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19 聖女の騎士

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 エアネストが小隊を率いるようになってからしばらくして、エアネストの態度が変わった。
 今まで通り優しく、相手が従士であっても礼を欠いた態度をとらないが、親し気に話しかけてくることが極端に減った。
 何かきっかけがあったとすれば、同輩の従士とのふざけた会話――エアネストを陰で「子羊ちゃん」と呼んでいることを知られてしまった日からだ。

 腕力こそ足りないものの、高い身分に驕らず、誰よりも誠実に任務にあたっていたエアネストを、ウォルフが一番近くで見てきた。本人は大したことではないというような態度をとってはいたが、それはもう、屈辱だっただろう。
 ――確かに「子羊ちゃん」ってのは悪口だが、あんたに対しては違う。あいつらはどうしょうもねえすけべな阿呆だから、あんたのかわいい顔にのぼせてるだけで、騎士としての能力や志を馬鹿にしてるわけじゃねえんだ。あんたはなんにも悪くない。
 そう伝えられたらどんなにいいだろうか。だが口の悪さに定評のあるウォルフである。丁寧な言葉で伝える能力はないし、気に病む様子を見せまいとしているエアネストにそんなことを言うのは不敬だ。大体「従士どもに性的な目で見られてるぞ」なんて伝えるのはそれこそ侮辱だった。

 元々努力家だったエアネストは、日々の厳しい鍛錬に加え、時間を捻出して書庫に通うようになっていた。魔獣との戦闘記録を参照して知識を深めたいという理由を聞きはしたが、熱心すぎて心配になるほどだった。

「できれば被害報告を重点的に参照したいのだが」
「それは……数はそれほど多くありませんね。どの代の総長も、自らの失敗を文章で残したいとは思わなかったのでしょう」

 エアネストの様子を見るために書庫を訪れたウォルフは、エアネストが司書と話している内容を耳にした。
 華々しい戦勝の記録も参考にはなる。しかし失敗から学べることの方がずっと多いはずだとエアネストは主張していた。
 魔獣の討伐に失敗したり、成功したとしても多くの犠牲者を出した記録から改善点を見つけ出すことができれば、同じ轍を踏まずに済む。

「従士たちは命をかけて戦ってくれている。私は指揮するものとして、その尊い命を無駄に散らすわけにはいかないのです」
「おお……それは素晴らしいお考えですね。微力ではありますが、私たちも力添えいたします」

 いざ窮地に立たされれば従士を盾にしてでも生き延びようとする騎士だっているぐらいだ。エアネストの考えを聞いた司書たちは一様に感心した様子を見せていたが、ウォルフには心配事が増えた。
 ――そりゃありがてえけどよ、あんたはあんたで自分の命を大事にしてくれねえと。
 ウォルフは時折、中庭からエアネストの部屋を見あげた。資料を読みふけっているらしく、部屋の明かりは夜半過ぎまで消えなかった。


 エアネストの努力は間もなく実を結んだ。エアネストが参加した討伐任務では、負傷者の数が明らかに減ったのだった。
 騎士の中には「先達の失策を蒸し返すのは無礼だ」と考えてエアネストに反発する者もいたようだが、従士たちからの支持は絶大だった。
 従士たちは強い上官を求めている。それ以上に「どんなに絶望的な状況にあっても必ず生きて帰れる」という確信を持たせてくれる上官に信頼を寄せる。
 エアネストの指揮の元で、従士たちはかつて以上の勇猛な戦いぶりを見せた。結果を出すにつれてエアネストへの批判も小さくなり、やがて冗談でもエアネストを「子羊ちゃん」と呼ぶ者はいなくなった。

 ウォルフの心境にも変化があった。

「大隊長殿。お願いがあるんですが、よろしいですか」
「は……はあ!? どうしたんだウォルフ、悪いものでも食ったのか!?」

 神妙な顔で丁寧に話すウォルフに、食堂で夕食をかっ込んでいた大隊長は椅子から転げ落ちそうになりながら振り向いた。
 熱があるのではと額に当てられた手を振り払い、ウォルフは舌打ちをしつつも頭を下げた。

