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第7話 王都召集
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アトラルは二千年の歴史ある王国で、世界でも指折りの軍事力を保有している。剣士と魔道士の育成に力を入れており、物理攻撃と魔法攻撃共に隙がない。
ボッカとベルは故郷の村を離れ、アトラル有数の都市にやって来ていた。モンスター退治に呼ばれ、街の平和を脅かすトロールを狩ったところだ。
力に目覚めてからボッカの名声は国内中に響き渡っていた。近年、モンスターの動きが活発化している。どんなモンスターでも倒してしまうボッカへの人々の信頼は厚い。あちらこちらから引っ切りなしに依頼が来る。
その赤い髪からボッカは暁天の勇者だとか赤光の英雄と呼ばれていた。もっともボッカ本人は昔のままの穏やかな性格だから恐縮し通しだ。
この都市でも感謝を示す住民たちを前にし、両手を左右に振って必要以上の金品や言葉を固辞していた。控えめな態度は老若男女問わず虜にし、ますますボッカを称える言葉が増える。特に若い女たちは顔を赤く染めてうっとりとする。ボッカの上着のフードに隠れているベルは面白くなさそうな顔をし、若い女たちを見ていた。
二人が出会ってから三年。ボッカは身長が伸び、少年だった頃の面影を残しながら立派な戦士になった。先月、この国での成人にあたる十八歳を迎えた。フードつきの上着の上に皮鎧、攻撃力には劣る細剣という軽装備。やや小柄だった背丈は長身に。澄みきった空色の瞳はぶれることはない。誠実な性格が顔つきに現れている。人々が熱狂するのも無理がない。
ベルはこの世界に転生してから約四年。すっかり妖精の身体にも慣れ、ボッカを通して人間の常識などを学んだ。
つぼみに収まっていた頃より背は伸び、人間の手の長さより大きい。二十センチほどだろうか。淡い色の波打つ髪を編み込み、ハーフアップにしている。服は魔法で葉を重ねてふんわりとした春のように華やかなティアードスカート。
国中に存在するボッカのファンには常に行動を共にする妖精のことは既に知られている。見世物になるのを避けるため、ベルは人前では目立たないようにしていた。ボッカのフードはベルにとって居心地のいい隠れ家だ。
この三年間、ベルはボッカがモンスター討伐に出る度についていった。身体能力向上や障壁など、魔法でサポートしてボッカを守るためだ。
柔和なボッカと長い時間を共に過ごしたために、感情を素直に出せるようになった。今もボッカに色目を使う若い女たちにむくれ顔をしている。
妖精は大きくなっても中性的な身体つきをしていた。手足はすらりと長く伸びたのに、胴体に凹凸がない。確かに少女であることは間違いない。しかし、人間の頃の感覚からすると、中途半端に感じた。数年したら大人っぽくなると期待していた元人間の少女は落胆している。神聖な存在だからだろうか。
同じ年頃の女たちはベルが思い描いていた大人の姿だ。だから、見ていると余計にもやもやしてしまう。ボッカが女に囲まれる度に不満が募った。
ベルはずっと身体全体でボッカに好意を示していた。どんな場所だってついていったし、強力なモンスターに襲われた際は命を削って防壁を作った。ボッカへの想いは他の女には負けない自信がある。何よりも大事だと行動で表していた。恋心を伝える方法なんて知らないけれど……。
ボッカは住人たちにお辞儀をし、「この後、約束があるから」と大通りから路地に逃げるようにして移動した。そして、フードの中にいるベルにそっと話しかける。
「もう誰もいないよ」
ベルはフードから頭だけ出し、頬を膨らませた顔を見せた。
「機嫌を直して」
ボッカがふわふわの髪を撫でると、瞬く間に妖精の顔が笑顔になる。
「いいよ!」
フードから飛び出してバク転のように宙を一回転。ボッカの肩に下り立つ。
「ヤキモチ妬きだね、俺の妖精さんは」
少し困り顔をして笑うボッカを見ているだけでベルは幸せになる。ボッカは魅力的な少女たちにどんなに言い寄られても態度を崩すことはない。すぐにベルの様子を気にしてくれる。他の子よりもずっと近い距離を感じて胸が弾む。
