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聖杯の章

♡6 もえる館

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 汐音の冗談に、招かねざる客たちは何も反応を返さない。
 それもそのはず。汐音の前にズラリと並んでいた者たちは、すでに人間としての生命活動はしていないのだから。もはやそれは、生気を失い土気色をした肉の人形たちだった。

 辺りに漂い始めた、猛烈な死の匂い。
 汐音たちを目掛け、徐々にフラフラと近寄って来ている。
 中には眼球を失くし、眼窩から血の涙を垂れ流しているものまでいた。

 まるで糸のないマリオネットのように、彼らは裏の誰かによって操られている。
 肉体に魂なぞ、とうに残ってはいない。すべてはあるじの思うがままである。めいさえあれば、主の為に何の躊躇いもなくその場で身を投げ打つだろう。
 事実、彼らの人数が減っているのは、道中で館の罠で使い物にならなくなったからであった。


 そして彼らをそんな可哀想な姿に変えてしまった張本人こそ、呪術の書の所持者である日々子だ。彼女は車椅子に乗った人形と若い女の人形を両隣に引き連れ、汐音の前へとやって来た。


「貴方が、日々子……?」
「本はどこ……?」

 汐音の誰何には一切答えもせず、自分の用件を押し通そうとする日々子。
 息の音が聞こえそうなほど顔を近付かせ、血走った瞳で汐音を睨みつけた。


「はやく……渡せっ」
「はぁ、仕方がないですね……」

 言葉が噛み合わないことを悟った汐音は深いため息を吐いた。

「しぉ……し、を……」
「はい。洋一さん。大丈夫ですよ。私がついていますからね……」

 洋一は妹の危機を察したのか、目を宙に彷徨わせたままうわ言のように何かを訴えている。
 心は壊れたままで使い物にならないが、妹を守りたいという本能的な何かが残っていたのかもしれない。

「全てを終わりにしましょう。貴方たちにも付き合ってもらいますからね」
「やめ……」

 汐音の決意は揺らがない。
 ソファーの下に隠されていたスイッチを押すと、玄関ホールの方角からガシャンと物音が響いた。

「お前……なにを……」
「さぁ、洋一さん。これで私も咎人の仲間入りですよ。浄化の炎で、私達の罪を償いましょう……」

 汐音はいつかこうなる日が来るのではないか、と恐れていた。

 優しい性格の洋一は罪の意識で押し潰され、いずれ心が壊れてしまう。
 そうなれば彼は自分の手で命を絶ち、汐音の前から永遠に姿を消してしまうだろう、と。

 そんな自分勝手なことを、汐音が断じて許せるわけがなかった。
 洋一が密かに汐音を愛していたように、汐音もまた洋一を愛していたのだから。


 兄と離れたくなかった汐音は準備を始めることにした。
 全ては最期の瞬間まで、最愛の人と共に過ごすために。

 汐音は毎日、兄の目を盗みながら館の罠について調べ始めた。

 兄が数年前、己が犯した罪を消し去るためにとった方法。
 その方法を、この館に保険として準備しているはずだと。


 汐音は兄を説得し続け、やっとその方法を聞き出した。
 館に火をつけ、全てを燃やし尽くす悪魔のような手段を。


「火が……」
「もう逃げ場はありませんよ。みんなで仲良く、あの世に旅立ちましょう……」

 火の回りはあっという間で、すでに汐音たちが居る部屋の前にまで迫っていた。
 轟々と燃え盛る炎の怪物は、容赦なく日々子の肉人形たちを次々と飲み込んでいく。


「紅莉さん、あとは頼みましたよ……」

 これで兄と同じ罪を背負えた。同じ罪を犯した咎人ならば、あの世で一緒に居ることだって赦されるはず。そう、たとえ地獄に落ちることになったとしても。ずっと、ずっと一緒だ。

 汐音の頬を一筋の涙がつぅと流れる。死は怖くない。だけど……。
 その白く細い腕で、生涯で唯一愛した男を離すまいと力の限り抱き寄せた。

 やがて彼女の燃えるような愛を表すように、二人は赤い焔の中に消えていった。

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