始めた。
「ギャアギャア!」
「いてっ! 仕方ないだろ! 鳥は冒険者になれん! いてぇ!」
髪を引っ張るのをやめろ! 薄くなったらどうしてくれる!
「まったく、こっちはメルリルに大事なことを言い聞かせているっていうのに、騒がしいね」
俺たちの騒ぎを他所に、少し離れたところでは、ギルドメイドのリリがメルリルと何やら話をしていた。
「リリ姉さん。私大丈夫だから」
「だって、冒険者になったばかり。戦い方もろくに知らないような子を森の奥、しかもあのドラゴンの巣の近くにまで連れて行くなんて! いくらダスターさんだって無茶だよ」
「私は森人だから、森では誰にも負けない自信があります」
「うっ、そう言われてしまうと私もあんまり強く言えないけどさ」
「ダスターには冒険者として必要なことは教わりました。きっとこれからも教わることはたくさんあると思いますけど、だからといって足踏みだけしていても前には進めないでしょう?」
「絶対無事に帰って来るんだよ? うちのばか旦那みたいに約束を破るのはなしだよ」
「はい。必ず」
リリはどうやらメルリルを引き止めたかったらしい。
それなら俺に任せたりせずに、リリがメルリルをずっと預かっていればよかったように思うんだが、女というのは難しいな。
もしかしたら女の勘とやらで何かを感じていたのかもしれない。
「すまんな、リリ」
「信じてるから、ダスターさん」
「おう。今もギルドマネージャーからケツを叩かれてたところだ」
「絶対だから」
絶対というのは幻想のなかにしか存在しない言葉だ。
だが、だからこそ俺はリリに答えた。
「ああ、わかってる」
「メルリルも」
「うん。大丈夫、私がダスターを守るから」
「まぁ」
「ほう」
メルリルの言葉に、リリとギルドマネージャーが揃ってニヤニヤし始めた。
まぁでも確かに、森のなかでは俺がメルリルに助けられることは多いと思う。
……どうでもいいがフォルテ、そろそろ髪を引っ張るのをやめろや。
さて、ギルドではつい周りに流されて、まるで今生の別れのような愁嘆場を繰り広げてしまったが、別に死にに行く訳じゃない。
単に頼まれた伝言を届けに行くだけの話だ。
あの青いドラゴンがまともなら、俺たちに危害が及ぶようなことはないだろう。
「あまり気負うなよ。あいつら、ちょっと大げさだからな」
「いえ、ああいう雰囲気嫌いじゃないです」
「そうかよかった。うちのギルドは特殊なんだ。なにしろギルドマスターが熱血でな。冒険者を使い捨てにするギルドに憤慨して、新たに自分でギルドを立ち上げた元冒険者という経歴だから」
「そうなんですね。私はあそこしか知らないから、普通なんだと思ってました」
「普通のギルドはもっとドライでビジネスライクだ。俺はうちのギルドが居心地いいんだが、若い連中はああいう暑苦しさを嫌う傾向があってな。それでうちには、あまり若い冒険者がいないんだ」
「わかります。若い子って干渉されるのを嫌がりますよね。……あ、こんなこと言ってると、もう若くないみたいでちょっとショックです」
「メルリルは十分若いさ。少なくとも俺よりは若い」
「それって慰めてます?」
「あはは」
俺たちは森に入り込むとメルリルの精霊の道を使った。
ただ、この道にも問題が多い。
一番の問題は、外の様子がメルリルにしか見えないということだ。
打ち合わせでは、特徴的な地形を目印にして、そこでいったん外に出て確認しながら移動をすると決めていた。
何より道のなかでは寝食が出来ない。
道のなかと外は完全に別空間となっていて、道のなかでは生理的な活動がかなり低レベルになるとのことだった。
感覚は鋭敏になるが体の活動は低下するらしい。
「風を纏うのならそういうことはないんですけど。風を纏えるのは自分だけなので」
