上 下
1 / 13

第1話 1/1082の男

しおりを挟む
 VR(バーチャルリアリティー)技術が進化した2100年代。
 人々は没入型VRを利用した仮想世界『2nd.ユニバース』、通称セカユニを楽しんでいた。

 生体と機械を繋ぐことにより、想像上の世界においても味覚や嗅覚といった五感をほぼ再現させた。つまり莫大な費用や命の危険を天秤に掛けずとも、宇宙遊泳や深海散歩ができる時代が到来したのだ。

 この技術により、人類は新たなライフスタイルを獲得した。
 しかしどんなに生活が変わろうとも、人々が娯楽を求めているのは相変わらずだった。

 必然というべきか、ゲームに対してもこの最新技術が応用された。
 既存のRPGや格闘ゲームなど、どのジャンルにおいてもリアル性は倍増し、そして人々を熱狂させた。多くの人がセカユニでゲームをプレイし、その様子はリアルタイムで配信されるようになった。

 二十一世紀で頭打ちになると予想された動画配信サイトの利用者数は、百年近く経った今でも高い数値を保ち続けている。
 そして配信者は医者やタレントに並ぶ人気の職業として定着し、親に「配信者になる」と言っても反対されることも無くなっていた。

 そして今日も一人の人間が、この仮想世界でとある新作ゲームの配信を開始した。
 ガチムチの筋骨隆々男のアバターで数々のホラーゲームを実況をする男、カマタマ。またの名を鉄の漢女おとめ
 丑三つ時である深夜二時からの配信スタートにもかかわらず、同時接続二千人を超えるという人気ぶりだった。

「……ん? なにかしら今の」

 薄暗い洋館の中を懐中電灯を片手に歩いていると、なにかが視界の端を横切っていった。現在のカマタマに同行者はおらず、確認のために立ち止まって辺りを見渡す……が、誰かがいる様子はない。


《え? 今なにか映らなかった?》

《はいはいw そういういかにもホラーな演出はいいって》

《そういうお前は新参者か? カマタマの実況配信のアーカイブ見てから言えよ》

 実況主を揶揄するようなコメントに対し、古参と思しき視聴者の一人が突っ込んだ。
 カマタマは『お化けよりもリアルの人間の方が断然怖い』を信条として、幽霊や怪物に対してオネェ言葉を発しながら果敢に挑む、豪胆なプレイスタイルをウリにしている。事実、過去の配信ではビビるような場面を一度も見せていない。

 さらに言えば今回の配信は、チャンネル登録者数十万人を達成したお祝いを兼ねていた。たかが幽霊を見掛けた程度で驚いていては、鉄の漢女おとめの看板にミソをつけてしまう。

《やっぱアレが、ゲームタイトルにある『赤子鬼』じゃねーの?》

《巨大な顔をした血塗れの赤ん坊が追いかけてくるってやつ? うっわ、マジで怖くなってきたんだけど!》

《通称『ラズベリー色の悪魔』だっけ? 早く見てぇ!》

《おいおいおい! あのカマタマが黙っちまったけど、大丈夫なのかこれ!?》

 普段の明るいカマタマらしくない振る舞い。古参の視聴者が放送事故ではないかと心配のコメントをするが、当の本人はそれどころじゃなかった。

「(ちょっと、事前に聞いていた情報と違うじゃない……赤子鬼は食堂で鍵を入手するシーンで登場するはずでしょう?)」


 勤勉な彼(?)は事前に入念なリサーチを行い、エンターテインメントとして視聴者に楽しんで貰えるよう、プレイングには慎重に慎重を重ねていた。

 もちろん、過剰なリアクションで怖がるプレイを好む視聴者もいるだろう。しかし自分に大袈裟なアクションを求められていないことは、カマタマ自身がよく理解している。だからこそ彼は、あらかじめ攻略情報を得るようにしていた。

