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閑話
リリーとムーンの休憩時間②
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1
リリーはランプを片手にドアを開いた。ランプの明かりが届く範囲以外は闇夜に包まれていて何も見えない。家の中から足を踏み出すのも勇気がいる。夜空には月が浮かんでいるはずなのだが、木々が遮っていて見えない。
「行こう」
背後から話しかけてきたのは甲冑のムーン。金属の中で響く、どこか空虚な声。しかし、その音とは裏腹に優しくリリーの肩に触れる。先に前へ出て迷いのない足取りで外を数歩進む。草や地面に足を取られるということはない。身体を反転させてリリーの方を向く。
「すべて視えているから大丈夫だ。ランプはいらない」
リリーは頷いてランプの火を消し、テーブルに置いた。頼るものなく戸口に立つと、暗闇から何かが手招きしているようで躊躇する。普通は日が暮れる頃には就寝の準備をする。明かりのない中で生活はできないからだ。外に出るなど、さらに考えられない。
足を踏み出せないでいるリリーを金属の腕がしっかりと支えて引き寄せる。
「あっ」
目では見えないけれど、確かにムーンに抱えられていた。硬い身体に包まれているのを感じる。
「リリー、あまり速くは走らないから安心してくれ」
「はい」
ムーンはリリーを抱えたまま夜の森へ飛び込んだ。
星を見に行こうと約束してから二人は満月の日を待った。夜の中にある確かな明かりが力強くなる日のことだ。ムーンは人間でいうところの「目」には頼らない。空気や振動、熱――万物の気配を読む。明かりなど必要がなかった。
行き先はリリーが知っている湖に決め、方角や距離を出発日までにムーンと共有した。
2
身体全体で風を感じる。ムーンの足音や通り過ぎる草の音も聞こえる。しかし、何も見えない。ただ闇の中を突っ走っている。目を開けているはずなのに何も映らない。リリーの感覚が狂ってしまいそうだった。まるで井戸の底へ落ちてしまったかのよう。
リリーは少し恐怖を感じて身を固くした。生物的には正しい本能だ。
「リリー」
落ち着いた声がすぐ上から降ってくる。
「目を開けることはない。到着するまで閉じてるんだ。すぐに着く」
言われた通りに目を閉じると、見ようとする意識がなくなって落ち着いた。代わりにムーンの硬い甲冑を感じる。しっかり抱かれているのだから怖くはない。胸甲に顔を寄せ、周囲の情報から耳を塞いだ。
どれほど経ったのだろう。ムーンの速度が段々と落ち、ついにはピタリと足が止まった。
「リリー、目を開けても大丈夫だ」
リリーがゆっくりと瞼を持ち上げると――。
「わあっ」
湖の目前だった。森の中にある水源は対岸まで一キロ以上ある。木々は周りを囲むようにして途切れている。遮るものがない場所に青白い月光が降り注ぐ。月は闇夜では昼間の太陽のように存在感がある。そして、空には満天の星空。大小様々な光の欠片が散りばめられている。視界の中央にははっきりと星の川が見える。その光景が湖に映り、天と地の両方に星空がある。どちらが上下か分からなくなってしまいそうだ。
「すごい! すごいです! ムーンさん!」
リリーが頬を上気させて空を仰ぐ。生まれて初めて見た光景だった。父と家の近くで夜空を観察したことはあっても、夜にこのような奥まで入ってきたことはない。今見た光景はどんな宝石よりも綺麗に違いないと思った。
ムーンは正しい姿勢のままで空を見上げている。そのまま静かに口を開いた。
「今までこの森を彷徨っていて、この景色は見たことがあったのかもしれないが……。意識したのは初めてだ。見事だな」
リリーの顔が輝き、ムーンのそばに近寄る。素直な感想が聞けて、自分と同じ気持ちなのが分かり嬉しかったのだ。
「来てよかったな」
「はい」
二人はしばらく無数の星々を見上げていた。幻想的な空間が日常とは違う雰囲気を作り出していたのだった――。
次回→主要キャラ+地名資料
リリーはランプを片手にドアを開いた。ランプの明かりが届く範囲以外は闇夜に包まれていて何も見えない。家の中から足を踏み出すのも勇気がいる。夜空には月が浮かんでいるはずなのだが、木々が遮っていて見えない。
「行こう」
背後から話しかけてきたのは甲冑のムーン。金属の中で響く、どこか空虚な声。しかし、その音とは裏腹に優しくリリーの肩に触れる。先に前へ出て迷いのない足取りで外を数歩進む。草や地面に足を取られるということはない。身体を反転させてリリーの方を向く。
「すべて視えているから大丈夫だ。ランプはいらない」
リリーは頷いてランプの火を消し、テーブルに置いた。頼るものなく戸口に立つと、暗闇から何かが手招きしているようで躊躇する。普通は日が暮れる頃には就寝の準備をする。明かりのない中で生活はできないからだ。外に出るなど、さらに考えられない。
足を踏み出せないでいるリリーを金属の腕がしっかりと支えて引き寄せる。
「あっ」
目では見えないけれど、確かにムーンに抱えられていた。硬い身体に包まれているのを感じる。
「リリー、あまり速くは走らないから安心してくれ」
「はい」
ムーンはリリーを抱えたまま夜の森へ飛び込んだ。
星を見に行こうと約束してから二人は満月の日を待った。夜の中にある確かな明かりが力強くなる日のことだ。ムーンは人間でいうところの「目」には頼らない。空気や振動、熱――万物の気配を読む。明かりなど必要がなかった。
行き先はリリーが知っている湖に決め、方角や距離を出発日までにムーンと共有した。
2
身体全体で風を感じる。ムーンの足音や通り過ぎる草の音も聞こえる。しかし、何も見えない。ただ闇の中を突っ走っている。目を開けているはずなのに何も映らない。リリーの感覚が狂ってしまいそうだった。まるで井戸の底へ落ちてしまったかのよう。
リリーは少し恐怖を感じて身を固くした。生物的には正しい本能だ。
「リリー」
落ち着いた声がすぐ上から降ってくる。
「目を開けることはない。到着するまで閉じてるんだ。すぐに着く」
言われた通りに目を閉じると、見ようとする意識がなくなって落ち着いた。代わりにムーンの硬い甲冑を感じる。しっかり抱かれているのだから怖くはない。胸甲に顔を寄せ、周囲の情報から耳を塞いだ。
どれほど経ったのだろう。ムーンの速度が段々と落ち、ついにはピタリと足が止まった。
「リリー、目を開けても大丈夫だ」
リリーがゆっくりと瞼を持ち上げると――。
「わあっ」
湖の目前だった。森の中にある水源は対岸まで一キロ以上ある。木々は周りを囲むようにして途切れている。遮るものがない場所に青白い月光が降り注ぐ。月は闇夜では昼間の太陽のように存在感がある。そして、空には満天の星空。大小様々な光の欠片が散りばめられている。視界の中央にははっきりと星の川が見える。その光景が湖に映り、天と地の両方に星空がある。どちらが上下か分からなくなってしまいそうだ。
「すごい! すごいです! ムーンさん!」
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「今までこの森を彷徨っていて、この景色は見たことがあったのかもしれないが……。意識したのは初めてだ。見事だな」
リリーの顔が輝き、ムーンのそばに近寄る。素直な感想が聞けて、自分と同じ気持ちなのが分かり嬉しかったのだ。
「来てよかったな」
「はい」
二人はしばらく無数の星々を見上げていた。幻想的な空間が日常とは違う雰囲気を作り出していたのだった――。
次回→主要キャラ+地名資料
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