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騎士団長✕養い子.1

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 国中、いや世界中が瘴気に覆われようとしていた。目の前に聳え立つ邪神のせいで。
 その気を浴びた生物は、身体が固まる。石のように変色してしまう。それだけではない。生物から生物へと、石化の呪いは感染していくのだ。

「アア団長!」

 私を呼ぶ悲痛な声が、戦場を切り裂く。邪神が最期の力を振り絞る。一撃で、左腕に構えた魔盾が割れる。竜騎士団全体を覆っていた防御が破れてしまう。
 あと少しなのだ。ここで引いては、国を、民を守れない。背後をチラと見る。竜も騎士たちも満身創痍だ。

「行くぞ!」

 愛竜に声をかけ、単騎で邪神の懐に飛び込む。命など惜しくはない。残った力の全てを注ぎ、水系魔術の刃を放つ。

 轟音と閃光。私は意識を失った。



 痛い。熱い。
 苦痛で目が覚める。ぼんやりした視界に、わずかに緑がかった明るい青色が揺らめく。

「……ロキ、か……」

 養い子のロキが、薄暗い部屋で泣いている。手を伸ばそうとして、激痛に呻く。鍛え上げた左胸筋から上腕、肩甲骨のあたりまでぐるりと包帯が巻かれている。

「……アア様っ!」

 療養ベッドに横たわった私に、小柄な体が無遠慮に飛びつく。

「生きてて、よかったぁ」

 ぐいぐいと緑青色の頭を私に押し付ける。細い腕を精一杯伸ばして、抱きしめようとしてくる。痛い。痛いが、九死に一生を得て本当に良かった。再びロキに相見えることが出来るのだから。
 異国の幼い孤児を引き取り、今まで育ててきた。侍従になったロキに、私は禁ずるべき想いを抱いている。
 国の第五騎士団を率い、傷だらけで筋骨隆々の壮年でありながら……体格も年齢も半分にも満たぬ少年に、淫らな想いを。

「よかった。よかったあああ。もう無茶しないって、僕に誓ってくださいいいい」

 黒紅色の瞳から涙が零れ落ちる。夜灯に煌めいて水晶のようだ。
 拭ってやろうとして、うっかり左半身をも動かす。激痛が走る。左の手先は無事なため、いつもの動作をつい取ってしまう。

「アア様、もう少しお眠りください。僕はこうやって側におりますから」

 眠れない気がする。左上半身の痛みのせいだけではない。むしろ下半し……いやいや、いかん。何ということを。



「アア様、悪い夢ですか」

 養い子が私を起こす。いつの間にか寝落ちしていたようだ。

「痛むでしょう、軟膏をお塗りしますね」

 心配顔の眉間の皺まで愛らしい。包帯を慎重に外していく。
 ハッと気づく。

「触るな、伝染るぞ! これは石化だっ!」

 痛みも忘れて、ロキの華奢な肩を魔術で吹き飛ばす。

「アア様……もう大丈夫なんです。アア様が邪神を倒してくださったから。感染の呪いは消えたんです」

 壁まで弾かれたのに、嬉しそうだ。褐色の小さな手が左の上腕に触れる。

「石の腕など、気持ち悪いだろう」
「そんな! 国民のために身を投げ出した証です」

 手のひらがヌメリとした軟膏を纏う。優しく私の動かぬ半身を這い、痛みを逃そうとする。 

「んっ……はぁ……」

 動かずとも感覚はある。

「ロキ、止めなさい」

 私の浅ましい劣情が伝わってはいけない。軟膏をロキのあらぬところに塗りたくりたい。妄想がベッドの中に充満し、掛布はしっかりとテントを張る。

「呪いは愛情で解けるって、御伽噺で読みました」

 顔が近づく。

「アア様、僕じゃ駄目ですか?」

 涙がポロリと一粒。石化部分に滴り、シュッと泡が立つ。

「アア様!」

 褐色の頬を朱に染めて微笑む。

「僕が呪いを……安静にしていて下さいね」
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