見上げれば月

夕空余情

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言葉と音に喜びを

見上げれば月

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「『一輪のすみれに愛を込めて』はダンスのステップが軽快なバイオレット共和国の喜劇である。今から250年ほど前に男性の小説家アワーグラスによって書かれた。バイオレット共和国のヒロイン∶ジュディスと我が国ブルームのヒーロー:アレックスが数々の困難を乗り越えて結ばれるラブロマンスである。ロミオとジュリエットのハッピーエンドバージョンだと思って貰えればよい…」リタラがカメリアからのメールを読み上げた。「あームズいな…これまでにないパターンだからな…」「リタラ、得意分野って言ってたじゃないか。」スラーが言う。「あぁ、得意分野は得意分野なんだけど、悲劇的な内容を楽観視したような話だからさ、なかなかどう詞を書けばいいかわからないんだよな…」リタラがくるくるの栗毛色の巻き毛をくしゃくしゃとかいた。そう言いつつも今年もあっと言う間に幕を閉じ、新しい年がやって来た。スラーとリタラは必死になって曲作りに励み、なんと一週間で全6曲を完成させた。私は私で、完成した歌から順に歌えるようにしていった。その間、私たちを取り巻く世界情勢もまた変化していたのである。それは私たちの住む隣国とバイオレット王国の隣国とが軍事衝突を起こしたということだ。そのため、今回の王女の訪問はさらに世界の注目を集めることとなりそうだ。なんだかここ最近世間はピリピリした空気感が漂っていた。私も子供とはいえ、国の重要な場面で歌うとなるとプレッシャーで押し潰されそうだった。そしてとうとう本番3日前の朝を向かえた。「おはよう、天歌」朝食へ向かうため、1階へ降りてきたところ、スラーとバッタリ会った。私も挨拶を返そうとした。が、私の喉から出てきたのは蚊の鳴くような掠れた声で、いや声にすらなっていなかったと思う。私はおどおどしながら、声が出ないので、スラーに取りあえず会釈した。スラーはなんか変だなと言うように首をかしげたけれど、特に何も言わなかった。「天歌おはよー」「あら、天歌ちゃんおはよう」台所にいた小父様と小母様にも挨拶されたけど、私はまた同じようにペコッと会釈する他なかった。ジュ~と卵がフライパンで焼ける音と共に、卵の甘い香りがやって来る。その音だけが暫く続いた気まずい空気を和ませようとしていた。「天歌、もしかして怒ってる?」スラーが私の方をちらりと見た。私は誤解を解きたくて、ブンブンと大げさに首を横に振ってみせた。ふと、固定電話の横にメモ帳と鉛筆があるのが、目に入ったため、私は急いで取って来て、「こえがでないの」と走り書きした。「えっ…!大丈夫?いつから?」スラーが驚いて言う。「たったいま…おきたときから」暫くまた沈黙が続いたが、小父様が「今日病院に行っておいで」といってくれたので、そうすることにした。実をいうと、ここではあくまでも居候の身なので、自分から病院に行きたいというのは少し図々しい気がしていたのだ。私は「ありがとうございます」とまたメモ帳に記した。その日の昼下りにグリーンフォレストタウンの西野外れにある病院に行った。「何もないといいけどね」小母様と病院への道を歩いていたとき、小母様が眉をハの字にしてこう言った。「私は心配しないで下さい」という代わりにニコっと笑って見せた。しかし、その顔は引きつっていたようで、ますます小母様を心配させたようだった。結局診察結果は原因不明ということだった。眼鏡をかけた初老の医師は声帯が腫れているわけでも、喉に異常があるわけでもなさそうだと告げた。原因不明と聞き、私は不安をますます募らせてずうんと重たい気持ちで帰ってきた。「天歌ちゃん!おかえりなさい。どうだった?」