「勇者たちを付け回したときに使っていたのがその風を纏うやり方か。外から感知出来なくなって移動速度も上がるんだったな」
「風と同化するみたいな感じです」
「精霊の森の道は別空間のなかから外の空間を繋いでいく感じ、か。さっぱりわからんな」
「すみません」
「いやいや、謝るようなことじゃない。むしろ誇るべきことだぞ。それに身体機能が抑えられるということは、寝食を節約出来るということでもある」
「あ、でもあんまりここにいすぎると体に負担になるんです。だから、普通は移動距離を縮める程度にしか使いません」
「いいことばかりじゃないか」
話しながらゆったりと進む。
精霊の道は、危険な森のなかを移動しているという感じがしない。
美しい花が咲き誇る明るい緑の洞窟を、鳥や小動物の気配を感じながら散策しているようだ。ついついのんびりとした気分になってしまう。
「あ、亀裂がいっぱいあるところに来ました」
「もうか。だいたい半日で来れるとはな」
「普通はどのくらい掛かる距離なんですか」
「トラブルなしで一日半。問題が起きたら二日というところか」
「その辺はうちの森と同じぐらいですね」
そう応えながら、メルリルは笑う。
もしかしたら故郷を思い出したのかもしれない。
「では、出ます」
メルリルは腰の横笛を取り、細く透き通るような音を響かせた。
「キュルルルル~」
なぜかフォルテがそれに合わせて歌った。
力を発揮している風ではないので、単に歌いたかっただけなんだろうな。
優しい旋律と共に、緑の洞窟は端から解けるように消えていく。
最後に甘い花の香りを残して、まるで最初から存在しなかった幻想のように道は消え去った。
「意識すると、確かに体の感覚が違うな」
手を握ったり開いたりして感覚を確かめる。
最初はふわっとした違和感を覚えたが、徐々にいつもの感覚が戻って来た。
これは用心しないと道から出た直後は危険だな。
まぁ安全な場所から外を確認しながら移動するんだから、万が一ということもないんだろうが、万が一のアクシデントに備えるのも大切だ。
俺は密かに道のなかで体の感覚を保つ方法を考えておくことにした。
俺たちが降り立ったのは、森のなかで地形が最も複雑な場所だ。
いくつかの亀裂が続いているので、地形的には谷が連続しているという、移動しにくい状態となっている。以前、竜の砂浴び場に行くルートで越えた亀裂の続きで、さらに北側にあたる。
「ここで一度、小休止するか。体の感覚も馴染ませる必要があるだろう」
「はい」
「水袋の水を飲んで、何か食べるものを口に入れておくといい。ここは精霊の道が通せないんだろう」
「そうですね。崖を越えて、植物が安定して生えているところじゃないと、道は開けないです」
「じゃあ俺はルートを確認する。フォルテ、メルリルを守っておいてくれ」
「あ、私は大丈夫です。いざとなったら風を纏います」
「不意打ちは防げないだろ。いいから新人はベテランの言うことを聞いとけ」
「うう……はい」
メルリルは不本意そうだったが、結局は折れた。
俺は改めて地図を確認する。
地形と照合して、ここが大森林から海岸へ抜けるルートのちょうど中間地点であることを、はっきりと認識した。
この分だと、海岸には明日の夕方には到着してしまうかもしれない。
さて休憩が終わったら、崖を越えて進むとするか。
崖の状態を確認しながらルート取りをして、降りられそうなところに杭を打つ。
この杭は先が丸く輪になっていて、輪の部分にフック状になっているロープの先を引っ掛けることが出来る。
下に降りた時点でロープをたわませてフックを外せば、ロープを回収出来るのだ。
