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CASE 3 町へ行こう!
水蒸気蒸留法
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1
リリーとムーンは薬草調合室の床に置いてある大きな器具を前にしていた。まず金属製のタンクがあり、口の部分が長い管に繋がっている。管の先にあるのは円筒状の入れ物。その下には桶のようなものが置いてある。タンクは下からアルコールランプにより火で炙られている。
「タンクの中には薬草と水が入ってます。温められると水蒸気が上がり――」
リリーはタンクを下から上に指を差し、そのまま長い管を辿る。
「管はこの筒の中で冷えて水滴になります。水が入ってるんです。水は使っているうちに温くなるので入れ換えます。水滴は下の容器に入ります。管から落ちているのが分かりますか?」
円筒から桶へ水滴がぽたりぽたりと少しずつ落ちていく。水はまだ少ししか溜まっていない。
「終わるまで時間がかかりますので、別の作業をしますね」
リリーは説明が終わると、同じテーブルで薬草を刻んだり、在庫の確認をしていた。時折、冷却用の水を入れ換える。
ムーンはその間も器具のようすを微動だにせず見ていた。
二時間後、リリーは容器の様子を確かめてからランプの火を消す。桶の中を指し示し、「液体が溜まっています」とムーンに見せる。
「薬草の成分が抽出できました。これを水蒸気蒸留法といいます。この液体は二層に分かれていて……ええっと、水と油なんですが、油の方が軽いので上に溜まるんです」
「ああ、水と油は混ざらないな。そのことか?」
「はい。水の方を芳香蒸留水といって、肌に塗ったり、飲んだりできます。とても便利なんですよ。わたしもたまに使ってます。油の方は精油といいます。貴族が香りをつけるのに使います」
ムーンは液体を眺めた後にリリーに兜を向け、「なるほど」と呟いた。
「君はいつも清浄な気配をまとっているのが見える。薬草のことだと思っていたが、これのことか。人間の感覚では何と言うのか……清らか――香しい――鮮麗……」
リリーから「ひっ」という小さな悲鳴が聞こえる。俯いて前に流れた髪の間から赤く染まった耳が見える。
当然の意見を言っただけのつもりのムーンには何が起こったか理解ができない。
「――どうした?」
「いえ……あの……そういうことは他の人に言っちゃダメ……ですよ。誤解されちゃいます」
顔を手で隠したまま、歯切れ悪く言葉を並べるリリーにムーンは簡潔に言った。
「不快にさせてすまない。とにかく、これから水の入れ替えを私がしよう」
「不快、では……なくてですね……」
リリーの声は蚊の鳴くような儚い大きさになっていった。
2
すっかり暖かくなり過ごしやすくなった。緑の勢いはさらに旺盛になっている。
ムーンは荷馬車の荷台に木箱を乗せていた。場所は森の中を通る街道だ。ブルネット商店の荷馬車に相乗りすることになっている。荷台には野菜や果物、香辛料など、様々な食品が乗っている。
リリーは荷台に上がり、箱の中身を点検している。行儀よく並んでいるのは調合した薬草を容れた陶器瓶。割れたものがないか、忘れたものはないか、目視している。
箱の他には薬草かごも載っている。摘み立てのものではあるが、使うために用意したものではない。
「ムーンさん、大丈夫です。これだけ一度に運んだのにダメになったものがないなんて凄いです」
ムーンも荷台に乗ると、馬車は動き始めた。御者はリリーの幼なじみであるハンス。舗装されていない剥き出しの地面をガタガタと揺らしながら先を進む。
リリーは木箱を押さえながら、隣に座るムーンを見上げる。
「お昼前には着きます。ついてきてくれて、ありがとうございます」
「ああ。そばにいないと守れないからな」
町へ往診に行くところだった。事情があって森の中まで来れないものもいる。たまに患者の様子を見に行くのだ。
町というのは、タンザナ王国の最西端であるウェスタル領主の拠点。城を中心に据えた構造になっている町だ。
今日は市が立つ日なので人に紛れられるように選んだ。
「町に行くのは久しぶりですよね?」
空は快晴で太陽が高く上っている。
