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06 子羊ちゃん
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エアネストがウォルフや他の隊員たちとの間に広がる距離を正確に認識したのは、ある日の訓練場での出来事がきっかけだった。
「よおウォルフ。かわいい子羊ちゃんのお世話もそろそろ飽きてきたろ? 俺が変わってやろうか」
ウォルフに軽口を叩いたのは、他の隊に所属している赤髪の従士だった。
「黙れ馬鹿がッ」
普段通りの何気ないやり取りのはずだったのだろう。ウォルフに怒気を孕んだ声で凄まれた赤髪の従士は、思いがけない反応に鼻白んだ。
「はあ? なんだよマジになりやがって、いつもの冗談……」
反論しかけた赤髪の従士は、体格のよいウォルフの陰になっていたエアネストの存在に気づいて顔を青ざめさせた。
「エッッッエエエエアネスト様ッ! こちらにいらっしゃいましたか!」
流れるような動作でひれ伏した赤髪の従士に、エアネストは憮然として眉をひそめる。
状況的に考えて、「かわいい子羊ちゃん」というのは明らかにエアネストを指している。
――随分と侮られているものだ。
騎士への侮辱は処罰の対象になる。周囲にいた小隊の面々は固唾をのんで成り行きを見守っていた。
ここはひとつ大隊長に倣って拳骨でもくらわせるべきなのだろうが、大した悪口ではないし公式な場でもない。本人も額を地面に擦り付けて反省を示している。エアネストは仕方がないというように肩をすくめて微笑んで見せた。
「私が未熟者であることは自らも認めるところだが、子羊ちゃんと呼ぶのはやめてもらえるかな」
「ええ、ええ、もう二度と! 神と聖女に誓って二度と申しません! 大変に失礼いたしました! いやあ、さすがエアネスト様は寛大だなあ! 未熟どころか成熟した大人、まさに大貴族の貫禄でいらっしゃる! 御手にキスをしてもよろしいですかぁああ痛てててて! ちぎれる! 耳がちぎれるゥ!」
ウォルフはエアネストの手を取ろうとした赤髪の従士の耳を掴み、訓練場の外に引きずっていった。
訓練場でのやり取りを丸く収めたエアネストはその日の晩、私室の寝台で膝を抱えて丸くなっていた。
赤髪の従士の言葉がエアネストの脳裏をぐるぐると回る。
――かわいい子羊ちゃんのお世話。いつもの冗談。
彼らの話しぶりからして、日頃からエアネストのことを陰で「子羊ちゃん」と呼んでいるだろう。ウォルフも、そして小隊の面々も。
薄々わかってはいた。彼らは表向きエアネストを丁重に扱ってくれてはいるが、それは敬意からではなく、敬遠されているだけだ。
小隊の面々が賑やかに語らっているところにエアネストが出くわせば、皆気まずそうに口を閉ざしてしまう。ウォルフに至っては目を合わせて話してくれることすら滅多にない。
「嫌われて当然、か……」
無意識に口からこぼれた言葉に自分でダメージを受けて、ずきりと胸が痛んだ。
辣腕の勇士と名高いウォルフが部下として配属された時、エアネストは頼もしいと思った。だがウォルフからすれば未熟で頼りない貴族のお坊ちゃんが上官になってしまったのだ。
総長は明確に言葉に出して言うことはなかったが、ウォルフの役目はエアネストの護衛なのだろう。侯爵家の子息が魔獣に殺されないように。ウォルフは魔獣討伐という本来の責務の他に、エアネストのお守りという重荷まで背負わされている。
小隊長に抜擢されたのもエアネストの実力ではなく、侯爵家への忖度が働いたに違いない。そう考えると、今まで模擬試合で得てきた白星も疑わしくなってくる。
「私は……本当は、弱い……のか……?」
ぽつりともらした問いかけに答える者はいない。エアネストの胸の内から、自身を糾弾する声が次々と湧き上がる。
――家柄が立派なだけで実力のない青二才。権力にものを言わせて聖寵騎士団に潜り込み、騎士ごっこに夢中になっているお貴族様。
そんなエアネストをウォルフが敬遠し、必要以上の接触を避けているのは当然のことと言えた。距離を縮めたい、仲良く語り合いたい、などとは甚だしい勘違いだった。今の自分は彼の足枷でしかない。
ウォルフの為には、エアネストの護衛という立場から解放してやるべきだ。むしろ自分のような足手まといは総長や周囲の勧めに従って聖寵騎士団を辞した方が世の中の為になる。父や兄からも毎週のように手紙が届き、再三領地へ戻るよう勧められているのだから。
