見上げれば月

夕空余情

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君に告ぐ

見上げれば月

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次の日から作詞、作曲が始まった。秋祭りまでもう時間があまりない。リタラが朝早くから、来て皆それぞれの作業に没頭し、夕方になるとバタバタバイトに出掛けて行くという日々が続いている。「天歌ちゃん、ちょっと、このお茶2人に持っていってくれないかしら?あの子たち音楽の世界に入り込んだら出てこないわよね。」そう言って小母様はふふっと柔らかく笑った。私はこの小母様の笑顔か大好きだった。実の母親からは貰えなかった愛情を私は小母様から貰っている。キッチンを離れ、まずはスラーの部屋に向かう。「スラー、お茶ここに置いておくよ。」「うんー」スラーは心ここにあらずといった感じで、ひたすら鍵盤をたたいて、音階の研究をしている。次にリタラがいいる書斎に向かった。実は小父様は音楽に関する本を驚くほどたくさん持っているのである。その小さな書斎の入口は他の部屋に比べて小さい。杉の木で出来た丸っこいドアがなんとも可愛らしい。扉を開けるとリタラの姿は見えなかった。何百冊という本が床の上に積み上げられ、部屋の奥まで見渡せなかった。「リ…リタラお茶持ってきたよ。」すると、本の囲いの中から、リタラがもぐらのようにヒョコッと顔を出した。「あっ天歌ちゃん!ありがとう~」リタラが笑顔でカップとソーサーを受け取る。「それにしてもすごい数の本だね!」「えへへ…あれも見たい、これも見たいって夢中になってたらついつい。俺、整理整頓苦手なんだよね……」リタラは困ったなぁという表情で頭に手をあてる。床にはたくさんの紙もひろげられており、文学に関するメモがびっしりと書き込まれていた。「ねえ、リタラ、リタラはなんで作詞家を目指してるの?」リタラが目を丸くして私の方を見た。変なことを聞いてしまっただろうか。不安になって私はこう続けた。「ほら、私って不本意ながら歌をやってきたって前に話したよね?だから、夢を追うってどんな感じかな~って…」「ははは、そうだな…夢を語るなんて、俺の性に合わない気がするけどな。なんかそれって恥ずいかも」「言いたくないなら、無理に言わなくて大丈夫だよ。」リタラの頬が少しだけ、桃色に染まる。照れることもあるんだな。「そうだな、なんというか、俺にとって文学は『紙ひこうき』みたいなもんなんだよ。」「紙ひこうき?うーん…やっぱり詩人の例えは難しいな…」私は眉をひそめて考えた。リタラがクスリと笑う。それから、窓の外を見てこう言った。「俺、実はさ、小さい頃喘息もちだったんだよね。だから、体が弱くてしょっちゅう熱出してたんだ。それで、外で遊べる日も少なくて友達も出来なかった。俺、ずっと淋しかったんだよね……」リタラの顔に暗い影が差した。いつも明るいリタラがこんな顔をするのは初めて見る。悲しくなる。「でも、俺にはいつも本があった。ベッドの上にいても、熱が出て体が思うように動かない日でも、俺は本の中で冒険したり、色々な国に行ったりして、わくわくする時間を過ごした。本を読むことで、元気になれたし、夢を見ることができた。」「それと紙ひこうきはどんな関係があるの?」「つまり、文学は俺に広い世界を見せてくれたってこと。まるで紙ひこうきに乗ってるみたいにね。それに、読者に伝えたい思いも乗せていってくれるから。」私は感心してうなずいた。「あ、そうそう。淋しかった俺を励ましてくれたのは文学だけじゃないよ。」「え?他にもあるの?」「うん。それはスラーだよ。俺は13歳から『グリーンフォレストタウン音楽学園、作詞文学科』にいたんだけど、入学してから2年間誰も友達ができなかったんだ。」とても驚いた。あんなに明るく陽気な雰囲気のリタラだったら、当然友達も多いものだと思っていた。「でも、作詞科と作曲科の合同授業の時にスラーが声をかけてくれたんだ。その時の嬉しさときたら忘れられないよな。」リタラが思い出すように天井を仰ぐ。その横顔は口元が緩んでいた。「知らなかった…」「それにしてもスラーあいついいやつだよな。なんかこう、言ってもないのに心を詠まれてるっていうかさ、とにかく繊細で優しいんだよな。」リタラが顔一杯に笑顔を浮かべて話す。二人はお互いを大好きなんだなって心の底から思った。