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生命の代償
01
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「そもそも男性のflowerは珍しいんですよ。三毛猫のオスよりは多いですけどね」
場を和ませるためのジョークなのかもしれないが、全然笑えない。先方は会いたがっているようですから一度だけでも顔合わせを、と言われて連れ出された日曜日。渋谷の繁華街からは歩いて10分程離れた距離にある住宅街のど真ん中、いわゆる隠れ家風のカフェなるものを指定された俺は今、不機嫌な猫のように居心地の悪い思いを胸に抱きかかえながら相手を待っていた。外は花曇り、日差しは分厚い雲に遮られて届かない。
会うつもりなど毛頭なかったが、自分が体液の提供という負担をする以上それを享受する相手を知っておきたい、でなければ提供するには気が進まない、と言われてしまえば、まあ抵抗する強い理由が見当たらない。ならば結構です、と言えない所がflower側の弱味であり、これまで通りの汎用性の高いownerたちによる投薬でどれ程の効果があるのか、もっと直接的に言えばどれだけの長さ生き延びられるのかは俺を含め誰にも分からないのだ。下手をすれば明日にでも身体の一部が枯れて崩れ落ちていってもおかしくはない。生殺与奪の権利というヤツを今まさに俺はパートナーであるowner氏に握られまくっている。
一度だけですよ、と念を押して気が進まないながらも渋々待ち合わせ場所に向かえば例の管理官がシンプルなスーツ姿で立っていた。黙っていれば敏腕ビジネスマンのように見えなくもない。
「…言いたいことは分かりますが、制服なんかで立っていたらあなたがflowerだと喧伝するようなものですからね」
と先回りして答える顔は相変わらずニコリともしない。確かにその配慮は必要だろうと頷いて大人しく彼の背中についていく。辿り着いた小さな英国風の建物は幾つかの個室ごとにテーブルがセットされていて、内緒話にはもってこいの空間だった。
クラシック音楽が薄く流れ、高そうな調度品たちは何世紀か前のものだと言われても頷いてしまいそうなほどゆったり悠久の時間を纏っている。外界から隔絶されているとしか思えない控えめながらも贅沢な世界。出来る限りの小綺麗な格好をしてきて良かったと胸を撫で下ろす。ハイネックのセーターにチノパンという何の変哲もない格好ではあるが、いつものパーカーとジーンズ姿じゃ場違いもいいところだった。
「もうすぐいらっしゃるそうですよ」
小さく震えた携帯を取り上げて管理官が告げた矢先、タイミングよく玄関のドアベルが鳴った。
庭に面した一室に通されて総レースのカバーがかけられた丸テーブルを囲む男二人、まるで絵にならない。しかももう一人の来客も男とあっては、この豪奢かつノスタルジックな空間には不釣り合いなことこの上なかった。
特に会話もなくぼんやりと庭へと続く大きなガラス扉の向こうを眺める。まだ桜は頑なに蕾を開かない。それでも庭には幾つかの花がほころび始めていて、緑でむせ返る中に彩りを添えているのだろう、俺には分からないけれど。相変わらず俺の世界では、すべての花は色も香りも失ったままだった。
あれは綺麗なピンク色だったろうか、と生け垣に咲く花を見ながら記憶の中に眠っている鮮やかな色彩を脳裏から引っ張り出そうとしていたその時だった。
視界の中に留めていたモノクロの絵画みたいに作り物めいた花たちが、一斉にぶわっと色を取り戻して咲き誇った。
こぽこぽと足元から空気が沸き立って浮かび上がり、粒子が拡大して大きな泡となって目の前で次々とシャンパンのように弾けていく。パチパチパチパチと飛沫が壁まで飛んでいって、跳ね返ってきて、一気にズシンっと重力がかかった。
噎せ返る花の匂い。蜂蜜を煮詰めてドロドロにしたシロップを頭から浴びせられたみたいに、まとわりつく暴力的な密度の花蜜で息が出来ない。
カツン、と踵が鳴った。
ギシギシと壊れかけたロボットのように軋みを立てて首を回せば、目の前にアイツが立っていた。