 それはズルいんじゃないかって?
 配信者界隈は層が厚く、十万人のチャンネル会員数を抱えるカマタマですら上位とは言えない。己の個性を磨かねば、この世界ではあっという間に埋もれてしまうのだ。

「(いや、登場シーンの前フリとして驚き要素ジャンプスケアを入れたのかもしれないわね。さすがホラゲ最大手のナムコン。プレイヤーの心理をよく分かってるじゃない)」

 配信者のスキルは未熟でも、幼い頃から数多のホラーゲームを愛し、プレイしてきたという自負がある。ここ最近では、制作サイドがどういった意図でギミックを仕掛けているのか、何となく察せるようになってきた。だから大丈夫、これはまだ想定の範囲内だ――そう自分を納得させながら、右手に握る懐中電灯を前方に向けた。

「――っ!」

 思わず懐中電灯を落としそうになる。
 廊下の先にある曲がり角に、得体の知れないナニカがいた。
 明かりの届かない暗闇から、何者かがこちらを覗いている。
 だが現実世界のモニター越しに見ている視聴者達は、カマタマが感じているその異様な雰囲気に気が付くことはなかった。

「……よし、確かめに行くわよ」

 何を躊躇っているのだ、カマタマよ。せっかくの記念放送でしょう。ちょっとした想定外で足を止めている場合じゃないわ。
 それに、たかがゲームじゃない。仮想世界の化け物に襲われたところで、まさか本当に死ぬわけでもあるまいし。ここで何かハプニングがあった方が、むしろ撮れ高があるというもの。チャンネルのさらなる発展を望むのなら、この程度のことは上手くアドリブで乗り越えねばなるまい。

 僅か数秒の間に覚悟を決め終えたカマタマは、再びゆっくりと歩みを進めた。

《え? ちょ、まじで行くのかよ》

《おいおい、これはガチのヤツじゃん》

《カマタマはやっぱスゲェ!》

「(ありがとう、みんな)」

 視界の端にはコメント欄が見えている。こうして自分を信じてくれる視聴者がいる。ならばその期待に応えるのが自分の務めであり、義務なのだ。
 そしてカマタマは曲がり角の向こうへと進んだ。

「……うそでしょう」

 そこには、黒いワンピースを着た小さな女の子がいた。

《なんだよw びっくりさせるなよwww》

《ビビりすぎだろww》

《いや、普通にかわいい子じゃん》

《なんだ、ただの子供か。良かったぁ……》

「(よかった……? アタシはこんな子供が出てくるなんて聞いていないわよ! それにこの子、なんだか不気味で――)」

「……いた」

《ん、女の子がなんか喋ったぞ》

《日本語だよな?》

《もしかしてモブキャラ登場か?》

《待てお前ら。俺は既に攻略済みだが――このゲームに女の子なんて出てこないぞ?》

「……いた。お腹空いた……」

 少女が呟くと同時に、背後からガタッと何かが落ちる音が聞こえた。

「ひっ」

《なに? なんの音?》

《振り返ってみ》

《おいおいおい! これ絶対いるって!》

《後ろからくるぞ、気を付けろ!》

「(ああもう! どうしてこういうときに限って、視聴者さんが盛り上がってくれるのよ!)」

 カマタマは慌てて振り向いたが何もおらず、ただ暗い廊下が長く続いていただけであった。いつの間にか外は嵐になっている。どうやら廊下の窓ガラスが雨風にあおられて音を立てただけだったようだ。

