上 下
23 / 26
LAST CASE リリーとムーン

新しい年の足音

しおりを挟む
    1

 年末が近づき、町は活気づいていた。商人たちは年内最後の書き入れ時に張り切り、住人は年越しのための買い出しに勤しむ。年が明けると打って変わって家の中で家族と静かに過ごす慣習があるのがタンザナだ。
 リリーとムーンは薬草箱を持って東奔西走していた。年始からしばらくは寒さが深まり、森の中では簡単に移動ができなくなる。今までムーンに移動を手伝ってもらっていても、氷のように冷えた外気はどうにもならなかった。何より、冷えた金属に肌が張りついて怪我をする。ということで、森が寒さで閉ざされる前に基礎疾患がある患者を回って薬を多めに渡していた。
「リリー、身体が冷えるだろう。そろそろ引き上げよう」
「はい」
 箱がほとんど空になったところで、ムーンはリリーに声をかけた。身体がすっかり冷えてしまっているのを視認していた。
「山猫亭で暖を取らせてもらいましょうか。時間もありますし」
 リリーは寒さでかじかんだ指を薬草箱に沿わせて白い息を吐く。
 荷馬車に相乗りさせてもらっているブルネット商店は一人息子が怪我を負っているため人手不足だ。店番をするくらいには回復はしたが、まだまだ本調子ではない。
「あの……助けて……」
 蚊のようにか細い声が下から聞こえてきた。リリーのスカートが引っ張られる。声の方向には青い顔をした五歳ほどの少年が立っている。
「どうしたの?」
 リリーが腰を屈めて尋ねる。子どもはカチカチと歯を鳴らして途切れ途切れに小さな声を出した。
「お母さん……病気……」
 まとまりのない単語を発してから、リリーの服を引っ張り、細い路地へと導く。
「あっ、ちょっと待って……。まず落ち着いて」
 人混みから人気のない方へ連れていかれるリリーのあとをムーンは追おうとした。――が、道の先から悲鳴が上がり、視線をそちらに向ける。道の中央――並んだ露天の間を興奮していななく馬が駆けてくる。人々は道に転がったり、店に身体を突っ込んだりして、馬から逃げようとしていた。
 ムーンは腰ベルトに収納してあるナイフに手をかけるが断念し、道で棒立ちになる。
 馬の後ろに小太りの商人風の男が体勢を崩して走りながら喘ぐ。
「どいてくれぇえ!」
 馬がムーンの脇を通り過ぎようとした。ムーンの腕が素早くその首を絡め取る。驚いたのは馬だ。高く鳴いてむちゃくちゃに頭を振り乱す。しかし、ムーンはびくともしない。馬の脚が空を蹴り、暴れても拘束は解けない。ムーンには攻撃の意思はない。湖面のように平坦な感情を持つ妨害者は馬にとって大木と同じだった。体力を消耗している間に暴れても無駄ということを悟る。馬は徐々に動きを緩め、しまいには足を止めた。
「よし」
 ムーンはまだ鼻息の荒い馬の首を撫でて落ち着かせる。
 遅れて辿り着いた商人は膝に手を置いて苦しげに息をした。
「はあはあ……。助かったよ、旦那ァ……」
 短い呼吸の合間に言葉が続く。
「ち……きしょう……。誰かが馬を脅かしやがった」
 騒然としていた通りに賑やかさが戻ってきた。ひっくり返った商品や倒れたテントを直すために人々が右往左往する。
 ムーンは馬を商人に引き渡し、元の道に視線を戻す。そこにはリリーたちの姿はどこにもなかった。太陽光が壁に遮られた薄暗い細道からは人の気配がしない。
「リリー……」

 *****

 リリーは少年に導かれて家の間にある細い道を折れ曲がりながら進む。少年の追い詰められた表情を目にし、強引な行動を拒否することができなかった。もしかしたら、家族がとても具合が悪いのかもしれない。躊躇が判断を鈍らせていた。
 森暮らしをしてきたリリーは、地図にも載っていないような道まで把握していない。この状況がよくないことは明白だった。
 先ほど後ろから叫び声が聞こえたこともある。言い様のない不安感がリリーの中で育つ。とにかく、まずは子どもを落ち着かせなくては。「君のお名前を聞かせてくれる?」と尋ねても答えは返ってこない。頭を捻ってどうすべきか考える。そもそも、少年のことをどこかで見たことがあるような気がするのだ。喉元まで出かかっているもどかしさに苛まれた。
 少年の足が止まる。市が開かれている大通りから離れた人通りの少ない小道。少年は俯いたまま小さな声を絞り出すように出した。
「……ごめんなさい」
 戸惑うリリーの前に一人の男が立ち塞がった。
「お兄ちゃん、よくできました」

