上 下
3 / 3

3)

しおりを挟む
 触れるだけのキスで香乃は唇を離す。

  吐息の重なる距離。克尚と香乃の視線が絡む。

  どちらも何も言わなかった。言えなかったと言うのが正しいのかもしれない。

  克尚が口を開いて、閉じる。言葉を探すような間の後、克尚が大きなため息をついた。

  香乃は何もなかったように正面を向く。

 「知っていたのか? 結婚のこと……」

  諦めふくんだような克尚の言葉に香乃は肩を竦めて、帰り支度を始める。

 「女の情報網を舐めないで?」

  荷物と伝票を手にスチールを降りる。

 「香乃?」

  克尚が驚いたように香乃の名前を呼ぶ。その声が好きだったと思う。自分を呼ぶ声に恋情が含まれていて欲しいといつも願っていた。

  この10年ずっと―――

 でももうそれも終わり。今日、自分はこの恋を終わらせる。

 「帰る。今日の飲み代は結婚祝いって言うことで奢ってあげる」
 「香乃? 待てよ!?」

  香乃が会計をしている間、克尚も焦ったように帰り支度をして後を追ってくる。

  店の外に出るとアルコールに火照った身体に夜風が気持ちよかった。
  自然とため息が零れて落ちる。香乃は大きく伸びをした。

 「香乃、俺……」

  躊躇うように男が声をかけてくるのを肩越しに振り返って香乃は苦笑する。

  ――ずるいなぁ……

 そう思う。でも、ずるさで言えば香乃も同じだ。

 「いいよ。別に……無理に話さなくても。聞きたくないし?」

  艶やかに微笑んで見せる。それは香乃の意地だ。
  ネオンに照らされた香乃の儚くも綺麗な微笑みに、克尚が息を飲む。
  そうしてそろそろ息を吐きだした。

 「俺は香乃とは恋愛したくなかった。」
 「うん。知ってる」

  はっきりと言葉にされて、鼻の奥がつんと痛む。泣きたくなるが、泣くつもりはない。

  --やっとこれで本当に終われる。

  そんな安堵が香乃の心を満たしていた。

  でも、互いの想いは恋だった。その確信が香乃の心を痛みに与える。

  克尚の手が伸びて来て香乃を抱きしめる。そっと壊れ物のガラス細工に触れるみたいに恐々とした仕草に香乃は苦く笑う。香乃からは抱きしめかえさない。香乃は両手をだらりと下げたまま克尚の好きにさせていた。

  愛した男の腕の中はひどく居心地が悪かった。

 「大事だったんだ。香乃との時間が……」
 「うん……」
 「失くしたくなかった」
 「そう」

  それは香乃も同じ。多分、互いに互いが大事過ぎた。


 「悪いけど、結婚式には出ないよ」
 「それは困ったな。香乃が出てくれないとみんなに何をいわれるのかわからない」
 「私に友人代表で挨拶なんてさせたら結婚式を修羅場に変えるよ?」
 「怖いな」

  克尚が苦笑して香乃をその腕の中から解放する。今度は香乃がホッとため息を吐いて、深く息を吸い込んで気持ちを落ち着ける。

 「まぁ私が結婚式に出なくても大丈夫よ。私、来月からシカゴに行くから」

  務めて軽い口調でそう言った香乃に、克尚が驚きにその瞳を瞠った。

 「香乃?」
 「多分、最低5年は帰って来ない。栄転よ? うらやましいでしょ?」
 「……もう俺と会う気はないのか?」

  ここに来てまで最後のずるさを見せる男を眺めて香乃は笑う。艶やかに笑って見せる。笑うのは香乃の意地だ。

 「克尚って時々、ひどくお子様ねー」
 「香乃?」
 「5年後、帰国するときは私、多分日本支社長になってるわ。その時は祝杯にみんなで付き合って」

  もう2度と二人で会わないと宣言をする。

  香乃の意図をしっかりと受け取った男が諦めたようにため息を吐いた。
  苦く笑った男の唇が近づいてくるのに、香乃は黙って瞼を閉じる。



  最後のキスは涙の味がした―――


「じゃあね。お幸せに……」
 「あぁ、香乃も元気で」

  唇が離れて、心の距離も離れる。

  二人は何事もなかったように手を振り合って別れる。


  ――振り向かない。絶対に。


  出会ったタイミングが最悪過ぎた。
  彼と私はいつもすれ違う。背中合わせのタイミングでkissをする。
  曖昧で、深いボーダーラインは越えられなかった。

  香乃との時間を失いたくなくて、他の女と結婚すると言う男のずるさを忘れることはきっとない――

 流れそうな涙を唇を噛みしめて堪えると香乃は歩き出す。
  自分の背中を眺める男の存在に気づかないまま、香乃は前を睨み付けて歩く。



  

  5年後―――帰国した香乃を独身を通した克尚が出迎える未来を香乃は知らない―――
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

マッサージ

えぼりゅういち
恋愛
いつからか疎遠になっていた女友達が、ある日突然僕の家にやってきた。 背中のマッサージをするように言われ、大人しく従うものの、しばらく見ないうちにすっかり成長していたからだに触れて、興奮が止まらなくなってしまう。 僕たちはただの友達……。そう思いながらも、彼女の身体の感触が、冷静になることを許さない。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ハイスペック上司からのドSな溺愛

鳴宮鶉子
恋愛
ハイスペック上司からのドSな溺愛

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

俺の彼女はちょっと変

にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり) 俺の彼女、アンナはちょっと変わっている。他人には言えない性癖があるのだ。 今日も俺はその変な要望に応えることになる。 さて、今日のアンナの要望は。

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

処理中です...