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クララ、福沢諭吉の英語力に愕然とするのこと

ラノベ風に明治文明開化事情を読もう-クララの明治日記 超訳版第68回  クララ、福沢諭吉の英語力に愕然とするのこと

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 今回分は、ウィリイの出立、福沢諭吉のトンデモ英語力、そして勝海舟とバッタリ! な話がメインとなります。福沢諭吉、勝海舟、勝夫人と歴史や歴史小説に登場する人たちの“素顔”を見ることが出ますので、普段読まれていない方も是非!

明治12年1月6日 月曜日 
 今日は起きて階下に下りていったが、一日中だるくて苛々した。
 あまりすることがないのも苛々する原因だったかも知れない。
 お逸、梅太郎、小鹿さんがみえた。
 小鹿さんはとりわけ快活で助かった。
 ウィリイは可哀想にあまり休めない。うちの使用人の入れ替えが激しいのだ。
 ヤスは悪事を働いているのがばれた。
 彼は庭師に三ドル余分に請求させてその分を自分が取ろうとしたのだ。
 庭師は正直者らしく、余分のお金を返しに来て謝罪した。
 それでヤスは首にした。
 他にも同じようなことをしていたのかも知れない。
 勝夫人という後見人があるのは本当に幸せだ。
 奥様がケライだかカロウだか、とにかくサムライの出の人を寄越して下さって、この人が使用人を雇ったり、暇を出したり、使用人の給料を支払ったり、台所や車夫の勘定を一切見張っていてくれる。
 私たちが留守の時は家を監視もしてくれるし、いつも丁重にお辞儀をし、丁寧な言葉で話をする。
「外国の方の家だけでなく、日本人の家でもこういった役割をする人が絶対不可欠なのですよ」とは奥様の弁。
 使用人は不正直であるし、町人階級は信用できないからだ。
 勝家はこの役目をする仲介者がいるが、この人は子供の家庭教師でもある。
 これにより一家の主婦は、目下の者と直接金銭のことで衝突することがないようになっている。
 私たちがそういう人が必要だということに気付かないうちに、勝氏はちゃんと人を付けて下さったのだ。

明治12年1月7日 火曜日 
 明日はウィリイが出発するので、今夜の夕食に高木三郎氏をお招きしに私は出かけた。
 高木氏は銀座の津田縄の店の二階に住んでいる。
 住むには不適当なところなので恥じておられるが、間もなくもっと住み心地のよい地域に引っ越される。
 一週間毎日祈祷会が開かれているので教会に行った。
 それからウィリイと知事の楠本氏を訪問したが、忙しい最中なので明日来るようにという伝言であった。
 外に出ると馬上の福沢先生にばったり出会った。
 先生はすぐに馬から下りて、ウィリイに金沢での成功のお祝いを云われた。
 石川県令の桐山純孝氏から福沢先生に手紙が来ていたのだ。
 福沢先生は英語と日本語をやたらに混ぜて奇妙な話し方をなさるので、何を云っておられるのか分かりにくい。
 例えば桐山氏のことを話す時には、こんな具合なのである。
「ミスター桐山イズほんとうにカインドマンけれども、ヒイイズ大層ビジィ、この節、イエス」
 云いたいことは分かるけれど、とても通訳を勤めていた人の英語力とは思えない。
 日本語がある程度は分かるわたし限定の言い方なのだろうか?
 夕刻。予定通り、高木三郎夫妻とお逸と富田夫人が夕食にみえた。
 高木氏は相変わらず話し好きで、屈託のない様子である。
 ニューヨークとサンフランシスコに合計十年もおられたので、アメリカの生活は隈なく見て来られた。
 高木夫人は綺麗な若い人で、俗語もこなして英語を自由に話し、服装も流行の先端をゆく。
 まるで英語圏の人のように「グッド・グレイシャス!」とか「オオ・マーシィ!」とか「ナット・マッチ」といった感嘆詞を使う。
 その上ヤンキーの真似をして、「アイ・ゲス・ソー!」などと云う。
 綺麗な服装でオットセイの毛皮のコートを着、可愛い小さい帽子を被っていた。
 私たちの質素な生活様式はお気に召さないだろう。

