上 下
54 / 62
五章

54 絶望の感触

しおりを挟む
 月を覆い隠していた雲が晴れて、濃厚な闇を月明かりが払う。
 ディシフェルが召喚した魔物たちはすべて灰となり、消え去った。ヴリュソールも死闘の末に僕が与えた魔素を使い尽くし、魔界へ戻った。
 あれほど清浄だった遺跡の空気は見る影もなく瘴気に溢れ、生けるものを拒絶していた。湖もやがて枯れるだろう。
 静まり返った空気を震わせたのは、ディシフェルの笑い声だった。
「――私の勝ちだ」
 満身創痍の僕たちに向かって、高らかに宣言する。
「結局は力がすべて。勝ったものだけが正しい世界……私を力で捩じ伏せることで、貴様自身がそれを証明じだっ」
 捨て台詞を言い切らないうちに、ディシフェルの口めがけてシグファリスが容赦なく剣を突っ込んだ。
「知るかよクソが。地獄で一生ぼやいてろ」
 もはや人の体を成さない肉塊となったディシフェルに向かって、シグファリスが吐き捨てる。
「……っ、…………」
 体を再生させる力もない。ディシフェルは目だけを恨めしそうにぎょろぎょろと動かしていたが、シグファリスが再び剣を振るって宝玉を砕くと、完全に体の輪郭を失って崩れた。
 一陣の風が吹いて、瘴気の塊と化した宝玉が霧散する。
 静寂を取り戻した空が白んでいく。夜明けが近い。黎明を背にしたシグファリスが僕に向き直った。
「――アリスティド兄様」
 浮かべているのは、屈託のない穏やかな笑顔だった。他の誰でもない、僕に向けられたその笑顔があまりにも眩しくて、つい目を背けてしまう。
 僕を愛していると言った、大切な弟。傷つきながらも戦い、闇を切り裂いた勇者。
 よくやった、と褒めるべきか。ありがとう、とお礼を言えばいいのか。迷っている間にシグファリスが僕を抱きすくめる。だけれど、シグファリスの体から温かなぬくもりを感じることはなかった。
 ――体が冷え切っている。
「な……! どうした、どこか怪我を――!」
 僕が言い切らないうちにシグファリスは膝をついた。ぐらりと傾くシグファリスの体を支えきれず、地面に激突しないように横たわらせるだけで精一杯だった。
 鼻腔をくすぐる血の香りに惹かれてしまう自分を叱咤しながら、シグファリスの体を調べる。切り傷はいくつもあるが、致命傷になるような目立った外傷はない。周囲は瘴気に満ちているが、光の加護を授かっているシグファリスは瘴気に影響を受けることもない。ならば、なぜ。
 治癒魔法を施しながら診察していくと、魔術を阻害する禍々しい気配に気がついた。
「これは……!」
 左腕上部。傷自体は小さいが、そこには呪印が刻まれていた。
「馬鹿な! こんな呪いを受けたまま戦っていたのか……!」
 治癒魔法と並行して呪印を解析する。生きながらに身体を腐食させ、生命力を蝕む呪い――これが治癒魔法を弾き返し、シグファリスの命を削っている。
 光の加護によって軽減されているにせよ、壮絶な痛みを感じていたはずだ。一体いつから――おそらくは一番最初、ディシフェルに不意打ちされたときから。
 通常の魔術とは違い、呪いは術者が死んでも消えることはない。魔王アリスティドに戦いに挑んだとき、シグファリスは呪いに対する対策をしていた。だが、ディシフェルの奇襲を受けた今は無防備な状態だった。
「……ッ、大丈夫だ、すぐに治す。気を強く持て」
 そう言いながらも焦るばかりで解決策を見つけられないでいる僕に、シグファリスは場違いなほど穏やかに微笑みかけた。
「……アリスティド兄様は……綺麗だな……」
「こんな時に何を言っている! 今はしゃべるな、すぐに助ける!」
 呪いは身代わりの護符を身につけることで対策できても、すでに受けてしまった呪いは打ち消すことができない。だが解析自体はできるのだから解除できないはずはない。魔術の応用でなんとかする。なんとかするしかない。
 焦る僕の手を握りしめて、シグファリスはゆるゆると首を横に振った。
「やっぱり……殺せねえなあ……」
 シグファリスの手から力が抜ける。それきり、唇が動くことはなかった。黄金の瞳からは光が失われ、瞬きもしない。僕は重さが増したシグファリスの手を握りしめたまま、待ち続けた。
「は、はは……なんだ、これは。シグファリスが死ぬはずないだろう? シグファリスは、この世界の主人公で……光の加護を授かっていて……」
 だから今すぐにでも奇跡が起きて、シグファリスは目覚めるはずだ。
「僕が死ぬときは、シグファリスが殺してくれるって、言っただろ? 僕は、シグファリスのものだって……そう、言ったよな……?」
 冷え切った手を握りしめたまま、待ち続ける。待ちながらも、わかっていた。いつまで待とうとも、シグファリスはもう動かないのだと。握りしめたシグファリスの手からは、すでに何度も触れたことのある絶望の感触がした。
 ――この世界に転生してから、何度も神に問いかけた。どうして前世の記憶を持ったまま、『緋閃のグランシャリオ』の世界に、アリスティドとして生まれたのか。
 答えがなくても祈り続けた。どうか僕の大切な弟が、幸せになりますように。
 ディシフェルに体を奪われてからは、どうか今すぐ殺してくれと願う毎日だった。
 答えはなく、願いは届かなかった。
「そう、か……これが、答えか……」
 神から突きつけられた結末がこれだというのなら。
 僕のすべきことは決まっていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

