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四章
37 貴賓室
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足音はひとり分。気配は間違いなくシグファリスのもの。とりあえず悪態をつくべきなのだろうが、簀巻きにされたまま文句を垂れるのって魔王らしいだろうか。
迷っている間に僕を包んでいた黒いマントが取り払われる。シグファリスが持ち込んだカンテラの明かりが眩しい。顔をしかめていたら文句を言う隙もなく猿轡をかまされ、目隠しまでされてしまった。
逆光でシグファリスの表情は見えなかったが、荒々しい手つきからは十分に苛立ちが伝わってくる。新たに持ち込んだ拘束具らしきもので厳重に手足が戒められていく。感触からすると、金属製の手枷と足枷だ。もしかしたら首輪と同じ効果のある魔術具かもしれない。そのままろくな抵抗もできないうちに再び簀巻きにされる。シグファリスのマントとは違う、毛布のような感触だ。
何も見えないし、何も聞こえない。
どうするつもりなのかと様子を伺っていたら、不意に持ち上げられた。
「んっ、むぅ、むぐっ」
驚いてもぞもぞと体を動かしてみたが、そのまま床に叩きつけられることはなかった。しっかりと掴まれて――おそらく僕を肩に担ぎ上げた状態で、シグファリスはそのまま歩き出した。
成人男性を一人担いでいるとは思えない、軽やかな足取りだった。耳を澄ませるとシグファリスの足音が聞こえる。随分と早足だ。地下牢獄からはとうに出てしまっているはずだ。
あの牢獄を出るのは死んだ後だと思っていた。しかし向かう先は牢獄以上に過酷な場所だろう。ジュリアンの元まで運ばれて解剖される可能性も否定できないが、未だ魔界召喚陣は解除されていない。
あれだけの大掛かりな魔法陣が解除されれば、目にしなくとも気配でわかる。少なくとも連れて行かれた先で即座に殺されることはないが――死んだ方がマシだと思う目に遭うことは覚悟しなければならない。
腹を決めて大人しく運ばれる。シグファリスは何度か階段を登り降りして、城内を素早く移動している様子だった。
そう時間が経たないうちに、やがてシグファリスの足が止まる。下ろされた場所は硬い床でも実験台の上でもない。まるで貴族が使う寝台のように柔らかな感触だった。
「ここには厳重に結界を張ってある。魔物どころか虫一匹入り込めない。お前が死ぬまでの短い間に、何を企んだとしても無駄だ」
説明しながらシグファリスは僕を包んでいた布を取り払い、魔封じの首輪につながっている鎖を引いた。目隠しはそのままなので何をしているのかは見えないが、音からすると鎖をどこかに繋げて固定しているのだと思う。リードで繋がれた犬みたいな扱いだ。
「今度おかしな真似をしてみろ。手足を切り落として目玉をくり抜いてやるからな」
そう言い捨てて、シグファリスは僕から離れていった。
扉が閉まる音がした。と言うことは、ここは少なくとも城内の個室で、シグファリスは僕を置いて部屋を出たのだ。
柔らかいものの上に放置された僕は、物音がしなくなってからそっと身じろぎしてみた。やはり背中に感じるのは寝台の上のような柔らかさで、牢獄のようなカビ臭さはない。洗濯されたシーツの匂いがする。
両足首は金属製の拘束具で繋がれている。歩くことはできそうにない。両手は後ろに回されている。口枷が不愉快で首を振ってみたら、目隠しが僅かにずれた。他の拘束具とは違って、目隠しだけは取ろうと思えば取れそうだ。
死体置場とかだったらどうしよう。見えない方がいいかもしれない。下手なことをしたら目玉をくり抜かれるかも。でも言われた通り大人しくしているのもおかしい。僕はシーツのようなものに顔を擦り付けて目隠しを取った。
――目に入った光景に唖然としてしまう。
僕の体を乗っ取った悪魔ディシフェルはこの城を根城にしていたので、僕も城内の配置は大体頭に入っている。だからここがどこなのか大体の見当はついた。