    2

 昼の時間が近くなって賑わい始める山猫亭にムーンはいた。リリーを見失ってからすぐに気配を辿ろうとしたが、馬の暴走騒ぎ直後の大通りでは雑音が多過ぎた。高精度な気配察知能力が仇となった。鳴いて動き回る百匹の羊からたった一匹を見つけるようのもの。
 ムーンはリリーと話題に出していた山猫亭に向かうことにした。下手に動き回るより知っている場所で待っていた方が確実だ。人目につかないように裏口から入り、女将に事情を説明すると、待たせてもらう許可を得た。昼時の食堂には様々な職業の平民たちが大量に出入りする。つまりは町の情報も入り易い。リリーのことをそれとなく確認すると女将は胸を叩いて言った。
 少ない休憩時間に人が集まる食堂は忙しい。昼は基本的にパンとスープを出すのだとリリーは以前言っていた。上等な材料ではないが、幾つかの野菜と肉の切れ端を大量に煮込んだスープは家庭では出せない味らしい。食事がすぐに出てきて、さらに安価で美味ということなら、労働者に人気が出る。
 女将は厨房に籠りきり、カナリアを始めとする配膳係は客席を飛び回る。あまりの慌ただしさを目の当たりにし、ムーンは店を手伝うことにした。とはいっても、店に立つわけにはいかない。配膳係が下げた皿を水場に持っていくとか、材料の大箱を移動するとか、その程度だ。何かをしなくては、居ても立っても居られないほど焦燥に駆られていたのかもしれない。ムーンは胸の奥底から溢れる衝動を堪え続けた。
 客の中にはリリーのことをよく知っている者もいる。事情を知ると捜索に積極的に協力すると手を挙げた。
 昼を過ぎると客足が疎らになる。リリーの情報は一向に集まらない。カナリアが外に聞き込みをすると店を出ていこうとしたとき、ハンスがやって来た。怪我は完治していなくても足取りはしっかりしている。
「ちょっと話がある」

