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第1話 王妃の決意
しおりを挟む「マーガレット様。ご命令通り、陛下の調査を致しましたが……やはり黒だったようです」
侍女のエメルダは主であるマーガレット王妃にそう告げると、申し訳なさそうに目を伏せた。
「――そう。陛下はやはり、浮気をしていたのね」
王城にある自室でお茶を飲んでいたマーガレット王妃は、その報告を聞いてハァと深い溜め息をついた。動揺を隠しきれないのか、カップを持つ手が微かに震え、宝石のようなブルーの瞳は不安げに揺れている。
マーガレット王妃はこのガレイン王国の王妃だ。年齢は三十代後半で、美しく長い金髪をした美しい女性である。この国では珍しい金色の髪を持ち、その美しさから"金獅子姫"と呼ばれている。
しかし今はその呼び名に相応しい姿ではない。普段は凛とした表情を浮かべる顔には疲れの色が見えており、その美貌にも影を落としていた。
それも当然だろう。なにしろ彼女は夫であり国王でもあるアルフォンス=ガレインの浮気を知ってしまったのだから。
「近頃、どこか様子がおかしいとは思っていたけれど……。まさか予想が当たってしまうだなんて」
再び大きなため息をつくマーガレット王妃。
アルフォンスは浮気などする男ではなかった。少なくともマーガレット王妃に対しては誠実であったはずだ。それが今年に入ってからというもの、共に過ごす時間が減り、夜も仕事だと言ってどこかへ行ってしまうようになったのだ。
たしかに夫は普段から公務に追われているし、多忙で一緒に居られない時間は昔からとても多かった。若い頃は彼の姿が数日見えなくても、それは仕事の都合で仕方のない話だと理解していた……はずだった。
だが最近はどうだろうか? 彼が部屋にいない日が多いことに気付いてからは、さすがに疑念を抱くようになっていた。そして先日の事だ。夫の私室に入った時、机の上に見慣れない女物のアクセサリーが置かれているのを見つけたのだ。
最初は自分の物かと思ったのだが、よく見ると違うことに気付いた。
(これって……まさか浮気?)
事態をすぐに察したマーガレット王妃はすぐにそれを元に戻すと、そのまま何も言わずに部屋を出た。その時はただ何となく触ってはいけない気がして、そっと元に戻しただけなのだが……。この時はまさか、あれが自分の良く知る人物のものだったとは思いもしなかった。
それからというものの、マーガレット王妃の心の中にモヤモヤとした気持ちが生まれた。あの時の自分はなぜもっと詳しく調べなかったのだろうと後悔している。もしあそこで冷静になっていれば、こんな結果を招くことはなかったかもしれない。
そう思うと、また自然とため息が出てしまう。
するとそんな彼女の様子を見かねたエメルダが心配そうな表情で話しかけてきた。
「マーガレット様……」
「いいの。多少の覚悟はしていたから。ありがとう、エメルダ」
お礼を言うマーガレット王妃だったが、すぐに憂鬱そうな表情を浮かべて視線を落としてしまった。エメルダの目から見ても大丈夫な様子だとは言い難い。
「そりゃあね、元よりわたくしたちは政略的な結婚だったし? 当初なんてお互いに事務的なやり取りしかしなかったわ。でも最初の子を宿してからは、陛下もだいぶ変わったのよ?」
「えぇ、まぁ……私もそう聞き及んでおります」
思いのほか円満だった夫婦生活のおかげで、マーガレットは三人の子供に恵まれた。今では身体を重ねる行為こそ少なくなったが、それでもそれなりに上手くやってきたつもりだ。
息子は王太子として立派に成長したし、そろそろ退位した後の暮らしを考えよう……その矢先でまさかの不貞疑惑である。
「やっぱりわたくしは愛されていなかった、そういうことなのかしら?」
「いえ、まさかそのようなことは……」
「ふふっ、慰めなくていいのよ。むしろ今まで愛人がいなかった方がおかしかったんだわ」
そう自虐的に笑うマーガレット王妃。
そんな彼女に対してエメルダは何と答えればいいかわからず、ただ困ったように苦笑いをするだけだった。
「それで、陛下はどちらのご令嬢と逢瀬を重ねていたのかしら?」
「えっと……それが、その……」
「この際だから洗いざらい教えてちょうだい。後から知ったほうが辛いもの」
マーガレットにとっては、長年積み上げてきたものが壊れていくような気分だった。もう夫とは終わりなのかもしれないと思うと、涙腺が緩んでいくのを感じる。
だがここで泣いていては何も解決しない。マーガレット王妃はグッと堪えながら、若干顔を青褪めさせているエメルダの手を握り、その先を急かすことにした。
「実は――――」
◇
マーガレット王妃は王城の廊下を淑女とは思えないほどの速さで歩いていた。すれ違う使用人や騎士たちは、普段の彼女からは想像できない剣幕に驚きながらも道を譲っていく。そんなマーガレットのすぐ後ろを侍女のエメルダが必死になってついて行く。
(許せないわ……なんてことをしてくれたのよ!!)