「久し振り」
ふわりと笑いかける蜜の甘さに喉が詰まって、俺は再び意識を失った。
場を和ませるためのジョークなのかもしれないが、全然笑えない。先方は会いたがっているようですから一度だけでも顔合わせを、と言われて連れ出された日曜日。渋谷の繁華街からは歩いて10分程離れた距離にある住宅街のど真ん中、いわゆる隠れ家風のカフェなるものを指定された俺は今、不機嫌な猫のように居心地の悪い思いを胸に抱きかかえながら相手を待っていた。外は花曇り、日差しは分厚い雲に遮られて届かない。
会うつもりなど毛頭なかったが、自分が体液の提供という負担をする以上それを享受する相手を知っておきたい、でなければ提供するには気が進まない、と言われてしまえば、まあ抵抗する強い理由が見当たらない。ならば結構です、と言えない所がflower側の弱味であり、これまで通りの汎用性の高いownerたちによる投薬でどれ程の効果があるのか、もっと直接的に言えばどれだけの長さ生き延びられるのかは俺を含め誰にも分からないのだ。下手をすれば明日にでも身体の一部が枯れて崩れ落ちていってもおかしくはない。生殺与奪の権利というヤツを今まさに俺はパートナーであるowner氏に握られまくっている。
一度だけですよ、と念を押して気が進まないながらも渋々待ち合わせ場所に向かえば例の管理官がシンプルなスーツ姿で立っていた。黙っていれば敏腕ビジネスマンのように見えなくもない。
「…言いたいことは分かりますが、制服なんかで立っていたらあなたがflowerだと喧伝するようなものですからね」
と先回りして答える顔は相変わらずニコリともしない。確かにその配慮は必要だろうと頷いて大人しく彼の背中についていく。辿り着いた小さな英国風の建物は幾つかの個室ごとにテーブルがセットされていて、内緒話にはもってこいの空間だった。
クラシック音楽が薄く流れ、高そうな調度品たちは何世紀か前のものだと言われても頷いてしまいそうなほどゆったり悠久の時間を纏っている。外界から隔絶されているとしか思えない控えめながらも贅沢な世界。出来る限りの小綺麗な格好をしてきて良かったと胸を撫で下ろす。ハイネックのセーターにチノパンという何の変哲もない格好ではあるが、いつものパーカーとジーンズ姿じゃ場違いもいいところだった。
「もうすぐいらっしゃるそうですよ」
小さく震えた携帯を取り上げて管理官が告げた矢先、タイミングよく玄関のドアベルが鳴った。
庭に面した一室に通されて総レースのカバーがかけられた丸テーブルを囲む男二人、まるで絵にならない。しかももう一人の来客も男とあっては、この豪奢かつノスタルジックな空間には不釣り合いなことこの上なかった。
特に会話もなくぼんやりと庭へと続く大きなガラス扉の向こうを眺める。まだ桜は頑なに蕾を開かない。それでも庭には幾つかの花がほころび始めていて、緑でむせ返る中に彩りを添えているのだろう、俺には分からないけれど。相変わらず俺の世界では、すべての花は色も香りも失ったままだった。
あれは綺麗なピンク色だったろうか、と生け垣に咲く花を見ながら記憶の中に眠っている鮮やかな色彩を脳裏から引っ張り出そうとしていたその時だった。
視界の中に留めていたモノクロの絵画みたいに作り物めいた花たちが、一斉にぶわっと色を取り戻して咲き誇った。
こぽこぽと足元から空気が沸き立って浮かび上がり、粒子が拡大して大きな泡となって目の前で次々とシャンパンのように弾けていく。パチパチパチパチと飛沫が壁まで飛んでいって、跳ね返ってきて、一気にズシンっと重力がかかった。
噎せ返る花の匂い。蜂蜜を煮詰めてドロドロにしたシロップを頭から浴びせられたみたいに、まとわりつく暴力的な密度の花蜜で息が出来ない。
カツン、と踵が鳴った。
ギシギシと壊れかけたロボットのように軋みを立てて首を回せば、目の前にアイツが立っていた。
「久し振り」
ふわりと笑いかける蜜の甘さに喉が詰まって、俺は再び意識を失った。
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