城の南側に位置する貴族向けの貴賓室。といっても防衛用の城なので装飾はいたってシンプルだ。寝室と応接室に分かれているだけで、広さもあまりない。寝台のようなものの上に載せられたと思ったが、まさか本当に寝台の上だとは思いもしなかった。
寝室の様子を見渡す。天蓋つきのそれなりに大きな寝台。装飾の施されたクローゼット。間に合わせに持ってきたような簡素な椅子。家具らしいものはそれだけで、窓には侵攻を防ぐために格子がはめられている。今はおそらく深夜。曇天の合間にぼんやりと光る月が見えた。
「んむむ……」
ここに連れてこられた意味がわからない。シグファリスは何を考えているのだろうか。気配からして、シグファリスは隣の応接室にいるようだった。
僕のためにわざわざ貴賓室を用意して結界を張ったのだろうか。おそらく魔性のものを遠ざける結界。普通の人間ならなんともないだろうが、悪魔である僕には、こうして寝転がっているだけでも圧迫感で押しつぶされそうに感じられる。
でもなぜ貴賓室なんだ? 牢獄に結界を張れば良くないか? この部屋が何か特別なのか? なんの変哲もない部屋にしか見えないが。
改めて部屋の様子を眺めて、ふと気づく。クローゼットの横に無造作に置いてある胸当て。椅子の背もたれにかけられているのは黒い外套。どちらもシグファリスの装備だと思われる。――ということは。
「……んん!?」
まさか、ここは、シグファリスが使っていた寝室なのか?
魔界召喚陣を解除するまで、シグファリスと仲間たちはこの城から離れられない。彼らもどこかで寝泊まりしているはずなのだから、シグファリスがこの部屋を私室として使っていても何らおかしな話ではない。だが、その私室を僕に譲るとなるとおかしな話になってしまう。
すぐ近くで監視できるというメリットがあるとしても、ご丁寧に寝台を使わせる意味は? 床に転がしておけばよくないか? もしくはさっさと手足をもいで目を潰して棺桶にでも詰めておけばより安全なのだが?
頭の中が疑問符で渦巻く。ジュリアンが言っていたように、悪魔は簡単には死なない。ましてや僕はシグファリスにとって憎い仇敵。もっと合理的なやり方がいくらでもあるはずだ。
いくら考えてもわからない。僕は早々に思考を投げ出し、ただ目を閉じた。
迷っている間に僕を包んでいた黒いマントが取り払われる。シグファリスが持ち込んだカンテラの明かりが眩しい。顔をしかめていたら文句を言う隙もなく猿轡をかまされ、目隠しまでされてしまった。
逆光でシグファリスの表情は見えなかったが、荒々しい手つきからは十分に苛立ちが伝わってくる。新たに持ち込んだ拘束具らしきもので厳重に手足が戒められていく。感触からすると、金属製の手枷と足枷だ。もしかしたら首輪と同じ効果のある魔術具かもしれない。そのままろくな抵抗もできないうちに再び簀巻きにされる。シグファリスのマントとは違う、毛布のような感触だ。
何も見えないし、何も聞こえない。
どうするつもりなのかと様子を伺っていたら、不意に持ち上げられた。
「んっ、むぅ、むぐっ」
驚いてもぞもぞと体を動かしてみたが、そのまま床に叩きつけられることはなかった。しっかりと掴まれて――おそらく僕を肩に担ぎ上げた状態で、シグファリスはそのまま歩き出した。
成人男性を一人担いでいるとは思えない、軽やかな足取りだった。耳を澄ませるとシグファリスの足音が聞こえる。随分と早足だ。地下牢獄からはとうに出てしまっているはずだ。
あの牢獄を出るのは死んだ後だと思っていた。しかし向かう先は牢獄以上に過酷な場所だろう。ジュリアンの元まで運ばれて解剖される可能性も否定できないが、未だ魔界召喚陣は解除されていない。
あれだけの大掛かりな魔法陣が解除されれば、目にしなくとも気配でわかる。少なくとも連れて行かれた先で即座に殺されることはないが――死んだ方がマシだと思う目に遭うことは覚悟しなければならない。
腹を決めて大人しく運ばれる。シグファリスは何度か階段を登り降りして、城内を素早く移動している様子だった。
