Fleurs existentielles

帯刀通

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コペルニクス的転回

01

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flowerには特権があるため保護が必須となる。数十万人に一人の頻度で出現する特異体質の原因解明だけでなく、その特殊な遺伝子を医療や化学の未来に貢献させることは出来ないかと日夜国家を上げて取り組んでいる、らしい。生み出される花弁は万能薬として高値でやりとりされているというまことしやかな噂さえ罷り通っている。その稀少な血を絶やさないためにも、発見者には特務機関への通報義務があることは全国民が小学校で習っている、いわば常識だ。

後輩は震える手で俺の肩を掴んでもう片方の手で携帯の画面解除ボタンをタップした。それを慌てて両手で押さえた。

「待ってっ、お願い!」

構内で目立つ形で連れ去られたくなかった。何処で誰の目に触れないとも限らない。このまま医務室に行くからと後輩の腕を掴んで引きずるように歩みを進める。本来なら病院に駆け込むべきなのだろうが生憎自堕落な生活を送っている大学生がすぐに受け入れ可能な大病院を探せるわけもない。個人情報が守られる形でサポートして貰うならまずは別棟にある大学の医務室が最適だろう。たぶんこのまま大学付属の大学病院に連行されることは想像に難くなかったが、ひとまず自分の手の届くフィールドで態勢を整えるべく別棟へと向かった。

そして案の定、そのまま目と鼻の先にそびえ立つ大学病院付属研究棟へと連れていかれた。何の口止めもせずに帰すわけにはいかないと、道連れにされた後輩には悪いが付き添ってもらった。

診察なのか尋問なのか分からない問診を受けているうちに、通報により特務機関から派遣された管理官が到着する。

「間違いなくflowerですね」

お気の毒に、と語尾に付け足したいと言外に告げている顔で医師は宣告を下す。診察券と共に定期検診の用紙を渡された。ここから先はそちらで、と管理官に譲る。

「まずはこれを肌身離さず身につけてください」

差し出されたシリコン製の透明なブレスレットは、肌に張り付いて遠目には何も着けていないように見える。手首の内側、パルスを感知する特殊なチップが俺の生命活動と居場所をGPSで刻々と知らせるらしい。

「脱着は基本、不可です。パルスを感知できなくなれば警告音が大音量で流れ、現場に管理官が急行する羽目になります。取り外された場合は対象者の生命の危機と判断されますからそのつもりで」

何という恐ろし気な拘束具だろうという言葉は飲み込んで大人しく装着した左手を右手が無意識に撫でた。警察官のような制服に身を包んだ神経質そうな線の細い管理官は、七三にぴっちりと分けられた黒髪をほつれてもいないのにそっと撫でつけてから、銀縁眼鏡のフレームを押し上げた。

「本日発現を認知したということで、未だownerとの邂逅はなし得てないと推測します」

軽く片眉を跳ね上げての確認を求められ、黙って頷いた。

「世間ではflowerにとってのownerは運命の相手のように言われていますが、実際は発症後直ぐに互いを見つけられる確率は極めて低いのです。よって体調管理のため、当面は汎用性の高いowner細胞を持った方の体液をベースにした処置薬の投与を行います」

どうぞ、と管理官が手のひらを医師に向けると、俺の担当医となるはずの男性医師はくるりと椅子を回して短いボールペンのような物体を振りながら見せてくれた。透明で長さ10センチ程度の平べったい棒状のフォルムは体温計に見えなくもない。中央の管に入った液体は薄い青色をしていて、左右に振るとたぷりたぷりと波のように揺れる。

試しに手首を出すように促され、恐る恐るブレスレットの着いた左腕を伸ばせば、シリコンを指先で持ち上げた内側の丁度腱のあたりに先端が当てられる。ボールペンでいうところのノックする部分を押し込むと、プシュリと小さな空気音と共に一瞬チクリとした痛みが走った。先端が触れていた跡を見れば5ミリ程のごくごく小さな四角の中に小さな赤い粒が幾つも見えた。ほら、と眼前に向けられた投薬器の先端部分には小さな銀色の針が数十本単位で埋め込まれていた。

「これで筋肉注射をすれば1週間から10日程度は持ちますよ。waterの頻度は人それぞれなので一概には言えませんが、欠かしてしまうと身体のどこかが枯れていってしまいます。足りないよりは過剰な方がまだマシですから、体調不良、例えば四肢の震えや幻覚、倦怠感などを感じたらすぐに打ってください」

後で処方しますから常に携帯するように、と念を押される。

「効き目には当然個人差がありますし、なかなか効かない或いは相性が良くない場合もあります。汎用性のあるownerの成分とはいえ、あなた個人のパートナーと比べれば完璧な適合率とは言えませんから油断は禁物です。定期検診をきちんと受けて、不適合の場合は別のものに変えるなどの措置が必要です」

滔々と流れてくるお経のような説明を、どこか他人事のような気持ちで聞いていた。

今更俺がflowerになったところで何の意味がある。
滑稽を通り過ぎて自分自身が憐れにすら思えてきた。

何故今、何故俺なんだ。それならあの時、
もしあの時、俺がflowerだったなら。

…どうしたって俺のパートナーにはなり得ないというのに、どうしても歯噛みしてしまうのを止められない。まだ見ぬ俺のパートナー、ownerには申し訳ないが探す気もなければ見つかったところでパートナー契約をする気にもならなかった。このまま汎用性の高い某owner氏の情けに縋って、誰のものにもならない俺でいたかった。

今後ownerを発見した場合の対処法なども含めて諸説明と書類と処方箋が渡されて解放されたのは、実に5時間後だった。会計は当然無料、俺は政府お墨付きのモルモットとしての立場を約束されてしまったのだから。

「…大丈夫っすか」

途中から流石に申し訳なくなって帰るように勧めた後輩が、待合室から戻ってきた。結局最後まで付き合ってくれた彼の顔にも薄っすらと疲労が浮かんでいる。

「んー、別に体調はフツー。生活も特に変わんないって。定期的に検査して投薬するだけでいいみたい」
「とりあえずじゃあ、今日は帰れるんすか」
「うん、腹へった」
「…オレもっす。どっか寄ってきますか」
「肉が良い、肉」
「うぃ、じゃ行きましょ」

早咲きの桜さえまだ固く蕾を閉ざしたままの初春の空の下、肩を並べて歩く。肌寒い、月も星も見えない暗い夜だった。

「…なぁ、頼むから」
「言いませんよ誰にも。言いません」

少し食いぎみに被せてきた後輩は軽く俺の背中を叩いた。目線よりも下にある天頂をポンポンと叩けば、チビ扱いは止めてくださいよと頬を膨らませる。

「だから安心して。何かあったら頼ってくださいね」

誰かに心配される気恥ずかしさとあたたかさに、不安や疲労がじわりと溶け出した。

「…今日は俺の奢り」
「いよっしゃ!焼き肉行きましょ!」
「お前は遠慮ってものをしろよ」

わいわい言い合いながらの帰り道は少しも寂しくなかった。


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