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市川 電蔵

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Scene 15

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山形は東京に比べ、夕暮れが早い。季節はもう冬至に近く、午後四時を回ったばかりだというのに、窓の外は薄暮の状態だ。だが、降り積もった雪がうっすらと光り、なんとも絵になる景色だった。
「あーくん、席について」
雪江が料理を配膳しながらよく通る声で俺に言う。
「ゆぎえ様、ほだなごとすねでしぇーさげ、すわってでけらっしゃい」
孫兵衛おんちゃんが料理の皿を並べながら雪江に言う。
「主役の人さ、さしぇらんねべず、ごっつぉ出すなのよぉ」
言葉がよくわからないのは相変わらずだが、雪江にお膳の準備などせずに座っていろと言っているのだろうことはなんとか理解できた。
「そろそろ皆来っさげ、あどしぇーがら、座てろ、ゆぎえ」
義父がのそっと部屋に入ってきて、自分の席~座敷の上座向かって右端~に座った。
「愛郎君も、座れ」
義父がはじめて俺の名を呼んだ。俺はあわてて席に近づいたが、どこに座っていいかわからない。雪江が義父のとなりを指差す。上座の真ん中、お誕生日席だ。座ってみて驚いたのだが、座布団と膳が10の4列あり、その先の下座には大きな座卓まで置かれている。ざっと数えたら座布団にして50枚以上だ。
雪江と並んで座布団に座る。正座するのはあまり得意ではないのだが、あぐらをかける雰囲気ではない。となりの義父が、正面を見据えたまま話し始めた。
「これがら、おらえの主だった親戚衆ど、俺の支援者、県連の幹部、学院の先生なんかが来っから」
おそらく、とてつもなく偉い人ばっかりなのだろう。
「愛郎君は、まだ慣れでねべがら、あんますしゃべねで、はいとかいいえだどが、そのぐらいでしぇーさげ」
しぇー、というのが、「いい」という言葉が訛ったものだと判ってきた。つまり、あまりしゃべらずに、何か聞かれたら短い返事だけしていろ、ということだろう。どうせ何を言われてるのかわからないだろうから、願ってもないご指示だ。
「はい、わかりました」
俺のほうを見ずに話していた義父に挑戦するように、俺は義父のほうへ首を曲げ、返事をした。義父が目だけ動かして俺を見て、また目を正面に戻す。その目の動きを合図にしたように、今宵の招待客がいっせいに広間へ入ってきた。
それぞれの招待客がうろつくでもなくきちんと着席するところを見ると、家格や役職によって席次がほとんど決まっているのだろう。もっとも上座に袈裟を着た坊主とほっそりしたお公家さんのような男が最後に着席し、義父が口を開いた。
「ほんじづは、おいそがすいどごわざわざおいでいだだぎまして、まことにありがどうございます」
一応標準語でしゃべっているつもりらしい。
「かねでより皆様がださご案内いだしましたように、当家のゆぎえの婿が決まりました。とぐながあいろう君であります。本日は彼のご紹介にとどめまして、後日、日取りを選びまして結納の儀、とりおごないますので、よろしぐ、おねがいいたします」
招待客が、いっせいに義父のほうに向かって頭を下げた。招待客の下げる頭の方向が、すべて義父に集中しているのが良くわかった。
「では、ゆぎえよりひとごどごあいさづ申し上げます」
雪江が一礼する。招待客が雪江に向かって頭を下げた。
「皆様、本日は雪で足元のお悪い中おいでいただきまして、まことにありがとうございます」
雪江が流麗な標準語で話し始め、一礼する。また礼が返ってきた。俺はいっしょに礼をすべきかどうかちょっと考えたが、頭を動かさず一点を見つめることにした。
「今、父がご報告申し上げましたように、私もようやく婿を迎えることとなりました。ご列席の皆様方にはこれまでひとかたならぬお世話をいただきまして、そのありがたさには、私、お礼の言葉もございません。本日は私の選んだ方を、お世話になりました皆様がたに一刻も早くご覧に入れたいと思い、ご足労を願った次第でございます」
雪江が一気に語り、俺をちらりと横目で見た。一瞬考え、雪江の要求が理解できた。
「徳永愛郎と申します。若輩者ですがよろしくお願いいたします」
ちょっと声が裏返ったが、大きめの声で挨拶し、一礼をした。今度は、ちゃんと俺のほうに向かって礼が返ってきた。
