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第1話 腹ぺこエルフ、里を飛び出す。

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 知っているか?
 俺たちエルフは肉を食べない。

 ……というより、世界樹の果実しか口にしないんだ。

 いったいどうしてそんなかたよった食生活を送っているのかって?
 里の族長である俺の祖父が言うには、この掟を守らないと災いが起きるからなんだとか。

 ――へぇ、そうなのか。
 それじゃあ本当にそうなるか、エルフである俺が実際に食べてみようじゃないか。


 ある日の午後。
 世界樹の麓にある家をこっそりと抜け出した俺は、里を囲っている森の外れへとやって来ていた。精霊と俺だけが知る秘密基地。ここなら誰かに見つかることもないだろう。

「へへへ、ついに長年の夢が叶うぜ……!」

 肉を焼くのは生まれて初めてだが、やり方は事前に本で学んだ。森で集めた枯れ木に精霊魔法で火を点けて、串に刺した生肉を炙るだけ。

「大丈夫、簡単だ。準備はこれで整ったはず」

 その証拠にパチパチと燃え盛るたき火からは、肉の焼ける香ばしい匂いが立ち上っていた。

「火精霊、そろそろ止めてくれ」

 ふよふよと宙に浮かぶ赤色の炎に言葉を掛ける。すると目の前にあった火がパッと消え、一本の巨大な串焼きが残った。

「ふふふ、思ったより上手くいったな。苦労してモンスターを狩った甲斐があったってもんだ」

 今回の挑戦で使った食材は、先ほど俺が狩った“ベリーイノシシ”の肉だ。
 分厚くカットした肉塊からは、肉汁が溢れるようにボタボタと滴り落ちている。ベリーを食べるモンスターだからか、ほんのりと果実味のある香りも漂ってきた。

 すげぇ。食べたこともないのに、脳が早く肉にしゃぶりつけとうるさい。協力してくれた火精霊も、どこかはしゃいでいるように見える。


「よし、それじゃさっそく。いただきま――グヘェッ!?」

 いざ串焼きを口へと運ぼうとしたその瞬間。突如飛来してきた巨大なウォーターボールによって、俺は持っていた肉ごと森の奥へと吹き飛ばされた。あまりにも突然の出来事に受け身もとれず、俺は地面の上を勢いよくゴロゴロと転がっていく。

「ダージュ、貴様ぁああ! よりにもよって儂の里で、肉を焼いて食おうとしたなぁああ!?」

「痛ってぇ! 急になにするんだよ……って、俺の肉はどこへ行った!?」

 視界の端で俺と同じ銀色の髪をしたジジイが何かを叫んでいる。だけど今はそんな事を気にしている場合じゃない。地面に這いつくばりながら慌てて辺りを見渡すと、無残にも土まみれになってしまった串焼きの残骸を発見した。

「あああぁぁあ! 俺の串焼きがぁあ!」

 森の中を木霊する咆哮。だがこの惨事を起こした張本人は、素知らぬ顔でフンと鼻を鳴らした。

「馬鹿者め、貴様が里の掟を破ったから天罰がくだったんじゃ」

「おいコラ、ジジイ! 何が天罰だよ。そんなのはアンタが勝手に決めたルールじゃねぇか!」

 そう言って俺は、大事な串焼きを台無しにした老人を見上げる。
 ジジイはヨボヨボな顔の皺をさらに深めながら、俺をキッと睨み付けた。

「知るか! 儂は肉や炎が嫌いなんじゃ。生き物を殺し、大切な枝や葉を燃やすなど、精霊の友であるエルフの風上にも置けぬ! 我々エルフの民は世界樹の果実のみを食べて、静かに過ごせばいいのじゃ!」

 その烈火のような怒りに近くに居る風精霊が影響されたのか、ジジイの周りをゴウッと落ち葉が舞い上がる。だが俺も負けてはいられない。こっちだって日頃の鬱憤が溜まりに溜まっているんだ。

「うるせぇ、里のみんなをお前の好き嫌いに巻き込むんじゃねぇ! だいたい世界樹の果実なんて酸っぱいだけで、最近じゃ味もどんどん落ちているじゃねぇか。あんな不味いモンを喰い続けるなんて、もはやただの拷問だろ!」

「ま、不味いじゃと!?」

 自分が世話をしてきた世界樹の果実に絶対の自信があったのか、俺の指摘に対してジジイは目を見開いて驚いた。

「不満があるのは俺だけじゃない。里の奴らだって、こんなつまんねぇ生活に疑問を持ち始めてるんじゃないのか?」

 掟は菜食だけじゃない。
 里を出てはいけない。争いごとはするな、反論をするな。言われたことだけを続けろ。他にもたくさんあるが、どれも疑問を口にすることすら禁じられている。

