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第2章 慈悲深き瞳を持つ女
第16話 リゲルの処遇
しおりを挟む「おお、神よ。罪深き私をどうかお許しください」
目に飛び込んできた光景に、俺とマリィは思わず言葉を失った。
老獣人であるハピーさんの案内で通された部屋は、広いホールのような空間になっており、天井から吊るされた複数のランタンによって照らされていた。
奥には大きな女神像が置かれ、その前で立派な白銀の鎧に身を包んだ筋骨隆々の騎士が跪き、祈っている姿が見えた。
年齢は四十歳くらいだろうか。短く刈り上げられた金髪と、堀が深く整った顔立ちからは、いかにも真面目そうな雰囲気が漂っている。おそらくあれが教会騎士団なのだろう。
「――む、罪深き者の匂いがするな」
部屋の中に入ってきた俺たちの姿に気が付いたのか、彼は立ち上がってこちらへと歩いてきた。
「おぉ、これはハピー殿! お戻りでしたか」
「うむ、ただいま戻ったぞい。そなたに客人じゃ」
「ほう! この罪深きジェイソンに客とは珍しいですな! 私と共に神へ懺悔するために参ったのですかな?」
ジェイソンと名乗った騎士の男はハピーさん相手にペコリと頭を下げたあと、俺たちの方を見てトンデモなことを言い出した。
凄い濃い性格をしているなぁ、この人。あんまり人見知りをしないマリィが俺の後ろに隠れてしまったぞ。
ていうかハピーさんって一体なに者なんだ?
「……むぅ、どうした少年。せっかく出会えたのだ、挨拶の抱擁でもしようじゃないか」
いや、抱擁って。そんな無茶振りされても……しかし、このまま黙っていても埒が明かないのも事実だ。覚悟を決めて前に出ることにしよう。
「……どうも初めまして。俺の名前はフェンと言います」
俺は自己紹介をしつつ右手を差し出す。抱擁は嫌だけど、握手くらいなら大丈夫だろ。
すると、相手も右手を差し出してきた。よかった、分かってくれたみたいだ。よし、これでようやく会話ができるぞ――そう思っていたのだが。
次の瞬間。ジェイソンは突然繋いだ手を引っ張り、俺に抱き着いた。しかも満面の笑みで。
「(なっ!? こいつ、結局ハグするのかよ!!)」
まったくなんてヤツなんだ。いきなり抱きついてくるとかあり得ないだろう。
やはりこの男は危険だ、さっさと離れた方がいいかもしれない。そう思い、慌てて手を振りほどこうとするがビクともしなかった。
「だ、大丈夫、フェン?」
「たすけてマリィ……この人、ヤバイよ……」
マリィに泣きつく俺をよそに、ジェイソンは高らかに笑い出した。
「ハッハッハ! なるほど、君は間違いなく穢れなき者だ!! 童貞というのも納得だ!」
「……はい?」
え、今この人何て言ったの?あまりにも予想外の一言に思わず聞き返してしまった。いや、確かにその通りなんだけどさ……初対面で言われることじゃないでしょこれ。というか何気に失礼なこと言ってるし、なんなんだこのおっさん。
困惑している俺を見て何かを察したのか、マリィが耳打ちしてきた。
「ねぇ、もしかしたら何かスキルを使われたんじゃない?」
「え? スキル??」
「まったく。お主は毎度毎度、初対面の者に抱き着くのはやめろと言っておるのに」
俺の疑問に答えたのはハピーさんだった。
どうやら彼は鑑定士という職業らしい。鑑定といっても相手のステータスや能力値を見るわけではなく、対象者が罪を犯しているかどうかを判断できる“ジャッジ”というスキルを持っているのだとか。
とても珍しいスキルを持っている彼はその能力を生かし、このパルティア聖騎士団の副団長を勤めているのだが……。
「お主は昔から人の罪を暴くことに夢中になって……もう少しデリカシーというものを覚えたらどうなんじゃ」
「ハッハッハ! 申し訳ないが、それは聞けぬお願いなのだハピー殿。これが私の仕事なのでな!」
「相変わらずの変わり者じゃの……」
「うむ、よく言われる」
ハピーさんはやれやれといった様子で首を振ると、今度は俺たちの方に向きなおした。
「こちらのフェン君たちはお主に引き渡したい者がおるそうじゃよ。それこそ、お主が大好きな罪人じゃ」
それを聞いたジェイソンの表情が一気に険しくなる。さっきまでの笑顔とは打って変わって、眉間にしわを寄せた厳しい顔つきだ。
余りの恐ろしさにリゲルも顔を真っ青にして、縛られたままカタカタと震えている。まぁ、無理もないか……あんなガタイの良い男に殺気のこもった睨みをされたら誰だってビビるよな。
「――パルティア聖騎士団の副団長として、神より与えられし使命を果たさせてもらう」
俺の時とは打って変わって、ジェイソンさんは神妙な声色でリゲルに近付こうとしていた。そして、ゆっくりと右手を前に出しながら呪文を唱え始める。
「我は汝の名を知る者なり。知識と知恵の神ゼノンの名の元に、心弱き者の罪を暴かんことを願う――」
呪文の詠唱が進むごとに彼の右手に淡い光が宿り始めた。
その時だった。彼の右手に突如として小さな魔法陣が浮かび上がり、そこから一本の弓が姿を現した。それはまるで光でできた弓矢のようで、白く輝いており、弦の部分はまるで蛇のように蠢いている。
彼はそれを手に取り構えを取ると、矢を射るような動作をして叫んだ。
「『審判の光陰』!!」
次の瞬間、白い光の矢が放たれたかと思うと、あっという間にリゲルの体を貫いた。
「もごごっ!?!?」
「リゲル!?」
「心配するな、殺してはおらぬ」
ジェイソンさんの放った矢を受けたリゲルだったが、特に体に異変はないようだった。
貫かれたはずの腹からは一滴の血も流れておらず、代わりに一枚の羊皮紙のようなものがひらりと舞い落ちただけだった。一体どういうことだ……?
