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第2章 新婚初夜は蜜色の企み
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「……昨日は……」
昨日の自分の言動を思い出せば、恥ずかしさに美園は俯く。
兄の親友だったとはいえ、十歳も年上の高坂に対しては、昔から敬語が当たり前だった。けれど、昨日は怒りに任せて、それを忘れていた。
「別に怒ってるわけじゃありません」
高坂がまるで子どもにするようにポンと美園の頭に手を乗せた。
「美園さんが話しやすいように話してくれて構わないですよ。急に敬語に戻られると少し寂しいと思ったんです」
穏やかな男の口調に、美園はおずおずと目線を上げる。目が合って、高坂は柔らかに微笑んだ。
「高坂さんだって、敬語じゃないですか」
美園の反論に、高坂が意表を突かれたように一瞬、瞳を瞬かせた。
「私のこれはもう癖になってるんですよ。気になるなら直しますよ」
昔から子どもの美園にすら敬語を使っていたことを思い出せば、彼の敬語が癖になっているというのも納得がいく。
「別に気にはならないですよ?」
「そうですか? だったら私はこのままで……」
敬語をやめなくていいと知って、ホッとしたよな表情を浮かべる男が、美園の口調を気にするのがおかしかった。
馴れ合うつもりはない。けれど、尖り続けるのも疲れる。
複雑に揺れる心は、目の前の男との距離感を、容易く見失わせる。
「わん!」
再び繰り返されそうになった煩悶を前に、アレックスが鳴き声を上げて美園は我に返る。
ーーまた、私……
足元を見れば、愛犬が散歩に行かないのかと焦れたように足踏みをしている。
「あ、ごめんね。アレックス、行こうか……」
美園は一度、倉庫にしている部屋の扉を開けて、とりあえずアレックスの荷物を入れておこうと思った。
「中に入れましょうか?」
それを察した高坂が、キャリーバックや、アレックスの愛用品が入った紙袋を手にして、部屋の中に運び入れてくれた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
微笑む男から視線を逸らして、美園は待ちきれない様子でリードを引っ張るアレックスに従う形で歩き出す。
ふんふんと鼻を鳴らし、好奇心の赴くまま歩くアレックスと、館内を散歩する。高坂は美園たちの後を、ゆっくりと着いてきた。
苦手な犬の散歩なんて、なんの面白みもないだろうに、高坂の表情はどこか楽しげだった。
たが、時折アレックスが高坂の足元にまとわりつけば、ぎくりと固まっている。
その少しだけ情けない姿に、美園の心を張りつめさせていたものが緩んでいく。
――どうせ、この鳥籠の中から出られないのなら、ぎすぎすする必要もない。
心を許すわけじゃない。ただ、ずっと怒り続けることは疲れるのだ。
いつまでこの生活が続くのかわからないが、高坂の行動の全てを疑って、互いの腹の内を探り合う生活は、想像するだけでうんざりする。
この場に留まることで、美園の復讐は既にほぼ成し遂げられている。
高坂が四宮グループ総帥の地位を欲していたとしても、美園との間に子どもが出来なければ、それは得られない。
そして、美園は自然に妊娠することが難しい体だ。
ここに囚われているのは、高坂も同じ――そんな意地の悪い考えが美園の脳裏を過った。
ふっと息を吐きだして高坂を見れば、アレックスにじゃれつかれて、顔を引きつらせていた。
「アレックス」
美園が名を呼べば、何? と言うように、愛犬が振り向く。しっぽをぶんぶんと振って、高坂の足に手をかけているアレックスは、どう見ても高坂の反応を面白がっている。
愛犬の興奮具合に、これ以上はアレックスにも、高坂にもストレスになると判断して、美園は散歩を切り上げようとを決める。
「今日は、これくらいにしようか」
高坂の足元から愛犬を抱き上げて、その背を撫でる。
「離れの探検はこれくらいにして、この子のご飯とか、寝る場所の準備をしてくるので、高坂さんは着替えて来て下さい」
「私に手伝えることはありますか?」
「お願いしたいことがあれば頼みますけど、今は大丈夫です」
「そうですか。では、美園さんがアレックスの世話を終えたら、夕飯にしませんか?」
高坂に言われて、美園は夕飯のことを何も考えていなかったことに気づく。
今日の朝と昼は離れの冷蔵庫の中に、すでに用意されていて、それで済ませた。
「あ、ごめんなさい……何も用意してない……」
冷蔵庫の中には食材は豊富に入っていたが、それで夕飯を準備すると言う考えが完全に抜け落ちていた。
ー―一日中、家にいたのだから夕飯の準備くらいしてもよかったのに……アレックスを迎えに行ってもらったんだし……
実家にいることに気が緩んで、当然のように本館の誰かが用意してくれると思っていた。
こんなところに自分のお嬢様気質が残っている気がして、美園は落ち込んだ。
「夕飯は私が準備しようと思っていましたよ。本館の方にもそう伝えてあります」
「え?」
高坂の意外な言葉に、美園は驚きに瞳を瞬かせる。