 毎日毎日ひたすら同じモンばっか食って、与えられた仕事を繰り返してハイ終わりだ。何か違うことをしようと願うことすら許されない。

「夢を持つことより、掟の方がそんなに大事なのか? ジジイは俺たちに死ぬまでこんな生活を続けさせる気なのかよ!?」

 エルフの寿命は長い。ハイエルフのジジイはもっと長いらしいが、普通のエルフだって三百年は生きる。

 俺は今年で二十歳になったばかりだが、残りの人生は約十万日。十万だぞ? 十万回も同じ日を繰り返すなんて、とてもじゃないが耐えられない。

「なにを馬鹿な……この平和な日々がどれだけ貴重なのか、貴様にそれが分からんのか!」

「まるで時が止まったかのような不変が、ジジイの言う平和なのか? 自分の意志を持たず言いなりになるのが、本当に正しいことのかよ!?」

「……お前は若さゆえに、人が抱く欲の恐ろしさを理解できていないのだ。現実を知らぬ未熟者が勝手なことを言うでない!」

 あぁ、知らねぇよ。だからこそ知ろうとするのが人ってモンだろうが。傷付くのを怖がっていたら何もできねぇよ。俺が憧れている偉大な冒険家だって、勇気を振り絞って道なき道を自分の手で切り拓いてきたんだ!

 俺は腰元のポーチから父さんの遺品である本を取り出して、ジジイの前に突き出した。

「そ、その本は……」

「俺が尊敬する冒険家の本だ。信じるのもバカらしい嘘みたいな内容ばっかりだが、実在する人間族が旅をした話が元になっているんだと。俺もこんなふうに、自分の眼で世界を見てみたいんだ」

 俺が世間知らずなのは、ジジイの言うとおりだ。だからこそ自分の足で歩いて、実際に見てから何が正しいのかを判断したい。自分の価値観を他人の意見で決められたくねぇんだよ。


「第一、恐れや現実から目を逸らしているのは、ジジイの方なんじゃないのか?」

「なっ!? そんなことはないっ、儂は誰よりもこの世の真理を理解しておる!」

「いいや、単にジジイは変わることが怖いんだ。自分の信じているものが揺らぐのが怖い。折れるのが怖いのか、折れたから怖いのかは知らねぇがよ」

 里のエルフたちをこれまで導いてきたジジイはたしかにすげぇよ。だけどその間に何か一つでも変化はあったか? 成長や発展はあったか?

「自分が変わりたくないから周囲が変われ、従え、というのはあまりにも傲慢な考えだよ。ジジイは神にでもなったつもりなのか?」

「ダージュ、貴様はそんなふうに儂のことを……?」

「――はっ。だったらどうなんだよ、孫に痛いとこを突かれてショックだったか?」

 まったく、よく言うぜ。里のみんなを、自分の思い通りに動く操り人形だと思っているくせに。

「わ、儂はみなのためを思って……」

「果たしてそれはどうかな? 俺の眼には、誰にも縛られていない精霊の方が、よっぽど自由で楽しそうに見えるぜ!」

 そう言って俺はさっきの火精霊に視線を移す。水精霊や土精霊たちと一緒に唄うように揺れながら、楽しそうに空を舞っている。

 彼ら精霊は俺の数少ない友人だ。ジジイやエルフのみんなには精霊の姿が見えないし、会話もできない。だけど俺は精霊に気に入られているのか、どの属性の精霊も姿を現し、いつも一緒に遊んでくれていた。

 精霊たちに遊んでくるように伝えると、赤青黄と色とりどりの彼らは里の中心にそびえ立っている世界樹の方へと飛んでいく。
 そんな光景をジジイは憐れみを込めたような瞳で見つめていた。

「はぁ……儂の教育が間違っておったようじゃな。こんなことになるのなら、精霊たちと接触させるべきではなかったのだ……」

「はぁ!? この期に及んで、俺から大事な友人まで奪う気かよ!」

 いい加減、俺も我慢の限界だ。
 だいたい肉を焼いたぐらいで、ここまで言われる筋合いは無いだろうが。
 自分の生き方ぐらい、自分で決めさせてくれよ。

「おい、どこへ行くつもりだ。まだ話は終わっておらん!」

「そこまで言うのなら分かったよ。こんなクソみたいな里、自分から出て行ってやる!」

「――本気なのか、ダージュよ。一度吐いたその言葉は撤回できんぞ」

「嘘じゃねぇよ。世界を回って、そのうちジジイが泣いて認めるほどの美食グルメを持って帰ってくるからな」

 待ってろよジジイ。それまで精々、このクソつまらねぇ平和とやらを楽しむと良いさ。いつか俺の手で直接、この里をもっといい方向へ変えてやるぜ。


 こうして俺は秘境ともいえるエルフの里を飛び出した。ここで踏み出さなければ、一生この窮屈な場所で飼い殺しにされると思ったから。


 ――だが、現実はそう甘くなかった。

「ううっ……腹へった……」

 里があるヴェントの森は無事に越えたものの。人間族の住む下界へと繋がる風穴に迷い込み、彷徨さまようこと五日。

 俺は空腹が限界に達し、見事に行き倒れていた。

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