上 下
26 / 38

第23話 幽玄渓谷の当主

しおりを挟む
 穏健派の長老との会談の日、ベルとヒイロは身なりを整えて出発の準備をしていた。ベルは手製の足元までゆったりと包んだワンピース。ヒイロは詰襟つめえりのような服の上に黒のショールを羽織っている。
 側近二人は最後までついていくと言っていたが、ヒイロはそれを許さなかった。隠れ里を守る役目を与えられると、渋々と二人は身を引いた。
 血気盛んな魔族ゆえに穏健派と揉めてしまう可能性があるから、とヒイロはベルに耳打ちをした。ベルはそれを聞いて二人に草花の世話を頼むことにした。新しい仕事を二人は誇らしく思ったらしい。争うようにして水を組みに行った。子どもたちも笑いながら追いかけていった。

    *

 穏健派が集まっているのは、北の山岳地帯だという。険しい山々が広がり、まるで自然の要塞のようになっているらしい。例によって人間が足を踏み入れない場所だ。
 ベルとヒイロはロックに乗り、一時間かからずに穏健派の巣窟へと到達した。断崖絶壁の高所に入口はあった。魔力のない人間であれば、ロッククライミング方式で登るしかない場所だ。
 入口には槍を持った牛頭の門番が二人立っていた。彼らは訪問客に鼻息を荒くしていたが、ヒイロの顔を見ると不満気味に親指を立てて奥を差す。
 岩場をくり貫いた細い道は長く続いており、様相は峡谷の隠れ里に似ている。ヒイロは臆することなく足を踏み出した。
 それを睨みながら見送る門番に、ヒイロの肩から顔を出したベルが小さくお辞儀をする。門番は槍から手を放しそうになるほど驚いた様子。目を丸くして小さな妖精を見ていた。
「これから幽玄渓谷の当主を始めとする穏健派の者たちがいるが、怖がらなくていい。みな敵ではない。それに妖精ならば、丁重に扱われるだろう」
 ベルはヒイロの肩に乗せられ、物珍しそうに内部を見ている。岩肌が剥き出しで、魔族の荒々しさを表しているよう。明かりがないのは、夜を司る魔族は夜目が利くからだろうか。ヒイロは暗くても足元を気にする様子はなく、凹凸がある床を歩いてみせた。
 途中いくつか分かれ道があり、必ず武器を持った守衛が立っていた。守衛たちは無言で行くべき道を指差す。誰もが仏頂面だが、ヒイロの肩に乗るベルに気がつくと驚いていた。
「彼らの態度を不快に感じるかもしれないが、これでもかなり親切な方だ」
「そうなの?」
「基本的に我らは攻撃性の高い種族だからな」
 そう答えるヒイロの顔は理性的だ。ヒイロは再会してから攻撃的な部分をベルに見せてはいない。魔族の特徴とは無縁に見える。
 やがて通路の奥深くに木製の扉が現れた。高さ二メートル半ほど。少し大きめの扉だが、規格外というわけでもない。扉の向こうの主はこの扉を日常的に使用しているはずだから、見上げるほどの巨体ではなさそうだ。
 ヒイロが扉を叩く。「荒野の偉大なる捻れ角の一族の主だ。約束通り参じた」と名乗ると、「ああ、入るがいい」とベルの想像より若い声が返ってきた。
 部屋は魔族の強者とは思えない簡素なものだった。一般人の個人部屋程度の広さに、机、椅子、ベッドなど最小限の家具が置かれている。
 部屋の奥にロッキングチェアを揺らす者がいた。他には誰もいない。ということは、これが穏健派の主導者ということになる。
 齢八千歳を超える老齢とは思えないほど若々しい。人間でいうところの壮年期に見える。肉体は筋肉が盛り上がり、働き盛りを思わせる逞しさがある。顔は彫りが深くはっきりとしていて自信に満ち溢れた印象。髪は毛量がある長髪のオールバック。ベルは獅子のようだと思った。誇り高い獣の王のような威厳を感じる。
「よくもまあ来れたものだな小僧」
 長老は椅子に座ったまま、口端を持ち上げ、挑発的な顔をした。
 ヒイロの肩に乗っているベルには、間近で深く息を吸う音が聞こえた。次の瞬間——。
「これはこれは……。まだ隠居されていないとは驚いた。去り際を見誤ると、過去の栄光に泥を塗ることになるぞ」
 目を釣り上げて長老に負けず劣らず威を示す。両者は一歩も引かずに視線をぶつけ合う。まるで龍と虎の関係だ。ヒイロの「攻撃性の高い種族」という言葉はすぐに証明された。
——敵じゃないって言ってたのにっ……!
 焦ったベルはヒイロの肩から飛び降り、宙に浮かびながら口を開いた。
「初めまして。今日はわたしも会議に参加させてもらってもいいですか?」
 緊張で顔が強張り、喉が閉まる。二人の気を逸らすつもりだった。けれども、思ったよりもか細い声が出てしまった。相手に聞こえただろうか、と不安になる。
 それはベルの杞憂きゆうに過ぎなかった。長老は息をするのを忘れたかのようにベルを凝視している。
 ヒイロは元の冷静な表情に戻り、歯切れよく言った。
「私の命の恩人だ。我らと同じく創造神より使命を承った光の者も、この場に同席するのが道理というもの」
 いまだに「命の恩人」という言い回しには違和感があるものの、ベルはヒイロの言葉に従って頭を下げた。
「信じられん……。まだ大地に妖精を生み出す力があったとは」
 最初は驚き、やがて何かを考えるように天井を見上げる。「そうか」と呟いてから、長老は大口を開けて笑い始めた。岩壁に反響し、空気が振動する。
「あやつら捉えどころがないとは思っていたが、この局面で隠し球とは……」
 どこか懐かしむ笑み。始めの豪胆な印象に温かさが滲む。細めた目に皺が寄り、ベルに懐かしさを感じさせる。
——あ……。
 前世で何度も見た祖父の慈愛に満ちた微笑みに似ている。長い年を経た者が若者に対して浮かべる表情。若くは見えるが、確かに高齢者なのだろう。
「……おじいちゃん」
 意図せずベルの口から小さな言葉が零れ落ちる。慌てて口を押さえた。いくらなんでも場違いすぎる言葉だった。ヒイロにも長老にも声が届かなかったらしい。聞き返されることはなかった。
 長老に亡き祖父の面影を見たベルから肩の力が抜ける。強力な魔族であっても恐れることはない。
「まず、わたしの話を聞いてくれますか?」
 今度は滑らかな声が喉から出た。ヒイロに倣って魔族の覇者を堂々と真正面から見据えたのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

