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一章

07 愛しい人形

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 正装で飾った叔父と同じく、僕も身支度は済んでいる。このまま夜会に向かうのかと思いきや、叔父は楽しげに片目を瞑り、ワインボトルを掲げてみせた。
「秘蔵のワインだ。君が大人になった記念に開けようと思ってね」
 軽い足取りでテラスに出てきた叔父の後ろに、ワイングラスやオードブルを乗せた盆を持った従者たちが続く。
「ありがとうございます叔父上。しかしこれから夜会では」
「なに、客など待たせておけばいいのさ。どうせ集まるのは身内ばかりだ」
 叔父の言葉通り、今夜の夜会は僕が当主になるために尽力してくれた者たちを労うために開く、いわば打ち上げのようなものだ。特にオーベルティエ公爵家を深く信奉する派閥が中心に招待されている。感謝はしているのだけれど、盲目的に僕の血統と美貌を讃える様が苦手で、彼らの取りまとめは叔父に任せきりにしていた。その叔父が待たせておけと言うのならば僕に異論はない。
「では少しだけ……」
 長椅子に再び腰を落ち着けた僕に、叔父は手づからワインを注いだグラスを渡してくれる。
 この国では衛生的に問題のある生水よりも酒の方が好まれ、子供も十二、三歳ぐらいから普通に飲む。前世の感覚が残っている僕は飲酒に抵抗感があってあまり酒は好まない。成人したと言ってもまだ十五歳だし。身長が伸びなくなったら嫌だし。だがそんな理由で叔父が僕のために用意してくれた逸品を断ろうとは思えない。夕日に向けてグラスを掲げる叔父に倣って、僕もグラスを掲げる。
「オーベルティエの輝かしき未来に」
 複雑なカットの施されたクリスタルグラスに注がれた赤い液体が、夕日を受けて不吉に輝く。そう感じたことに驚いて、口をつけるのを一瞬躊躇ってしまった。せっかく叔父が僕のために用意してくれた杯を不吉だと思うなんて。
 先ほどの妙な胸騒ぎといい、僕は自分で思っているより疲れているのかもしれない。今夜は早々に切り上げさせてもらおうと考えながらグラスを傾け、舌の上に走る苦味と一緒に違和感を飲み込む。
 すでに杯を干した叔父は、僕がワインを味わう様子を見守り、感慨深そうに微笑んでいた。
「おめでとう、アリスティド。あんなにも愛らしく幼かった君が、これほどまでに成長するとは。今や誰もが認める立派な当主だ」
「ありがとうございます。すべては叔父上のお力添えがあってのことです」
「ふふ、当然のことをしたまでだよ。この日をどれほど待ち侘びたことか……」
 このひと月の間、叔父は新たに公爵となった僕のお披露目に尽力してくれた。それでもこうしてふたりだけでゆっくり会話をするのは久しぶりだった。
「君が生まれた日のことをよく覚えているよ。出産という奇跡を経験した姉上は女神のように美しく、女神の胸で眠る君はさながら天使のようで――」
 叔父が語る思い出話に、おもはゆい気持ちになりながら耳を傾ける。
 後見人になってくれた叔父にはどれほど感謝しても足りない。幼い頃は、僕自身ではなく、ただ外見が母上に似ているから大切にされているだけなのだと思っていた。しかし叔父は影に日向に僕を支え続け、僕の成長を誰よりも喜んでくれていた。
 ――僕と敵対する者たちを始末しようとするのを止めるのに少しばかり苦労させられたし、何かにつけて僕を美しく着飾らせようとするのには辟易したけれど。
 今回の成人のお披露目は特に力が入っていた。叔父の指示のもと、人前に出るたびに僕は新たな衣装に袖を通し、一日に何度もお色直しをする羽目になった。もはや一生分着替えた気分だ。
 叔父は母上を深く敬愛していた。母上によく似た僕を飾り立てたいという欲求も、若くして亡くなった姉への思慕から来ていると思うと無碍にできない。
 しばらく母上の思い出話に花を咲かせていたが、叔父は不意に表情を翳らせた。
「こうして君と親しく話せるのも最後になると思うと、寂しい限りだ」
「いえ、当主となっても若輩の身。後見人としての役割を終えられても、これまで通り懇意にしていただければ……」
 そう答えた口がなぜか重たい。飲み込んだはずの違和感が再び存在を主張する。グラスに注がれたワインはまだ半分ほどしか飲んでいない。いくら酒が苦手だといっても、この程度で酔うはずがない。ただの体調不良にしても、何かがおかしい。
 戸惑う僕に構うことなく、叔父は夕日を背にして立ち上がった。長く伸びた影が僕を捕える。
「――アリスティド。君は、本当に立派になってしまって……失望したよ」
 母上とよく似た面差しで。力の足りない僕を「平民と大して変わりない」と評した母上と同じ瞳の色で、僕を見下ろす。
 失望、だなんて。叔父は誰よりも僕の成長を喜んでくれていたのに。僕の聞き間違いか、そうでなければ叔父の言い間違いか。しかし叔父は自らの言葉を訂正することなく、残酷なまでに美しい顔立ちに笑みを浮かべたまま、滔々と語る。
「大人しく私の人形でいれば良いものを……。魔力を持たない下等な平民どもを人間として扱ってやらねばならないだけでも業腹だというのに、よもや平民議会を創設するなどという王太子の世迷いごとに私のアリスティドが賛同するとは。平民など、田畑を耕し貴族のために尽くす家畜に過ぎん」
「……おじ、うえ……」
 あまりの言いように言葉を失う。確かに平民を見下す貴族は多いが、直裁に家畜とまで蔑む者はそういない。まるで――小説の中のアリスティドのような言い方――。
 混乱の中で、僕はようやく違和感の正体に気づいた。いつも当たり前にある視線。姿は見せなくても、必ずどこかで僕を見守っているはずの侍従や護衛たちの気配がない。ひとりになりたいからと人払いはしたが、それでも僕がここまで狼狽えた様子を見せれば必ず駆けつけるはずなのに。
 誰か。誰でもいい、姿を見せてくれ。そう願いながら周囲を見渡した時、テラスの出入り口に僕の護衛が現れた。
 幽鬼のような足取りで。必死の形相で。血色を失った唇を震わせるが、言葉を紡ぐことは叶わず、前のめりにどさりと音を立てて倒れ込んだ。背中に深々と刺さる短剣。背後にいたのは叔父の配下の者。
「――ッ!」
 声も出せずに立ち上がる。手放したワイングラスが床に叩きつけられるよりも早く防御魔法と治癒魔法の術式を展開させたはずが、激しい眩暈に襲われて集中が途切れてしまう。倒れかけた僕を受け止めた叔父は優しく微笑んでいて。その笑顔で、僕は叔父の裏切りを確信した。
「な……なぜ、です……」
「アリスティド。愚かで哀れな、私の愛しい人形――。今日この時を、我が主の器として成熟するのをどれほど待ち侘びていたことか」
 叔父は僕を横抱きにして、額に唇を落とした。家族としての親愛を示す優しい仕草。しかし顔を上げ、再び僕と視線を交えたその瞳は、狂気に染まっていた。
「さあ、行こう。君を祝福するために集まった者たちがお待ちかねだ」
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