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剣の章
♤3 日々子の理由
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数分間の長いオーガズムを終え、ようやく現実へと帰ってきた。冷静を取り戻した彼女は、未だ自分の下にいる夫だったモノをふと見下ろした。
首を絞められたことで、啓介の顔は行き場を失くした血液が水風船のように溜まり、赤黒く変色していた。そんな状態でもなお、彼の双眸は自身を殺した女を見つめ続けている。
「……なに、その目は」
その言葉は啓介に対してのものでは無かった。すでに彼女にとって、夫の亡骸は夕飯用のステーキ肉以下の存在に成り下がっていた。
その代わり、瞳の中の女が気に入らない。女は歯を剥き出しにして嗤っていた。それが何となく日々子は腹立たしかった。つい手が出て、ビンタをしてしまった。
それでも、女の笑顔は変わらなかった。
ともかく、日々子は次の行動に移すことに決めた。
「これで、やっとあの人を迎えに行ける。あの子もきっと本当のパパに会いたがっているはずだわ。ふふっ。準備ができたら、ママと一緒に会いに行こうね。ママ、今度は失敗しないように頑張るから……」
ふわりとソファから降りると、机の上にあった一冊の本を取った。数秒間、その本を愛おしそうに眺めた後、彼女の数少ない私物である兎の刺繍がされたトートバッグの中へ大事そうにしまった。
そしてそのまま部屋の扉まで歩き、ドアノブに手を掛けたところで立ち止まった。
「あ、いけない。忘れてた」
日々子は何かを思い出したかのように、部屋の中をくるりと振り返った。
百キロ近い生肉は、筋肉が弛緩したせいで汚物を垂れ流し、異臭を漂わせ始めていた。日々子は臭いには気にした様子もなく、それにスタスタと歩み寄ると、トートバッグから錆だらけの裁ち切り鋏を取り出した。
「ねぇ貴方。自分は娘に甘かったくせに、私には厳しくは躾けろって。いつでも神様が見てるからって。私に、そう言ってたわよねぇ?」
満面の笑みを浮かべながら、啓介のだらしなく垂れさがった性器を掴む。
「悪い子には、ちゃあんとお仕置きをしなくっちゃ」
指で少し上に引き伸ばしてから、彼女は右手に持ったハサミで、ひと思いにバツンと切断した。
言いつけ通り、きっちりとお仕置きを終えた。日々子は、血が飛び散った顔で満足げに微笑んだ。
「でも……世の中には悪い子はたくさん……」
日々子は鋏を持ったまま、部屋の外へふらりと歩いていく。
「あぁ、神様……私を見てくれておりますか?……おぉ、はれるや♪」
それは神を讃える歌だった。決して、死者を悼む歌ではない。
――ハレルヤ。
彼女は己の神であり、愛する存在のためにその歌を口ずさむ。
一時間後。
バーには彼女の歌だけが響いていた。
その日の夕方。ニュース番組では「会員制バー『カレイドスコープ』にて有名占い師を含めた十数人が殺される大量殺人事件が起こった」と報じられた。
『どうして彼女は夫である啓介を殺そうと思ったのか?』
ワイドショーのコメンテーターや自称専門家たちは後にこの事件について、日々子の犯行の動機をあれこれと推察した。
夫婦仲のこじれだとか、啓介の浮気、DV。次第に明らかになっていく事実に妄想を織り交ぜながら、好き勝手に論じた。
実際に家宅捜索をした際には、さまざまな証拠が見つかったし、日々子に同情する者まで現れた。女性に対するハラスメントが問題になる度にこの事件が浮上するほど、この事件は国民にとってショッキングだった。
だが、もし日々子本人に『なぜ殺したのか』と問うたのであれば、恐らく彼女はこう答えただろう。
私はただ、愛する人と再会するためにやりました――と。
首を絞められたことで、啓介の顔は行き場を失くした血液が水風船のように溜まり、赤黒く変色していた。そんな状態でもなお、彼の双眸は自身を殺した女を見つめ続けている。
「……なに、その目は」
その言葉は啓介に対してのものでは無かった。すでに彼女にとって、夫の亡骸は夕飯用のステーキ肉以下の存在に成り下がっていた。
その代わり、瞳の中の女が気に入らない。女は歯を剥き出しにして嗤っていた。それが何となく日々子は腹立たしかった。つい手が出て、ビンタをしてしまった。
それでも、女の笑顔は変わらなかった。
ともかく、日々子は次の行動に移すことに決めた。
「これで、やっとあの人を迎えに行ける。あの子もきっと本当のパパに会いたがっているはずだわ。ふふっ。準備ができたら、ママと一緒に会いに行こうね。ママ、今度は失敗しないように頑張るから……」
ふわりとソファから降りると、机の上にあった一冊の本を取った。数秒間、その本を愛おしそうに眺めた後、彼女の数少ない私物である兎の刺繍がされたトートバッグの中へ大事そうにしまった。
そしてそのまま部屋の扉まで歩き、ドアノブに手を掛けたところで立ち止まった。
「あ、いけない。忘れてた」
日々子は何かを思い出したかのように、部屋の中をくるりと振り返った。
百キロ近い生肉は、筋肉が弛緩したせいで汚物を垂れ流し、異臭を漂わせ始めていた。日々子は臭いには気にした様子もなく、それにスタスタと歩み寄ると、トートバッグから錆だらけの裁ち切り鋏を取り出した。
「ねぇ貴方。自分は娘に甘かったくせに、私には厳しくは躾けろって。いつでも神様が見てるからって。私に、そう言ってたわよねぇ?」
満面の笑みを浮かべながら、啓介のだらしなく垂れさがった性器を掴む。
「悪い子には、ちゃあんとお仕置きをしなくっちゃ」
指で少し上に引き伸ばしてから、彼女は右手に持ったハサミで、ひと思いにバツンと切断した。
言いつけ通り、きっちりとお仕置きを終えた。日々子は、血が飛び散った顔で満足げに微笑んだ。
「でも……世の中には悪い子はたくさん……」
日々子は鋏を持ったまま、部屋の外へふらりと歩いていく。
「あぁ、神様……私を見てくれておりますか?……おぉ、はれるや♪」
それは神を讃える歌だった。決して、死者を悼む歌ではない。
――ハレルヤ。
彼女は己の神であり、愛する存在のためにその歌を口ずさむ。
一時間後。
バーには彼女の歌だけが響いていた。
その日の夕方。ニュース番組では「会員制バー『カレイドスコープ』にて有名占い師を含めた十数人が殺される大量殺人事件が起こった」と報じられた。
『どうして彼女は夫である啓介を殺そうと思ったのか?』
ワイドショーのコメンテーターや自称専門家たちは後にこの事件について、日々子の犯行の動機をあれこれと推察した。
夫婦仲のこじれだとか、啓介の浮気、DV。次第に明らかになっていく事実に妄想を織り交ぜながら、好き勝手に論じた。
実際に家宅捜索をした際には、さまざまな証拠が見つかったし、日々子に同情する者まで現れた。女性に対するハラスメントが問題になる度にこの事件が浮上するほど、この事件は国民にとってショッキングだった。
だが、もし日々子本人に『なぜ殺したのか』と問うたのであれば、恐らく彼女はこう答えただろう。
私はただ、愛する人と再会するためにやりました――と。
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