少年神官系勇者―異世界から帰還する―

mono-zo
ファンタジー
幼くして異世界に消えた主人公、帰ってきたがそこは日本、家なし・金なし・免許なし・職歴なし・常識なし・そもそも未成年、無い無い尽くしでどう生きる? 別サイトにて無名から投稿開始して100日以内に100万PV達成感謝✨ この作品は「カクヨム」にも掲載しています。(先行) この作品は「小説家になろう」にも掲載しています。 この作品は「ノベルアップ+」にも掲載しています。 この作品は「エブリスタ」にも掲載しています。 この作品は「pixiv」にも掲載しています。

RISING 〜夜明けの唄〜

Takaya
ファンタジー
戦争・紛争の収まらぬ戦乱の世で 平和への夜明けを導く者は誰だ? 其々の正義が織り成す長編ファンタジー。 〜本編あらすじ〜 広く豊かな海に囲まれ、大陸に属さず 島国として永きに渡り歴史を紡いできた 独立国家《プレジア》 此の国が、世界に其の名を馳せる事となった 背景には、世界で只一国のみ、そう此の プレジアのみが執り行った政策がある。 其れは《鎖国政策》 外界との繋がりを遮断し自国を守るべく 百年も昔に制定された国家政策である。 そんな国もかつて繋がりを育んで来た 近隣国《バルモア》との戦争は回避出来ず。 百年の間戦争によって生まれた傷跡は 近年の自国内紛争を呼ぶ事態へと発展。 その紛争の中心となったのは紛れも無く 新しく掲げられた双つの旗と王家守護の 象徴ともされる一つの旗であった。 鎖国政策を打ち破り外界との繋がりを 再度育み、此の国の衰退を止めるべく 立ち上がった《独立師団革命軍》 異国との戦争で生まれた傷跡を活力に 革命軍の考えを異と唱え、自国の文化や 歴史を護ると決めた《護国師団反乱軍》 三百年の歴史を誇るケーニッヒ王家に仕え 毅然と正義を掲げ、自国最高の防衛戦力と 評され此れを迎え討つ《国王直下帝国軍》 乱立した隊旗を起点に止まらぬ紛争。 今プレジアは変革の時を期せずして迎える。 此の歴史の中で起こる大きな戦いは後に 《日の出戦争》と呼ばれるが此の物語は 此のどれにも属さず、己の運命に翻弄され 巻き込まれて行く一人の流浪人の物語ーー。 