「最近の趣味なんですよ。料理するのが。男の料理なので、味の保証は出来ませんけどね」
茶目っ気を含んで、高坂が肩を竦めて見せた。
昨日の自分の言動を思い出せば、恥ずかしさに美園は俯く。
兄の親友だったとはいえ、十歳も年上の高坂に対しては、昔から敬語が当たり前だった。けれど、昨日は怒りに任せて、それを忘れていた。
「別に怒ってるわけじゃありません」
高坂がまるで子どもにするようにポンと美園の頭に手を乗せた。
「美園さんが話しやすいように話してくれて構わないですよ。急に敬語に戻られると少し寂しいと思ったんです」
穏やかな男の口調に、美園はおずおずと目線を上げる。目が合って、高坂は柔らかに微笑んだ。
「高坂さんだって、敬語じゃないですか」
美園の反論に、高坂が意表を突かれたように一瞬、瞳を瞬かせた。
「私のこれはもう癖になってるんですよ。気になるなら直しますよ」
昔から子どもの美園にすら敬語を使っていたことを思い出せば、彼の敬語が癖になっているというのも納得がいく。
「別に気にはならないですよ?」
「そうですか? だったら私はこのままで……」
敬語をやめなくていいと知って、ホッとしたよな表情を浮かべる男が、美園の口調を気にするのがおかしかった。
馴れ合うつもりはない。けれど、尖り続けるのも疲れる。
複雑に揺れる心は、目の前の男との距離感を、容易く見失わせる。
「わん!」
再び繰り返されそうになった煩悶を前に、アレックスが鳴き声を上げて美園は我に返る。
ーーまた、私……
足元を見れば、愛犬が散歩に行かないのかと焦れたように足踏みをしている。
「あ、ごめんね。アレックス、行こうか……」
美園は一度、倉庫にしている部屋の扉を開けて、とりあえずアレックスの荷物を入れておこうと思った。
「中に入れましょうか?」
それを察した高坂が、キャリーバックや、アレックスの愛用品が入った紙袋を手にして、部屋の中に運び入れてくれた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
微笑む男から視線を逸らして、美園は待ちきれない様子でリードを引っ張るアレックスに従う形で歩き出す。
ふんふんと鼻を鳴らし、好奇心の赴くまま歩くアレックスと、館内を散歩する。高坂は美園たちの後を、ゆっくりと着いてきた。
苦手な犬の散歩なんて、なんの面白みもないだろうに、高坂の表情はどこか楽しげだった。
たが、時折アレックスが高坂の足元にまとわりつけば、ぎくりと固まっている。
その少しだけ情けない姿に、美園の心を張りつめさせていたものが緩んでいく。
――どうせ、この鳥籠の中から出られないのなら、ぎすぎすする必要もない。
心を許すわけじゃない。ただ、ずっと怒り続けることは疲れるのだ。
いつまでこの生活が続くのかわからないが、高坂の行動の全てを疑って、互いの腹の内を探り合う生活は、想像するだけでうんざりする。
この場に留まることで、美園の復讐は既にほぼ成し遂げられている。
高坂が四宮グループ総帥の地位を欲していたとしても、美園との間に子どもが出来なければ、それは得られない。
そして、美園は自然に妊娠することが難しい体だ。
ここに囚われているのは、高坂も同じ――そんな意地の悪い考えが美園の脳裏を過った。
ふっと息を吐きだして高坂を見れば、アレックスにじゃれつかれて、顔を引きつらせていた。
「アレックス」
美園が名を呼べば、何? と言うように、愛犬が振り向く。しっぽをぶんぶんと振って、高坂の足に手をかけているアレックスは、どう見ても高坂の反応を面白がっている。
愛犬の興奮具合に、これ以上はアレックスにも、高坂にもストレスになると判断して、美園は散歩を切り上げようとを決める。
「今日は、これくらいにしようか」
高坂の足元から愛犬を抱き上げて、その背を撫でる。
「離れの探検はこれくらいにして、この子のご飯とか、寝る場所の準備をしてくるので、高坂さんは着替えて来て下さい」
「私に手伝えることはありますか?」
「お願いしたいことがあれば頼みますけど、今は大丈夫です」
「そうですか。では、美園さんがアレックスの世話を終えたら、夕飯にしませんか?」
高坂に言われて、美園は夕飯のことを何も考えていなかったことに気づく。
今日の朝と昼は離れの冷蔵庫の中に、すでに用意されていて、それで済ませた。
「あ、ごめんなさい……何も用意してない……」
冷蔵庫の中には食材は豊富に入っていたが、それで夕飯を準備すると言う考えが完全に抜け落ちていた。
ー―一日中、家にいたのだから夕飯の準備くらいしてもよかったのに……アレックスを迎えに行ってもらったんだし……
実家にいることに気が緩んで、当然のように本館の誰かが用意してくれると思っていた。
こんなところに自分のお嬢様気質が残っている気がして、美園は落ち込んだ。
「夕飯は私が準備しようと思っていましたよ。本館の方にもそう伝えてあります」
「え?」
高坂の意外な言葉に、美園は驚きに瞳を瞬かせる。
「最近の趣味なんですよ。料理するのが。男の料理なので、味の保証は出来ませんけどね」
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