嫌われ公式愛妾役ですが夫だけはただの僕のガチ勢でした

ナイトウ
BL
BL小説大賞にご協力ありがとうございました!! CP:不器用受ガチ勢伯爵夫攻め、女形役者受け 相手役は第11話から出てきます。  ロストリア帝国の首都セレンで女形の売れっ子役者をしていたルネは、皇帝エルドヴァルの為に公式愛妾を装い王宮に出仕し、王妃マリーズの代わりに貴族の反感を一手に受ける役割を引き受けた。  役目は無事終わり追放されたルネ。所属していた劇団に戻りまた役者業を再開しようとするも公式愛妾になるために偽装結婚したリリック伯爵に阻まれる。  そこで仕方なく、顔もろくに知らない夫と離婚し役者に戻るために彼の屋敷に向かうのだった。

なんでも諦めてきた俺だけどヤンデレな彼が貴族の男娼になるなんて黙っていられない

迷路を跳ぶ狐
BL
 自己中な無表情と言われて、恋人と別れたクレッジは冒険者としてぼんやりした毎日を送っていた。  恋愛なんて辛いこと、もうしたくなかった。大体のことはなんでも諦めてのんびりした毎日を送っていたのに、また好きな人ができてしまう。  しかし、告白しようと思っていた大事な日に、知り合いの貴族から、その人が男娼になることを聞いたクレッジは、そんなの黙って見ていられないと止めに急ぐが、好きな人はなんだか様子がおかしくて……。

紹介なんてされたくありません!

mahiro
BL
普通ならば「家族に紹介したい」と言われたら、嬉しいものなのだと思う。 けれど僕は男で目の前で平然と言ってのけたこの人物も男なわけで。 断りの言葉を言いかけた瞬間、来客を知らせるインターフォンが鳴り響き……?

生意気な弟がいきなりキャラを変えてきて困っています!