場所によってロープを固定するか外すかを考えながら使い分ける必要があるが、このロープと杭ならどちらの方法にも利用出来る。
杭を崖の内側に打ち込めば、下からフックを引っ掛けることも出来るしな。
俺は地道に移動するとして、メルリルは風を纏えばこの崖をロープを使わずに降りることが出来る。
まぁそのほうが安全だな。
いっそ、崖を移動中はずっと風に乗っていてもらうか。
メルリルの巫女の力は、森では恐るべき威力を発揮する。
どこにでも移動し放題だし、いつでも身を隠すことが出来る。
単独で行動するならほぼ危険はないだろう。油断さえしなければな。
ルート確認から戻ると、駄目になりやすいものから食べていくようにという俺の言葉を守って、メルリルは食料のなかの果物を口にしていた。
フォルテもおすそ分けしてもらっている。
なんとなくほのぼのとした気持ちになる光景だ。
そうやって、出だしは穏やかに、竜の営巣地へのアタックは始まったのだった。
「俺は崖越えをする。メルリルは風を纏ってついてきてくれ」
「はい」
「お、ちょうど霧も切れたな。向こうに山の尾根が見えるだろ。あそこがドラゴンの営巣地の端っこだ」
「……あれが。すごく遠く感じる」
「実際けっこう距離があるが、メルリルのおかげでかなり時間は短縮出来そうだ」
「役に立てたのならよかったです」
「十分以上役に立っているさ」
お互いにうなずき交わすと、俺は連続する崖の攻略に取り掛かった。
メルリルは姿を消し、気配は全く感じられない。
「こりゃあ、勇者もわからないはずだ」
勇者は技術を磨いていないので、魔力を目で見たり、細かく操作したりするのは苦手だ。しかしあれでけっこう勘がいい。魔物を探索しているときに、当てずっぽうで歩きまわって見事引き当てたということが何度もあった。
ちゃんと鍛錬を詰めばすごい勇者になるだろうに、なまじすぐになんでも出来るようになるから、深く習得するために頑張るという発想がないらしい。
ともあれ、その比喩でもなんでもない神がかり的な勘でも、付け回していたメルリルを撒いたり撃退したりすることが出来なかったのだ。
それは本当にすごい能力と言える。
本当にそこにいるかどうかわからないというのは不安だが、メルリルを信じて、俺は崖越えに集中した。
しばらく進むと、風切りワシが姿を見せ、俺に対して執拗な攻撃を始めた。
どうもフォルテを狙っているようだった。
俺が愛刀の断ち切りを抜こうとする前にフォルテが飛び上がり、青い炎のような魔力を解放する。
渦を巻く青い魔力が風切りワシに絡みつき、ワシの魔物は悲鳴を上げながら崖下まで落下した。
「クルル」
フォルテが珍しく地面に降り立ち、羽を広げてなにやら細かく体を震わせた。
なに? 勝利の踊りか、それ。
光を集める羽がキラキラと輝き、たいへん美しいが、どう相手をしていいかわからない。
「偉いぞ」
とりあえず褒めることにした。
その俺の傍らに、ふわっとメルリルが現れ、「フォルテ、格好よかったですよ」と告げるとまた姿を消した。
何もこいつを褒めるためにわざわざ出て来なくてもいいのに。
だが、どうやらそれで満足したらしいフォルテは、俺の頭に戻ったのだった。
魔物も動物たちも嵐が過ぎると恋のシーズンに突入する種類が多い。
さっきの風切りワシもそうだ。
おそらく目立つ獲物を狩ってメスにアピールしたかったのだろう。
もしかしたら、フォルテの光る羽根で、巣を飾りたかったのかもしれない。
思惑が外れて残念だったな。
生きていたら、今後は目立つ獲物を狙うのはやめたほうがいいぞ。
俺は切り立った壁のような崖を上がったり下がったりを繰り返し越えていく。途中で岩トカゲに二度ほど突っかかって来られたが、軽く切断して食材に変えた。
「しかし本当に、技が軽く発動するようになったな」
