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一章 惹かれゆく存在の秘密

一話 愛猫のような少女

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「——だるいな」

 学校へと足を運びながら、俺は一人愚痴る。

 夏休みが終わりを告げ、今日からまた学園生活が始まろうとしていた。
 俺の通っている学園は、秋に特別な行事が集中している。
 学校祭に体育祭、更には修学旅行と、普通なら心躍るような行事が目白押しなのだが、俺の心は一切踊っていなかった。

 特段何か事情を抱えているわけではない。
 虐められていたり、重い病に冒されているわけでもない。
 にも関わらず、俺の心は暗く沈んでいた。

 ……いや、もしかしたらが理由なのかもしれないな。
 俺は大きなため息を一つく。

 同じ日常なのだ。
 何気なく学校に行って、クラスの誰かと話したりはしゃいだりすることなく、ただ授業を聞き流して帰る。
 行事だって、面倒くさい仕事を押し付けられて、それをただこなすだけ。
 生きている意味はあるのかと、そう思ってしまう程に俺の人生には面白味がなかった。

 いっそのこと死んでしまおうか。
 ……でも、そしたらあの人たちが悲しむか。

『何もないからこそ幸せだ』と思ったほうがいいのかも知れない。
 だって、今俺がのうのうと生きているこの時間も、必死に生きている人がいるかもしれないから。
 何故そんなに「生」に固執するのかは分からないが、それでもこの世の人たちはみんな、その人たちなりの理由で生きているのだろう。
 俺がその理由を問う権利なんてない。

 ——ふと、俯かせていた顔を上げる。
 この景色を見たら、どんな人でもこの暗い気持ちなんて晴れてしまうだろうな。

 見上げた先には、海が広がっていた。
 雲ひとつない快晴の空がそのまま流れ込んだかのような、綺麗なサファイア色の海。
 太陽の光を反射して、それは宝石のようにキラキラと輝いていた。

「……頑張ろう」

 不思議と、この海はそういう気持ちにさせてくれる。
 学校が終われば、また「CATS」に行ってミーシャをでよう。
 それこそが、今の俺の生きる理由だから。
 それまで、適度に学校を頑張ろう。
 俺は自分を鼓舞して、歩くスピードを早めようとした。

「——あのっ、荒巻祐也あらまきゆうや君ですか?」
「……えっ?」

 鈴の音のような声だった。
 キラキラとしていて、スッと耳に馴染む声。
 その声に俺は足を止め、引っ張られるように踵を返す。

 そこには、可愛らしい少女がいた。

 上品な佇まいに、普通ならまず見かけない、銀色の、端正に整えられたロングヘアの髪。
 背は少し小柄で、その大きな瞳は自然と愛猫のミーシャを彷彿とさせた。
 顔立ちも物凄く良く、その姿はすぐに俺の心を掴んで離さなかった。

「うわぁ、祐也君ですっ!」

 そう言うと、少女の顔には明るく笑顔が咲いた。
 その笑顔を目の当たりにした瞬間、顔が熱を帯び、心臓がうるさいくらいに鼓動する。

 ……なんだこの生き物は。
 可愛すぎるだろ——

「あの、その、えっと……」

 何かを口に出そうとするが、俺の口からは会話を埋めるためのフィラーしか出てこなかった。
 俺はもごもごと口を動かしながら視線を泳がす。

「あぁ、すみません。いきなり知らない人に自分の名前を呼ばれてしまったら、そんな反応になってしまいますよね」

 いや、これは君が可愛すぎるからなんだけど……という言葉を俺はぐっと我慢する。

 こんなことを滑らせてしまったら、第一印象が最悪なものになってしまう。
 ただでさえもう危ないラインなのに……いや、もうこれはアウトなのではないか?

「改めまして——私の名前はミ……芹崎有香猫せりざきあかねです。よろしくお願いします」

 不安を募らせていたが、どうやら彼女の反応を見るに問題なさそうだ。
 俺はそっと胸を撫で下ろす。

 芹崎さんは人懐っこい笑みを浮かべて自己紹介をした。
 自分の名前の前で突っかかったことが気にかかりもしたが、それよりも気になることが俺の中であった。

「その制服……もしかして、光正こうせい学園?」
「そうなんです! 今日から光正学園で勉強することになりました!」

 芹崎さんは、太陽のような笑みを浮かべて言った。
 眩しすぎるはずなのに、もっと彼女の笑っている姿が見たくなってしまう。

「そうだったんだ……ちなみに、何年生?」
「高等部の二年生になります!」
「……じゃあ同じ学年になるのか」

 俺は内心でガッツポーズをした。

「祐也君も、高等部の二年生なんですか?」

 今度、芹崎さんは子供っぽく首を傾げて見せる。

「……あぁ、そうだよ」
「うわぁ、そうなんですか……!」

 目をキラキラさせてあどけなく笑う芹崎さん。

 ——やばい、可愛すぎる。
 話せば話すほど芹崎さんの可愛い反応を見ることが出来る。
 お陰で心臓がうるさく鳴りっぱなしだ。

 もっと彼女のいろんな反応が見たい。
 そして、もっと彼女のことを知りたいと思ってしまう。
 故に俺は、次に彼女にこんなことを聞いた。

「……そういえば、前はどこにいたの? きっと転校してきたんだよね?」

 その途端、彼女の表情が徐々に曇り始める。

「あ、あの……転校は、してきたんですけど、その……」

 俺の質問に答えられないまま、芹崎さんは俺から視線を外した。
 その姿も可愛いと場違いながらに思ってしまったが、それは一旦置いておく。

 言い淀んだのは、彼女に何か転校してきた理由を言えない事情があるからだろうか。
 確定したわけではないが、俺は自分の中でそう結論づけて彼女に笑顔を見せた。

「言いにくいんだったら無理して言わなくてもいいんだよ」
「……すみません、ありがとうございます」

 芹崎さんは申し訳なさそうな顔をしながら謝ってくる。

「こっちこそ、変なこと聞いちゃってごめんね」
「いえ、別にそんなこと——!」
「いいんだよ。芹崎さんが気に追う必要はない。人間誰だって隠し事の一つや二つはあるさ。当たり前のことなんだから、芹崎さんが謝る必要なんてないんだよ」

 これは心からの言葉だった。
 芹崎さんに良く思われるために言っている言葉ではない。
 ……まぁ、そう思う時点で少しはそういう気が自分の中にあるのかもしれないが。
 でも、今俺が口に出した言葉は紛れもない本心だった。

「……やっぱり、祐也君は優しすぎますよ」

 芹崎さんが頬を赤らめながら何かをつぶやく。

 いや、聞こえていたのだ。
 聞こえていたのだが、彼女からそんなことを言われたのがあまりにも嬉しすぎて、そして照れ臭くて、俺は思わず聞こえないふりをしているだけなんだ。

 いろいろと気にかかる部分はあったが、俺はとりあえず彼女に褒められた喜びを静かに噛み締めるのだった。


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