私が出掛けていた間にリタラが来ていたようだ。リタラの後ろからは顔を曇らせたスラーの姿が覗いていた。「どうしてこえがでないかわからなかった…どうしよう」私は鉛筆を置いて、うずくまった。せっかく大役をもらったのに…2人ともあんなに一生懸命に曲を作ってくれたのに…あんなに練習したのに…なにより本番は3日後なのに…。悔しさから生まれた言葉が頭をもくもくともたげて、私の心を6月の雨雲のようにあっと言う間に覆ってしまった。やるせない気持ちが頂点に達して、今にも泣き出しそうだ。と、その時。唇に何か硬い物が当るのを感じた。そして、それはグイッと私の口の中に押し込まれた。苺飴。人工的な、でもどこか懐かしいあまさが口一杯に広がってゆく。「びっくりした?苺ののど飴だよ!」顔を上げるとリタラがいた。「天歌、落ち込んでたらもったいないよ。少し肩の力を抜きなよ」スラーがメロン飴を口にポンと入れた。「よし、俺も食べよっと!」リタラが色とりどりの飴が入った袋をガサガサ言わせながら飴を選ぶ。リタラはオレンジを選ぶと飴をポイッと宙に投げてパクっとキャッチするつもりが、失敗し、喉に詰まらせてしまった。苦しそうなリタラの背中をスラーがポンポンと叩いて、飴が取れた。「良い子は真似しちゃダメだよ」飴がとれたリタラはピースしながらおどけて言ったのでワッと笑いが起きた。「ふたりともありがとう」と私はメモに書いた。二人の優しさで少しだけ前を向けた気がする。
 それから私は近くのコンビニで買って来たのど飴を片っ端から舐めた。しかし、口の中が甘ったるくなるだけで、やっぱり効果はなかった。次は塩うがい。これは一瞬喉がすっきりした気がしたけど、やっぱり効果がなかった。一つまた一つと思いつく方法が失敗に終わっていくうちに、だんだん焦ってくる。でも私は負けじと、声を出すためならどんな方法も試した。「天歌さん、無理しなくていいのよ。今回のことはこっちでどうにかするから」とうとうそうこうするうちに本番前日を迎えていた。今日は私の声の件でカメリアとブルスか来てくれていた。私を傷つけないように二人は困っている素振りなど見せずにいてくれる。それが一層申し訳ないという気持ちを掻き立てた。「ごめんなさいわたしのせいで」「そんな!天歌のせいなんかじゃないよ」ブルスが私の手を取って言ってくれた。私はブンブンと首を横に振った。「もう本番は明日だから私から出演辞退の連絡をしておくわね」スラーとリタラがゆっくりと頷いた。カメリアとブルスが帰ろうとした時、私はカメリアの腕を掴んだ。メモには「でる!ぜったいにでる」と殴り書いた。「え?」メモを読んだ全員が目を丸くした。「とにかくしゅつえんをとりけさないで!なんとかするから…みんなでつくりあげたものをたやしたくたいの」皆の視線が私に注ぎ込まれた。部屋にはカチカチカチカチと言う時計の音だけが響いている。「わかったわ。天歌さんを信じましょう…せっかくここまで頑張ってきたんだし!!」カメリアが黒くて艶めかしい前髪を掻き分けながら言った。皆も戸惑いの表情を隠しきれていなかったが、首を縦に振った。私はありがとうと言う代わりに、額が床に着くほど深々とお辞儀をした。
 夕方になると皆が帰ってスラーと二人きりになった。「声が出ないのにどうするの?」なんてスラーは聞かなかった。なぜならそれは私も分からないことで、聞いても仕方が無いと思っていたからだろう。ただ諦めきれなかった。出ないと言うのは簡単なことだ。でもそれはなんだか現実から逃げているような気がして、無責任な選択をする自分が許せなかった。きっと明日の公演をキャンセルすれば、ウィンドミルジュニア劇団の評判も、リタラの詩、スラーの音楽の評判も落ちてしまうだろう。中途半端な状態で歌を歌えばもっと迷惑がかかるのは知っている。でも、最後の最後のまで粘りたい。私は音程の確認だけでもと、6曲分の楽譜を膝の上で広げた。頭の中で身体に染み込むほど聴いたメロディーを再生し、音符を目で追ってゆく。大三小節くらいまで、チェックし終えた時、ピアノの踊るような音色が聴こえてきた。ふと顔を上げるとスラーがグランドピアノに座って指を動かしていた。「天歌、最終確認だ!今は心の中で歌ってよ」スラーは私と目があうと手を止めてこう言った。私が軽く頷くと、スラーは足元のペダルをゆっくりと踏んだ。  