今まで魔力を集中して時間を掛けて発動していた技が、一瞬で無意識の内に発動するようになったため、岩トカゲ程度ではほとんど障害にすらならない。
岩トカゲは飛びかかる前の動作に必ず溜めがあるので、そのときを狙うことで簡単に狩れるのだ。
「技が出やすいというよりも、魔力が自在に操れる感じか。いや、魔力量も増えてないか?」
おそらくはフォルテの存在が関わっているのだろうが、学者でもない俺に詳しい原理がわかるはずもない。
神の盟約は魔法を付与するという話なので、こっちの盟約も本当はもっと違う方向に行き着く力なのかもしれないが、俺たち平民には魔法の使い方とかわからないからな。
とりあえず岩トカゲを解体して、内臓と骨は崖下に落として処分する。まぁ同族が食うだろう。
肉は、今夜食うにはちょっと早すぎるので、皮に包んで保管する。
動物は死んだ直後はあまりうまくない。二日目ぐらいに食うのがちょうどいいのだ。
ただし、保管がわりと難しい。
今の時期ならあまり神経質にならずに保管出来るので、どうせならうまい時期に食ったほうがいいと思い、荷物のなかにしまい込んだ。
スライムジェル入りの箱で囲むと、温度変化も防げるので効果的だ。
「何か楽しそうです」
いつの間にかメルリルが出て来ていた。
「岩トカゲの肉は淡泊なんだが、その分つけた下味がきっちり反映するんだ。香りのいい香草を一緒に入れておいたから、うまい肉が食べられるぞ」
「ああ、おばさんもいつも言ってました。トカゲ肉は料理のしがいがあるって。ただ、私がやると、味がしなくて……」
「ま、まあ誰にでも苦手なことはあるさ。少しずつ覚えていけばいい」
「……そうですね」
「崖もあと二つ越えればまた森になる。頼りにしてるぞ、メルリル」
「はい!」
「ピィ! ピッ!」
「なんでお前はそこで自己主張するんだ? もしかして他人が褒められてるのが悔しいのか?」
「ジィーッ、チッチッチッ」
「どうしてそこで威嚇する」
「あはは」
メルリルが俺とフォルテのやりとりを見て笑う。
いや、そんなに面白いものじゃないだろ?
「はいはい、二人共、先に進むぞ」
なんだかんだで亀裂地帯を乗り越えて、そろそろ野営の準備をするべきという頃に森に到着した。
だが、到着した途端に森の方向から強烈な殺気を感じ、俺は慌てて飛び退く羽目になる。
危なく今越えて来たばかりの崖に真っ逆さまに落ちるところだったぞ。
「フシュー!」
「おいおい勘弁してくれよ」
鋭い威嚇音。
デカい蛇の魔物だ。もしかしたら迷宮化した湖方面から来たのかもしれないな。
テラテラと表皮がぬめりを帯びて光っている。
目の上あたりに大きく盛り上がったコブのような器官。
瘴気沼蛇だ。
体の表面を覆っている粘液も、目の上のコブの中身も全部が猛毒という厄介な相手である。
しかもデカい。
頭だけで俺より一回りは大きいだろう。
さらに胴体が太く長い。
この怒り方、もしかしたら子持ちかもしれない。
子持ちはヤバい。相手が死ぬまで、攻撃を諦めるということを知らないのだ。
太陽は少しずつ沈みつつある。すぐに空の色は赤く、風景はぼんやりかすみはじめるだろう。
一日の内で、最も周囲を視認しにくくなる時間帯となる。
「ダスター!」
「メルリル出て来るな、いきなりあの相手はさすがにきつい」
「でも」
「大丈夫だ。そうだな、出来ればあいつの気を散らしてもらえると助かる」
「やってみます」
言って、メルリルが指先を振ると、瘴気沼蛇の背後の草木が激しい風に煽られたようにガサガサと大きな音を立てる。
いや、実際あそこだけ風が起こっているようだ。
俺に今にも飛びかかろうとしていた蛇は、一瞬びくりとして盛んに舌を出して確認する。
今だ!
