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二章

10 切断

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 遠くから石床を打つ硬質な音が響いてくる。徐々に近づいてくるそれは足音で、やがて僕が収容されている牢獄の前で止まった。
 鉄扉が錆びた音を立てて開く。現れたのは、眩しい光。カンテラを手にした男がひとり。目が眩んで姿がよく見えない。それでもわかる。
 何度も魔王アリスティドに挑み、ついに勝利した光の勇者。
「……シグファリス」
 その名を呼んだ途端、扉の前で立ち尽くしていたシグファリスは一息に距離を詰め、僕の胸ぐらを掴み上げて壁に打ち付けた。
「ぎゃうっ!」
「――どういうつもりだ、今更俺の名前を呼びやがって……まさか媚びてんのか?」
 シグファリスは片手で軽々と僕を吊り上げ、狼が唸るような低い声音で僕を詰った。
「うっ、ぐ…………ッ!」
 鎖で拘束されている上、体力も残されていない僕はもがくことすらできない。うめき声を漏らすだけで抵抗しない僕に舌打ちをして、シグファリスはぱっと手を離した。床に打ちつけられた痛みを感じる間もなく蹴り飛ばされて、床の上を転がる。
「ぐっ、う……ぐあっ!」
 潰され損ねた虫けらみたいに仰向けに倒れた僕の上に、シグファリスが馬乗りになる。
 床に置かれたカンテラの光を受けて、シグファリスの顔が先ほどよりもよく見えた。
 幼い頃よりも精悍になった顔立ち。左の眼窩から頬にかけて残る、古い傷跡。首元や腕に残っている火傷の跡は一騎打ちの時に負ったのだろう。この手でひどく傷つけ、そしてどの傷よりも深く心を抉り、踏みにじった。
 僕に運命を変えることが出来ていれば、こんなにも苦しめずに済んだのに。もう何度も繰り返した後悔が再び胸を刺す。そうして言葉を失っているうちに、シグファリスは懐から鈍く光る凶器を取り出した。
「…………ま、待て……っ!」
 僕の制止など聞き届けるはずもなく、シグファリスは僕の片方の角をがしりと掴んだ。首を掻き切られて殺される――と思いきや、凶器は角の根元に当てられた。
 ガリ、と角の表面を削られる感覚。シグファリスが手にしているのは、短剣ほどの大きさの鑢だった。
「なっ! なにを……っ!?」
 削られるたびに鈍い痛みにおそわれる。身を捩って抵抗しようとしても、深傷を負い、拘束されているせいでろくに動けない。そもそも体格が違いすぎる。
「――ぎうっ! や゛ぁあああッ!」
 芯に近づくにつれて痛みが増す。骨を削られているも同然の痛み。僕がどれだけ叫ぼうが、シグファリスは家畜の爪を無造作に削るように淡々と手を進めていく。
 半ばまで削ると、シグファリスは角の根元を握りしめ、先端部分目掛けて拳を振り下ろした。
「――――ッ!!」
 バキッ、と乾いた音を立てて角が折れると同時に、雷に打たれたような衝撃に襲われる。尋常ではない苦痛に全身が痙攣し、そのまま失神しそうになるが、頬を打たれて気を失うことも許されない。
「悪魔がこの程度でくたばるんじゃねえよ。お前が虫ケラ扱いしていた人間にこれから何をされるのか、よく見ておけ」
 髪を掴まれて無理やり正面を向かされる。これまで無表情だったシグファリスはうっすらと微笑んでいた。ようやく復讐が叶うという悦びに、金色の瞳が昏く輝いている。
 ああ、こうやって苦痛を与えながら、時間をかけてなぶり殺すつもりで僕を生かしておいたのか。
 これまでディシフェルがしてきたことを考えれば、ただ殺すだけなんて生ぬるい。その気持ちはよくわかるけれど、今はまだ。
「ま゛、まて……ぼくを、ころすのは……まだ……」
「ははっ、命乞いするのかよ。お前は何人殺した? 命乞いをした人間を一人でも見逃してやったか?」
「ち、がう……ぼくじゃ、ない……ぎうっ!」
 顔面を掴まれ、石床に後頭部を叩きつけられる。シグファリスの乾いた嗤いが牢獄の空気を揺らす。
「僕じゃない、だと? ふざけたことを抜かすんじゃねえよ……俺からすべてを奪っておいて」
 シグファリスはもう片方の角に手をかけて、同じようにガリガリと削っていく。
「ま、て……はなしを、……んぎっ!」
 芯に近づくにつれて、シグファリスは殊更ゆっくりと鑢を動かす。剥き出しになった神経を甚振られ、痛みのせいでうまく口が回らない。早く、伝えないと。僕が――魔王アリスティドが死ぬことによって更なる災厄が引き起こされるのだと、知らせなければならないのに。
「あ゛あああッ!」
「いつも取り澄ました顔をしてたお前がいいざまだ。おら、無様な姿をもっと見せてみろよ。哀れに泣き叫んで同情を誘えば、少しは楽に殺してやってもいい」
 罵りながらも僕をいたぶる手は止まらない。あまりの苦痛に、伝えるはずの言葉が壊れて悲鳴に成り果ててしまう。
「う゛ぅ、ああっ、やぁあ……! あぁあ――……っ!」
 まともな言葉の断片すら口にできないまま、僕の意識はぶつりと途切れた。
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