恋の罠 愛の檻

桜 朱理

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第2章 新婚初夜は蜜色の企み

12)男は今を手に入れたい

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 酒としょうが汁で白身魚に下味をつけ、ネギやしめじ、ニンジンなど数種類の野菜と、酒と一緒にアルミホイルに包んで、強火で温めていたグリルの中に入れて蒸し焼きにする。
 その間に、ゴボウ、レンコン、ニンジンを切って、フライパンにごま油を弱火で熱して赤唐辛子を温める。
 軽く油に辛みを移して、切った野菜を加える。フライパンを揺するれば、ごま油のいい匂いが香り立ち、野菜が躍った。
 この離れの台所はプロが使用してもおかしくない広さがあり、長身の高坂が動いても余裕があるはずだった。けれど、今は手持ち無沙汰なのか、高坂の料理の腕が気になるのか、美園が高坂の周りをうろうろとしていて、広いはずの台所の中で動きが制限されていた。
 アレックスは台所の片隅で、そんな美園を不思議そうに見ている。
「手伝うことありますか?」
 首を傾げて問いかけてくる仕草は、どこか少女めいて見えた。高坂だけに料理をさせていることが落ち着かないと訴えかけてくる眼差しが、可愛らしくて高坂の口元が緩む。
 昨日からずっと張りつめて、怒りと戸惑いの間で揺れ続けていた瞳が、今は高坂の料理を興味深そうに覗いている。
「では、料理に合う皿を出してください」
「わかりました」
 高坂の願いにホッとしたように表情を緩めた美園が、いそいそと皿を選びに行く姿に、くすりと小さく笑いを漏らす。
 ――笑ったことが知られたら、きっとまた心を閉ざしてしまう。
 高坂は美園に気づかれないように、口元を引き締める。アレックスを引き取ったことで、緩んだ緊張を再び張りつめさせるような真似はしたくない。
 昨日、高坂との結婚が告げられてからずっと美園の心は内に籠り、高坂との間には目に見えない壁が築かれていた。
 それは当然と言えば、当然の結果だった。卑怯な手段で、美園の夫という立場を絡めとった自覚はある。
 しかし、高坂は怒り続ける美園に、安堵してもいた。
 怒り続けると言うことは、美園の中に高坂に対する情や期待が、少なからずあると言うことだ。
 人間、関心や興味がなければ、怒りも持続しない。愛の反対は無関心とはよく言ったものだ。
 高坂は美園に過去の初恋と思われるくらいなら、いっそ憎まれたい。
 ――結局、自分は十年前から何も成長していない。美園に対する想いだけが、激情を孕んで歪んでいる。
 料理をしながら、高坂はひっそりと苦笑する。
 美園との結婚を望んだ時から、小さな痛みに似たものが、高坂の胸の奥をざわつかせている。
 理由は自分でもよくわからない。ただ、吸い込まれそうなあの黒い瞳に、自分への恋情を取り戻したい。
 自分勝手なのは、重々承知している。最初に彼女の初恋を拒んだのは自分だ。
 怒りと戸惑いに揺れる瞳の奥にあるものを暴きたい。
 憎まれても、恨まれても、あの瞳に映る男を自分だけにしてしまいたい。
 美園の笑う顔も、泣く顔も、怒りに染まる顔も、全てを手に入れたい。
 手の中に追い詰めても、欲しいと思う女は美園だけ――
 だからと言って、美園を傷つけたいわけでもない。けれど、美園を前にすれば、ひどい渇きを覚えるのだ。
 胸の奥を焦がす渇望が、穏やかで優しい兄と言う仮面を引き剥がして、高坂本来の傲慢で身勝手な男の顔を剥き出しにする。
「これでいいですか?」 
 料理をしながら自分の物思いに囚われてかけていた高坂は、美園の声かけにハッと我に返る。
 調理台の横に、美園が出した皿が綺麗に並べられていた。
「ええ、ありがとうございます」
 礼を言いながら、高坂は出来上がったレンコンのきんぴらを小鉢に分けて盛り付ける。
 出来上がった白身魚のホイル包みを魚に、酢橘を輪切りにしたものを添え、味噌汁と炊き立てのご飯をよそう。
 それを美園が軽い足取りでお盆に乗せて、食堂に運んでいった。
 高坂はエプロンを外し、簡単に後始末を付けて、ビールとグラスを持って美園の後を追う。
「いただきます」
 二人とも席について、美園が手を合わせ、高坂が作った食事に箸を伸ばした。
 グラスに注いだビールに口を付けながら、高坂はその様子を眺める。
「美味しいです」
 白身魚のホイル蒸しに口を付けた美園が嬉し気に綺麗な唇をほころばせたのを見て、高坂は胸の内でひっそりと安堵の息を吐く。
