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五章
54 絶望の感触
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月を覆い隠していた雲が晴れて、濃厚な闇を月明かりが払う。
ディシフェルが召喚した魔物たちはすべて灰となり、消え去った。ヴリュソールも死闘の末に僕が与えた魔素を使い尽くし、魔界へ戻った。
あれほど清浄だった遺跡の空気は見る影もなく瘴気に溢れ、生けるものを拒絶していた。湖もやがて枯れるだろう。
静まり返った空気を震わせたのは、ディシフェルの笑い声だった。
「――私の勝ちだ」
満身創痍の僕たちに向かって、高らかに宣言する。
「結局は力がすべて。勝ったものだけが正しい世界……私を力で捩じ伏せることで、貴様自身がそれを証明じだっ」
捨て台詞を言い切らないうちに、ディシフェルの口めがけてシグファリスが容赦なく剣を突っ込んだ。
「知るかよクソが。地獄で一生ぼやいてろ」
もはや人の体を成さない肉塊となったディシフェルに向かって、シグファリスが吐き捨てる。
「……っ、…………」
体を再生させる力もない。ディシフェルは目だけを恨めしそうにぎょろぎょろと動かしていたが、シグファリスが再び剣を振るって宝玉を砕くと、完全に体の輪郭を失って崩れた。
一陣の風が吹いて、瘴気の塊と化した宝玉が霧散する。
静寂を取り戻した空が白んでいく。夜明けが近い。黎明を背にしたシグファリスが僕に向き直った。
「――アリスティド兄様」
浮かべているのは、屈託のない穏やかな笑顔だった。他の誰でもない、僕に向けられたその笑顔があまりにも眩しくて、つい目を背けてしまう。
僕を愛していると言った、大切な弟。傷つきながらも戦い、闇を切り裂いた勇者。
よくやった、と褒めるべきか。ありがとう、とお礼を言えばいいのか。迷っている間にシグファリスが僕を抱きすくめる。だけれど、シグファリスの体から温かなぬくもりを感じることはなかった。
――体が冷え切っている。
「な……! どうした、どこか怪我を――!」
僕が言い切らないうちにシグファリスは膝をついた。ぐらりと傾くシグファリスの体を支えきれず、地面に激突しないように横たわらせるだけで精一杯だった。
鼻腔をくすぐる血の香りに惹かれてしまう自分を叱咤しながら、シグファリスの体を調べる。切り傷はいくつもあるが、致命傷になるような目立った外傷はない。周囲は瘴気に満ちているが、光の加護を授かっているシグファリスは瘴気に影響を受けることもない。ならば、なぜ。
治癒魔法を施しながら診察していくと、魔術を阻害する禍々しい気配に気がついた。
「これは……!」
左腕上部。傷自体は小さいが、そこには呪印が刻まれていた。
「馬鹿な! こんな呪いを受けたまま戦っていたのか……!」
治癒魔法と並行して呪印を解析する。生きながらに身体を腐食させ、生命力を蝕む呪い――これが治癒魔法を弾き返し、シグファリスの命を削っている。
光の加護によって軽減されているにせよ、壮絶な痛みを感じていたはずだ。一体いつから――おそらくは一番最初、ディシフェルに不意打ちされたときから。
通常の魔術とは違い、呪いは術者が死んでも消えることはない。魔王アリスティドに戦いに挑んだとき、シグファリスは呪いに対する対策をしていた。だが、ディシフェルの奇襲を受けた今は無防備な状態だった。
「……ッ、大丈夫だ、すぐに治す。気を強く持て」
そう言いながらも焦るばかりで解決策を見つけられないでいる僕に、シグファリスは場違いなほど穏やかに微笑みかけた。
「……アリスティド兄様は……綺麗だな……」
「こんな時に何を言っている! 今はしゃべるな、すぐに助ける!」
呪いは身代わりの護符を身につけることで対策できても、すでに受けてしまった呪いは打ち消すことができない。だが解析自体はできるのだから解除できないはずはない。魔術の応用でなんとかする。なんとかするしかない。
焦る僕の手を握りしめて、シグファリスはゆるゆると首を横に振った。
「やっぱり……殺せねえなあ……」
シグファリスの手から力が抜ける。それきり、唇が動くことはなかった。黄金の瞳からは光が失われ、瞬きもしない。僕は重さが増したシグファリスの手を握りしめたまま、待ち続けた。
「は、はは……なんだ、これは。シグファリスが死ぬはずないだろう? シグファリスは、この世界の主人公で……光の加護を授かっていて……」
だから今すぐにでも奇跡が起きて、シグファリスは目覚めるはずだ。
「僕が死ぬときは、シグファリスが殺してくれるって、言っただろ? 僕は、シグファリスのものだって……そう、言ったよな……?」
冷え切った手を握りしめたまま、待ち続ける。待ちながらも、わかっていた。いつまで待とうとも、シグファリスはもう動かないのだと。握りしめたシグファリスの手からは、すでに何度も触れたことのある絶望の感触がした。
――この世界に転生してから、何度も神に問いかけた。どうして前世の記憶を持ったまま、『緋閃のグランシャリオ』の世界に、アリスティドとして生まれたのか。
答えがなくても祈り続けた。どうか僕の大切な弟が、幸せになりますように。
ディシフェルに体を奪われてからは、どうか今すぐ殺してくれと願う毎日だった。
答えはなく、願いは届かなかった。
「そう、か……これが、答えか……」