戸惑う俺たちの目の前で、ハピーさんがその紙を拾い上げて読み上げた。
「ふむ……どうやら本当に悪事を働いていたようじゃな」
驚くことに、そこにはリゲルが村でやったことの一部始終が記されていたのだった。
しかも、その内容は明らかに法に触れるような内容ばかりであり、彼がラッグ村の森に潜む盗賊団と繋がりがあったことまで記されてあったのだ。どうやらマリィを弄んだあと、盗賊団に売り飛ばすつもりだったらしい。
「リゲル、お前ってやつは……」
「最低ッ……!!」
俺は驚きのあまり言葉を失った。マリィもゴミでも見るかのような目で彼を睨みつけている。
しかしそんな俺たちとは対照的に、当の本人はどこか他人事のような顔をしていた。
「いちおう、弁明の機会を与えておこう。……お主、なにか言っておきたいことはあるか?」
ハピーさんはリゲルの元に寄り、嚙ませておいた口枷を外す。するとリゲルは自由になった口で、大声で話し始めた。
「別にねぇよ」
「ほう、自身の罪を認めるか」
少し感心したようにジェイソンさんが笑う。だが目は相変わらず冷たいままだ。
「どうせ言い訳したって無駄なんだろ。だったら大人しく“背神者”になって労働義務を果たすだけだ。どうせ数年経ったら解放されるんだろ?」
「……まぁ、確かにその通りだな」
ジェイソンさんの言葉にリゲルはニヤリと笑った。
たしかにこの国では罪を犯した者は神に背いた者、“背神者”として刑罰を受ける。半ば奴隷のように奉仕作業をすることで、神の許しを得るのだ。
おそらくリゲルは刑期について知っていたのだろう。
俺としてはこのまま一生牢獄に入っていてもらいたいのだが、さすがにそうもいかない。コイツがまた表に出てくる日のことを考えると、今から頭が痛くなる思いだ。
「はっ、残念だったなフェン。俺を追い詰めたつもりなんだろうが、まだこんなところじゃ俺は終わらねぇぞ!」
まるで「今度は上手くやってやる」とでもいうように高笑いをするリゲルに、ジェイソンさんは再び険しい表情を向けた。そしてゆっくりと口を開く。
「……おい、罪人よ。貴様は勘違いをしているぞ」
勝ち誇った笑みを浮かべるリゲルに対し、ジェイソンさんは首を横に振った。
「え……?」
「貴様の言う通りお前は“背神者”だが、償いの方法は神が決めるのだ。……ハピー殿」
「うむ」
ジェイソンさんに呼ばれたハピーさんが一歩前に出る。彼は手にしていた羊皮紙を広げ、読み始めた。
「……お主はこれより教会の兵士となってもらう。働き次第では、すぐに解放されるじゃろう」
「はぁ!? そんなんでいいのかよ!?」
拍子抜けした様子で叫ぶリゲル。
それもそうだろう、彼のような犯罪者にとって最も恐ろしいことは、死ぬまで牢に閉じ込められることだからだ。それに比べれば兵役など屁でもないと考えているに違いない。
しかし、そんな彼に対してハピーさんは首を振った。
「いいや、そんな生ぬるいものではないぞ? 兵士となったお主が所属するのは、“背神者”のみで集められた魔人討伐の隊じゃからの」
「えっ……」
「さらに“背神者”のジョブは封印の上、武器も与えられぬ。生きて帰れれば儲けものじゃろうな」
その言葉にリゲルの顔が引きつる。
ハピーさんいわく、国内のあちこちで魔人の被害が出ている影響で、兵士たちは人員不足に陥っているらしい。そのため、リゲルのように犯罪を犯した者に恩赦を与え、強制的に兵として働かせるそうだ。
もちろん、その扱いは家畜以下であり、人権などは認められないらしい。つまり、過酷な労働環境の中、いつ死ぬかも分からない戦いを強いられるのだ。当然、無事に帰ってこられる保証はない。
「ま、待て! 俺はまだ死にたくない!! それに俺はまだ十六歳になったばっかりなんだぞ!!」
「安心せい、十六歳は立派な大人じゃ。……喜びなされ、後悔は生きている内にしかできぬのじゃからな」
「そ、そんな……」
神の居る世界では天罰が実在するのだろう。
リゲルは絶望した表情で膝を落とした。
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