明治12年1月10日 金曜日 
 今日はウィリイの出発の日。
 彼に行かれるのはとても悲しい。
 シェークスピアは「別れの甘き悲しみ」と云っているが、それは間違いだ。
 もっともジュリエットとロメオの場合はそうだったかもしれない。
 しかし、たった一人の兄を未知の危険の中に送り出す時の別れは、甘いどころではない。
 金沢にはアメリカ人の舌に合う食べ物はろくにない様子なので、午前中私たちはお菓子やいろいろのものを荷作りした。
 アディは、上田おかぜちゃんに上げる人形を兄に言付けた。
 おかぜちゃんが兄に託した手紙と、自分で作った人形の衣装をくれたのだ。
 兄は昼食まで家にいて、それから母と一緒に駅へ行った。
 私たちは、お昼の食事が咽喉を通らなかったので、勝夫人がとても心配なさった。
 母は家を出る時は泣いていたし、ウィリイがさよならを云って私たちにキスをし「咽喉の骨が変な感じがする」と云うと、アディが大声で泣き出したので、勝夫人はますます心配なさった。
 私がカラカミを睨んで平静を装おうとしたが、涙で目が霞むのをどうしようもなかった。
「大丈夫、すぐ帰っていらっしゃいますよ。小鹿が海軍省でウィリイさんの仕事を頼んでありますから、そうなればずっとお家にいられるでしょう。
 さあ、泣かないでご飯を召し上がれ。ご飯が済んだら家へ遊びにいらっしゃい」
 ご親切な奥様はこう云って私たちを慰めて下さった。
 その後、私たちは勝家に行った。
 居間の火鉢の側に坐り、弾力のある固いお餅をせっせと食べて、お腹が一杯になってしまった。
 奥様は内田家に寄って来られたので、私たちの方が先にお家に着いてしまった。
「お先にごめんください」
 それで彼女が入って来られた時に私がそう云うと、奥様は「後の鷹先に来たり」という諺を引用された。
 勝夫人は本当に模範的な女性だ。
 洗練された女性で、しかも行き届いた主婦である。
 それはご主人にとってはありがたいことだ。
 ソロモン王が「価においてルビーに遙かに勝る」と云ったのは、このような女性のことに違いない。
 ウィリイは金沢にもう一年勤めるように依頼されているのだけれど、一年間も別れて暮らすことはできない。
 彼は我が家にとって大事な人であるばかりでなく、絶対に必要な人なのだ。
 どうか神様、兄の旅路をお守り下さいますように。
 そしてつつがなく私たちのもとへお返し下さいますように。

