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第三章 神と魔と
228 聖者と魔王
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「死を否定する?」
「ええ、成長の果てには死、つまり終わりが訪れるのがこの世の道理。魔とは、成長を妨げることで死を遠ざけようとする意思。神と魔は世界の二つの意思が表に現れたものなのです。人が心のなかで行うような葛藤を世界を舞台に神と魔が行っているのです」
俺はしばし考えて口を開く。
「それは魔王が長生きなことや、聖女さまや聖人さまが大人になったら役割を終えることと関係があるのか?」
「はい。純粋な魔人は魔の力が強い人間です。魔と神は相克の関係。魔の力が強いほど神の力には染まりません。しかし普通は純粋な魔人でも子どもが作れるようになると神の力に引っ張られてしまいます。子どもは未来の象徴ですから」
その聖者の説明に俺は疑問を覚えた。
それなら最も神の盟約に近い場所にいる聖者はどうなるのだろうか?
「あなたは、聖者はどういう存在なのですか?」
「聖者となる者は、神の力に対抗するために体が変質した聖女や聖人です。あまりにも魔力が高まってしまった結果、大人になれないまま成長する者が聖女や聖人のなかから一定数現れます。私は子どもを作ることが出来ません」
息を飲む。
あまりにもデリケートな問題に踏み込んでしまったと感じたからだ。
「すみません」
「謝る必要はありません。今、私はあなたに協力してもらうために全てを明らかにしてみせているところなのです。むしろこのような事実を押し付ける私をお怒りになってもいいのですよ?」
確かにそうかもしれない。
聖者の協力要請は一方的で、知らなくていいことまで知ってしまった。
だが、彼女のなかには多くの人を救いたいという強い思いがある。
俺はそういう人間に勝てた試しがないのだ。
ふと、俺は重要なことを思い出した。
確かこの聖者さまは聖女さま、ミュリアに「重い役目をさせてしまった」と言っていたような気がする。
あれは勇者の供ということではなく、もしかして、次代の聖者という意味ではないのか?
「あの、もしかして、ミュリアはあなたの後継者なのですか?」
俺の言葉に、聖者はふわりと微笑んだ。
「あの子のことを心配してくださったのですね。そうですね。可能性が高いと言えます。彼女はすでに十四ですが、まだ大人になっていません。あの一族は成長が遅いので、杞憂かもしれませんが、ミュリアはとても魔力が多く、そして強い。初代魔王に近しいほどに」
俺は足元がぐらりと揺らぐのを感じた。
おかしな話だが、世界全体の運命がどうこう言う話では全く危機感を覚えなかったというのに、ミュリアが大人になれないかもしれないという話にはひどく心が揺さぶられる。
「あの子は家に帰りたいのです。家族からもとても愛されています。領民からも」
「人の意思ではどうにもならないことです。ただ……」
聖者のためらいがちな言葉に希望を見出して、俺はその顔を見た。
「今回戻って来たあの子の魔力の性質は少し変わっていました。もしかしたらあの子は私のようにならないかもと、思えるぐらいに」
ドラゴンの魔力か!