しばらく丸まっていたエアネストだったが、落ち込むところまで落ち込み切ってから毅然と顔を上げた。
あきらめるのはまだ早い。
――あきらめきれない。
幼い頃に見た聖寵騎士団の勇猛な姿と、自由に戦場を駆けて魔獣を屠るウォルフの姿が重なる。
邪悪な魔獣に怯むことなく立ち向かう、真の戦士。輝かしいまでのその強さに、惹かれてやまない。
嫌われているとわかったのは、ある意味では前進だ。自らを客観視できるようになって、自覚していなかった欠点を把握できたのだから。
今はまだコネで地位を得ただけの、名ばかりの騎士である。それならば、聖女の騎士にふさわしい実力をこれから身につければいいのだ。いずれはウォルフに背中を任せてもらえるような騎士になる為に。ウォルフには今しばらく我慢を強いることになってしまうが、いつか必ず報いてみせる。
エアネストは一度こうと決めたら粘り強い。そして立ち直りも早かった。
それからというもの、エアネストは功を焦らず指揮と援護に徹するようになった。
ウォルフと同じような強さを得ることは難しい。ならば、別の強さを磨けばいい。
小隊の面々は勇猛である。彼らに遺憾なく実力を発揮してらもうために、エアネストはこれまで以上に熱心に魔獣の特性を学び、聖寵騎士団設立当初から近年に至るまでの戦闘記録を熟読した。
得た知識をもとに綿密に計画を立てる。かといって戦術にこだわりすぎず、現場の状況に応じて柔軟に対応する。時には魔術を駆使して追い風を吹かせ、矢勢を強める。毒霧を吐く魔獣が現れたなら周囲の空気を巻き上げて被害を抑える。
まだまだ改善の余地はあるが手ごたえを感じた。エアネストが率いる小隊は「琥珀隊」と呼ばれ、次々と武功を上げていった。
そうして一年が過ぎる頃には、ウォルフに怒鳴られることもなくなっていた。
「見事だった、ウォルフ」
小型とはいえ、ほぼ一人で冠砂毒蛇を討伐したウォルフに労いの言葉をかける。
「――お褒めいただき、光栄です」
ウォルフはほんの一瞬だけはにかむような表情を見せて、丁寧に頭を下げた。相変わらずエアネストと馴合うようなことはしない。それでも時折は視線を合わせてもらえるようになったし、話す機会もずっと増えた。小隊の者たちとも多少なりとも打ち解けられて、上官として及第点をもらえたような気になっていた。
エアネストが忌まわしい呪いを受けてしまったのは、そんな折だった。
「よおウォルフ。かわいい子羊ちゃんのお世話もそろそろ飽きてきたろ? 俺が変わってやろうか」
ウォルフに軽口を叩いたのは、他の隊に所属している赤髪の従士だった。
「黙れ馬鹿がッ」
普段通りの何気ないやり取りのはずだったのだろう。ウォルフに怒気を孕んだ声で凄まれた赤髪の従士は、思いがけない反応に鼻白んだ。
「はあ? なんだよマジになりやがって、いつもの冗談……」
反論しかけた赤髪の従士は、体格のよいウォルフの陰になっていたエアネストの存在に気づいて顔を青ざめさせた。
「エッッッエエエエアネスト様ッ! こちらにいらっしゃいましたか!」
流れるような動作でひれ伏した赤髪の従士に、エアネストは憮然として眉をひそめる。
状況的に考えて、「かわいい子羊ちゃん」というのは明らかにエアネストを指している。
――随分と侮られているものだ。
騎士への侮辱は処罰の対象になる。周囲にいた小隊の面々は固唾をのんで成り行きを見守っていた。
ここはひとつ大隊長に倣って拳骨でもくらわせるべきなのだろうが、大した悪口ではないし公式な場でもない。本人も額を地面に擦り付けて反省を示している。エアネストは仕方がないというように肩をすくめて微笑んで見せた。
「私が未熟者であることは自らも認めるところだが、子羊ちゃんと呼ぶのはやめてもらえるかな」
「ええ、ええ、もう二度と! 神と聖女に誓って二度と申しません! 大変に失礼いたしました! いやあ、さすがエアネスト様は寛大だなあ! 未熟どころか成熟した大人、まさに大貴族の貫禄でいらっしゃる! 御手にキスをしてもよろしいですかぁああ痛てててて! ちぎれる! 耳がちぎれるゥ!」
ウォルフはエアネストの手を取ろうとした赤髪の従士の耳を掴み、訓練場の外に引きずっていった。
訓練場でのやり取りを丸く収めたエアネストはその日の晩、私室の寝台で膝を抱えて丸くなっていた。
赤髪の従士の言葉がエアネストの脳裏をぐるぐると回る。
――かわいい子羊ちゃんのお世話。いつもの冗談。
彼らの話しぶりからして、日頃からエアネストのことを陰で「子羊ちゃん」と呼んでいるだろう。ウォルフも、そして小隊の面々も。
