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28話
しおりを挟む時刻は午後10時、社員が帰路につき誰もいなくなったはずの会社ビルのとある一室には未だに人がいた。そこは大型モニターが壁に埋め込まれた数十台というコンピュータが置かれた制御室よろしく、機械音が部屋全体に響き渡っている。
そこにはもう何時間その部屋にいたのかすらわからないほど疲弊した十数人の男女があくせくと働いており、中には何日もまともに寝ていないものすらいる。
その中に一人、大型モニターの前に腕を組みながら仁王立ちする四十代くらいの男性が食い入るようにモニターを見つめていた。時には何かに感心したような声を出し、時にはモニターに映し出される光景に目を細める。
男がそんなことを続けていると、彼の後ろから女性と思しき声が掛けられた。
「また見てるんですか?」
「ああ、彼の映像なら一日中見ていても飽きないからな」
「まさか主任、彼に並々ならぬご興味がおありで?」
「お前が言うと違う意味に聞こえてくるんだが、興味があるという点においては否定はしない。まさか、識別コード【Contrarian】が彼の指示に従って生産活動をするとは」
「たしか、かなり低い確率で選択される特殊行動パターンAIですよね?」
「そうだ。しかもその選択率は脅威の0.000072%という超々低確率のな」
「072って、オナ――」
「やめんか、ナチュラルに下ネタをぶっこんでくるんじゃない!」
そんな漫才の掛け合いのような言い合いが飛び交う中でも他の社員たちは黙々と作業をこなしている。彼らにとってその男女の会話は日常茶飯事のようで、反応するだけこちらが疲れるということを理解しているからだ。
そして、大型モニターに映し出されているのはとある一人のプレイヤーが生産サポートキャラであるハニワんずに体罰を与えている映像だった。
その映像だけ見れば規約違反の決定的証拠となり得るのだが、その部屋にいる人間全てがそういう目で見ることはない。なぜなら、映像に映し出されているハニワんずが何の文句も言わずに黙々と素材を集めているからだ。
そのハニワんずは他の汎用性の高い識別コードを持った一般的なハニワんずとは異なり、生産活動をほとんどといっていいほどすることがない特殊な行動パターンを持った個体なのだ。
どんなに命令を出そうともその指示に従うことはなく、場合によっては施設を破壊するような行動も取ることがある。そんなめちゃくちゃな仕様となっているハニワんずが、素直にプレイヤーの指示に従って黙々と生産をしている様子は、開発側からすれば異常という他なかったのである。
「それにしても、まさかこんな形でContrarianが生産するようになるとはな」
「プログラムのバグでは?」
「それは可能性としては限りなくゼロに近いな。お前も知っているだろう、我が社の作り出すゲームにはスーパーコンピュータの数千倍以上の処理速度があるハイパーコンピュータ【ゼノ】が使われている。国の使用許可を取るために売り上げの三割をゼノの使用料として支払ってるって噂だ。そんな代物に欠陥があってはそれこそ国家の一大事になるぞ」
「じゃあどうしてContrarianはあのような行動を取っているんですか?」
「それがわかればこうやって一日中モニターに貼りついとらんわ!」
男はそう言うと視線をモニターに移し観察を再開しようとするのだが、女の目的はなにも男と談笑したいから声を掛けたわけではないため、自分の本来の目的を果たすべく男に書類の束を手渡す。
「これは?」
「本日、各部署から寄せられた報告書になります。確認をお願いします」
「どれどれ……やはり彼以外に目立った行動を取るプレイヤーはいなかったようだな」
「まだ配信開始当日ですからね」
「といっても、ログインしているプレイヤーの体感では一週間ほどの時間が経過しているんだ。それだけあれば何かしらの発展があって然るべきだろう」
「あ、そういえば主任。わたし不思議に思ってることがあるんですけど?」
「お前に彼氏ができないのは、見た目の問題ではなく性格が悪いせいだぞ」
「……誰もそんなこと聞いてないんですけど? それと、その物言いはセクハラですよ。主任」
「そんなデカい乳を人目に晒しといて、セクハラもくそもねぇだろうが! 大体それを言うならお前の今の格好は公然わいせつ罪だぞ?」
