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6話「宿で食事をした後、魔法の練習をするみたい」
しおりを挟む買い物を済ませた姫は、その足で当初の目的だった【白い歯車亭】へとやって来た。広場から反対側の通りへと歩を進め、しばらく歩いていると特徴的な白の歯車が描かれた看板が目に飛び込んでくる。
中に入ると、すぐに受付カウンターがあり、そこには若い女性が受付をやっていた。受付のすぐ隣にはL字に上っていく階段があり、どうやら二階が泊まる部屋となっているようだ。
一方受付の左側には酒場と食堂を兼ねた食事処があって、宿泊客や街の人が食事を楽しんでいるようだ。
「いらっしゃいませ、白い歯車亭にようこそ。お食事ですか? それとも宿泊でしょうか?」
「泊まりたいんですけど、一人部屋の空きはありますか?」
「はい、問題ありません。料金は素泊まりなら一泊50ゼノ、食事付きなら80ゼノとなっておりますが、どうしますか?」
そう女性に告げられて、姫はしばらく考える。現状この世界の情報を得られていない中、何の宛てもなく動くのは得策ではない。しばらくこの街を拠点に情報を収集していくのが、現在姫ができる最善である。
であるからして、現在いるこのアラリスの街を拠点に、この世界のことを調べながら生活の基盤を構築していくのが、無難であると姫は結論付ける。
「とりあえず、食事付きで三日分お願いします」
「わかりました。それではこちらにお名前の記入をお願いします。……はい、これで大丈夫です。では、先払いで240ゼノをお願いします」
宿の帳簿に名前を書き、三日分の代金を支払った。そして、部屋の鍵を受け取る。
「部屋は二階の一番奥になります。それと、もうすぐ昼になりますが昼食を食べますか?」
「お願いします」
それからそのまま食堂に行き、昼食を食べることにした。どうやらこの世界にやって来たのは早朝だったらしく、今は太陽が天辺にまで登りきっている。
食堂の空いている席に座った直後、外から鐘の音が響き渡った。何かの警報かと思ったが、姫以外の人間が慌てた様子がないことから、定期的に鳴らされているものだということが見て取れる。
この世界の時間に関しては、一日は二十四時間で決まった時間に時刻を告げる鐘が鳴るようになっており、それぞれ六時、九時、正午、十五時、十八時の計五回で、三時間毎にそれぞれ五回ずつ鐘が鳴らされるという話を、ウエイトレスの少女に聞いた。
先ほど鳴った鐘は、どうやら正午を告げる鐘だったようで、姫が席に着いてしばらくすると空いていた席が埋まり、瞬く間に満席となった。
さらに少女の話によると、現在時刻を知るための時計と似た機能を持った魔法の道具も存在しているようだが、そういったものは高価で商人や貴族だけが所持している贅沢品とのことだった。
昼食は異世界でよくある質のあまり良くない麦から作った黒パンと、あまり味のしない具なしのスープに、塩のみで味付けされた何かの肉を焼いたものだった。
宿の食事から推測するに、この世界の食文化はあまり発展しておらず、味は二の次でとにかく食べられればそれでいいという考え方が一般的のようだ。それでも、貴族などの上流階級となれば地球の一般家庭より少し劣るくらいの食事はしているだろうと、姫は予想を立てていた。
「食生活については、生活基盤が安定するまでは我慢するしかないか……食べられるだけありがたいことだろうしね」
食にうるさい日本人としては、あまり妥協したくないところではあったが、今はそのような我が儘を言っている場合ではないことも理解しているため、妥協せざるを得なかった。
美味しいとは程遠い昼食を済ませ、部屋に向かった。階段を上り、上った先の廊下を歩いていると、とある部屋から男女の声が聞こえてくる。
どうやら昼間から営んでいるようで、荒い息遣いと女性の嬌声が耳に入ってくる。
「けっ、こんな真昼間っからよろしくしやがって、爆発しろリア充め!」
今の自分の状況とドアの向こうのカップルを比べ、そのあまりの格差に恥も外聞もなく悪態をつく姫。その理不尽さに、思わずカップルがいる部屋のドアを蹴り、ささやかな八つ当たりを行うも、行為に夢中で二人がそれに気付くことはなかった。
真昼間から生々しい行為をまざまざと見せつけられ、悲しいやらやるせないやらといった様々な感情が入り乱れながらも、自分の部屋にとぼとぼとした足取りで歩いていく。