あああ
BL
おれはには双子の弟がいる。 かわいいかわいい弟…だが、中学になると不良になってしまった。まぁ、それはいい。(泣き) けれど… 高校になると───もっとキャラが変わってしまった。それは─── 「もう、お兄ちゃん何してるの?死んじゃえ☆」 ブリッコキャラだった!!どういうこと!? 弟「──────ほんと、兄貴は可愛いよな。 ───────誰にも渡さねぇ。」 弟×兄、弟がヤンデレの物語です。 この作品はpixivにも記載されています。

この道を歩む~転生先で真剣に生きていたら、第二王子に真剣に愛された~

乃ぞみ
BL
※ムーンライトの方で500ブクマしたお礼で書いた物をこちらでも追加いたします。(全6話)BL要素少なめですが、よければよろしくお願いします。 【腹黒い他国の第二王子×負けず嫌いの転生者】 エドマンドは13歳の誕生日に日本人だったことを静かに思い出した。 転生先は【エドマンド・フィッツパトリック】で、二年後に死亡フラグが立っていた。 エドマンドに不満を持った隣国の第二王子である【ブライトル・ モルダー・ヴァルマ】と険悪な関係になるものの、いつの間にか友人や悪友のような関係に落ち着く二人。 死亡フラグを折ることで国が負けるのが怖いエドマンドと、必死に生かそうとするブライトル。 「僕は、生きなきゃ、いけないのか……?」 「当たり前だ。俺を残して逝く気だったのか? 恨むぞ」 全体的に結構シリアスですが、明確な死亡表現や主要キャラの退場は予定しておりません。 闘ったり、負傷したり、国同士の戦争描写があったります。 本編ド健全です。すみません。 ※ 恋愛までが長いです。バトル小説にBLを添えて。 ※ 攻めがまともに出てくるのは五話からです。 ※ タイトル変更しております。旧【転生先がバトル漫画の死亡フラグが立っているライバルキャラだった件 ~本筋大幅改変なしでフラグを折りたいけど、何であんたがそこにいる~】 ※ ムーンライトノベルズにも投稿しております。

美少年に転生したらヤンデレ婚約者が出来ました

SEKISUI
BL
 ブラック企業に勤めていたOLが寝てそのまま永眠したら美少年に転生していた  見た目は勝ち組  中身は社畜  斜めな思考の持ち主  なのでもう働くのは嫌なので怠惰に生きようと思う  そんな主人公はやばい公爵令息に目を付けられて翻弄される    

やめて抱っこしないで!過保護なメンズに囲まれる!?〜異世界転生した俺は死にそうな最弱プリンスだけど最強冒険者〜

ゆきぶた
BL
異世界転生したからハーレムだ!と、思ったら男のハーレムが出来上がるBLです。主人公総受ですがエロなしのギャグ寄りです。 短編用に登場人物紹介を追加します。 ✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎ あらすじ 前世を思い出した第5王子のイルレイン(通称イル)はある日、謎の呪いで倒れてしまう。 20歳までに死ぬと言われたイルは禁呪に手を出し、呪いを解く素材を集めるため、セイと名乗り冒険者になる。 そして気がつけば、最強の冒険者の一人になっていた。 普段は病弱ながらも執事(スライム)に甘やかされ、冒険者として仲間達に甘やかされ、たまに兄達にも甘やかされる。 そして思ったハーレムとは違うハーレムを作りつつも、最強冒険者なのにいつも抱っこされてしまうイルは、自分の呪いを解くことが出来るのか?? ✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎ お相手は人外(人型スライム)、冒険者(鍛冶屋)、錬金術師、兄王子達など。なにより皆、過保護です。 前半はギャグ多め、後半は恋愛思考が始まりラストはシリアスになります。 文章能力が低いので読みにくかったらすみません。 ※一瞬でもhotランキング10位まで行けたのは皆様のおかげでございます。お気に入り1000嬉しいです。ありがとうございました! 本編は完結しましたが、暫く不定期ですがオマケを更新します!

王道学園のモブ

四季織
BL
王道学園に転生した俺が出会ったのは、寡黙書記の先輩だった。 私立白鳳学園。山の上のこの学園は、政財界、文化界を担う子息達が通う超名門校で、特に、有名なのは生徒会だった。 そう、俺、小坂威(おさかたける)は王道学園BLゲームの世界に転生してしまったんだ。もちろんゲームに登場しない、名前も見た目も平凡なモブとして。

処理中です...