俺はハッとしてあのドラゴンの砂浴び場での一件を思い出す。
あのときに押し込まれたドラゴンの魔力がミュリアと、そして多分アルフの魔力の性質を変えたのだ。
勇者の愚かさが、聖女を救うかもしれないとは。
因果とはわからないものだ。
「あなたには申し訳ないが、俺は、彼女の、ミュリアの自由と、人間としての幸福を祈ります」
「ふふっ、少しだけあの子にやきもちを焼いてしまいそうです。とてもうらやましく思いますわ。ただ、私は、自ら望んで神に身を捧げた者ですから、あの子をうらやましがる資格はないのかもしれませんが」
聖者はふーっとため息をつくと、棚から美しい硝子のグラスを二個持ち出し、そこに淡い紅色の酒らしきものを注いだ。
暖炉にかけてある鍋から湯を汲んで、両方のグラスに少しずつ加える。
「どうぞ。どうも私はお話しするのが下手なようで、なかなか肝心なことに辿り着きませんね。少し気持ちを切り換えましょう」
「いただきます」
テーブルに置かれたグラスは温かい。
グラスのなかの酒は、花と果実の香りがした。
「今度は魔王についてお話ししますね。私共教会は、長い歳月をかけて人々に神の祝福をもたらし、魔力持ち、実際は神力と言ったほうがいいのですが、ともかく魔力持ちを増やして人間が魔物と対等に戦えるようにしていました。そこへ現れたのが魔王です。そのとき、教会の上層部がどれほど恐怖を感じたかおわかりになりますか?」
「恐怖、ですか?」
「魔人がさらに一歩深く力を伸ばした存在が魔王でした。魔王は森の魔物を制御することが出来ました。つまり本来は自然に人間のなかから魔王が生まれて、魔物を制御することで人間種族を守ることが出来たのかもしれない。いえ、それこそが本来の人間の在り方だったのかも、と思ったのです。それは教会が行って来たことの全否定です。当時の教会はその存在を到底許すことが出来なかったのですわ」
長い年月をかけて人間のためになると思って行って来たことが、全く意味がないことだったかもしれないと思ったのか。
しかし俺から言わせれば、さまざまな方法で危機を乗り越えようとするのは当然のことだ。
試行する方法は多いほうがいい。
一つの方法が失敗しても別の方法が成功すればそれは全体の成功と同じことだからだ。
とは言え、教会がそう考えることが出来なかった事情もわからないではない。
魔と神が相克する存在なら強大な魔の力を持つ魔王は神の盟約にとって脅威だったのだろうし。
「そこで勇者の登場か。……うわさで聞いたのだが、教会が勇者を造ったというのは本当か?」
グラスを傾けていた聖者の手がぴたりと止まる。
「どこでその話を?」
手が震えていた。
「うわさだ。別に本当じゃないならいいさ」
さすがにこれ以上追い詰める必要もない。
そもそも千年も昔の話の責任を彼女に取らせるのは間違いだ。
「いえ、これも知っていてもらったほうがいいかもしれません。あなたは他ならぬあの勇者さまのお師匠さまですもの」
チッと、思わず舌打ちが出た。
「ご存知でしたか」
「勇者さまは隠し事が得意ではないので」
そうだよな。全然隠せてないよな。
俺は悲しいほどに納得して聖者の言葉にうなずいた。
「ええ、成長の果てには死、つまり終わりが訪れるのがこの世の道理。魔とは、成長を妨げることで死を遠ざけようとする意思。神と魔は世界の二つの意思が表に現れたものなのです。人が心のなかで行うような葛藤を世界を舞台に神と魔が行っているのです」
俺はしばし考えて口を開く。
「それは魔王が長生きなことや、聖女さまや聖人さまが大人になったら役割を終えることと関係があるのか?」
「はい。純粋な魔人は魔の力が強い人間です。魔と神は相克の関係。魔の力が強いほど神の力には染まりません。しかし普通は純粋な魔人でも子どもが作れるようになると神の力に引っ張られてしまいます。子どもは未来の象徴ですから」
その聖者の説明に俺は疑問を覚えた。
それなら最も神の盟約に近い場所にいる聖者はどうなるのだろうか?
「あなたは、聖者はどういう存在なのですか?」
「聖者となる者は、神の力に対抗するために体が変質した聖女や聖人です。あまりにも魔力が高まってしまった結果、大人になれないまま成長する者が聖女や聖人のなかから一定数現れます。私は子どもを作ることが出来ません」
息を飲む。
あまりにもデリケートな問題に踏み込んでしまったと感じたからだ。
「すみません」
「謝る必要はありません。今、私はあなたに協力してもらうために全てを明らかにしてみせているところなのです。むしろこのような事実を押し付ける私をお怒りになってもいいのですよ?」
確かにそうかもしれない。
聖者の協力要請は一方的で、知らなくていいことまで知ってしまった。
だが、彼女のなかには多くの人を救いたいという強い思いがある。
俺はそういう人間に勝てた試しがないのだ。
ふと、俺は重要なことを思い出した。
確かこの聖者さまは聖女さま、ミュリアに「重い役目をさせてしまった」と言っていたような気がする。
あれは勇者の供ということではなく、もしかして、次代の聖者という意味ではないのか?