「じゃあ私も練習があるから行くね。お互い頑張ろうね!」「うん。いい詞を創るから楽しみに待ってて!!」私たちはうなずいてキッチンに戻った。「あの、小父様、小母様お願いがあるんですけど…」テーブルに座って午後のお茶を楽しんでいた二人が私の方を見た。「なんだい?天歌ちゃん。」小父様がふんわりと優しい笑顔で聞いてくれた。「実は今スラーもリタラも創作で忙しくて、歌の練習に付き合ってくれる人がいないんです。だから、小父様と小母様にぜひ聴いていただきたいんですけど…」「私たちは音楽のことはそんなにわからないんだけど、それでもいいならねぇ…あなた。」「そうだな、天歌ちゃんがいいなら」「本当ですか?ありがとうございます。」二人は笑顔でうなずいてくれた。私はこの優しい人たちが本当に好きだ。私たち3人は借りている部屋がある二階に向かった。「なんだか、とてもわくわくするなあ。本当にタダで聴かせてもらっていいのだろうか?」「そうよね。こんな天才歌手の歌なんて本当はすごく高いはずよね~」小父様と小母様が嬉しそうに言う。「ふふふ、そんなことないですよ!そんなふうに言われるとプレッシャーだなー」私は少し照れくさい気持ちになった。私は2人のお客様にお辞儀をしてから、スッと息を吸い込んだ。前半は悲劇のヒロインの哀しみや淋しさを伝えるため、静かに歌い、後半は強さと優しさを伝えるため、活き活きと歌うように心がけた。一音一音魂を吹き込んでゆくような気持ちで…。ただ歌うだけでは駄目だと思う。お客さんは音以上の物を求めている。音楽を通して、お客さんの心の中に夢、希望などを描き出し、ここでしか味わうことか出来ない空間を創りだしていく。これが歌手の宿命だと私は思う。歌うことで、歌詞の情景と会話し、メロディーとどこかで、通じ合っているような気がした。こんな気持ちになったのはここに来てからの日々が私を癒やしてくれたからだと思う。歌い終わった時、涼しい秋風が私の横をスウーと通り過ぎていった。「天歌ちゃん素晴らしかったわ!!」小母様が拍手してくれた。しかし、小父様は腕組みをして考え込んでいる。胸がドキリとした。何かいけなかっただろうか…。いつも人に評価されて生きて来た人間だから、こういう態度をとられると身構えてしまうし、すごく怖い。「お…小父様?どうなさいましたか?」私はビクビクしながら尋ねた。「いや~、素晴らしかった。素晴らしかったんだけどね…なんだかこの歌共感できないっていうか…腑に落ちないんだなぁ……」「え?」内心ショックだった。別に自分の歌声に自信があったのではない。だけど、スラーやリタラが忙しく歌の練習に付きあってくれない時も試行錯誤しながら、気持ちを込める方法を考えてきた。「あなた!何を言ってるんです?天歌ちゃんはプロ並みの歌唱力があるんですよ…」どうやら感情が表に出ていたらしく、小母様が気を遣って言ってくれた。なんだか一層惨めだ。すると、小父様が慌てたように付け加えた。「いやいや何もそんなことは言ってないんだ。私も音楽のことは良く分からないのに、余計な口出しをしてすまなかった。でも、聞いてくれ。あのなぁ、お嬢さん…その…歌い方に恨みのような皮肉のような、つまり汚い感情が足りないのだな…」「汚い感情?」気になって聞き返す。「そうだなぁ、この歌のモデルになっているエレンのことについてはスラーたちと勉強しに行ったから、知ってるだろう?」「はい。」「男の私が言うのもなんだが、いくらエレン様の心が綺麗でも、女の人というのは自分を裏切った恋人を憎む気持ちがみじんもないということはないと思うんだよ。だから、もっと皮肉的な部分を前半で歌って、その上でエレン様の優しさを際立たせたほうが人間としては納得いくし、万人の心により届きやすくなると思うよ。」私は関心しきって、首を縦に振った。今まで美しいものを歌うことにしか目を向けてこなかったけど、やっぱり人生の先輩の意見は違うなと思ったし、まだまだ私も歌手として至らないところがあるなと感じた。「貴重なアドバイスありがとうございます、小父様!やってみます。」私はそう言って小父様に笑って見せた。「あなた、何を言い出したかと思って驚いたけど、そうだったのね!たしかに女にはそういうところがあるものね。私ももし、あなたが私を裏切るようなことがあったら…いや放っておくかもしれないわ…!!」「おいおい、母さんずいぶんと冷たいんだな…やめとくれよ!」小母様の冗談でどっと笑いが起きた。