そう時間が経たないうちに、やがてシグファリスの足が止まる。下ろされた場所は硬い床でも実験台の上でもない。まるで貴族が使う寝台のように柔らかな感触だった。
「ここには厳重に結界を張ってある。魔物どころか虫一匹入り込めない。お前が死ぬまでの短い間に、何を企んだとしても無駄だ」
説明しながらシグファリスは僕を包んでいた布を取り払い、魔封じの首輪につながっている鎖を引いた。目隠しはそのままなので何をしているのかは見えないが、音からすると鎖をどこかに繋げて固定しているのだと思う。リードで繋がれた犬みたいな扱いだ。
「今度おかしな真似をしてみろ。手足を切り落として目玉をくり抜いてやるからな」
そう言い捨てて、シグファリスは僕から離れていった。
扉が閉まる音がした。と言うことは、ここは少なくとも城内の個室で、シグファリスは僕を置いて部屋を出たのだ。
柔らかいものの上に放置された僕は、物音がしなくなってからそっと身じろぎしてみた。やはり背中に感じるのは寝台の上のような柔らかさで、牢獄のようなカビ臭さはない。洗濯されたシーツの匂いがする。
両足首は金属製の拘束具で繋がれている。歩くことはできそうにない。両手は後ろに回されている。口枷が不愉快で首を振ってみたら、目隠しが僅かにずれた。他の拘束具とは違って、目隠しだけは取ろうと思えば取れそうだ。
死体置場とかだったらどうしよう。見えない方がいいかもしれない。下手なことをしたら目玉をくり抜かれるかも。でも言われた通り大人しくしているのもおかしい。僕はシーツのようなものに顔を擦り付けて目隠しを取った。
――目に入った光景に唖然としてしまう。
僕の体を乗っ取った悪魔ディシフェルはこの城を根城にしていたので、僕も城内の配置は大体頭に入っている。だからここがどこなのか大体の見当はついた。
城の南側に位置する貴族向けの貴賓室。といっても防衛用の城なので装飾はいたってシンプルだ。寝室と応接室に分かれているだけで、広さもあまりない。寝台のようなものの上に載せられたと思ったが、まさか本当に寝台の上だとは思いもしなかった。
寝室の様子を見渡す。天蓋つきのそれなりに大きな寝台。装飾の施されたクローゼット。間に合わせに持ってきたような簡素な椅子。家具らしいものはそれだけで、窓には侵攻を防ぐために格子がはめられている。今はおそらく深夜。曇天の合間にぼんやりと光る月が見えた。
「んむむ……」
ここに連れてこられた意味がわからない。シグファリスは何を考えているのだろうか。気配からして、シグファリスは隣の応接室にいるようだった。
僕のためにわざわざ貴賓室を用意して結界を張ったのだろうか。おそらく魔性のものを遠ざける結界。普通の人間ならなんともないだろうが、悪魔である僕には、こうして寝転がっているだけでも圧迫感で押しつぶされそうに感じられる。
でもなぜ貴賓室なんだ? 牢獄に結界を張れば良くないか? この部屋が何か特別なのか? なんの変哲もない部屋にしか見えないが。
改めて部屋の様子を眺めて、ふと気づく。クローゼットの横に無造作に置いてある胸当て。椅子の背もたれにかけられているのは黒い外套。どちらもシグファリスの装備だと思われる。――ということは。
「……んん!?」
まさか、ここは、シグファリスが使っていた寝室なのか?
魔界召喚陣を解除するまで、シグファリスと仲間たちはこの城から離れられない。彼らもどこかで寝泊まりしているはずなのだから、シグファリスがこの部屋を私室として使っていても何らおかしな話ではない。だが、その私室を僕に譲るとなるとおかしな話になってしまう。
すぐ近くで監視できるというメリットがあるとしても、ご丁寧に寝台を使わせる意味は? 床に転がしておけばよくないか? もしくはさっさと手足をもいで目を潰して棺桶にでも詰めておけばより安全なのだが?
頭の中が疑問符で渦巻く。ジュリアンが言っていたように、悪魔は簡単には死なない。ましてや僕はシグファリスにとって憎い仇敵。もっと合理的なやり方がいくらでもあるはずだ。
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