「ベル、具合は大丈夫かい? これから町長さんのところに報酬を受け取りに行くんだけど……」
「へっちゃらだよ! でも、少し疲れちゃったから近くで休んでるね」
心配そうな顔をするボッカに、ベルは努めて明るい声を出して返事をする。ボッカはベルのことを気にしながら、街の中心地に向かった。
ベルはボッカの姿が見えなくなるまで大きく手を振り続け、完全に一人になると、
「げほっ!」
身体をくの字に曲げて咳き込む。背中を上下させ、喘鳴が漏れる。目の縁には涙が滲んだ。
弱々しく羽ばたき、覚束ない飛翔で民家の窓辺に近づく。窓にはウィンドウボックスが設えていて、花鉢で飾られていた。ベルは花に身体を埋めた。咳が止まり、呼吸が少し落ち着いた。力を抜いて深く息を吐く。
ボッカについて様々な場所に行くようになってから分かったことがある。ベルは大きな街では必ず具合が悪くなる。始めのうちは産まれた森から離れたからホームシックのようなものだと思っていた。しかし、遠くの村まで討伐しに行ったときは問題なかった。街を出ればすぐに体調は回復する。何回も外出を重ねて一つの結論に至った。人間が多いところで具合が悪くなるのではないか、と。
妖精の生体については今も不明だ。ただ自然の中で産まれたのは事実だ。都会でもこうして緑に囲まれているとベルの体調は少し落ち着く。
ボッカは討伐先で具合の悪くなるベルを心配していた。しかし、ベルは弱っている姿を見せたくなかった。留守番を命じられたらボッカの力になれないからだ。本人から出るのは気遣う言葉ばかりだが、必要ないと思われることが怖かったのだ。
ベルは花鉢の中で膝を抱えてボッカを待つのだった。
*
都会に出てきた理由はモンスター討伐だけではない。今や有名になった英雄ボッカに王都から連絡が入ったのは一ヶ月前。魔王退治という重大な務めを任されたのだ。国王からの召集に応じるため、移動には不向きの緑が広がる村ではなく、街道の通る都会まで出てきた。王都からの迎えの馬車が数日後にやって来る。
魔王退治と聞いてモンスターとの戦闘に慣れたボッカでも緊張していた。願っているのは、苦しんでいる人々の助けになることだ。断る理由がない。ボッカは王都にすぐ返事を送った。王宮と手紙でのやり取りをしている間、考え込むことが多くなった。
ベルはどんなに危険でもボッカと離れないと心に決めていた。前向きな言葉で励ましながらこの一ヶ月過ごしてきた。
——絶対守るからね。
体調不良を押して森から出てきたのだ。
*****
太陽の光が届かない最北の大地、巨岩をくり貫いたような歪な城が立っていた。ある日突然、地から迫り上がるようにして現れたのだ。不思議と不毛の大地と釣り合いの取れた絵画のような姿だった。
その最上階にある玉座の間は吹き抜けになっていて天井は見上げるほど高い。装飾品はなく簡素な作りで、高台に設置された玉座まで赤い絨毯が中央に敷かれているのが目立つのみ。
踏み台の下には二人。正確には人型の異形の者だ。そのうちの一人——青白い肌をした方が口を開いた。
『主様、穏健派の幽玄渓谷の当主が謁見をまた求めております。どうなさいますか?』
温度を感じない淡々とした口調。人間なら耳のある場所からは魚のヒレのようなものが生えている。露出している部位——腕や喉には鱗がびっしりと見える。肌の色も相まって不健康な印象の男だ。
『フン』
それに応えたのは、玉座に座る「主様」ではなく、隣に立つ浅黒い肌の男。炎のように燃える髪、頭からは天井に向かって二本の角が屹立している。筋骨粒々でヒレの男とは正反対の体貌だ。
『放っておけ。臆病者には主の手間を取らせる価値もない。あいつらは我らの足を引っ張ることばかり』
ヒレの男は眉間に皺を寄せて、二本角の男を横目で睨む。
『お前に言ってるのではない。愚か者』
『なんだと?』
炎の髪がさらに燃え盛る。室内の温度がわずかに上がったようだった。対してヒレの男は凍りつくような冷気をまとう。二人は敵意を剥き出しにしていた。
『幽玄渓谷の、か……』
