死にぞこないの魔王は奇跡を待たない

ましろはるき

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三章

17 クソ雑魚魔王様

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 牢獄内に光が差し込む時間帯にやってきたシグファリスは、石床に尊大な態度で寝そべっている僕を見て、呆気に取られたような顔をした。
 これまでは芋虫程度の動きしかできなかったが、前回シグファリスに魔素を与えられたおかげで痛みから解放されている。余裕ぶった僕を見て言葉に詰まっていたシグファリスは、舌打ちをしてから口を開いた。
「餌の時間だ」
「ほう、自分が家畜だという自覚があるようだな。感心なことだ」
 嫌味な言い回しを心掛けながらくすくすと嘲笑う。僕を貶めるために「餌」と表現したのだろうが、与えられるのはシグファリスの血。食べるのは僕であって食べられるのはシグファリス。そんな皮肉を理解したシグファリスは顔を歪め、壁に取り付けられた装置に手をかけた。僕の首輪に繋がった鎖が、じゃらじゃらと音を立てながら巻き上げられていく。
「――っぐ!」
「こうしておけば無駄口もきけねえだろ」
 つま先がぎりぎり届く程度に吊り下げられて、首が締め付けられる。もがいても鎖が揺れるだけ。醜いうめき声を上げる僕の顔を覗き込むように、シグファリスが僕の目の前に立ちはだかる。つま先立ちで、強制的に上を向かされている姿勢でも、まだシグファリスの方が目線が上だ。薄く笑い、僕を見下ろしている。
「悪魔ってのはしぶといよな。致命傷を負っても、魔素さえ取り込めば何事もなかったように回復しやがる」
 シグファリスの言う通り、悪魔に多少の負傷を与えても無意味だ。殺したければ魔核を破壊する他ない。
 多少の傷ならすぐさま回復するが、攻撃を受ければ痛みを感じる。首が絞まれば苦しい。悪魔は酸素を必要としていないはずなのに、まだ体が人間だった頃を覚えているせいだろうか。両手で首輪を掴んで少しでも隙間を作ろうと悪あがきする僕に、シグファリスが嘲笑を漏らす。
「このしぶとさのせいでお前を倒すのに苦労したけどな……今は感謝したいぐらいだよ。簡単にはくたばらねえなら、どれだけ嬲っても間違えて死なすこともない」
 シグファリスは腰に下げたナイフを抜いて、僕の胸元に刃先を当てた。僕はシグファリスを睨みつけながら、恐ろしさを噛み殺す。魔核さえ壊さなければ、何をしたっていいのだ。骨を折ろうが、全身の皮膚を削ごうが、魔素さえ与えれば回復する。殺さず嬲るにはさぞ都合がいいだろう。
「――っ!」
 ゆっくりと、ナイフが僕の胸元に沈められていく。首を吊られて、両手も塞がって、避けようがない。鈍く光る刀身は僕の皮膚を容易く裂いた。
「や゛っ、あ゛……ッ!」
「はは……簡単に入っちまうな」
 虫の羽をちぎってもがく様子を見て楽しむような、幼い残酷さを滲ませた顔でシグファリスが笑う。
 殊更ゆっくりと刃先が捻り込まれる。血は流れない。代わりに出るのは高濃度の魔素である黒い液体。じくじくと溢れ出て、すぐに黒い霧となって暗闇に溶けていく。
「ぐ……! うぅ……!」
 胸の内から焼けるような痛みに身を捩る。シグファリスは刃先を動かしていないが、僕が動くせいで余計に傷が広がり、苦痛がいやます。
 魔術を使える状態であれば、こんななんの変哲もないナイフで僕に傷をつけることなどできなかったはずだ。それは悪魔になる前も同じ。魔術防壁で身体を保護できる高位の魔術師相手に、生半な物理攻撃は通らない。しかし魔封じの首輪を嵌められて弱体化している今の僕など、紙を裂くよりも容易く殺せる。
「魔核はこの辺か?」
「ひあ゛っ!」
 刃先が魔核を掠めた途端、歯を食いしばっていたはずの僕の口からは無様な悲鳴がもれた。
「ぎぅっ、あ゛ッ、あぁ……っ!」
 魔核は悪魔にとって心臓に等しい。体が死への根源的な恐怖を感じ取るのか、ナイフが魔核に触れるぎりぎりの場所に捩り込まれると、悲鳴を押し殺すことができない。何度も刺突を繰り返され、魔核に刃先が当たりそうになる度に体がびくりと跳ねる。
 耐え難い苦痛だった。でもこのぐらいで弱音を吐くわけにはいかない。エステルはもっと苦しんだ。彼女だけではない。悪魔の犠牲になった多くの者たちを思えば、この程度の責苦は生ぬるい。