「本日は、粗酒粗肴ではございますが、ご用意させていただきました。どうかお手元のものをお召し上がりくださいませ。順にお席へご挨拶に伺わせていただきとうございます」
雪江がそういうと、招待客がようやく足を崩して料理をつつき、酒を酌み交わし始めた。
「よくできました」
雪江がにっこり笑って俺のグラスにビールを注ぐ。
「上出来よ」
義母が笑う。義父もにやりと笑った。
「キミが徳永君か、氏家了兆だ」
袈裟を着た坊主が俺の目の前やってきた。
「浄妙寺のご住職よ」
雪江がすかさず横から囁いた。
「は、ご住職でありますか、その節はまことに」
俺の首をつないでくれた、大恩人でもある。実物を見るにつけ、袈裟を着てはいるものの、坊主というよりはやはり学者のような雰囲気である。
「お前の指導教授、篠沢といったな」
「は」
「調べてみたら、ワシの孫弟子にあたるな。東大でインド哲学を学んでおったときの後輩が宍戸で、大学に残って教授になったそいつについていたようだ」
その偉さというのはたぶん、インド哲学とやらを真剣に学ぶ者にとっては、神様に近いものなんだろう。
「おっさまの弟子筋がっす」
もう一人の上座、お公家さんが俺の前にやってきた。
「佐兵衛のおんちゃんよ」
雪江が紹介する。
「どうもはじめまして」
俺はグラスを押し戴き、注がれたビールを飲み干す。
「五代目の権兵衛から分がっだ、分家筆頭だ。親戚うづでは長崎、佐兵衛で通ってる」
義父が簡単な説明をする。
「おお、おらぇのほうは長崎でな、左沢線乗って来たべ、寒河江のふたつ前の駅だ」
「ながさぎはちっちゃい町だげっと、戦前まではながさぎのほどんどは石川の土地だっけんだ。駅の建物は佐兵衛の蔵のひとつば移して建でだぐらいだがらな。ながさぎえぎ、でねくて石川えぎ、になるはずだったんだど」
義父が酒を飲みながら補足する。
「おらぇは本家ど違って、何にもすねがらよぉ」
お公家さんはまったく何も面白くないポイントで大爆笑した。
「佐兵衛のおんちゃんは、学者なのよ」
雪江がまた補足説明をする。
「フランスぶんがぐさ、この身ばささげだのっだんねぇ」
お公家さんはそう言ってまた爆笑した。裏の裏を読むと笑うポイントなのかもしれないが、やはり理解できない。
「仙台の大学で講義してるのよ」
フランス文学とこの訛りはあまりつりあわないような気もするが。
「分家はあわせて五つあるが、戦前の本家と五つの分家の土地を合わせると、いまの近隣七市町村の面積の五分の三くらいは石川家の土地だった」
住職が日本酒を煽りながら説明する。
「日本有数の地主ということでな、大東亜戦争の後はGHQが直接乗り込んできたそうだわ」
住職が呵呵大笑する。酒の量を見ると、やはり住職よりは学者のほうに力点が置かれているらしい。
「はじめまして」
地味なスーツを着込んだ男が俺に酒を注ぎに来た。
「柴橋の吉兵衛おんちゃん」
「八代目からわがっだ分家だ」
雪江と義父が素早く紹介を終える。
「柴橋、ってゆってもらっていい」
訛りはあるが、かなり聞き取りやすい。
「柴橋はほとんど毎週東京さ出張しったさげの」
「仕事だがら」
「柴橋は会社やってんだ。半導体の工場」
「うちの大学にも就職の案内来てたよ」
雪江の学校はかなりのお嬢様学校だ。
「奥羽精密って会社よ。工作機械用のLSIじゃ、世界的シェアらしいんだけど。家電なんかと違って表に出ないもんね」
「職人の世界だよ、ユキちゃん」
柴橋石川家の吉兵衛の会社はもともと農機具を製造する鉄工所で、先代が農業に関する電気製品製造に乗り出した。要は電動脱穀機や電動精米機である。後を引き継いだ当代が大学で学んだ半導体の製造に着手し飛躍的に業績を伸ばし、山形県の代表企業のひとつになってるということを後で俺は知る。当代の吉兵衛は、怜悧な経営者の顔と職人の手をしていた。
「やっぱり百姓がいづばん強いんだず」
入れ替わりに、真っ黒に日焼けし、汚れが落ち切らない作業着に農協の帽子といういでたちの男がやってきた。
「東根の又兵衛おんちゃん」
「東根石川家、九代目から分岐」
義父がまた短い紹介をする。
「半導体なの工場でこしゃういげっと、さぐらんぼだばさがだづしたて工場でつくらんねべ」
今まで出会った誰よりも、言葉が理解できなかった。単語、イントネーションすべてが日本語とは思えない。
「たぶん、日本で一番大きいんじゃないかな、果樹生産農家としては」
「先先代のどぎがら、さぐらんぼつくったっけがらな~」
又兵衛は大笑いしながら俺に何度もグラスを突き出す。俺はそのたびにビールを注いでやるのだが、すべて一口で飲み干してしまうのだ。