 夜、私は2階の借りている部屋にいつもより早めに上がった。夕方まではもしかしたら声が出るかもしれないというファンタジーじみた妄想に一縷の望みを託していたけれど、夜になって明日が来るということがますます現実的に感じられ、呆然としていた。私は部屋にある童話に出てくるみたいなかわいい形の両開きの窓を両手で押して開いてみた。窓の外には悲しくなるくらい美しい冬の夜空が広がっていた。うっすらと雪が残る木々の上の方を沢山の星々やちぎれそなほどほっそりとした月が照らしている。私は空という名のステージで堂々と輝く月や星を見て、声が出なくなった自分にますます劣等感を感じ初めていた。私は壁によりかかり、ヘナヘナと座り込んだ。窓から夜風が吹き込み床は氷のようにキンと冷えて、私の足はかじかんだ。私は部屋の隅を見つめて、ボーッとするうちに微睡んで《まどろんで》しまっていたようだった。
 ふわっと感じる優しい花の香り、それから生き生きとした大地の香り。見渡せばあたり一面ガーベラ畑だ。目線を落とすと足はいつもよりずっと小さい。どうやら幼いころの体のサイズに戻ってしまっているようだ。「天歌!探したのよ~、こんなところにいたのね」声のする方を振り返るとそこには8年前に亡くなったおばあちゃんがいた。「おばあちゃん?!これは夢?」まぶたを開けようとしても全然開かない。夢の中に閉じ込められてしまったのだろうか?おばあちゃんは私のその言葉は無視してこう続けた。「はい、ガーベラの花束よ。返って押花にしましょうね」おばあちゃんがピンクやオレンジ、黄色など美しく花びらを重ね合ったガーベラの束を私に手渡した。「そんなことよりおばあちゃん、私もう行かなきゃ。歌わなくちゃならないの」「声も出ないのにかい?」私は目を丸くした。「どうして知ってるの?!」おばあちゃんはまた私の言葉を無視する。「天歌、焦っても声は出ないと思うけどね…」「そんなことわかってるの…でも私はどうしたらいいの?今までお父さんやお母さんに嫌というほど歌わされて来たけど、それが私の唯一の居場所をつくる方法だった…きっと声が出ない私なんて私なんて、ただの役立たずだよ!!」皆を心配させないと我慢していた涙が一気に溢れ出た。「天歌!」私はびっくりした。穏やかなおばあちゃんが今まで聞いたこともないくらい大きくて張りのある声で叫んだからだ。「泣くのはおよし。貴女には自分を信じる力が足りてない。声が出ないのもそのせいよ。」「え?」「私も60歳くらいまではずっと歌手だったから分かるの。原因は過度のプレッシャーよ。あのね、どんな大きな舞台でも聴く人は等しく人間なの。そう変わりはしない」「でも、おばあちゃん…あんな大舞台、本当は私怖かったの」まぶたをこする私をおばあちゃんは引き寄せ、優しく抱きしめた。私は懐かしく何度も何度も恋しいと思ったおばあちゃんの香りを思いっ切り吸い込んだ。「前にここで言ったこと覚えてるかしら?」おばあちゃんが私の頭を撫でながら呟く。あの日と同じように。「うん。『人生の物悲しさも愛しなさい』でしょう?でも私にはまだ難しいみたい…」「天歌、何も私は全てポジティブに考えなさいだなんて意味で言ったわけじゃないのよ。ただ苦しい今と真正面から向き合った時間が、もっともっと人生を特別なものにしてくれる。そんな意味なの。だから、今の天歌がやっていることが大正解なのよ。悩みもがいた時間ってシャープやフラットみたいじゃない?」「それって音楽記号の?」「そうよ。シャープやフラットは音楽の表現をより豊かにしてくれる。