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軌跡~【メアリ・ロード】~黒兎
第八羽
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ナイトが何かに気がついて俺から顔を背ける。
それと同時に重圧感が抜け、俺の体も身動きが取れるようになる。
ナイトは窓から見える紅い月を見上げていた。
……月の光に照らされたその横顔、遠くを見つめるその瞳がほんの少しだけ寂しげに見えた。
……。
「……ナイト……?」
その声で、部屋中に張り詰めていた不穏な空気が一瞬にして弾け跳んだ。
パジャマ姿のミュウがそこにいた。
ふらふらとした足取りで、壁を支えにしながらリビングまで歩いてきていた。
具合が悪いのか、かなり顔色が悪い。
目を赤く腫らしている。
「ミュウ様、どうしました?」
ナイトはさっきまでとは一変し、いつもと変わらない表情をミュウに向ける。
「……目が覚めたらナイトがいなかったから……ビックリして……」
どうやら俺達の一部始終は見られてはいないらしかった。
ナイトに身体を支えられると、糸の切れた操り人形のように、だらりと床に崩れ落ちる。
……人形……。
――港で抱きかかえた時、ミュウの体はあまりにも軽く小さく細くて……まるで人形のようで……。
俺は何故だか怖くなった。
「ふえぇっ……ナイト……」
震えながら、ちいさな子供のようにナイトにすがりつくミュウ。
一体どうしたというのか……俺には状況が把握できない。
「ミュウ様はとても体が弱いんです……」
それを察したのかナイトが俺に語りかける。
さっきまでとは打って変わり、真剣な顔つきだ。
「眠るまでそばについていますから、もう部屋に戻りましょう」
ナイトはミュウをあやすように、涙で濡れた赤い頬を優しく撫でた。
ミュウは唇を噛み締めて、こくりと頷いた。
ミュウの体を支えながら廊下を歩く。
杖を支えにしているナイトの左脚がぎこちない。
それを見ればその松葉杖がフェイクではないことが一目瞭然だった。
ナイトがほんの少しだけ苦しそうに眉を顰める。
俺は胸が締め付けられるような思いを感じた……。
ミュウの部屋。
ベッドの上で苦しそうにしているミュウ。
息が荒い。
ミュウが毛布を握り締めてもがき始める。
「ナイト……苦しいよ……」
助けを求めるかのように手を伸ばす。
差し出したその手はゾッとするほど白く細い。
顔が苦痛に歪み、瞳から涙が溢れだし口から唾液が毀れる。
耳を塞ぎたくなるような堪え難い嗚咽を漏らす。
……あまりに突然のことに、そのあられもない姿に驚いた。
……なんだ……。
脚が竦む。
身体が震える。
まるで金縛りにあったかのように動けない。
「大丈夫ですよ……」
ナイトは行き場の無いその手をそっと握り、優しく微笑む……。
――微笑んでいるのに……その瞳は哀しみに揺れて、今にも濡れそうになっていた。
「ワタクシはずっと貴女のお傍にいます。
ずっと此処にいます、何処にも行きません……だから安心してください」
そう言うと、ミュウは虚ろな瞳のまま汚れた顔でニッコリと微笑んだ。
……なんなんだ……。
口を押さえる。
気分が悪い……。
俺はミュウから目を逸らしてしまった。
だがそれでもナイトはミュウを見つめて、握った手を離さなかった。
……ずっとずっと離さなかった……。
俺には何にも、できなかった。
……さっきまであんなに元気に笑っていたのに。
こんなのは見ていたくない……見ていられなかった……。
だから……。
――『メアリ!』
昼間のミュウの声が脳裏に響いた。
嬉しそうに俺を呼ぶ声。
俺はあの時、港でふたりを救出した。
だがどんなに身体を守ることができても、心を守れなければ意味が無いのだ。
きっとナイトは今まで、ずっとこうしてミュウを守ってきたのだ。
それはこれからも、この先もずっと変わることはないのであろう……。
こんなに小さな体なのに……そんなに細い脚なのに……。
……俺は胸が苦しくなった。今までに感じたことの無い気持ちだった。
きっとただ笑っていてほしかったのだ。
名前を呼んでほしかったのだ。
自分に気が付いてほしかったのだ。
――誰に?