部屋の鍵を鍵穴に差し込んで開錠しドアを開けると、姫はそのままベッドにばさりと倒れ込んだ。部屋の内装は、ベッド・タンス・テーブルと椅子の最低限の家具しか置かれていない。
しばらくうつ伏せになった状態で、ベッドに体を預ける。日頃の仕事による疲れと、こちらの世界に来てから体験したことによる心労により、気が付くとそのまま意識を手放していた。
「姫さーん、夕食の準備ができたので、下りてきてくださーい」
「う、うーん……知らない天じょ――やっぱ、やめとこ。あのまま寝てしまったのか」
数時間後、ドアがノックされる音で意識が覚醒する。どうやら宿の従業員が夕食ができたことを告げに来たらしい。
いつの間にか、気付かないうちにかなりの疲れが溜まっていたことを自覚した姫だったが、眠りに就いたことで疲れを取ることができたとポジティブに考え、夕食を食べるために一階の食堂に向かう。
食堂は昼と同じく多くの人で賑わっており、姫が席に着いてすぐに満席となった。門の兵士が言っていた通り、どうやらこの宿の食事は他の宿と比べてもマシな部類に入っているのだろうと、食堂の込み具合からなんとなく理解できた。
といっても、姫にとってはあまり満足できる食事ではなかったようで、口の中に無理矢理ねじ込むように手早く夕食を済ませ、すぐに食堂を後にした。
夕方になると、武装した冒険者風の人たちや土で汚れた職人や労働者なども客として訪れるため、昼よりも厄介事に巻き込まれやすくなっているということも、姫が早々に食事を済ませた理由だったりする。
部屋に戻ろうとしたその時、姫を担当した人とは別の従業員が声を掛けてきた。
「あの、湯桶はどうしましょうか?」
「湯桶?」
「体を拭くために使う、お湯が入った桶のことですよ。体を拭く布と合わせて、3ゼノになりますがどうしますか?」
「お願いします」
思えば、この世界にやってきてから丸一日、一度も体を洗っていないことに姫は気付く。姫はオタク特有の自分が興味のあること以外はまったくといっていいほどルーズな性格をしている。好きな漫画やアニメなどを読んでいる時や、ラノベや乙ゲーを楽しんでいる時などは、お風呂はおろか自分の食事にすら無頓着になることもしばしばある。
だが、姫とて花も恥じらう乙女であることに変わりはなく、常に体を清潔にしておきたいという思いは持っている。だた、自分の好きなことをやっている時は、それに気付かないというだけなのである。
店員に湯桶を頼み、代金を支払う。湯桶は、店員が部屋まで持ってきてくれるとのことだったので、そのまま部屋へと戻った。
部屋に戻ると、今度はちゃんとドアに鍵を掛け、ベッドに腰掛ける。時刻は十八時の鐘が鳴ってから五十分ほど経過しているため、外は既に暗闇に包まれている。
「さて、湯桶が来るまで魔法の練習をしておこうかな」
姫はそう呟くと、体に意識を集中させ体内の魔力を操作し始めた。丹田にある魔力を上下左右に動かし、魔力をスムーズに操れるよう練習する。それを十五分ほどやったところで、ドアがノックされ湯桶が到着する。
湯桶を受け取り、再び鍵を掛け服を脱いで体を拭いていく。一日とはいえ、体はそれなりに汚れが付着していたようで、少しお湯が濁っていた。
さっぱりしたところで、改めて魔法の練習を再開する。今度は体内の魔力を体全体に薄い膜状に覆い、まるで鎧を纏っている状態になるよう操作する。
「この状態で、このテーブルを持ち上げるとどうなるかやってみよう」
姫は体に魔力を纏わせた状態で、右手の親指と人差し指を使ってテーブルの縁を摘まみ、そのままゆっくりと慎重に持ち上げた。
本来なら、女性である姫の筋力ではテーブルはビクともしないだろうが、体に纏った魔力によって肉体が強化されており、テーブルはいとも簡単に持ち上がる。
「おお、案外簡単にいけたな。これが、身体強化魔法ってやつですな」
やはり異世界にある魔法といえば、火や水といった自然現象系の魔法が一番に頭に浮かぶだろう。だが、それと同じくらいに有名な魔法といえば、自身の肉体を強化する身体強化魔法だろう。
何が起こるか分からない異世界では、ありとあらゆる不測の事態に備えておかなければならない。そのため、自分自身を強化する魔法の習得は、真っ先に覚えておかなければならないとても重要なものである。
それから、姫は様々な魔法の習得に挑戦し、空が白み始める時間までひたすら魔法の練習を続けるのであった。
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