「な、なんなのよもう……」

《いやいやいや、絶対に何か居ましたって!》

《カメラ回ってないところだったし、もしかしたら別の部屋に隠れてるんじゃね?》
 
《カマタマ、ついにビビった!?》 

《この際だから記念に悲鳴だけでも聞きたかった》 

「(もう! アタシは今すぐ帰りたいってのに、この人達はホントにもう……!)」

 視聴者達の好き勝手な発言に辟易しながらもカマタマは深呼吸をすると、改めて前を向きなお――

「ねぇ、ママ。ご飯、ちょうだい?」

「――え? きゃっ!?」

 カマタマは咄嵯に身を屈めた。
 それは咄嗟の防衛本能だったのかもしれない。
 彼の頭があった部分を、高速で何かが通り過ぎた。

「ドウシテ? ママ、食べちゃダメなの? お腹、空いてるノに……」

「ひっ……」

《うおぉ!?》 
《え、なになになに》 
《今なにが起こったの!?》

 先ほどまで可愛らしい顔をしていた少女は、そこにはもう居なかった。
 首から上が通常の何倍にも膨れ上がり、肌は赤黒く変色してしまっていた。そして目は血走り、口はカマタマの頭を丸呑みできそうなほど大きく裂けている。

「コイツが赤子鬼だったの!?」

 大きな頭を身体が支えきれないのか、赤子鬼らしき怪物はハイハイの体勢となっていた。そのせいでカマタマの目と鼻の先に巨頭があり、むわっとした息が掛けられた。生臭いところまでリアルだ。

 彼は廊下の来た道を後退っていく。一刻も早く、コイツから離れなければならないと本能が告げているのだ。

《なんだこいつ、気持ちわりぃ》 

《これが赤子鬼なのか?》 

《デカすぎるだろ、人間じゃなくて巨人じゃねーの?》 

《これじゃまるで怪獣映画じゃないか》


『ラズベリー色の悪魔』の初登場に、コメント欄では視聴者達の困惑する声が溢れていた。

 それも無理はない。画面越しに見ている彼らでさえ、そのリアルさと異形さに恐怖を感じているのだ。

「ねぇ、ママー。早く食べさせてくれないと、私泣いちゃうよー?」

《なに言ってんだコイツ》

《早く逃げろカマタマ!》

「ええ、言われなくても逃げるわよ!」

 気丈な返答をするも、カマタマは内心で焦っていた。あのギザギザとした鋭利な歯に嚙みつかれたら、一発でアウトだ。

 赤子鬼が動き出した瞬間、彼は床を這うように走り出した。

「あっ、待ってよー」

 当然ながらその言葉を無視し、一目散に駆ける。そして事前情報にあった、空き部屋へと飛び込んだ。

 壁には燭台の火が灯されており、部屋全体を見渡すことができた。どうやらその部屋は寝室のようで、豪華なベッドや家具が置かれている。それらの中からカマタマは目的のモノを見つけ出し、安堵する。

「(あった、あのクローゼットに隠れるわよ!)」

 部屋の壁際に彼の巨体が優に入りきる大きさのクローゼットがあった。そこへ急いで入り、扉を閉める。

 赤子鬼は足が遅いのか、まだ部屋に入ってきていないようだ。これで少しは時間が稼げるはず。

「どこ行ったのかなぁ……」

「(――ッ! )」

 扉越しに聞こえたセリフに、カマタマは思わず声が出そうになった。どうやら部屋の中を探し回っているらしい。

《うっわ、こっわ!》

《でもあの怪物はこの中には入ってこれないはず》

《さすがはクローゼットのパイセン! あったけぇわ……》

 逃走系のホラーゲームでは、ロッカーやタンスといった場所は緊急避難場所セーフティポイントが用意されていることが多い。『赤子鬼』においても、種類は少ないが安全な場所が設置されていた。