「俺に態度をなんとかしろって前に言ってたじゃねえか。なんか、こう……言葉遣いとか、礼儀作法とかを、教えてくれよ」

 たどたどしくお願いをするウォルフに唖然としていた大隊長だったが、やがて豪快に笑ってウォルフの頭を殴った。

「――はははっ、そうか! 偉いぞこのクソガキ! やっと騎士を目指そうって気になったか、ははははっ!」
「痛えっ! 褒める時も殴るのかよ暴力ジジイが、とっととくたばれ!」
「おーおー、お前に騎士道を叩きこんでから大往生してやるわい」

 ウォルフは大隊長にどつかれながら、言葉遣いや騎士道について学ぶようになった。
 別に騎士になろうというわけではない。エアネストに諫言のひとつもできるようにならなくてはと思っただけだ。
 なにせエアネストは無茶ばかりする。献身的に、命を惜しまず、他者を護る為に剣をふるう。それは聖女の騎士としての理想そのものではあるのだが。
 ――あんたが他人ばっかり守って自分を大切にしないってなら、俺があんたを守る。
 ウォルフはいつの間にかそう考えるようになっていた。



 エアネストが呪術師の手にかかって倒れた時、ウォルフは己の力不足を恨んだ。
 ――守れなかったのか。このまま死なせてしまうのか。
 ぎりぎりと歯噛みするウォルフだったが、エアネストにかけられた呪いは「男と性行為をしなければ死ぬ」というものだと祈祷師に聞かされ、怒りのあまり奥歯を嚙み砕きそうになった。
 どこの変態がそんなクソみたいな呪いを作り出したのだ。術師を生き返らせてもう一度ぶっ殺したい。

「俺が相手になります」

 荒れ狂う内心を抑えてウォルフが申し出ると、顔色を失っていたエアネストが伏せていた顔をあげた。

「いいのか、ウォルフ。私の相手など、嫌だろうに……」

 空色の瞳が不安げに揺れる。普段の気丈で朗らかな態度とは違う、初めて見る弱気な表情だった。

「大丈夫です。不審人物を治療院に通してしまった俺の責任です。俺が何とかします」

 ウォルフの言葉に目を瞬かせるエアネストに、祈祷師が横から口を出す。

「エアネスト卿、見知った人を相手にするのがお嫌でしたら、男娼を呼ぶという手もありますよ」
「俺が! 相手に! なります!」

 エアネスト様をどこぞの馬の骨になんぞ触れさせてたまるか。ウォルフが睨みつけると、祈祷師は騎士総長の背後にシュッと隠れた。盾にされた総長はウォルフの様子を訝しがりながらも、励ますような声音で「エアネスト卿次第だ」と囁く。

「それでは……ウォルフ。お願いできるか……?」
「お任せください」

 絶対に優しくする。けして辛い思いはさせない。犬にかまれたとでも思ってくれたらいい。
 結局ウォルフは自分という獣からエアネストを守れなかった。



 騎士総長から呼び出しを受けたのは、エアネストが呪いから解放されてから二週間後の事だった。
 ウォルフは回廊を進みながら要件について考える。恐らくは、エアネストの護衛の任を解かれるのだろう。
 呪いを解くために、最小限の行為でさっと終わらせるはずだった。それが、無垢なエアネストに煽られ、何も知らないまっさらな体を蹂躙した。柔肌にいくつもの歯形を残した。呪いを解いた後も、なおも欲望を注ぎ込んだ。
 エアネストに下心を抱く従士たちを、どうしようもないすけべの阿呆だと思っていたが、ウォルフ自身もまた性欲に抗えない獣だった。

 あの日以降、エアネストは明らかにウォルフを避けていた。顔を合わせれば社交辞令程度にぎこちなく微笑み、さっと顔を伏せてしまう。
 遠ざけられても仕方ない。なんなら罰を受けて然るべきだ。

 ――いや。でも。照れ隠しって可能性もなくはない。
 いやだ、こわい、と言いながらも、必死にウォルフにしがみついていた。脳をとろかすような声音で喘いで。エアネストの方から口づけをねだっていたような気さえする。
 案外満更でもなかったのではないか。一縷の望みを抱きながら総長の執務室に顔を出すと、総長はさめざめとため息をついた。

「先ほどエアネスト卿が退団を申し出た」
「――はあ!?」
「慰留はしたが……原因は何だろうなぁ……?」

 総長は意味深に目を細めてウォルフを見た。ウォルフは総長の意図を読む間もなく、衝動的に総長の執務室を飛び出ていた。
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