「あの、もしかして、ミュリアはあなたの後継者なのですか?」
俺の言葉に、聖者はふわりと微笑んだ。
「あの子のことを心配してくださったのですね。そうですね。可能性が高いと言えます。彼女はすでに十四ですが、まだ大人になっていません。あの一族は成長が遅いので、杞憂かもしれませんが、ミュリアはとても魔力が多く、そして強い。初代魔王に近しいほどに」
俺は足元がぐらりと揺らぐのを感じた。
おかしな話だが、世界全体の運命がどうこう言う話では全く危機感を覚えなかったというのに、ミュリアが大人になれないかもしれないという話にはひどく心が揺さぶられる。
「あの子は家に帰りたいのです。家族からもとても愛されています。領民からも」
「人の意思ではどうにもならないことです。ただ……」
聖者のためらいがちな言葉に希望を見出して、俺はその顔を見た。
「今回戻って来たあの子の魔力の性質は少し変わっていました。もしかしたらあの子は私のようにならないかもと、思えるぐらいに」
ドラゴンの魔力か!
俺はハッとしてあのドラゴンの砂浴び場での一件を思い出す。
あのときに押し込まれたドラゴンの魔力がミュリアと、そして多分アルフの魔力の性質を変えたのだ。
勇者の愚かさが、聖女を救うかもしれないとは。
因果とはわからないものだ。
「あなたには申し訳ないが、俺は、彼女の、ミュリアの自由と、人間としての幸福を祈ります」
「ふふっ、少しだけあの子にやきもちを焼いてしまいそうです。とてもうらやましく思いますわ。ただ、私は、自ら望んで神に身を捧げた者ですから、あの子をうらやましがる資格はないのかもしれませんが」
聖者はふーっとため息をつくと、棚から美しい硝子のグラスを二個持ち出し、そこに淡い紅色の酒らしきものを注いだ。
暖炉にかけてある鍋から湯を汲んで、両方のグラスに少しずつ加える。
「どうぞ。どうも私はお話しするのが下手なようで、なかなか肝心なことに辿り着きませんね。少し気持ちを切り換えましょう」
「いただきます」
テーブルに置かれたグラスは温かい。
グラスのなかの酒は、花と果実の香りがした。
「今度は魔王についてお話ししますね。私共教会は、長い歳月をかけて人々に神の祝福をもたらし、魔力持ち、実際は神力と言ったほうがいいのですが、ともかく魔力持ちを増やして人間が魔物と対等に戦えるようにしていました。そこへ現れたのが魔王です。そのとき、教会の上層部がどれほど恐怖を感じたかおわかりになりますか?」
「恐怖、ですか?」
「魔人がさらに一歩深く力を伸ばした存在が魔王でした。魔王は森の魔物を制御することが出来ました。つまり本来は自然に人間のなかから魔王が生まれて、魔物を制御することで人間種族を守ることが出来たのかもしれない。いえ、それこそが本来の人間の在り方だったのかも、と思ったのです。それは教会が行って来たことの全否定です。当時の教会はその存在を到底許すことが出来なかったのですわ」
長い年月をかけて人間のためになると思って行って来たことが、全く意味がないことだったかもしれないと思ったのか。
しかし俺から言わせれば、さまざまな方法で危機を乗り越えようとするのは当然のことだ。
試行する方法は多いほうがいい。
一つの方法が失敗しても別の方法が成功すればそれは全体の成功と同じことだからだ。
とは言え、教会がそう考えることが出来なかった事情もわからないではない。
魔と神が相克する存在なら強大な魔の力を持つ魔王は神の盟約にとって脅威だったのだろうし。
「そこで勇者の登場か。……うわさで聞いたのだが、教会が勇者を造ったというのは本当か?」
グラスを傾けていた聖者の手がぴたりと止まる。
「どこでその話を?」
手が震えていた。
「うわさだ。別に本当じゃないならいいさ」
さすがにこれ以上追い詰める必要もない。
そもそも千年も昔の話の責任を彼女に取らせるのは間違いだ。
「いえ、これも知っていてもらったほうがいいかもしれません。あなたは他ならぬあの勇者さまのお師匠さまですもの」
チッと、思わず舌打ちが出た。
「ご存知でしたか」
「勇者さまは隠し事が得意ではないので」
そうだよな。全然隠せてないよな。
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