その日の夜はまた満月だった。11月の月は「ビーバームーン」と呼ぶとリタラがこの間教えてくれた。ベッドにひざまずいて、側の窓から外を眺めた。私はそのまま眠りについたようだった。次の日は歌への感情の込め方を徹底的に見直した。楽譜に線を引いて、主旋律と和音がどのように効果をもたらしているかを研究した。夢中になるあまり気づくと5時間半は過ぎていた。これまで、歌は感覚で歌ってきたので、音の仕組みがわかると改めてこの曲が創り込まれているものだと実感した。「天歌ー、大丈夫?お昼ごはんも食べてないけど…」見ると、パンと紅茶をお盆に乗せて手に持ったスラーが机にかじりついている私を見るなり、苦笑した。「うん!ありがとう。やっぱりスラーは天才だなって思うよ。」「なんだよ急に…?」スラーが少し下を向く。頬はほのかに赤く染まっていた。「私、ずっと歌を歌ってきたけど、スラーの曲が一番だと思う。嘘じゃないってば!本当だよ。一音一音が歌詞を聴いている人に伝える手助けをしているっていうか…うまく伝えられないけど、私スラーのミューズでよかった。」一瞬部屋の中が静まりかえった。褒めているつもりだったが、かえって傷つけただろうか…「スラ…」私が言いかけた時スラーがそれを遮った。スラーが私の方に近づいてくる。「天歌…ありがとう。実は僕、ずっと前から君のこと……」ピーンポーンその時玄関のベルがなった。今は小父様と小母様が買い物に出ているので、スラーが出るしかなかった。スラーはクルリと私に背を向け、小走りで部屋を出ていった。私はとても心臓をバクバクとうるさくならす自分自身が憎くてならなかった。自分が酷く自惚れていることはわかる。でも……続きを想像してしまう自分がいた。あのねスラー、私ちょっぴり、ほんの少しだけ期待してもいいかな?ずっと一人ぼっちだった私を貴方は報ってくれますか。そう思うだけで、これ以上ないくらいに頭がクラクラして、でも幸せで胸がギュッと締付けられ、そして切なくなる。その時だった。「てーんーかーちゃん!お客さんだよ!!下に降りておいで。」書斎に引き込もっていたリタラが私を呼びに来た。私はなんとか平常心を取り繕い、リタラと一緒に階段を駆け下りた。キッチンに行くとスラーとテーブルにいた女の子が立ち上がり頭を下げた。「こんにちは。突然お邪魔しています。覚えていますか?」そう言って少女は微笑んだ。「もしかして…?劇団にいた?」「そう!覚えていてくれたのね!!嬉しい~!!私はブルースター・アクア・マリン。よろしくね!」「よろしく!僕はリタラチュア・ブック・ポエム!!リタラって呼んでね!!それでどのようなご用件でしょうか?」リタラがいつになく丁寧なしゃべり方をしているので私とスラーはクスクスと笑ってしまった。「なんだよ!二人とも…お客様には丁寧に対応しなきゃだめだろ?」リタラが満更でもない顔をした。「は、は、はリタラ、お前それでも文学少年かよ…!」「ふふふ、皆さんとっても仲が良いのね。私はリーダーのカメリアに頼まれて差し入れを持ってきたの。」そう言って彼女はバスケットに掛けてあるクロスを取った。すると中から5つのカップケーキが出てきた。クリームの上には椿の花の形のマジパンが乗っている。「うわ~!美味しそう。貴女が作ったの?」私が尋ねた。「いいえ、カメリアよ。カメリアって椿って意味なの!」「へぇ~、すごいな!」皆関心した。「じゃあ僕とリタラは創作に戻るから、天歌、お客様とお話しておいてね‼」「了解!行きましょう。」私は2階に案内した。私はお客様に椅子を勧めながら行った。「私は響天歌。音が響くの響に天の歌って書くの。天歌って呼んでね!」「素敵なお名前ね。私のことはブルースターを短くしてブルスって呼んでね!」私たちは顔を見合わせて笑った。私は家で教育を受けてきたから、同じ年頃の友達がいたことがなかった。だから、もし、ブルスと本当の友達になれたらすごく嬉しい。でもあまり期待しすぎないようにしよう…私の人生はいつもがっかりすることばっかりだったから…。「ねえ、天歌何か歌ってくれない?私貴女のうわさを聞いて、貴女の歌声が聴きたくてたまらなかったのよ!!もちろん無理にとは言わないけど…」「もちろんよ、ブルス。喜んで!!」私は一番得意な曲を歌った。曲名は『夢は見るより描いていたい』。「天歌!貴女の歌声って本当に魅力に満ちてるわね。」「ふふふありがとう。」ブルスの笑顔には一点の曇りもない。美しい容姿と気品、優しさは天使そのものだ。