 その一つが今カマタマが逃げ込んだクローゼットで、プレイヤーの憩いの場となっていた。

「(ふぅ、なんとか助かったわね)」

 カマタマは安堵の溜息を吐いた。
 いくらなんでも、あんな化け物に捕まってはひとたまりもない。ここは一旦、冷静になって作戦を考えるべきだろう。

「(とりあえず、この洋館に散らばる鍵を集めて脱出を……)」

 そう思い、カマタマはゲーム実況用のメモ帳を取り出そうとしたところで、

「――ひっ!」

 視界に映ったソレに、思わず悲鳴を上げてしまった。

「ママ、見ぃつけた~」

 視線の先にあるのは、クローゼットの隙間から見える光景。そこには満面の笑みを浮かべる、赤子鬼の巨大な顔があった。

「いやぁぁぁぁぁぁぁああああ」

 バタンという音と共に、安全であるはずのクローゼットの扉が開け放たれた。

「ひっ……ひぐっ……」

 カマタマは涙目になりながら、必死に後ずさりする。だが狭い空間ではすぐに背中が壁に触れてしまい、これ以上は下がれない。

「やめて……来ないで……」

 もはや彼に出来ることは懇願することだけだった。
 だがその願いを聞き届けてくれる相手ではないことは明白であり、絶望感だけが彼を襲う。

 ――バキッボキッ、ゴリッ……ぐちゅっ。

 生々しい咀嚼音が部屋に響く。現在進行形で増え続ける数千人もの視聴者の前で、赤子鬼による食事シーンが開始されてしまった。

《お、おいコレってあまりにもリアルじゃねぇか?》

《仮想世界じゃ出血とかグロい描写はされないはずじゃ……》

 コメントが流れている現在も、赤子鬼はグチャグチャと咀嚼を続けていた。偏食家なのか頭以外には興味を示さず、カマタマの首から下は床に放置されたままとなっている。本来ならばとっくに死体は消えて再スタートリスポーンしているはずなのだが、その気配はない。

《おい! これヤバイって! マジで洒落にならねぇぞ!》

《運営は何してんだよ!》

 普段と違う状況に、視聴者は大混乱に陥った。コメント欄は阿鼻叫喚となり、「警察を呼べ」とキレる者や「もう無理、離脱するわ」といって去っていく者など、様々な反応を見せていた。当然ながら、この状況を正しく説明できる人間はいない。

 それもそのはず。これは単なるバグではなかった。カマタマはこれから始まる災厄における、最初の被害者にしかすぎなかったのである。

《なぁ、実況掲示板で他のゲーム配信者も、原因不明の化け物に殺されたってあったぜ》

《しかも『2nd.ユニバース』からログアウトできなくなってるって……》

 カマタマが殺されてから既に数分が経過したが、ログアウトや運営による配信停止もされていなかった。配信を見ていた大半の視聴者はすでに立ち去っていたが、この異様な状況を整理しようと残っていた者たちがいた。

《ニュースでやっていたけど……ゲーム内で死んだやつ、現実世界でも意識不明だってよ》

《マジかよ》

《じゃあカマタマも……?》

《お、おい。赤子鬼がまた動き出したぞ?》

 カマタマの頭を胃の中へすべて収めたあと、血の海の真ん中でごろりと横たわっていた赤子鬼がむくりと起き上った。次なるママを求めて、再び移動しようとしたのだろうか。そんな赤子鬼の顔に、何者かの影が差した。

《ん……? 誰か来たのか?》

《別のプレイヤー?》

《いや、なんか様子が変だぞ》

「……ママ?」

 未だ満腹感を得られない赤子鬼は期待に満ちた表情で振り返ると、そこにはトマトの被り物にリクルートスーツを身にまとった長身の男が立っていた。さすがの赤子鬼も困惑したのか、大きな頭を斜めに傾げている。傍目から見たら、真っ赤な頭をした怪物が二人並ぶという異様な光景である。

「あーあー、こんなに食い散らかして……っていうか、間に合わなかったかぁ。これでもかなり急いだんだけどなー」

 声の感じからすると、二十代後半ほどの男性だろうか。しかし、その見た目とは裏腹に口調はかなり軽い。

「ママじゃない?」

「ん、あーごめん。俺は君のお母さんじゃないよ」

「じゃあ、誰?」

 赤子鬼の問いかけに、トマト頭は腰に手を当ててこう答えた。

「俺の名前は『トマトちゃん』。まぁ君を倒すまでの短い間だけど、どうぞよろしく」


しおりを挟む

処理中です...