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一章

03 緋閃のグランシャリオ

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 その日から僕は高熱を出して寝込んだ。使用人たちは父の傍若無人な行いにショックを受けたせいだと思っているみたいだったけれど、前世の記憶を一気に思い出したことが負担になったのだと思う。
 熱に浮かされながらも、僕は『緋閃のグランシャリオ』の筋書きを脳裏でたどった。

『緋閃のグランシャリオ』は、勇者シグファリスが世界を救う英雄譚だ。
 平民の母と貴族の父との間に生まれたシグファリスは王都の平民街で暮らしていた。しかし五歳になった年に教会を訪れた際、魔力を持っていたことが判明する。
 貴族であれば必ず魔力を持っているし、高貴な血筋であればあるほど強力な魔術を行使することができる。
 魔力を受け継ぐことができるのは両親が貴族である場合のみ。どれほど強い力を持った貴族であろうとも、平民との間にもうけた子供は魔力を持たない。シグファリスはそんな常識を覆したのだ。その上、かつて王国の礎を築いた勇者が保有していたという光の加護まで授かっていた。
 正に奇跡の子。シグファリスはいずれ伝説に謳われるような勇者になるに違いない。世界のためにも、オーベルティエ公爵家の繁栄のためにも、シグファリスこそが公爵家の後継に相応しいと父は考えた。
 だが公爵家の嫡男であるアリスティドは強く反発した。
 アリスティドは高位貴族でありながら劣弱な魔術しか使うことができなかった。半分平民の血を引く異母弟よりも劣っているという事実を受け入れられず、嫉妬に駆られてシグファリスを虐げる。
 ほどなくして父が事故で急死すると、アリスティドによる虐待は更に苛烈になった。まだ幼いシグファリスは魔術の使い方もわからず、一方的にいたぶられるばかり。それでも病弱な母を守るために歯向かうことなく耐え続けた。
 さらなる悲劇が起きたのはアリスティドが十五歳の成人を迎えたとき。シグファリスの母がアリスティドの手によって惨殺され、父の事故死もアリスティドの謀略によるものだと明かされる。同時に殺されかけたシグファリスは土壇場で魔術の発動に成功し逃げ延びたが、母殺しの濡れ衣を着せられてしまう。
 わずか十二歳で過酷な逃亡生活を強いられたシグファリスは復讐を誓い、辺境の国々を転々としながら修行に明け暮れた。
 数年後。我流の魔術と剣術を極め、たくましく成長したシグファリスは、志を同じくする仲間たちと出会い、絆を深め共闘する。それでも悪魔と契約して闇の力を得たアリスティドへの復讐は一筋縄ではいかなかった。
 宮廷で地位を築いたアリスティドは謀略をめぐらせて裏から王国を操り、内乱や戦争が起こるように仕向けていた。犠牲者の魂を悪魔に捧げて更なる力を手に入れるためだ。
 やがてアリスティドは人間の肉体を捨てて悪魔と化し、魔王と名乗り、王国のみならず世界の支配を目論む。
 数々の試練を乗り越え、シグファリスはついに魔王アリスティドを倒す。そして――。

「……まいったな」
 そこまで物語をたどって、ぬるくなった氷嚢を額からおろした。僕の独り言を聞きつけた侍女が素早く氷嚢を取り替えて汗を拭いてくれる。「ありがとう」という言葉がするりと口からこぼれ出て、唖然としてしまう。この僕が目下の者に礼を言うなんて。驚いたのは相手も同じだったようで、普段は取り澄ました顔しか見せない侍女は慌てた様子で僕の額に手をあてた。熱のせいで頭がおかしくなったのかと思われたらしい。速やかに医者が呼ばれ、念入りに診察を受けてから再び寝台の住人となった。
 前世の記憶を思い出したことで物事の捉え方や感情にも影響が出ているようだった。そのこと自体に驚きはあっても不快感はない。
 嵐に引っ掻き回された影響で建物の一部が崩れ、今まで隠されていた部屋が露出した。その部屋を今後は使用できる状態にして修繕しただけで、本質は同じ。元から備わっていた機能が統合されただけなのだから変化を過剰に恐れることはないのだ。そう考えると気分もかなり落ち着いた。
 ――それにしても。異世界転生だなんて。
 言葉にはせず、心の中でつぶやく。確証はないし理由もわからないが、ひとまずは物語の世界に転生したのだという前提で考えよう。
『緋閃のグランシャリオ』という小説はそれほど人気のある作品ではなかった。登場するヒロインたちは魅力的だが、肝心の主人公が捻くれた性格をしている。残虐なシーンも多いし、結末も明るいものではない。
 それでも前世の僕は『緋閃のグランシャリオ』に特別な思い入れがあった。なにしろ前世の自分自身のことは顔も名前も思い出せないのに、この小説のことははっきり覚えているぐらいだ。
 作中のシグファリスは幼い頃から虐待を受け、両親を殺され、助けを求めた相手にもことごとく裏切られた。絶望の底でシグファリスを生にしがみつかせたのは、アリスティドへの復讐心だけ。暗い過去と凄惨な闘いはシグファリスの心を蝕んだ。
 でも、僕が出会った幼いシグファリスと僕の間には、まだなんの禍根もない。
 最後に見たシグファリスの姿を思い出す。緊張で青ざめ、恐縮しきっていたエリアーヌの手を握りしめて、励ますように寄り添っていた少年。父の後を追って広間を出ていく時に、一瞬だけ僕と目が合った。
 翳りのない、澄み渡った黄金の瞳。鮮明に記憶に残るその小さな輝きに触れるように、僕は手を伸ばした。
 僕がアリスティドとして転生したことに意味があるならば。それはきっと、シグファリスを守るため。
 この世界でも『緋閃のグランシャリオ』と同じことが起こるとしても、展開を先読みできるのだから不都合な出来事は回避できるはずだ。幸い物語はまだ始まったばかり。僕さえうまく立ち回れば、シグファリスが不幸になることはない。シグファリスだけではなく、僕が魔王になって世界中の人々を苦しめた挙句、シグファリスに殺されるという最悪の結末を迎えなくても済む。
 僕らの未来に立ち込める暗雲をこの手で振り払う。それができると、この時の僕は信じていた。
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