なくてはならないものでしょ?歌を難しくする音ではあるけどね…」私はおばあちゃんを見て頷いた。それから、頑張って笑顔をつくった。もう泣くのはやめようと思った。おばあちゃんのように強い女性になるために。「その顔よ!!天歌は笑ってるほうがかわいい。最後に一つだけ、貴女の価値は歌だけじゃない。生きているだけで私を含め喜びを与えることができるの。人間誰しもそうよ。生きること、存在することに意味なんていらないの…だって意味があるから生まれてきたのよ。」そうおばあちゃんが言い終えた時、私を抱きしめていたおばあちゃんの手の感覚がスーッと消えていくのを感じた。「あれ?おばあちゃん…」「天歌は大丈夫、大丈夫、天歌大好きよ」おばあちゃんはそう言いながらガーベラの花の香りと共に消えていってしまった。「待って!おばあちゃ…ん?」私は夢の中ではなく現実で叫んでいたようだ。気がつくと私はガーベラのペンダントを手に握りしめていた。「天歌…声が出でる!!」見るとスラーがドアのところにいた。「え?あっホントだ。声が出る!!よかった~」「本当に良かった!安心した。じゃあさっそく発声練習だ。急ごう!」部屋の時計はもう当日の8時半を指していた。おばあちゃんありがとう。私はもう一度首元のペンダントを強く握った。
 ホテルに入ると、スタッフたちは全員今晩の準備のために奔走していた。「天歌!声が出るようになったって本当なの?」ブルスが私の手を取って尋ねた。もう本番まで1時間を切っており、衣装に着替えている。私はにっこりと頷く。「ブルス、私も最高の歌を届けられるように頑張るから、ブルスもヒロイン役頑張ってね!!」「ありがとう」ブルスは胸のピンマイクをいじってから、私の顔を覗き込んだ。「ねえ、天歌。貴女もうすぐ本番だって言うのにとても落ち着いているね。」そう言われて私自身も初めて自分があまり緊張していないことに気づいた。「私なんて、緊張しすぎて台詞が頭から吹っ飛びそうなのに…」とても不安そうだった。私は少し考えてからこう言った。「ブルス、おまじないをしましょうよ!!」「えっ、おまじない?」「そう。おまじない」私は両手の人差し指を頬に押し当てて「うまくいきますようにー、にっこり!!」と言った。「ハハハ!何それ?天歌ってそんなところもあったのね!」ブルスが手を叩いて笑った。ブルスのまるでブルースターの水色の花みたいに可憐な笑顔を見ていると私も幸せな気持ちになってきた。「その顔、その顔!!ブルスはお花みたいな笑顔がとっても素敵なんだから!もっと笑ってよ」「ありがとう!天歌のお陰でしっかりやれそう」そう言ってブルスは仲間の元に戻って言った。一人になった私が控え室に戻ろうした時だった。柱の陰からクスクスと笑い声がした。私が柱の方に回ると、人影は反対側にさっと逃げた。私は誰だかなんとなくわかっていたので、反対側に素早く回り込み相手の腕をぐいと掴んだ。「スラー!何がおかしいの?」「ごめん、ごめん。天歌、なんか強くなったね」「え?」「秋祭りの時はガチガチに緊張してたのに…ブルスを励ますようになるなんて…なんかカッコイイじゃん!!」スラーが柱にもたれかかり、腕組みして急に年上ぶって言った。ムカつくというよりその姿はやたらと滑稽に映った。「これはこれはお陰様で、スラーお兄さん!」私は指揮者が演奏の前にするようなしなやかなお辞儀をして見せた。「お兄さんだなんて…言って欲しくないなぁ…」スラーが下を向いてそう呟いたように聞こえた。「え?」「ううん、なんでもないんだ。行こ」私たちはホテルの宝石の表面みたいな艶々でピカピカの床を歩いて行った。