「つぢどお天道様さえあっば、百姓で食っていぐいなださげ」
ようやく意味がわかったが、土と太陽のほかにも、又兵衛おんちゃんという人には酒が必要だろう。
又兵衛おんちゃんと入れ替わりに、いっそういかつい男が俺の目の前にやってきた。
「左沢の軍兵衛だ」
近くに寄ってきたこの軍兵衛と名乗った男は、どうみてもやくざにしか見えない。筋肉質で浅黒く日焼けしている。昔、街でやくざにからまれた時のことを思い出してしまった。俺のグラスに無言でビールを注いでくれたが、酌を受ける俺の手は小刻みに震えていた。義父が軍兵衛おんちゃんににじり寄る。
「軍兵衛、あの件は大丈夫だが」
義父が声をひそめて話しかける。
「しぇーさげ、俺さ、まがせでおげちゃ、兄貴」
この義父とて、けっして人相のいい方ではない。誰が見ても美人と称される雪江の父親であることがいまだに信じられないくらいなのだ。二人のひそひそ話は、暴力団の幹部が地上げの相談をしているようにしか見えない。
「お父さんも軍兵衛おんちゃんも、しごどのはなすばりすねでよ」
雪江が方言モードになっている。アルコールがまわってきたらしい。宴席で酌をして回っていた雪江が、俺の隣に戻ってきてぴったりと身を寄せた。
「軍兵衛おんちゃん、雪江の旦那、しぇーおどごだべ?」
「ンだな、ユキ、しぇーおどごみつけだもんだ、おんちゃん、正直うれすぃ」
雪江を前にすると、凶悪な軍兵衛の相好が一気に崩れる。
「軍兵衛おんちゃんはね、左沢で、総合建設業を営んでいらっしゃるのでした」
「土建屋だず」
ヤクザが大笑いした。
「雪江ね、おんちゃんのダンプに乗せて貰うの大好きだった」
雪江がヤクザに抱きついて、頬にキスをし始める。怪しげなキャバクラそのままの光景だった。
「ゆぎえ、いい加減にすろ」
さすがの仏頂面も苦笑して、自分の娘を叱る。宴はすっかり打ち解けていた。東北の人間は酒が強いとは聞いていたが、聞きしに勝る酒量だった。孫兵衛おんちゃんが空いたビールのビンや一升瓶をてきぱきと下げているが、あっという間に酒のケースが積み上がる。
「あいさつが遅れまして」
まったく訛りのない標準語を話す男が、酒にやられつつある俺の前にやってきた。
「東京の五兵衛だ」
仏頂面が酒に顔を赤くして紹介する。義父もそう酒には強くないようだ。俺は少し焦点の定まらない目で五兵衛という男を眺め、一礼した。
「おじさん、ごめんね、この人お酒強くなくて」
雪江が標準語で答えた。
「あたしらが住んでいた広尾の家や、他に東京に持っていた不動産を元手に運用してるのさ」
祖母がこれまた軽妙な江戸訛りで横から付け加える。いつの間にここに来ていたのか、まったく気がつかなかった。
「御一新の頃、江戸にあった山形の殿様の上屋敷やら下屋敷やら米蔵やらをそっくりそのまま買い取ったんだとよ、お武家様は貧乏だったさげの」
義父の表情が少し緩んできた。
「御一新の頃に分家した五兵衛が東京に出て、その家屋敷を明治政府に賃貸したんだそうだ。あの三菱ほどは商売っ気がねがったがらこの程度でおさまってんなだ」
「ひいじいさんは商売人じゃなくて風流人だったらしいからね。じいさんとオヤジが土地を切り売りして、その資金で株や相場をやってね。僕はその資金を受け継いで投資会社をやってる」
「おじさん、ダメよ、この人は世界史専攻だから、経済にはまったく疎いから」
雪江が標準語モードで語りかける。
「そうらしいね、佐兵衛さんのほうだな」
山形の地では、五兵衛さんの爽やかな発音はむしろ違和感があるように感じる。
「五兵衛さんは俺の会社でだいぶ儲げだもんな」
吉兵衛がかすかな訛りで話しに入ってきた。だいぶ酔ってきているらしく、経営者の顔でなく職人の顔になってきている。
「奥羽精密には、本当に世話になったよね。今だったらインサイダーで一発で手が後ろに回ってる」
「今からでも遅ぐねえべ」
吉兵衛が爆笑した。
「ンでも、あんとぎ融資してもらわねば、絶対に倒産してたかんな」
「こっちも大博打だったさ。何しろ田舎の農機具メーカーがLSIだってんだから」
この二人は経済というキーワードでウマが合っているらしい。そして農家の又兵衛と土建の軍兵衛も、土というキーワードでつながっているようだ。そして分家筆頭である学者の佐兵衛が本家と分家をうまく取り結んでいる。
俺は酔っ払ってきた頭でなんとかこのとんでもない一族の関係を整理していたが、又兵衛おんちゃんに注がれた日本酒をあおったところで記憶が途切れた。
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