【完結】愛猫ともふもふ異世界で愛玩される

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
状況不明のまま、見知らぬ草原へ放り出された私。幸いにして可愛い三匹の愛猫は無事だった。動物病院へ向かったはずなのに? そんな疑問を抱えながら、見つけた人影は二本足の熊で……。 食われる?! 固まった私に、熊は流暢な日本語で話しかけてきた。 「あなた……毛皮をどうしたの?」 「そういうあなたこそ、熊なのに立ってるじゃない」 思わず切り返した私は、彼女に気に入られたらしい。熊に保護され、狼と知り合い、豹に惚れられる。異世界転生は理解したけど、私以外が全部動物の世界だなんて……!? もふもふしまくりの異世界で、非力な私は愛玩動物のように愛されて幸せになります。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/09/21……完結 2023/07/17……タイトル変更 2023/07/16……小説家になろう 転生/転移 ファンタジー日間 43位 2023/07/15……アルファポリス HOT女性向け 59位 2023/07/15……エブリスタ トレンド1位 2023/07/14……連載開始

転生したら男女逆転世界

美鈴
ファンタジー
階段から落ちたら見知らぬ場所にいた僕。名前は覚えてるけど名字は分からない。年齢は多分15歳だと思うけど…。えっ…男性警護官!?って、何?男性が少ないって!?男性が襲われる危険がある!?そんな事言われても…。えっ…君が助けてくれるの?じゃあお願いします!って感じで始まっていく物語…。 ※カクヨム様にも掲載しております

Sランク冒険者の受付嬢

おすし
ファンタジー
王都の中心街にある冒険者ギルド《ラウト・ハーヴ》は、王国最大のギルドで登録冒険者数も依頼数もNo.1と実績のあるギルドだ。 だがそんなギルドには1つの噂があった。それは、『あのギルドにはとてつもなく強い受付嬢』がいる、と。 そんな噂を耳にしてギルドに行けば、受付には1人の綺麗な銀髪をもつ受付嬢がいてー。 「こんにちは、ご用件は何でしょうか?」 その受付嬢は、今日もギルドで静かに仕事をこなしているようです。 これは、最強冒険者でもあるギルドの受付嬢の物語。 ※ほのぼので、日常:バトル=2:1くらいにするつもりです。 ※前のやつの改訂版です ※一章あたり約10話です。文字数は1話につき1500〜2500くらい。

異世界の片隅で引き篭りたい少女。

月芝
ファンタジー
玄関開けたら一分で異世界!  見知らぬオッサンに雑に扱われただけでも腹立たしいのに 初っ端から詰んでいる状況下に放り出されて、 さすがにこれは無理じゃないかな? という出オチ感漂う能力で過ごす新生活。 生態系の最下層から成り上がらずに、こっそりと世界の片隅で心穏やかに過ごしたい。 世界が私を見捨てるのならば、私も世界を見捨ててやろうと森の奥に引き篭った少女。 なのに世界が私を放っておいてくれない。 自分にかまうな、近寄るな、勝手に幻想を押しつけるな。 それから私を聖女と呼ぶんじゃねぇ! 己の平穏のために、ふざけた能力でわりと真面目に頑張る少女の物語。 ※本作主人公は極端に他者との関わりを避けます。あとトキメキLOVEもハーレムもありません。 ですので濃厚なヒューマンドラマとか、心の葛藤とか、胸の成長なんかは期待しないで下さい。  

負けヒロインはくじけない

石田空
ファンタジー
気付けば「私」は、伝奇系ギャルゲー『破滅の恋獄』のルート選択後の負けヒロイン雪消みもざに転生していることに気付いた。 メインヒロインのために主人公とメインヒロイン以外が全員不幸になるメリバエンドに突入し、異形の血による先祖返りたちの暴走によりデッドオアアライブの町と化した地方都市。 そこで異形の血を引いているために、いつ暴走してしまうかわからない恐怖と共に、先祖返りたちと戦うこととなった負けヒロインたち。 陰陽寮より町殲滅のために寄越された陰陽師たち。 異形の血の暴走を止める方法は、陰陽師との契約して人間に戻る道を完全に断つか、陰陽師から体液を分け与えられるかしかない。 みもざは桜子と主従契約を交わし、互いに同じ人を好きだった痛みと、残されてしまった痛みを分かち合っていく。 pixivにて先行公開しております。

お色気要員の負けヒロインを何としても幸せにする話

湯島二雨
恋愛
彼女いない歴イコール年齢、アラサー平社員の『俺』はとあるラブコメ漫画のお色気担当ヒロインにガチ恋していた。とても可愛くて優しくて巨乳の年上お姉さんだ。 しかしそのヒロインはあくまでただの『お色気要員』。扱いも悪い上にあっさりと負けヒロインになってしまい、俺は大ダメージを受ける。 その後俺はしょうもない理由で死んでしまい、そのラブコメの主人公に転生していた。 俺はこの漫画の主人公になって報われない運命のお色気担当負けヒロインを絶対に幸せにしてみせると誓った。 ※この作品は小説家になろう、カクヨムでも公開しております。

処理中です...