 山猫亭は早めに昼の店じまいをし、女将とカナリア、ハンス、ムーンが客用のテーブルに集まった。ハンスが言うには、ブルネット商店に幼い少年と母親がやって来たという。
「その坊主からの情報だと、リリーは領主城へ連れていかれたって言うんだ」
 アリスのひ孫だというその少年は兵士から脅かされ、リリーを呼び出す手伝いをさせられていたらしい。泣きながら母親に訴えたことで発覚した。子どもの話では要領を得ないところはある。リリーのことを「魔女」だと信じていた。それを兵士に話したという。リリーはアリスの元へ頻繁ひんぱんに通っていたから、ひ孫は町へ不定期で来ることを知っていた。「どこからか魔女が薬を持ってやって来る」という内容を漏らしてしまったらしい。そこで母親はリリーと繋がりがあるブルネット商店へ慌てて駆け込んだということだ。
「子どもじゃ大人の事情なんて知るはずないもんな。問題はその兵士だ。『魔女狩りをする』とか言ってたらしい」
 女将とカナリアは思わず声を上げる。
「はあ?!」
「時代錯誤だよッ」
 ムーンは無言で席を立ち、店の出口へと向かおうとする。鎧がカチャカチャと鳴った。
「ちょっと待て、ムーン。どこへ行く?」
 ハンスが腰を浮かして声をかける。
「城だ。魔女狩りについては私の方が詳しい」
 淡々としている口調とは裏腹に身体は前へ進もうとしている。兜を少し後ろに傾けただけでハンスに答えた。
 ムーンの中にある「魔女狩り」の知識は陰惨なものだ。「魔女」は絶対的な悪で、疑いをかけられた時点で助かる術はない。悪くて極刑、良くて裁判にかけられる。その裁判も自白させるもので判決が覆ることはない。刺つき椅子、釜茹で、爪剥がし――。死ねば人間、死ななければ魔女で有罪といった有り様だ。だから、一刻も早く助けにいかなければならない、とムーンは思っていた。
「リリーを助けたいなら待て!」
 ハンスが声を荒げた。
「オレだって今すぐ助けてえよッ。リリーが何したって言うんだ!」
 感情を吐き出した後に音量が一段下がる。
「明後日の早朝、領主が地方視察で城を出るんだよ。最近ガルネキアがうるせえからな。急ぐんだとよ。鍛冶屋の親父に注文が入ってるって聞いた。そんなドタバタしてるときに、裁判だー処刑だーって騒がねえと思う」
 女将は顔を曇らせて額に手を当てる。
「今どき魔女狩りとは物騒だよ……。何の罪もない人が裁かれてたってヤツだろう? スケープゴートって言うのかい?」
「そうね。都合のいい人間を悪人に仕立てて見せしめに処刑したのよ」
 苦虫を噛み潰したようなカナリアの言葉を聞き、ハンスが眉間に皺を寄せてぽつりと呟く。
「大昔の再現……。リリーをスケープゴートにしようっていうのか……」
 顔を上げて真っ向からムーンを見据える。
「だったら尚更だ。庶民を集めて広場ででも大々的にやるだろう。人手がないときはやらないはずだ」
 ムーンは戸口に立ったまま口を開く。
「悠長にしていれば、リリーに危害が及ぶかもしれない」
「領主がいれば使用人も入れて約三百人。三百人とお前は戦うのか? 領主が城を開けるなら、一握りしか残らない。確実にリリーを取り戻せる条件を選べッ」
 そこでようやくムーンは身体ごと後ろを振り返った。
「考えがあるなら聞かせてもらおう」
 ハンスは少し安堵の笑みを浮かべてから身を乗り出した。
「リリーの患者には城の構造に詳しい石工もいるんだぜ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢の追放エンド………修道院が無いじゃない!(はっ!?ここを楽園にしましょう♪

naturalsoft
ファンタジー
シオン・アクエリアス公爵令嬢は転生者であった。そして、同じく転生者であるヒロインに負けて、北方にある辺境の国内で1番厳しいと呼ばれる修道院へ送られる事となった。 「きぃーーーー!!!!!私は負けておりませんわ!イベントの強制力に負けたのですわ!覚えてらっしゃいーーーー!!!!!」 そして、目的地まで運ばれて着いてみると……… 「はて?修道院がありませんわ?」 why!? えっ、領主が修道院や孤児院が無いのにあると言って、不正に補助金を着服しているって? どこの現代社会でもある不正をしてんのよーーーーー!!!!!! ※ジャンルをファンタジーに変更しました。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

【完結】ガラクタゴミしか召喚出来ないへっぽこ聖女、ゴミを糧にする大精霊達とのんびりスローライフを送る〜追放した王族なんて知らんぷりです!〜

櫛田こころ
ファンタジー
お前なんか、ガラクタ当然だ。 はじめの頃は……依頼者の望み通りのものを召喚出来た、召喚魔法を得意とする聖女・ミラジェーンは……ついに王族から追放を命じられた。 役立たずの聖女の代わりなど、いくらでもいると。 ミラジェーンの召喚魔法では、いつからか依頼の品どころか本当にガラクタもだが『ゴミ』しか召喚出来なくなってしまった。 なので、大人しく城から立ち去る時に……一匹の精霊と出会った。餌を与えようにも、相変わらずゴミしか召喚出来ずに泣いてしまうと……その精霊は、なんとゴミを『食べて』しまった。 美味しい美味しいと絶賛してくれた精霊は……ただの精霊ではなく、精霊王に次ぐ強力な大精霊だとわかり。ミラジェーンを精霊の里に来て欲しいと頼んできたのだ。 追放された聖女の召喚魔法は、実は精霊達には美味しい美味しいご飯だとわかり、のんびり楽しく過ごしていくスローライフストーリーを目指します!!

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

旦那様は大変忙しいお方なのです

あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。 しかし、その当人が結婚式に現れません。 侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」 呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。 相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。 我慢の限界が――来ました。 そちらがその気ならこちらにも考えがあります。 さあ。腕が鳴りますよ! ※視点がころころ変わります。 ※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。

処理中です...