「森と荒野にしかいなかったからな。町というのも、私の知識にあるものと同じだとは限らない。もしかしたら、昔行ったことがある場所かもしれないが」
馬車は三十分ほど時間をかけて町まで辿り着く。人間より少し低い程度の城壁が見える。門にはやる気のなさそうな兵士が一人。
「もうずっと大きな戦はしていないので、形だけの警備になってます。ハンス兄さんがお店の許可証を持ってるから問題なく通れます」
御者席で警備兵が簡単なやり取りをしている様子が見える。荷物を確認するも、ほんの数秒。村娘の隣に置かれた骨董品に対しても顔色は変えない。すぐに馬車はまた動き出した。
「ね? 大丈夫だったでしょ?」
「不用心だな」
リリーは悪戯をした子どものように笑ってムーンに話しかける。
城門からでも領主の居城が見えた。この町は城から放射線状に広がっている。城に一番近い場所には臣下の居住。距離が離れていくほどに身分が低くなる。その周りには平民街がある。門から城までの大通りには店が並ぶ。馬車は市場を避けるために大通りから一本外れた道を通った。それでも人通りは多い。
「町はどうですか?」
「――私の時代よりも賑やか……なのかもしれない。もしかしたら、あの頃よりも暮らし向きが楽になったのだろうか」
ムーンからは町が活気づいているように見える。住んでいた場所の記憶はほとんどないが、平民以下は暮らしにくいものだという常識は頭にある。仕事は選べない。生まれが肉屋なら肉屋、靴屋なら靴屋のまま。そして重い税をかけられ、貴族に平伏する。農民はもっと酷い。土地を移動することもできず、税や地代、翌年分の蒔く種を残せば、手元に残るのは半分以下。文字通り、土地に縛りつけられて死ぬ運命。
リリーによると、職業を選ぶ自由はあるらしい。しかし、結局は貴族の下。平民が締めつけられるのは、いつの時代も変わらないらしい。
「そうですね。民衆が力をつけて困るのは貴族ですから、最近はピリピリしてるという話も聞きます。わたしたちが暮らしやすい方に転ぶといいんですが」
二人が話をしていると、一軒の家の前に馬車が止まった。入口の上にある看板は金槌の形をしている。
「着いたぜ」
次回→鍛冶屋とおくりもの
※精油:エッセンシャルオイル、のちのアロマオイル
リリーとムーンは薬草調合室の床に置いてある大きな器具を前にしていた。まず金属製のタンクがあり、口の部分が長い管に繋がっている。管の先にあるのは円筒状の入れ物。その下には桶のようなものが置いてある。タンクは下からアルコールランプにより火で炙られている。
「タンクの中には薬草と水が入ってます。温められると水蒸気が上がり――」
リリーはタンクを下から上に指を差し、そのまま長い管を辿る。
「管はこの筒の中で冷えて水滴になります。水が入ってるんです。水は使っているうちに温くなるので入れ換えます。水滴は下の容器に入ります。管から落ちているのが分かりますか?」
円筒から桶へ水滴がぽたりぽたりと少しずつ落ちていく。水はまだ少ししか溜まっていない。
「終わるまで時間がかかりますので、別の作業をしますね」
リリーは説明が終わると、同じテーブルで薬草を刻んだり、在庫の確認をしていた。時折、冷却用の水を入れ換える。
ムーンはその間も器具のようすを微動だにせず見ていた。
二時間後、リリーは容器の様子を確かめてからランプの火を消す。桶の中を指し示し、「液体が溜まっています」とムーンに見せる。
「薬草の成分が抽出できました。これを水蒸気蒸留法といいます。この液体は二層に分かれていて……ええっと、水と油なんですが、油の方が軽いので上に溜まるんです」
「ああ、水と油は混ざらないな。そのことか?」
「はい。水の方を芳香蒸留水といって、肌に塗ったり、飲んだりできます。とても便利なんですよ。わたしもたまに使ってます。油の方は精油といいます。貴族が香りをつけるのに使います」
ムーンは液体を眺めた後にリリーに兜を向け、「なるほど」と呟いた。
「君はいつも清浄な気配をまとっているのが見える。薬草のことだと思っていたが、これのことか。人間の感覚では何と言うのか……清らか――香しい――鮮麗……」
リリーから「ひっ」という小さな悲鳴が聞こえる。俯いて前に流れた髪の間から赤く染まった耳が見える。
当然の意見を言っただけのつもりのムーンには何が起こったか理解ができない。