侍女であるエメルダの報告を最後まで聞いた後、マーガレット王妃はすぐに行動に移った。
その勢いのまま部屋を飛び出し、夫であるアルフォンスがいるであろう執務室へと急ぐ。もちろん、これからする話し合いの為に。
『失礼ながら陛下は、前任の王妃付き侍女と密会をしている御様子でした』
『まさか、あのアンジーが!?』
その話を聞いた瞬間、マーガレット王妃は目の前が真っ暗になった。あまりの衝撃に頭が混乱してしまい、口をパクパクさせるだけで言葉を発することができない。
だがそれも無理のない話だ。なにしろ夫が浮気をしていたというだけでもショックなのに、その相手というのがマーガレットがこの城で最も信頼していた女性だったのだから。
この国では、王妃の就任時に専属の侍女が付くことになっている。
エメルダが言った前任の侍女というのはつまり、マーガレットが王妃となった時からずっと仕えてくれていた女性だ。
その侍女の名はアンジー。彼女はとても優秀な女性で、常に王妃の良き相談相手になっていた。
次代の王妃につく侍女を育成するため今は王妃の元を離れているが、マーガレットにとってアンジーは部下であり、妹であり、そして社交界という魔境を共に生き抜いてきた掛け替えのない戦友だった。
(どうしてアンジーと陛下が? それも彼女のお腹には……)
エメルダからもたらされた話で一番衝撃だったのは、アンジーが夫との子を宿しているという疑惑だ。
マーガレット王妃が知らない間に、そこまで深い関係を持っていたというのか。
今更ながらに自分の鈍感さに嫌気が差す。夫の様子がおかしいとわかっていたはずなのに、全く気付くことができなかった。
(もう、いったい陛下は何を考えているのよ!)
仮に側妃にするにしても、生まれた子が男の子だとしたら後継者争いの火種になりかねない。加えて侍女にお手つきをしたという前例を許してしまえば、後に続こうとする欲深い令嬢が必ず現れてくるだろう。それはすなわち国の乱れに繋がるのだ。
だからこそマーガレット王妃は憤りを感じていた。夫はなんて迂闊なことをしてくれたのだと。せっかくこれまで順風満帆だったのに、すべてをぶち壊すおつもりなのか。長年の努力を無碍にされたようで、悔しさと悲しさで胸が張り裂けそうだ。
「うぅ~! 信じられないわ!!」
マーガレット王妃は怒り心頭で執務室の扉に手を伸ばす。
バンッと大きな音を立てて扉が開かれ、室内にいた全員の動きが止まる。
そこには椅子に座って書類に目を通していたアルフォンスと、彼の傍で仕事をしていた数人の文官たちの姿があった。そして彼らの視線が一斉に入口の方に向けられる。
「ま、マーガレット?」
最初に声を上げたのは、驚いた表情を浮かべているアルフォンスだった。その顔には困惑の色が窺える。
一方、入室してきたマーガレット王妃はというと、怒りの感情を隠すことなく夫を睨みつけていた。
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