神から突きつけられた結末がこれだというのなら。
僕のすべきことは決まっていた。
ディシフェルが召喚した魔物たちはすべて灰となり、消え去った。ヴリュソールも死闘の末に僕が与えた魔素を使い尽くし、魔界へ戻った。
あれほど清浄だった遺跡の空気は見る影もなく瘴気に溢れ、生けるものを拒絶していた。湖もやがて枯れるだろう。
静まり返った空気を震わせたのは、ディシフェルの笑い声だった。
「――私の勝ちだ」
満身創痍の僕たちに向かって、高らかに宣言する。
「結局は力がすべて。勝ったものだけが正しい世界……私を力で捩じ伏せることで、貴様自身がそれを証明じだっ」
捨て台詞を言い切らないうちに、ディシフェルの口めがけてシグファリスが容赦なく剣を突っ込んだ。
「知るかよクソが。地獄で一生ぼやいてろ」
もはや人の体を成さない肉塊となったディシフェルに向かって、シグファリスが吐き捨てる。
「……っ、…………」
体を再生させる力もない。ディシフェルは目だけを恨めしそうにぎょろぎょろと動かしていたが、シグファリスが再び剣を振るって宝玉を砕くと、完全に体の輪郭を失って崩れた。
一陣の風が吹いて、瘴気の塊と化した宝玉が霧散する。
静寂を取り戻した空が白んでいく。夜明けが近い。黎明を背にしたシグファリスが僕に向き直った。
「――アリスティド兄様」
浮かべているのは、屈託のない穏やかな笑顔だった。他の誰でもない、僕に向けられたその笑顔があまりにも眩しくて、つい目を背けてしまう。
僕を愛していると言った、大切な弟。傷つきながらも戦い、闇を切り裂いた勇者。
よくやった、と褒めるべきか。ありがとう、とお礼を言えばいいのか。迷っている間にシグファリスが僕を抱きすくめる。だけれど、シグファリスの体から温かなぬくもりを感じることはなかった。
――体が冷え切っている。
「な……! どうした、どこか怪我を――!」
僕が言い切らないうちにシグファリスは膝をついた。ぐらりと傾くシグファリスの体を支えきれず、地面に激突しないように横たわらせるだけで精一杯だった。
鼻腔をくすぐる血の香りに惹かれてしまう自分を叱咤しながら、シグファリスの体を調べる。切り傷はいくつもあるが、致命傷になるような目立った外傷はない。周囲は瘴気に満ちているが、光の加護を授かっているシグファリスは瘴気に影響を受けることもない。ならば、なぜ。
治癒魔法を施しながら診察していくと、魔術を阻害する禍々しい気配に気がついた。
「これは……!」
左腕上部。傷自体は小さいが、そこには呪印が刻まれていた。
「馬鹿な! こんな呪いを受けたまま戦っていたのか……!」
治癒魔法と並行して呪印を解析する。生きながらに身体を腐食させ、生命力を蝕む呪い――これが治癒魔法を弾き返し、シグファリスの命を削っている。
光の加護によって軽減されているにせよ、壮絶な痛みを感じていたはずだ。一体いつから――おそらくは一番最初、ディシフェルに不意打ちされたときから。
通常の魔術とは違い、呪いは術者が死んでも消えることはない。魔王アリスティドに戦いに挑んだとき、シグファリスは呪いに対する対策をしていた。だが、ディシフェルの奇襲を受けた今は無防備な状態だった。
「……ッ、大丈夫だ、すぐに治す。気を強く持て」
そう言いながらも焦るばかりで解決策を見つけられないでいる僕に、シグファリスは場違いなほど穏やかに微笑みかけた。
「……アリスティド兄様は……綺麗だな……」
「こんな時に何を言っている! 今はしゃべるな、すぐに助ける!」
呪いは身代わりの護符を身につけることで対策できても、すでに受けてしまった呪いは打ち消すことができない。だが解析自体はできるのだから解除できないはずはない。魔術の応用でなんとかする。なんとかするしかない。
焦る僕の手を握りしめて、シグファリスはゆるゆると首を横に振った。
「やっぱり……殺せねえなあ……」
シグファリスの手から力が抜ける。それきり、唇が動くことはなかった。黄金の瞳からは光が失われ、瞬きもしない。僕は重さが増したシグファリスの手を握りしめたまま、待ち続けた。
「は、はは……なんだ、これは。シグファリスが死ぬはずないだろう? シグファリスは、この世界の主人公で……光の加護を授かっていて……」
だから今すぐにでも奇跡が起きて、シグファリスは目覚めるはずだ。
「僕が死ぬときは、シグファリスが殺してくれるって、言っただろ? 僕は、シグファリスのものだって……そう、言ったよな……?」
冷え切った手を握りしめたまま、待ち続ける。待ちながらも、わかっていた。いつまで待とうとも、シグファリスはもう動かないのだと。握りしめたシグファリスの手からは、すでに何度も触れたことのある絶望の感触がした。
――この世界に転生してから、何度も神に問いかけた。どうして前世の記憶を持ったまま、『緋閃のグランシャリオ』の世界に、アリスティドとして生まれたのか。
答えがなくても祈り続けた。どうか僕の大切な弟が、幸せになりますように。
ディシフェルに体を奪われてからは、どうか今すぐ殺してくれと願う毎日だった。
答えはなく、願いは届かなかった。
「そう、か……これが、答えか……」
神から突きつけられた結末がこれだというのなら。
僕のすべきことは決まっていた。
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