「――どうした?」
「いえ……あの……そういうことは他の人に言っちゃダメ……ですよ。誤解されちゃいます」
顔を手で隠したまま、歯切れ悪く言葉を並べるリリーにムーンは簡潔に言った。
「不快にさせてすまない。とにかく、これから水の入れ替えを私がしよう」
「不快、では……なくてですね……」
リリーの声は蚊の鳴くような儚い大きさになっていった。
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すっかり暖かくなり過ごしやすくなった。緑の勢いはさらに旺盛になっている。
ムーンは荷馬車の荷台に木箱を乗せていた。場所は森の中を通る街道だ。ブルネット商店の荷馬車に相乗りすることになっている。荷台には野菜や果物、香辛料など、様々な食品が乗っている。
リリーは荷台に上がり、箱の中身を点検している。行儀よく並んでいるのは調合した薬草を容れた陶器瓶。割れたものがないか、忘れたものはないか、目視している。
箱の他には薬草かごも載っている。摘み立てのものではあるが、使うために用意したものではない。
「ムーンさん、大丈夫です。これだけ一度に運んだのにダメになったものがないなんて凄いです」
ムーンも荷台に乗ると、馬車は動き始めた。御者はリリーの幼なじみであるハンス。舗装されていない剥き出しの地面をガタガタと揺らしながら先を進む。
リリーは木箱を押さえながら、隣に座るムーンを見上げる。
「お昼前には着きます。ついてきてくれて、ありがとうございます」
「ああ。そばにいないと守れないからな」
町へ往診に行くところだった。事情があって森の中まで来れないものもいる。たまに患者の様子を見に行くのだ。
町というのは、タンザナ王国の最西端であるウェスタル領主の拠点。城を中心に据えた構造になっている町だ。
今日は市が立つ日なので人に紛れられるように選んだ。
「町に行くのは久しぶりですよね?」
空は快晴で太陽が高く上っている。
「森と荒野にしかいなかったからな。町というのも、私の知識にあるものと同じだとは限らない。もしかしたら、昔行ったことがある場所かもしれないが」
馬車は三十分ほど時間をかけて町まで辿り着く。人間より少し低い程度の城壁が見える。門にはやる気のなさそうな兵士が一人。
「もうずっと大きな戦はしていないので、形だけの警備になってます。ハンス兄さんがお店の許可証を持ってるから問題なく通れます」
御者席で警備兵が簡単なやり取りをしている様子が見える。荷物を確認するも、ほんの数秒。村娘の隣に置かれた骨董品に対しても顔色は変えない。すぐに馬車はまた動き出した。
「ね? 大丈夫だったでしょ?」
「不用心だな」
リリーは悪戯をした子どものように笑ってムーンに話しかける。
城門からでも領主の居城が見えた。この町は城から放射線状に広がっている。城に一番近い場所には臣下の居住。距離が離れていくほどに身分が低くなる。その周りには平民街がある。門から城までの大通りには店が並ぶ。馬車は市場を避けるために大通りから一本外れた道を通った。それでも人通りは多い。
「町はどうですか?」
「――私の時代よりも賑やか……なのかもしれない。もしかしたら、あの頃よりも暮らし向きが楽になったのだろうか」
ムーンからは町が活気づいているように見える。住んでいた場所の記憶はほとんどないが、平民以下は暮らしにくいものだという常識は頭にある。仕事は選べない。生まれが肉屋なら肉屋、靴屋なら靴屋のまま。そして重い税をかけられ、貴族に平伏する。農民はもっと酷い。土地を移動することもできず、税や地代、翌年分の蒔く種を残せば、手元に残るのは半分以下。文字通り、土地に縛りつけられて死ぬ運命。
リリーによると、職業を選ぶ自由はあるらしい。しかし、結局は貴族の下。平民が締めつけられるのは、いつの時代も変わらないらしい。
「そうですね。民衆が力をつけて困るのは貴族ですから、最近はピリピリしてるという話も聞きます。わたしたちが暮らしやすい方に転ぶといいんですが」
二人が話をしていると、一軒の家の前に馬車が止まった。入口の上にある看板は金槌の形をしている。
「着いたぜ」
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