自然とあの子の笑顔が頭に浮かんだ。
此処へ来て初めて気がついた。
目蓋の奥がジーンと熱くなった。
……それが何という感情か、その時の俺には解らなかった。
――俺はその日、生まれて初めて涙というものを流した……。
それと同時に重圧感が抜け、俺の体も身動きが取れるようになる。
ナイトは窓から見える紅い月を見上げていた。
……月の光に照らされたその横顔、遠くを見つめるその瞳がほんの少しだけ寂しげに見えた。
……。
「……ナイト……?」
その声で、部屋中に張り詰めていた不穏な空気が一瞬にして弾け跳んだ。
パジャマ姿のミュウがそこにいた。
ふらふらとした足取りで、壁を支えにしながらリビングまで歩いてきていた。
具合が悪いのか、かなり顔色が悪い。
目を赤く腫らしている。
「ミュウ様、どうしました?」
ナイトはさっきまでとは一変し、いつもと変わらない表情をミュウに向ける。
「……目が覚めたらナイトがいなかったから……ビックリして……」
どうやら俺達の一部始終は見られてはいないらしかった。
ナイトに身体を支えられると、糸の切れた操り人形のように、だらりと床に崩れ落ちる。
……人形……。
――港で抱きかかえた時、ミュウの体はあまりにも軽く小さく細くて……まるで人形のようで……。
俺は何故だか怖くなった。
「ふえぇっ……ナイト……」
震えながら、ちいさな子供のようにナイトにすがりつくミュウ。
一体どうしたというのか……俺には状況が把握できない。
「ミュウ様はとても体が弱いんです……」
それを察したのかナイトが俺に語りかける。
さっきまでとは打って変わり、真剣な顔つきだ。
「眠るまでそばについていますから、もう部屋に戻りましょう」
ナイトはミュウをあやすように、涙で濡れた赤い頬を優しく撫でた。
ミュウは唇を噛み締めて、こくりと頷いた。
ミュウの体を支えながら廊下を歩く。
杖を支えにしているナイトの左脚がぎこちない。
それを見ればその松葉杖がフェイクではないことが一目瞭然だった。
ナイトがほんの少しだけ苦しそうに眉を顰める。
俺は胸が締め付けられるような思いを感じた……。
ミュウの部屋。
ベッドの上で苦しそうにしているミュウ。
息が荒い。
ミュウが毛布を握り締めてもがき始める。
「ナイト……苦しいよ……」
助けを求めるかのように手を伸ばす。
差し出したその手はゾッとするほど白く細い。
顔が苦痛に歪み、瞳から涙が溢れだし口から唾液が毀れる。
耳を塞ぎたくなるような堪え難い嗚咽を漏らす。
……あまりに突然のことに、そのあられもない姿に驚いた。
……なんだ……。
脚が竦む。
身体が震える。
まるで金縛りにあったかのように動けない。
「大丈夫ですよ……」
ナイトは行き場の無いその手をそっと握り、優しく微笑む……。
――微笑んでいるのに……その瞳は哀しみに揺れて、今にも濡れそうになっていた。
「ワタクシはずっと貴女のお傍にいます。
ずっと此処にいます、何処にも行きません……だから安心してください」
そう言うと、ミュウは虚ろな瞳のまま汚れた顔でニッコリと微笑んだ。
……なんなんだ……。
口を押さえる。
気分が悪い……。
俺はミュウから目を逸らしてしまった。
だがそれでもナイトはミュウを見つめて、握った手を離さなかった。
……ずっとずっと離さなかった……。
俺には何にも、できなかった。
……さっきまであんなに元気に笑っていたのに。
こんなのは見ていたくない……見ていられなかった……。
だから……。
――『メアリ!』
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嬉しそうに俺を呼ぶ声。
俺はあの時、港でふたりを救出した。
だがどんなに身体を守ることができても、心を守れなければ意味が無いのだ。
きっとナイトは今まで、ずっとこうしてミュウを守ってきたのだ。
それはこれからも、この先もずっと変わることはないのであろう……。
こんなに小さな体なのに……そんなに細い脚なのに……。
……俺は胸が苦しくなった。今までに感じたことの無い気持ちだった。
きっとただ笑っていてほしかったのだ。
名前を呼んでほしかったのだ。
自分に気が付いてほしかったのだ。
――誰に?
自然とあの子の笑顔が頭に浮かんだ。
此処へ来て初めて気がついた。
目蓋の奥がジーンと熱くなった。
……それが何という感情か、その時の俺には解らなかった。
――俺はその日、生まれて初めて涙というものを流した……。
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