男はそう言うと、女の格好を頭のてっぺんからつま先まで改めて確認するように視線を巡らす。股下までしかないデニムのショートパンツに生地の少ない無地のタンクトップの上から医者や研究員などが着るような白衣を上から羽織っただけのとてつもなくラフな格好をしている。
しかも質が悪いことに男が先ほど明言した通り、女の胸はタンクトップから今にもこぼれ落ちそうな程の大きさをしている。そのデカさたるやまさにたわわに実った二つの果実という表現が正しい。
そこからしばらく二人のじゃれ合いという名の口論が続き、売り言葉に買い言葉なやりとりを行いながらも、女の疑問とやらが気になった男が話を軌道修正して問いかける。
「それで、お前の疑問とやらを聞いてやろう」
「時間の流れについてなんですけど。マイエリアで夕方とか夜になったときに時間をスキップできる機能があるじゃないですか。それを使ったプレイヤーと使わなかったプレイヤーの時間軸ってどうなってるのかなって思ったんですけど?」
「はあー、またその質問か」
「……わたし主任にこの質問するの初めてだと思うんですけど?」
「そうだな、お前にとっては初めての質問だ。だが、俺にとっては何度も聞いた質問なんだよ」
そう言って男は自分の過去について語り出した。男の話では若かりし頃にWeb小説サイトに自身が書いた小説を投稿していたことがあり、その時書いていた内容がVRMMOを題材とした小説を投稿していたのだが、主人公が宿屋などで休んだりしたときに時間を飛ばす内容を書いたらしい。だが現実世界と仮想世界の時間軸のズレが気になるらしく、かなりの頻度で「このときの時間軸のズレってどうなってるんですか?」という指摘が読者から必ずといっていいほどあったらしい。
「毎回毎回馬鹿の一つ覚えみたいに同じ質問ばっかりしおって、そんなのどうでもいいじゃねぇかよ! 勝手に自分で解釈して想像しやがれってんだ!!」
「しゅ、主任一旦落ち着きましょう。本音が駄々洩れてます」
「ああ、すまん。ちょっと昔を思い出してしまってな。だがこれだけは言わせて欲しい。投稿者にとってそういう細かいディティールを気にして書いてる奴なんてほとんどいないんだよ。投稿者っていってもほとんどが素人なんだから、プロの小説家みたいに細かい設定を考えてるわけがないだろうが! それを読者どもときたら……ただ投稿者がアップロードしたものを読んでるだけの分際で……」
「主任、また本音が漏れてますよ」
それから男のWeb小説サイトの読者批判がしばらく続いたが、自分の話していることが明らかに話題から脱線したものであると気づき、再び軌道修正をするべく女の質問に答え始める。
「はあー、それで時間軸のズレについてだったな」
「ああ、はい」
「MOAOの連続ログイン可能時間が四時間なのはお前も知っているだろうが、各プレイヤーがログアウトした瞬間から次にログインするまでの時間でそれぞれの時間軸のズレを調整してるんだよ」
「でもそれってログアウトしてすぐログインした場合はどうなるんですか?」
「連続ログイン時間が三時間以上になると次回ログイン可能時間は一時間に固定されるんだ。それ以下ならログインし続けた時間に応じて次回ログイン可能時間が変動する」
「詳しい内訳とかはどうなってるんですか?」
「一時間未満で十分、一時間以上二時間未満で二十分、二時間以上三時間未満で三十分って感じだな」
「それだと次回ログイン可能時間を待っている間の時間のズレはどうなんですか?」
「それも含めて調整されているから、問題ない。というか、時間のズレなんてどうでもいいだろ? お前はオフラインタイプのRPGを一人でプレイしている時に現実の時間帯とゲームの時間帯のズレをいちいち気にしてプレイしていたのか? ゲーム内は夜だけど現実は昼だからどうのこうのってよ?」
「それは……気にしてませんでしたけど」
「だろ? そんな細かいことを気にしてるから恋人ができないんだぞ?」
「それ今は関係ないじゃないですか!!」
再び男と女の舌戦が繰り広げられる中、他の社員たちは作業に打ち込んでいる。栄養ドリンクを体に入れチャージする者、自分の頬を叩いて気合を入れる者、味のしなくなったガムをくちゃくちゃと噛みながら作業する者などそれぞれが思い思いのコンセントレーションをする中、舌戦を終えた男が残っている報告書を読み進めていたその時気になる内容が目に飛び込んできた。
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