「お前を殺せる日が待ち遠しいよ。殺しさえすれば……お前は――」
「やあ゛っ、……あ゛あ……!」
 シグファリスが何かを呟いているが、僕自身の悲鳴のせいで聞こえない。
 やめて、もう許して。喉元までせり上がってくるその言葉を何度飲み込んだだろう。永遠にも等しく思えた責苦が不意に止まり、体が地面に叩きつけられた。
 僕の体を吊り上げていた鎖をシグファリスが緩めたらしい。だから落ちたのだと考えが及ぶ前に、仰向けにひっくり返っていた僕の胸元をシグファリスが踏みつけた。肺を押し潰されて悲鳴すら漏らせない。ぐりぐりと踏み躙られて、傷口からはぶしゅりと黒い体液が溢れ出る。シグファリスの靴を掴んで足の下から逃れようとするが、シグファリスは微動だにしない。
 無駄に足掻く僕を見下ろしながら、シグファリスが嘲笑う。
「クソ雑魚が。魔術を使えなきゃ平民以下だな」
「――――!」
 シグファリスのその言葉は、ナイフでは届かない、僕の心の内の最も深くに存在する弱い箇所を切り裂いた。克服したと思い込んでいた劣等感がそこからこぼれ出てくる。
 力がないから母に愛されなかった。力がなければ認められない。誰からも愛されない。そして――僕の力が及ばなかったから、この世界は悪魔に陥れられてしまった。
「おら、何とか言ったらどうだよ」
「ぐっ、う……っ」
 蹴り転がされて、地べたに這いつくばりながら言葉を探す。何か、何か反論するなり罵詈雑言を吐き散らすなりしなくては。シグファリスが禍根なく仇を打てるように、最後まで魔王らしくいようと決めたのだから。それなのに僕の口元は震えるだけで、言葉を形作ることができなかった。だってシグファリスの言う通りだ。魔法が使えなくてもたくましく生きる平民たちの方が、僕よりも余程優れている。
 何も言えない代わりに、顔を上げてシグファリスを睨みつける。でも体が言うことを聞いてくれない。特に人間だった頃にはなかった部分。尖った耳がへにゃりと垂れ下がり、尻尾が丸まって勝手に足の間に挟まってしまう。
「……チッ」
 暴行がさらに続くかと思われたが、シグファリスは舌打ちをして僕から目を逸らせた。僕が情けない様子を見せたから気勢を削がれたのかもしれない。
 僕は僕で限界だった。傷口から大量に魔素が流れ出てしまったせいで意識が朦朧とする。石床の上に倒れ込んで気を失いそうになった僕の鼻先を、芳しい香りが撫でた。
「あ……っ」
 香りを辿って視線を動かした先で。シグファリスがナイフで自分の腕に傷をつけていた。
 ごくりと喉が鳴る。理性が一瞬で吹き飛ぶ。もうシグファリスの血を啜ることしか考えられない。シグファリスは僕の傍に膝をついて、唇に傷跡を押し当てた。
 ――たっぷりと鞭打たれた後で与えられる飴の甘さを僕は知った。温かな血が喉に滑り落ちていくほどに、苦痛も悲しみも屈辱も、すべてが遠ざかっていく。えも言われぬ幸福感と、もっと欲しいと願う浅ましい欲求だけが体に満ち溢れる。
 腕に必死で縋りついて、血をむさぼる僕の醜い姿を、シグファリスは罵倒することすらしなかった。

 ふと気がつけば一人きり。シグファリスはとっくに立ち去った後らしく、牢獄の片隅で下級の魔物たちが蠢いていた。
 寝転がった姿勢のまま、そっと手を動かして胸元を探る。あんなにめちゃくちゃに刺されたのに傷が残っていない。囚人服に穴が空いていなかったら、刺されたこと自体がなかったように思える。それでも痛みの記憶は根強く体に蔓延っている。刺された時の感覚を思い出すと、今更ながら体が震えた。
 普通の人間なら致命傷になるような傷でも、悪魔の体なら耐えられる。しかし精神が持たないかもしれない。貴族として暮らしていた頃は、これほどの身体的な苦痛を味わったことがなかった。多分前世でもなかったはずだ。
「それでも……耐えないと……」
 拷問されるのは、魔界召喚の術式が解かれるまでの短い間のこと。僕がしでかしたことを考えたら、この程度の責苦では生ぬるい。
 僕をいたぶりながらシグファリスは嗤っていた。口元を歪めて、憎悪と復讐心にまみれた眼差しで。
 シグファリスが心に負った傷はあまりに深い。復讐を果たしても、シグファリスが笑える日はもう訪れないのかもしれない。手折った薔薇が二度と元には戻らないのと同じように。
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