 晩餐会開始の30分前に例の王女が到着した。国際情勢に緊張が走る中での晩餐会なので、数え切れないほどの報道人が真夏の太陽のようにまぶしいフラッシュをたいていた。また別の車からは国王と女王も出てくる。予定では王女1人での訪問だったが、この後会議も開かれるようになったのでこの2人もやって来たのである。「これはこれは、よくぞお越し下さいました」私たちの国の総理大臣と国王がかたく握手をした。総理大臣は口が引き裂けないか心配になるくらい口角を上げて笑っていた。さすが政治のプロである。「クレセントの皆さんですね。今日は最高の演奏にしましょう」振り向くと、このホテルのオーケストラの指揮者だった。黒い蝶ネクタイをしめ、燕尾服をパリッと着こなしている。彼は私たち3人に握手を求めた。王女の様子はと言うと、聞いていた通り派手な物を好まないのが一目で分かるような格好をしていた。というのも、彼女はレースやフリルがたっぷりと付いた、よくあるドレスではなく、真っ白でドレスの裾がにギャザーがかけてあるところ以外は普通のドレスでとてもシンプルだった。そして肩から赤いタスキをかけ、頭には小さな宝石が一つキラリと光るティアラを付けている。王女は様々な人に挨拶をされてもニコリともせずに、「初めまして」とか「お会い出来て光栄です」とか真顔で言っている。そんなやりとりをボーッと見つめているうちに晩餐会の料理が運ばれだした。私は上映5分前のブザーが鳴ったのでハッとしてステージの袖へと急いだ。ブーと2回目のブザーが鳴った。公演開始の合図だ。このストーリーはヒロインのジュディスが逃してしまった白い飼い猫をヒーローのアレックスが拾うというところから始まる。ブルスは普段は大人しく自信なさげな雰囲気だが、いざステージに立つと人が変わったかのように活き活きと、演じている。プロの卵はさすがだなあとやっぱり感心させられた。その他の団員に関しても、日頃彼らがどれくらい芝居に打ち込んでいるかがよく分かる見事な演技をしていた。私自身も第一場面で1曲、第三場面で3曲歌い、公演時間が長いため30分間の休憩時間に入った。私とリタラは舞台裏の椅子に座っており、スラーは小さな音で次の曲の練習をしていた。ドスっと重いものが倒れたような音が聞こえてきた。そして、2、3秒後にまたドスドスと同じような音が続く。何だろうとステージの方に目をやるとなんとセットがめちゃくちゃになっていた。高さ3メートルの木はなぎ倒され、それにより他の箇所もなだれが起きていた。私たち3人はあまりの状況に唖然とした。幸い幕は閉じられていたし、外はがやがやしているので観衆には気づかれていないようだった。「どうしましょう!今ミッドに急いで補修の道具を買いに行かせたけど…公演再開まで間に合わないかも…」カメリアは珍しく取り乱して、顔は青ざめてガクガク震えている。きっとリーダーとしてものすごい責任を感じているのだろう。「あぁ、もっとセットの確認をしっかりしておけば…私、リーダーとしての自覚か足りなかった…」カメリアが頭を抱え込んだ。「カメリアさんのせいじゃないよ」とスラー。「そうだよ。こういうこともあるよ…」リタラも励ます。しかし、今回ばかりはなんとかなるとか、無責任なことは言ってられなかった。相手は政治家に王族だ。しかもこのご時世である。私はなんとかならないものかと頭をフル回転させた。ふとその時、ある詩の一節が思い浮かんだ。「恋は薬だと思う…」思わず呟いていた。「天歌ちゃん、それってもしかして俺の詩の『薬』の一節?」「そう…ねえ、その詩って恋の詩だからこのお芝居にも合うと思うの!この詩を既存の著作権が切れてる曲に合わせて、私歌おうと思う」「え?」皆が私を見る。私は続けた。「スラー、スラーがいつもピアノの練習で弾いてる曲あるよね」フフフフフーン、フーンㇷフーン。私は鼻歌を歌った。「あぁ、あれか!ソラララソシード、シーラファミード…だろ?」「うん、それそれ!詩は暗記してるから、足りないフレーズをリタラに補ってもらって最悪ハミングやLaLaLaとかで歌えばどうにかなると思う。イチかバチかだけど、なんとか時間稼ぎできると思う!!」「本当にごめんなさい。私のせいでご迷惑を…」カメリアが頭を下げる。