俺は愛刀「断ち切り」を抜き放つと、そのまま蛇に駆け寄った。
蛇はすぐに俺に意識を戻し、両目の端のほうから毒を飛ばして来る。
幅広の太刀である断ち切りを顔の前にかざして、毒が顔に掛かるのを防ぎ、そのまま振り払い、返した刃で「断絶の剣」を発動。
蛇の脇を走り抜けると同時に横っ飛びに離れた。
ドウッ! っと、巨体が地面に叩きつけられる音が響く。
巨大な頭が地面に転がり、次いで胴体が倒れ伏した。
「アツッ」
瘴気沼蛇は無事に倒したが、手の甲から腕にかけて毒が掛かったらしい。
もったいないが仕方ない。俺は水袋を取り出すと、毒の掛かった箇所を洗い流した。
それにしても本格的に暗くなる前に倒せてよかった。
もう少し暗かったら毒を避けられたとは思えないからな。
今でももう、手元も見えづらくなって来ている。
夕闇の頃は本当に視認がきつい。まだわずかに明るいから暗視も意味がないのがつらい。
「大丈夫?」
「キュゥ」
メルリルとフォルテが心配そうに俺を覗き込む。
右腕が赤くただれたようになっているのを見て、メルリルが息を呑んだ。
俺は荷物から蛇系の毒を中和する塗り薬を取り出し、ただれた箇所に塗り込み、スライムジェルでその上を覆う。
それほど効果が高い薬ではないが、これで悪化することはない。
「ええっと、癒やしの葉。う~ん、ひんやりとして幅広で、傷口をカバーするのにちょうどいい草が近くにないかな」
植物のことはメルリルに聞くのが早いが、問題は名前が一致しないことだな。
俺が説明すると、メルリルは少し考えてから言った。
「少しだけ意識を合わせていいですか?」
「あ? ああ」
「う~ん、あ、わかりました」
メルリルはさっと走り出す。
「フォルテ、カバー」
「ピッ!」
メルリルの後をフォルテが追って飛んで行った。
意識を合わせる、か。
特に何かを感じた訳ではないが、おそらくメルリルは、俺が思い浮かべた草の姿を共有したのだろう。共感というのも便利な能力だな。
二人はすぐに戻って来た。
まぁ俺が言ったのはどこにでも大体生えている草だからな。
名前は癒やしの草だが、薬草のような効果はない。
昔から俺たち冒険者が包帯代わりに使ったりしているだけの、何の変哲もない草なのだ。
毒や強い成分がなく、安全でやわらかくて幅広で丈夫というのが特徴と言えば特徴だ。
メルリルはその何枚かの葉っぱを、荷物から取り出した布で丁寧に拭って準備を整える。
「じゃあ巻き付けますね」
「ああ、頼む」
メルリルは葉っぱの先端を二つに裂き、茎側を葉っぱの間に挟むように巻いた後に、裂いた両側を腕に結び、さらに細くて短い木の枝に結んでぐるぐるねじって葉っぱの間に突っ込む。
「メルリルたちのところでもこういう風に使うのか?」
「ええ。と言っても、私が使ったのは子どもの頃の話ですけど」
「そうか、思ったよりおてんばだったんだな」
「……子どもの頃の話ですよ?」
念を押したメルリルが可愛い。
さて、傷の手当が済んだら倒した蛇の始末だが、これはほんとどうしようもないな。
牙や毒袋は欲しい素材だが、そもそもこの蛇は触るのも危険な相手だ。
持ち運ぶための特殊な袋も必要で、準備なしでの解体も出来ない。
「放置するしかないか」
「そうですね。こういう毒持ちでも平気で食べる生物も森にはいるので」
「ピュィ! ジッジッジッ!」
突然フォルテが警告を発した。
慌てて周囲を見回し、うすぼんやりした地面に落ちる大きな影に気がつく。
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