主と呼ばれた男は目の前で起こっている諍いを物ともせずに静かに話し始めた。声を張っているわけではないのに、辺りの空気がピリピリと震える。
『まあいい。謁見の間に通せ。老輩は敬うべきものだ』
『はい』
二本角の男は隠そうともせずに隣の男に向かって舌打ちをした。
『主、あいつらはまた横槍を入れるつもりです。我らが崇高な行為への冒涜です』
主——人間たちに魔王と呼ばれる男は、恐ろしさを感じるほどに並外れて整った顔立ちに鋭い眼光を持つ。表情は悠々としている。
『お前の意見は耳に留めておこう。同胞の意見は軽んじるべきではないのだ。今しばらくの辛抱を頼む』
『はっ!』
側近二人の頭が下がる。
窓には墨を塗りたくったような空が広がっている。北の大地には動物の姿さえ見えない。厳めしい魔族の城をただ寒風が吹きすさんでいた。
ボッカとベルは故郷の村を離れ、アトラル有数の都市にやって来ていた。モンスター退治に呼ばれ、街の平和を脅かすトロールを狩ったところだ。
力に目覚めてからボッカの名声は国内中に響き渡っていた。近年、モンスターの動きが活発化している。どんなモンスターでも倒してしまうボッカへの人々の信頼は厚い。あちらこちらから引っ切りなしに依頼が来る。
その赤い髪からボッカは暁天の勇者だとか赤光の英雄と呼ばれていた。もっともボッカ本人は昔のままの穏やかな性格だから恐縮し通しだ。
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この三年間、ベルはボッカがモンスター討伐に出る度についていった。身体能力向上や障壁など、魔法でサポートしてボッカを守るためだ。
柔和なボッカと長い時間を共に過ごしたために、感情を素直に出せるようになった。今もボッカに色目を使う若い女たちにむくれ顔をしている。
妖精は大きくなっても中性的な身体つきをしていた。手足はすらりと長く伸びたのに、胴体に凹凸がない。確かに少女であることは間違いない。しかし、人間の頃の感覚からすると、中途半端に感じた。数年したら大人っぽくなると期待していた元人間の少女は落胆している。神聖な存在だからだろうか。
同じ年頃の女たちはベルが思い描いていた大人の姿だ。だから、見ていると余計にもやもやしてしまう。ボッカが女に囲まれる度に不満が募った。
ベルはずっと身体全体でボッカに好意を示していた。どんな場所だってついていったし、強力なモンスターに襲われた際は命を削って防壁を作った。ボッカへの想いは他の女には負けない自信がある。何よりも大事だと行動で表していた。恋心を伝える方法なんて知らないけれど……。
ボッカは住人たちにお辞儀をし、「この後、約束があるから」と大通りから路地に逃げるようにして移動した。そして、フードの中にいるベルにそっと話しかける。
「もう誰もいないよ」
ベルはフードから頭だけ出し、頬を膨らませた顔を見せた。
「機嫌を直して」
ボッカがふわふわの髪を撫でると、瞬く間に妖精の顔が笑顔になる。
「いいよ!」
フードから飛び出してバク転のように宙を一回転。ボッカの肩に下り立つ。
「ヤキモチ妬きだね、俺の妖精さんは」
少し困り顔をして笑うボッカを見ているだけでベルは幸せになる。ボッカは魅力的な少女たちにどんなに言い寄られても態度を崩すことはない。すぐにベルの様子を気にしてくれる。他の子よりもずっと近い距離を感じて胸が弾む。
「ベル、具合は大丈夫かい? これから町長さんのところに報酬を受け取りに行くんだけど……」
「へっちゃらだよ! でも、少し疲れちゃったから近くで休んでるね」
心配そうな顔をするボッカに、ベルは努めて明るい声を出して返事をする。ボッカはベルのことを気にしながら、街の中心地に向かった。
ベルはボッカの姿が見えなくなるまで大きく手を振り続け、完全に一人になると、
「げほっ!」
身体をくの字に曲げて咳き込む。背中を上下させ、喘鳴が漏れる。目の縁には涙が滲んだ。
弱々しく羽ばたき、覚束ない飛翔で民家の窓辺に近づく。窓にはウィンドウボックスが設えていて、花鉢で飾られていた。ベルは花に身体を埋めた。咳が止まり、呼吸が少し落ち着いた。力を抜いて深く息を吐く。
