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五章

53 決戦

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「おらぁッ!」
 シグファリスの一閃で、ディシフェルが放った魔術が打ち消される。光の加護は悪魔の力を退ける。だが魔物の歯牙までは防げない。この隙にとばかりに接近してきた魔物は僕が魔術で薙ぎ払う。
 双剣の片割れを握り締めれば、大地や大気に含まれる魔素がいくらでも集まってくる。人間だったころには行使できなかった魔術さえも、悪魔になった今の僕には容易に放つことができた。
 ディシフェルの手により間断なく攻撃が加えられるが、凌げないほどではない。
 僕はこれまでディシフェルに操られ、悪魔の凄まじい力を見せつけられてきた。そのせいで臆病になっていたが、冷静に考えればわかる。今のディシフェルは力の大半を失い、追い詰められている。だからこそ僕らをここまで追いかけてきて、執念深く監視を続け、シグファリスの力が弱る機会を伺っていた。ならばもっとシグファリスの力が削られるのを待てばよかったはずだ。そうせずにこの中途半端なタイミングで攻勢をかけてきたのは、時間がないからだ。
 あのベルトランの崩れかけた体は、もう幾許も持たない。
 となれば奴の狙いは。
「シグファリス、僕の守りはいい、攻撃に集中しろ」
 僕も戦力になることはすでに示した。シグファリスは一瞬躊躇ったのちに「応」と答えた。
 ディシフェルは僕たちを殺すと言っていたが、少なくとも僕に対しては加減がなされるはずだ。ディシフェルの狙いは、再び僕の体を奪うこと。その証拠に魔物たちは僕に攻撃してこない。ディシフェルが放った魔術も、僕たち二人をまとめて殺すには出力が弱すぎる。
 倒すべき敵を見つけ、一切の迷いが消えたシグファリスの勢いは凄まじかった。シグファリスは僕に与えたせいで魔素を消費してしまっているが、そもそも魔術に頼りきった戦い方はしない。
 戦いのさなか、自然と背中合わせになる。シグファリスが攻撃する時は僕が守る。僕が魔術を使う時はシグファリスが時間を稼ぐ。共闘するのは初めてなのに、息が合っていた。
 無防備な背中は、すでに僕を信頼し切っている。あれほど酷い目にあわせてしまったのに、信じてくれている。ならば僕も期待に応えなくてはならない。
 精神を研ぎ澄ませて、空中に魔法陣を描き出す。
「シグファリス! 撃て!」
 すぐさま僕の意図を読んだシグファリスは、僕が描いた魔法陣に向けて魔術を放った。魔法陣を通したシグファリスの魔術は力が増幅され、ディシフェルに襲いかかる。
「な――なんだ、これは……!?」
 ディシフェルがこれまでになく狼狽えた声をあげる。この合体攻撃は完全に計算外だったのだろう。
 僕が描いた魔法陣は、これまでの魔術研究の集大成。少ない魔素でも最大限の力を放てるよう効率化した魔術式だ。通常なら他者が描いた魔法陣を使うことなどできない。だが僕たちは血のつながりのある兄弟だ。魔力が共鳴する者同士であれば、理論上不可能ではない。
 即興でアレンジしたぶっつけ本番の魔法陣だったが、うまく行った。シグファリスが礫ほどの力を放つだけで、大砲ほどの威力を生む。
「くっ! このような小手先の矮小な技など……ぐあっ!」
 僕が描いた魔法陣めがけてシグファリスが魔術を放つ。ただでさえ強力なシグファリスの魔術はさらに増幅され、ディシフェルを捉える。
 しかしこちら側が優勢になったのは短い間だった。ディシフェルは防御に徹し、次々と魔物を召喚していく。多勢に無勢。このままでは押し切られてしまう。
「――くっそ、虫みたいに湧いてきやがって!」
 苛立ちを滲ませた声でシグファリスが吐き捨てる。だが、ディシフェルが召喚した闇の眷属は数こそ多いが、どれも低位の魔物だ。ならば。
「シグファリス! 五分、いや三分時間を稼げ!」
「まかせろ!」
 一秒も無駄にすることなく魔法陣を描く。ディシフェルが僕の体を操っていた時に幾度も目にした、召喚魔法を発動させるための魔法陣だ。
「昏き深淵より来たれ、禍を呼ぶ闇の竜よ!」
 僕の呼びかけに応え、魔法陣から湧き立つように姿を現したのは、漆黒の巨体。
〈クゥオオオ――ッ!〉
 ヴリュソールの雄叫びが大気を揺らす。ディシフェルが呼び出した魔物の中で、低位の者たちは雄叫びを聞いただけで消滅する。
 巨体を揺らし、ヴリュソールは僕に首を向けて赤い瞳を細めた。
「ヴリュソール……よく来てくれた」
〈もちろん。我はよいこで、かしこくて、かわいいからな〉
「くっ……! 貴様ァ……この私を裏切るとは」
 もはや余裕をなくしたディシフェルがヴリュソールに吠えかかる。だがヴリュソールに怯む様子はなかった。
〈裏切っていない。貴様よりもアリスティドの魔素の方がうまい〉
 正式な召喚魔法で呼び出されている今は、ちび竜の時のようなたどたどしい語り方ではなかった。はっきりとした思念が伝わってくる。
〈魔素に他の男の味が混ざっているのは今は見逃してやるが。事が済んだら我の番になってもらおう。覚悟しておけ〉
「おい番とかふざけんなよクソ竜、アリスティド兄様は俺のだ」
〈よろしい。決着をつけようではないか〉
「なんだか知らないが後にしろ! 褒美が欲しければ僕のために働け!」
 元は宿敵同士。もめ始めたシグファリスとヴリュソールの間に割って入って、意識をディシフェルに向けさせる。
 魔物たちの間に動揺が走るのがわかる。ヴリュソールは魔物の中で最強の竜種。本来であれば絶対に敵対したくない相手だろうが、ディシフェルに召喚されている限り、逃げることは許されない。
 半ば自棄になって飛びかかってくる魔物たちを、ヴリュソールは容易く屠っていく。その機を見逃さず、シグファリスは僕が目で追えないほどの速さでディシフェルに接敵していた。
「ぐうっ! この羽虫めがァ!」
 シグファリスが放った一撃を、ディシフェルは人間離れした動きで回避する。ベルトランの肉体はもはや人間の形状を留めていない。関節が尋常ではない方向に曲がり、可動域が伸びている。だが、シグファリスもこれまで化け物に姿を変えられた人々を数多く葬ってきた。他ならぬディシフェルが与えた経験が、シグファリスに力を与えた。
 緋色の閃光が夜を裂く。強大な力の衝突が大気を揺らす。
 数だけは多い低位の魔物たちをヴリュソールが屠っていく。シグファリスの背後を突いて襲い掛かろうとする魔物は僕が倒す。
 今度こそは、守り通してみせる。この世界に生まれてきたことが間違いだったとしても。ただひとり、僕を「愛している」と言ってくれた人が、陽の下で笑える日が来るのなら。悪あがきをする意味はあるのだと、そう思えた。
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