「カメリアさん、そんなこと止めて下さい。出来るかわからないんですよ!でも頑張りますから。さっ、スラー、リタラ力を貸してね!!」カメリアは少し落ち着きを取り戻し、薄っすらと微笑んだ。再開まであと10分しかない。一度聴いた音を忘れることはないから、どこに言葉を当てはめればいいか5分もあれば十分だったし、二人の天才くんたちのアドバイスもあったので十二分に時間は足りた。私は覚えたての即席新曲を歌うためステージに上がった。観客たちの視線が一斉に注がれる。私はスッと息を吸って、歌い出した。「恋は薬だと思う あなたが笑うだけで私の心の痛みは和らぐし、何より元気になれるから恋は毒だと思う あなたが少し冷たい態度だったり、私じゃない人を好きだったりしたら、私の心は引き裂かれそうに痛むから 時に甘く、時に苦く…不安定だけど、何度も飲んでしまうこの薬。これはきっと世界で一番幸せな薬物依存だったりする?甘い気持ちと苦い気持ち、2つの気持ちが乙女心と言う名の小瓶の中で絡み合う。苦しさでギュッと胸が詰まるこの瞬間も抱き締めて 冬の空を見上げて貴方のことを思う 貴方も見ているはずのこの空を ねえ、明日は雪が降るね」歌い終わった時会場に割れんばかりの拍手が響いた。もしかしたら、今まで歌った曲の中で一番拍手が大きかったかもしれない。一度赤い幕が下がった。私が歌っているうちにセットの補修も無事終わり、ウィンドミルの皆も落ち着きを取り戻したようだった。ステージを下りる時、カメリアとすれ違った。カメリアは私の方を向いて、胸の前で両手を合わせて「ありがとう」のポーズを作った。私はお返しにガッツポーズを作って「頑張って下さい」のポーズを作った。ステージの袖ではスラーとリタラが待っており演技中は声が出せないため、音がたたないように拍手をしてくれた。私はにっこりと微笑んだ。その後はウィンドミルの皆も調子を取り戻して、活き活きとパフォーマンスをしていた。上演終了後、王女と話す機会をもらった。「初めまして、クレセントです。ようこそ王女様!」リタラは笑顔で手を差し出した。王女はゆっくりと頷くだけで何も言わなかった。その代わりに王女は私たち1人1人の手を白い手袋で包み込んだくれた。私はだんだんと不安になってきた。もしかしたら王女は私たちの演技が気に入らなかったのではなかったのだろうか?王女からの大絶賛を期待していたわけではない。でも、一言くらいあったら安心できたのに…。ホテルではこの後会議があるが、私たちは邪魔になってはいけないので早めに帰ることにした。出口に向かってロビーを歩いている時だった。「ちょっとお待ち下さい!」ハアハアと息を切らしたスーツ姿の男性が走って来た。「あの…お、王…女様がこれを……」男性がスラーに白い紙切れのようなものを手渡した。「では、失礼します」男性は一礼して去っていった。「なんだろうこれ?ナプキンみたいだけど…」ナプキンは無造作に四つ折りしてあった。スラーがそれを広げるとそこにはサインペンで書いたようなにじんだ文字でこう書いてあった。「小鳥さんへ 今日は素敵な囀りをありがとう。」私たちは顔を見合わせた。「やったね!天歌ちゃん小鳥だってさ」リタラがはしゃいで言った。「小鳥か…それくらい綺麗な声だったってことだよな」スラーも褒めてくれた。私はちょっと笑って首を横に振る。「小鳥は私だけじゃない。小鳥は自分で歌を作って歌うけと、私はそうじゃない…リタラが歌詞を作ってくれて、それにスラーが曲を付けて…私はそれを歌っただけ!!だから私たち皆で小鳥だよ!!二人ともいつもありがとう」「天歌…」「天歌ちゃん…」二人が同時に私の名前を呼びんだので、二人は顔を見合わせた。そのとたんなんだかおかしくなって皆噴き出してしまった。ロビーの真っ赤なカーペットには黄金の月明かりが差していた。
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