明治12年1月11日 土曜日
 昨日も今日も私はお逸のところへ遊びに行った。
 お逸を訪問する時には戸口に行って、恭しく告げるのだ。
「ゴメンクダサイマシ」あるいは「オ頼ミ申シマス」と。
 そうして、誰かが中から「お入り下さい」と云うのを待つという寸法だ。
 昨日行った時は高木氏が居間におられたので、お逸に着いて、コタツの切ってある部屋の一つに通された。
 家の中を縦断している廊下を笑ったり喋ったりしながら通っていると、私たちは急に立ち竦むことになった。
「!!」
 角を曲がったところで紺の着物をお召しになり、手には金粉をつけた漆塗りの文箱を持った勝氏ご自身にばったり出会ったのである。
 私はこんなところで勝氏に会ってきまりが悪く、はっとして、深く頭を下げた。
「失礼いたしました」
 小声でそう云って私が道を開けると、勝氏はちょっと足を止められた。
 そうして、にっこりと優しく微笑まれると、こう云われた。
「すっかり日本人におなりですな」
 部屋に着いた時にはこの冒険に私は息を切らしていた。
「父様がこんな時刻にあんなところを通りかかるなんて!」
 お逸でさえ、この遭遇には吃驚していた。
 勝夫人をお訪ねしていると時間が早く経つ。
 コタツというのはなかなか良いものだと思う。
 床に四角い穴が切ってあって、そこに火鉢をはめ込んである。
 この上に椅子の高さの木の枠が付いており、その上に厚い布団が掛けてある。
 家族がこの周りに坐って暖まるわけだ。
このコタツに入ると驚くほど早く身体が暖まる。
 スペイン人もこれに似たものを使っていると思うが、彼らのはテーブルに穴を開けたもので、人々はその周囲の椅子に掛けるタイプだ。
 みんなが綿入れの布団の上に頭だけ見せて坐っている有様は、実に滑稽だ。
 この暖かいコタツの周りに坐って、勝夫人、疋田氏、お逸、そして私の四人で、家の問題について話し合ったので、使用人たちのことがいろいろ分かった。
 夫人は私たちのうちのことは何でも知っていらっしゃる。
 というのは、話しているうちに急にこんなことを仰ったのだ。
「お宅はもう卵がございませんよ。田中にお金をお渡しになれば買ってきます」
 卵の管理は私の責任なのだけれど、自分では知らなかった。
 夫人は使用人が何処へ何をしに行くか全部知っておいでになる。


【クララの明治日記  超訳版解説第68回】
『すっかり日本人におなりですな』
「にっこり笑って、こんなことをポンと云えるなんて、超格好良いよね、うちの父様!」
「……わたくし的には、こんな些細な事でそこまで感動できる貴女の方にある意味感動しますわよ」
「えー、これこそ“生の記録”じゃない! もっと感動すべきよ!
 勿論江戸城開城談判の時の父様も格好良いけれど、父様の諸々の業績全く関係なくて、人柄だけが滲み出るエピソードなんて、なかなかお目にかかれないでしょ? 
 クララの日記でさえ、父様の生の言葉を書き記していることは滅多にないんだもの。本当に貴重な記録なんだよ、この一言は」
「……ますます貴女の感性に対する理解が困難になりましたわ。レアもののカードを引き当てた子供の反応と何処が違いますの?」
「レアものと云えば“F氏”の英語力もそうだよね」
「貴女、都合の悪いところは全く聞いていませんわね?」
『ミスター桐山イズほんとうにカインドマンけれども、ヒイイズ大層ビジィ、この節、イエス』
「本当にひどい英語だよね、文法的にも言葉の選び方的にも。
 幕末、欧米に渡った時にどうやって通訳したんだろ? 通訳がお仕事なのに」
「気合い、だと思いますわよ、半分は冗談抜きで。
 日本人としては恰幅の良い人間が通じている気満々で喋れば、相手としては“理解せざるを得ない”そして“なんとか理解しよう”という気分になるのでしょうよ。
 なまじ英語が喋れたとしても、ボソボソと自信なさげに喋っていては、喋っている内容云々は関係なしに小馬鹿にされてお終いですわよ。
 百三十年前の日本人が欧米で置かれた状況的には、なおのことですわ」
「……随分とF氏の肩を持つんだね、メイは」
「肩を持つのではなく、事実を事実として受け止めているだけよ」
「面白くないから、母様の話!
『さあ、泣かないでご飯を召し上がれ。ご飯が済んだら家へ遊びにいらっしゃい』
 まるで小説かドラマのワンシーンみたいなことをポンと云えるなんて、超格好良いよね、うちの義母様!」
「またですの、貴女は!? ……って、でも確かに、クララの日記を通して読んだとき、一番“株”をあげるのは間違いなく勝夫人でしょうね。
 特に圧巻なのは、クララの再来日後に起こった悲劇に際しての……」
「おっと、それはストップ! それはまた後日の話と云うことで。
 とりあえず本日の結論的には“F氏の英語力”に関する資料をお持ちの方は是非ご一報を! ということだよね」
「どうしてそういう結論になりますの!?」
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