 男の料理で大雑把なところはあるが、腕にはそこそこ自信があった。独り暮らしも二十年近くになる。料理はまめにする方だったし、最近は趣味で色々と作っている。
 しかし、美園に手料理を食べてもらうの初めてで、それなりに緊張していた。
「それはよかった」
 微笑みながら高坂もきんぴらを口にする。
「私の周りは料理上手な男の人が多いな」
 何の気なしに呟かれた美園の言葉に、高坂は反応する。
「アベルさんですか?」
 さりげない口調で尋ねれば、美園は「そう。アベルも料理好きで、いろんな料理教室に通っているんです」と、あっさりと肯定する。
 それから美園はアベルの料理好きを語り出した。
 美園の話を聞きながら、高坂は昼間に会った美園の親友だと言うフランス人男性の姿を思い出す。
 男の高坂ですら目を奪われるほどの美貌を誇っていた。芸能人ですら彼の前では霞むだろう。
 智也が、美園の兄が唯一認めた美園のかつての恋人――今は親友だと言って憚らない二人だが、かつては相思相愛の恋人だったことを高坂は知っている。
 智也が寂しげに、『美園の方が先に結婚するかもなー国際結婚を父さんが許してくれるか心配だよ』と語っていたほどだった。
 別れたといっても、今も二人の間には、高坂が踏み込めない確固とした絆があるように思えて仕方ない。
 胸の奥をじりっとした焦燥が焼く。どす黒い嫉妬が湧き上がるが、それを露骨に表に出すわけにはいかない。
 今、美園の夫は自分だ。たとえ、紙切れ一枚のことであっても、それは公的に認められた関係だ。
 時間をかけて、今は頑なになっている美園の心を手に入れると、高坂は覚悟を決めている。
 ――こんなことばかり考えていると知ったら、あなたはどうするのでしょうね?
 美味しそうに食事をする美園を眺めて、高坂は自嘲の笑みをグラスに口を付けることで誤魔化す。
 口にしたビールが、いつもより苦く感じられた。
 高坂の内心は別にして、夕飯は穏やかに終わった。
 後片付けは、美園が買って出てくれたのに甘えて、高坂は先に風呂に入ることにした。
 風呂場に向かい廊下を歩く。美園と高坂、そしてアレックスしかいない離れは、ひどく静かだった。
 この離れは部屋数が多く、掃除までは流石に手が回らないため、本館の使用人が定期的に入ってくれることになっているが、料理を含めその他のことは高坂が対応することになっている。
 高坂の部屋着のポケットに入れていたスマートフォンが着信を告げた。画面を見れば智康からだった。
「はい。高坂です」
『美園の様子はどうだ?』
 挨拶も抜きに、端的に用件だけを告げる義父に、高坂も余計なことは言わずに現状を報告する。
「今のところは大人しく離れにいます。ここから出られないことは理解されているようです。愛犬を引き取って来たので、しばらくは大人しくされている思います」
『そうか』
 高坂の答えに、智康が安堵を滲ませている。
『ならば、そのまま美園を離れで隔離しろ。もうすぐ智也の四十九日だ。そこで君と美園の結婚を発表する。そうなれば強硬派が美園に何をするかわからない。あの子を守ると言った言葉は、必ず守ってもらうからな』
「わかっております。美園さんは必ず私が守りますよ」
『その言葉を信じている。そのために君と美園の結婚を認めたんだ。あの子の安全を最優先しろ』
 念を押して智康からの電話が切れた。廊下の窓辺に佇んだ高坂は月を見上げて、苦笑する。
 ――あの方も本当に仕方ない。
 美園を気に掛ける情がきちんとあるのに、それを表に出せない不器用過ぎる智康は見てて歯がゆいものがある。しかし、急激な変化は周りに軋轢を生む。
 ただでさえ、高坂との結婚に美園は混乱している。その状況で、智康の想いを伝えたところで、美園は信じないだろう。
 ――こちらも時間をかけるしかないか。
 ふっと息を一つはいて、高坂は浴室に向かった。
 風呂を済ませ、与えられた書斎で仕事をしていた高坂は、ある程度の目途を付けて、寝室に向かった。
 寝室に入れば、パジャマに着替えた美園が、寝室の中で落ち着かない様子でうろうろとしていた。
「美園さん?」
 呼びかければ、高坂が入ってきたことに気づいた美園が、びくりと肩を跳ね上げた。その様子に高坂は笑ってしまう。
 再びの夜に美園が戸惑っていることがわかる。昨日は衝動に任せて体を重ねた。
 今夜はどうするべきなのか、彼女は困っているのだろう。その反応が可愛らしく思えて仕方ない。
 強硬な態度を取り切れない彼女が、ただただ愛おしい。
 ――美園さん。私はあなたと恋がしたいんです
 衝動のままに高坂は美園に手を伸ばす――
 



 
 
 
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