薄々わかってはいた。彼らは表向きエアネストを丁重に扱ってくれてはいるが、それは敬意からではなく、敬遠されているだけだ。
小隊の面々が賑やかに語らっているところにエアネストが出くわせば、皆気まずそうに口を閉ざしてしまう。ウォルフに至っては目を合わせて話してくれることすら滅多にない。
「嫌われて当然、か……」
無意識に口からこぼれた言葉に自分でダメージを受けて、ずきりと胸が痛んだ。
辣腕の勇士と名高いウォルフが部下として配属された時、エアネストは頼もしいと思った。だがウォルフからすれば未熟で頼りない貴族のお坊ちゃんが上官になってしまったのだ。
総長は明確に言葉に出して言うことはなかったが、ウォルフの役目はエアネストの護衛なのだろう。侯爵家の子息が魔獣に殺されないように。ウォルフは魔獣討伐という本来の責務の他に、エアネストのお守りという重荷まで背負わされている。
小隊長に抜擢されたのもエアネストの実力ではなく、侯爵家への忖度が働いたに違いない。そう考えると、今まで模擬試合で得てきた白星も疑わしくなってくる。
「私は……本当は、弱い……のか……?」
ぽつりともらした問いかけに答える者はいない。エアネストの胸の内から、自身を糾弾する声が次々と湧き上がる。
――家柄が立派なだけで実力のない青二才。権力にものを言わせて聖寵騎士団に潜り込み、騎士ごっこに夢中になっているお貴族様。
そんなエアネストをウォルフが敬遠し、必要以上の接触を避けているのは当然のことと言えた。距離を縮めたい、仲良く語り合いたい、などとは甚だしい勘違いだった。今の自分は彼の足枷でしかない。
ウォルフの為には、エアネストの護衛という立場から解放してやるべきだ。むしろ自分のような足手まといは総長や周囲の勧めに従って聖寵騎士団を辞した方が世の中の為になる。父や兄からも毎週のように手紙が届き、再三領地へ戻るよう勧められているのだから。
しばらく丸まっていたエアネストだったが、落ち込むところまで落ち込み切ってから毅然と顔を上げた。
あきらめるのはまだ早い。
――あきらめきれない。
幼い頃に見た聖寵騎士団の勇猛な姿と、自由に戦場を駆けて魔獣を屠るウォルフの姿が重なる。
邪悪な魔獣に怯むことなく立ち向かう、真の戦士。輝かしいまでのその強さに、惹かれてやまない。
嫌われているとわかったのは、ある意味では前進だ。自らを客観視できるようになって、自覚していなかった欠点を把握できたのだから。
今はまだコネで地位を得ただけの、名ばかりの騎士である。それならば、聖女の騎士にふさわしい実力をこれから身につければいいのだ。いずれはウォルフに背中を任せてもらえるような騎士になる為に。ウォルフには今しばらく我慢を強いることになってしまうが、いつか必ず報いてみせる。
エアネストは一度こうと決めたら粘り強い。そして立ち直りも早かった。
それからというもの、エアネストは功を焦らず指揮と援護に徹するようになった。
ウォルフと同じような強さを得ることは難しい。ならば、別の強さを磨けばいい。
小隊の面々は勇猛である。彼らに遺憾なく実力を発揮してらもうために、エアネストはこれまで以上に熱心に魔獣の特性を学び、聖寵騎士団設立当初から近年に至るまでの戦闘記録を熟読した。
得た知識をもとに綿密に計画を立てる。かといって戦術にこだわりすぎず、現場の状況に応じて柔軟に対応する。時には魔術を駆使して追い風を吹かせ、矢勢を強める。毒霧を吐く魔獣が現れたなら周囲の空気を巻き上げて被害を抑える。
まだまだ改善の余地はあるが手ごたえを感じた。エアネストが率いる小隊は「琥珀隊」と呼ばれ、次々と武功を上げていった。
そうして一年が過ぎる頃には、ウォルフに怒鳴られることもなくなっていた。
「見事だった、ウォルフ」
小型とはいえ、ほぼ一人で冠砂毒蛇を討伐したウォルフに労いの言葉をかける。
「――お褒めいただき、光栄です」
ウォルフはほんの一瞬だけはにかむような表情を見せて、丁寧に頭を下げた。相変わらずエアネストと馴合うようなことはしない。それでも時折は視線を合わせてもらえるようになったし、話す機会もずっと増えた。小隊の者たちとも多少なりとも打ち解けられて、上官として及第点をもらえたような気になっていた。
エアネストが忌まわしい呪いを受けてしまったのは、そんな折だった。
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