恋の罠 愛の檻

桜 朱理

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第2章 新婚初夜は蜜色の企み

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 その顔はかつて少女だった美園が、惹かれたもの――でも、きっと今は違うもの。
 どちらが本当の高坂なのだろうと思わずにはいられない。
 いまだに揺れる自分の心が不思議で仕方なかった。
 ――これを未練とは呼びたくないな。ただの感傷だ。初恋が見せる幻。
 高坂から視線を逸らして、美園はひっそりと自嘲の笑みを浮かべた。
「父さんやあなたと違って、腹芸は得意じゃないのよ」
 零れた呟きは可愛くないものだったが、「あなたはそのままでいいですよ」と、答えが返ってくる。
 ――単純でいてくれた方が、あなたには楽だってこと?
 捻くれた心で、顔を上げれば、男は慈しむような眼差しをこちらに向けてくるのだから、美園はますますこの男のことがわからなくなる。
 ――きっと考えるだけ無駄だ。この人は、優し気な兄のような顔をして、野心家な心を綺麗に隠せる人だもの。
 美園なんかが敵うわけもない。
 ふっと息を吐いて、美園は気持ちを切り替える。
「それで? 今は買い付けに行かせてもらえないなら、将来的には外に出ることも許してもらえるの?」
 話を仕事のことに戻す。
「今すぐは無理ですが、状況が落ちつけば、許可は取ります」
 ――状況が落ち着けばか……その状況って何?
 聞きかけて、美園は思い留まる。
 ――聞くまでもないか。私が子どもを産むまではってことだろうな。でも、そんな日は来ない。
 美園はそっと拳を握る。美園の体は、妊娠自体はきっとできる。自然な方法では可能性は低いが、体外受精などの方法を使えば、妊娠も出産も可能だと医師から説明されている。
 でも、それを伝える気はない。これは美園の密やかな報復だ。 
 父や高坂の思惑通りに、子どもを産むつもりはない。そんなことをすれば、美園も子ども不幸になる。
 もし仮に産めたしても、美園のように女の子だった場合を、あの父は考えているのだろうか。
 望み通りに男の子がすぐ産まれるとは限らない。女の子であったら、その子も美園と同じように、見向きもしないつもりなのか。
 湧き上がる疑問に、美園の中に失望と怒りが渦を巻いていく。
 ――こんな思いをするのは私だけで十分だ。
 やり場のないそれを少しでも鎮めたくて、美園は大きく息を吐く。
 ――今、考えても仕方ない。私は二人の思う通りになんてならない。
「そう。その状況とやらが改善したら教えて」
 努めて冷静になろうとした結果、ひどく冷えた声が出た。
 髪をバスタオルで拭いていた高坂が、ちらりと美園に視線を向けてくる。
 美園の顔からどんな感情を読み取ったのか、高坂が苦笑した。
「マンションにあった仕事道具や、商品は一階の階段横の客室に運んであるそうです」
 余計なことは言わずに、美園の知りたいことを教えてくれた。
「ありがとう」
 美園は短く礼を言って、脱衣所を出た。商品がどうなっているのか、気になった。
 はやる気持ちのままに、足早に階段横の客室に足を運んだ。ドアを開け電気を付ければ客室は、美園のマンションの仕事部屋と同じように家具が配置され、改装されていた。
 美園は棚を覗きこみ、引き出しを開けて、商品の状態を確認した。
 商品は一点、一点、丁寧に梱包され、運び込まれていた。
 ――ああ、よかった……
 美園が倉庫部屋で保管していたままに、大切に商品が扱われていたことにホッとする。
 それらの様子を確認して、美園は今が何時なのかが気になった。
 これだけの荷物が運び込まれたのに、自分が全く気づかないままでいたことにも驚いていた。
 ――どれくらい私は、気を失っていたの?
 時計がないか部屋の中に視線を巡らせた。仕事部屋で使っていたアンティーク調の置時計が目に止まった。
 時刻は二十二時を過ぎようかというところだった。思うよりも長い時間、自分は気を失っていたらしい。
「商品は大丈夫でしたか?」
 扉の方から高坂の声が聞こえて来て、美園は振り返る。美園のスマートフォンを手にした高坂が立っていた。
「ええ。傷一つないわ」
「それはよかった」
 穏やかに微笑んだ高坂が、美園に向かってスマートフォンを差し出してくる。
 歩み寄った美園はその手からプライベート用のスマートフォンを受け取った。
「彼に電話が終わったら、食事にしませんか? 軽く食べられるものを用意してもらっています」
 高坂の言葉に、途端に美園は自分が空腹であることを自覚する。
 ――そういえば夕飯食べてない。
「そう。お腹空いたわ」
「では、食堂でお待ちしてますよ」
 そのまま部屋を去ろうとする高坂に、美園は驚く。
「え? あなたの前で電話しなくていいの?」
 アベルに電話をするなら高坂の前でするという約束を思い出してそう問えば、高坂は肩を竦めて見せた。
「さっきはああ言いましたが、人の電話を盗み聞きする趣味はありません」
 穏やかに笑った男は、そう言うと美園に背を向けた。
「高坂さんが聞いてないなら、ここからの脱走の相談をするかもよ?」
 先ほどの独占欲が嘘みたいに落ち着いた男の態度が、なんとなく納得いかずに、思わず言わなくててもいいことをその背に向けて放ってしまう。既に廊下に出ていた高坂が、足を止めて振り向いた。
「構いませんよ。彼と何を相談したところで、あなたはここから出られない。仮に逃げられたとして、この日本で四宮の名を持つ美園さんが逃げられる場所はない。それはあなたが一番よくわかっているでしょう?」
 諭すような高坂の言葉に、美園はぐっと詰まる。高坂の言う通りだ。
「……そうね。私は結局、四宮の名前から逃げられない」
 
 美園の胸にあきらめと哀しみが湧き上がった――
 

 
 
 
 ※次回は八月一五日 二一時が目標。
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