ボッカについて様々な場所に行くようになってから分かったことがある。ベルは大きな街では必ず具合が悪くなる。始めのうちは産まれた森から離れたからホームシックのようなものだと思っていた。しかし、遠くの村まで討伐しに行ったときは問題なかった。街を出ればすぐに体調は回復する。何回も外出を重ねて一つの結論に至った。人間が多いところで具合が悪くなるのではないか、と。
妖精の生体については今も不明だ。ただ自然の中で産まれたのは事実だ。都会でもこうして緑に囲まれているとベルの体調は少し落ち着く。
ボッカは討伐先で具合の悪くなるベルを心配していた。しかし、ベルは弱っている姿を見せたくなかった。留守番を命じられたらボッカの力になれないからだ。本人から出るのは気遣う言葉ばかりだが、必要ないと思われることが怖かったのだ。
ベルは花鉢の中で膝を抱えてボッカを待つのだった。
*
都会に出てきた理由はモンスター討伐だけではない。今や有名になった英雄ボッカに王都から連絡が入ったのは一ヶ月前。魔王退治という重大な務めを任されたのだ。国王からの召集に応じるため、移動には不向きの緑が広がる村ではなく、街道の通る都会まで出てきた。王都からの迎えの馬車が数日後にやって来る。
魔王退治と聞いてモンスターとの戦闘に慣れたボッカでも緊張していた。願っているのは、苦しんでいる人々の助けになることだ。断る理由がない。ボッカは王都にすぐ返事を送った。王宮と手紙でのやり取りをしている間、考え込むことが多くなった。
ベルはどんなに危険でもボッカと離れないと心に決めていた。前向きな言葉で励ましながらこの一ヶ月過ごしてきた。
——絶対守るからね。
体調不良を押して森から出てきたのだ。
*****
太陽の光が届かない最北の大地、巨岩をくり貫いたような歪な城が立っていた。ある日突然、地から迫り上がるようにして現れたのだ。不思議と不毛の大地と釣り合いの取れた絵画のような姿だった。
その最上階にある玉座の間は吹き抜けになっていて天井は見上げるほど高い。装飾品はなく簡素な作りで、高台に設置された玉座まで赤い絨毯が中央に敷かれているのが目立つのみ。
踏み台の下には二人。正確には人型の異形の者だ。そのうちの一人——青白い肌をした方が口を開いた。
『主様、穏健派の幽玄渓谷の当主が謁見をまた求めております。どうなさいますか?』
温度を感じない淡々とした口調。人間なら耳のある場所からは魚のヒレのようなものが生えている。露出している部位——腕や喉には鱗がびっしりと見える。肌の色も相まって不健康な印象の男だ。
『フン』
それに応えたのは、玉座に座る「主様」ではなく、隣に立つ浅黒い肌の男。炎のように燃える髪、頭からは天井に向かって二本の角が屹立している。筋骨粒々でヒレの男とは正反対の体貌だ。
『放っておけ。臆病者には主の手間を取らせる価値もない。あいつらは我らの足を引っ張ることばかり』
ヒレの男は眉間に皺を寄せて、二本角の男を横目で睨む。
『お前に言ってるのではない。愚か者』
『なんだと?』
炎の髪がさらに燃え盛る。室内の温度がわずかに上がったようだった。対してヒレの男は凍りつくような冷気をまとう。二人は敵意を剥き出しにしていた。
『幽玄渓谷の、か……』
主と呼ばれた男は目の前で起こっている諍いを物ともせずに静かに話し始めた。声を張っているわけではないのに、辺りの空気がピリピリと震える。
『まあいい。謁見の間に通せ。老輩は敬うべきものだ』
『はい』
二本角の男は隠そうともせずに隣の男に向かって舌打ちをした。
『主、あいつらはまた横槍を入れるつもりです。我らが崇高な行為への冒涜です』
主——人間たちに魔王と呼ばれる男は、恐ろしさを感じるほどに並外れて整った顔立ちに鋭い眼光を持つ。表情は悠々としている。
『お前の意見は耳に留めておこう。同胞の意見は軽んじるべきではないのだ。今しばらくの辛抱を頼む』
『はっ!』
側近二人の頭が下がる。
窓には墨を塗りたくったような空が広がっている。北の大地には動物の姿さえ見えない。厳めしい魔族の城をただ寒風が吹きすさんでいた。
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