「今度は私の番ね。私ミュージカル女優の癖に歌はあまり得意じゃないの…おかしいでしょ?でも、私ダンスには自身があるの!!」そう言ってブルスはポケットからスマホを取り出し、ポップな感じの音楽をかけ踊りだした。キレキレでかっこいい!!ちょうどブルスが決めポーズをした時、ドアが開いてリタラとスラーが駆け込んできた。「できた、できた、できた~!!」リタラとスラーがぴょんぴょん飛び跳ねる。「天歌、ブルスさんミュージカルの曲ができたんだ!!明日劇団の皆に見せに行くよ!!」「本当に?ついに完成したのね!2人ともお疲れ様…てあっ!見てもう5時50分よ!!!!!!また遅刻する~!」私たちは唖然とするブルスに簡単に事情を説明して家を飛び出した。次の日の朝から劇団の練習場に出掛けた。本番まであと1週間なので練習場一体に緊張感が走っていた。「こんにちは。お約束の曲が完成しました。」「あら、皆さんこんにちは。それは本当なの?」カメリアはリタラから楽譜を受け取り目を通した。私たち3人にとってドキドキする瞬間だった。数十秒後カメリアが顔を上げた。「素晴らしいわ!まさに私たちが求めていたのはこれなのよ!!皆~!見て見て!!」他の団員も駆け寄り楽譜を覗き込んだ。皆口々に賞賛の言葉をくれた。「スラー、リタラやったね!」私は嬉しい気持ちで一杯だった。「あとは君次第だね。天歌ちゃん。」リタラが素早くウインクをした。私にはあまり自信はなかったが、早く歌ってみたいと思った。本番まであと1週間。残された時間が少ないからこそ、有意義な練習ができるようにと私は願った。朝日が胸元のガーベラのペンダントを照らし希望の光を放っていた。そしていよいよ本番前日を迎えた。「そうねー、この青いドレスなんかどうかしら?」カメリアが人差し指を顔の側面に当ててう~んというように考えこんでいる。約束通り明日のステージで着る衣装を貸してもらうので、劇団の衣装部屋に来ている。「カメリア、かわいいけど、それは少し派手かもしれないわ。だって…エレンにしては飾り気がありすぎというか……いえいえ貴女のセンスが悪いなんて一言も言ってないのよ…」ブルスの言う通りかもしれない。そのドレスはツヤツヤとしたサテンの生地でできており、大きな白いリボンとフリルがたっぷりついている「じゃあこれなんかどうかな、お姉様方。シンプルだけど、美しいわ。」最年少のローズが一枚のドレスを手に取った。それは無地の白いドレスで、生地はそれほど上等ではなかったが、スカート部分が花の花びらのように広がっており、シルエットが美しい。肩の所は丸く膨らんでいて、首元は丸襟、縁には控えめなレースが付いている。「まあ、素敵!」私は思わず息をのんだ。「気に入ってもらえてよかった。」ローズはそう言って微笑んだ。「どうかな?あ…!」私は試着させてもらいスラーとリタラに見てもらおうとしたのだが、2人もステージようの衣装を試着していた。2人ともスタイルが良かったので、スーツがよく似あっている。なんだかいつもより大人に見えて緊張してしまった。「わお!かわいいね~天歌ちゃん!!やっぱり女神だね。なあスラー!おい聞いてるのか?」スラーは怖いほど私を真っ直ぐに見つめていた。そんなにまじまじと見られると恥ずかしくて、顔から湯気が出てきそうだ。リタラが横から色々言っているけど、スラーには全く聞こえていないようだった。「ス…スラー?大丈夫?」私はスラーの放心状態を解くために声をかけた。「あ!ごめんごめん。ととととても似合ってるよ…」「なんだよ。スラーお前ちょっとおかしいぞ。」リタラが場の気まずさを取り繕おうと懸命だったが、その後なんとも言えない空気感が暫く漂っていた。当時の朝私はいつもより少し早く目を覚ました。ドレスを着て、髪の毛を梳かす。私の母は実はフランスの人だから、私はどちらかというと西洋風の顔立ちをしている。髪色は焦げ茶色で、背中の半分の少し下くらいまでカールした髪の毛束が垂れていた。だから、ヨーロッパ風の顔つきの人が多いこの場所ではあまり私は目立つことはなかった。ひとしきり身支度が終わった時、コンコンとノックの音が聞こえた。「はーい」「天歌…おはよう。」スラーだった。「おはよう。どうしたの?」「ちょっと天歌に渡したい物があって…これ」スラーが差出したのはピンクとオレンジ、それから黄色のガーベラの花冠だった。「とってもかわいい!ありがとう!!」「喜んでもらえてよかった~。よかったら、今日のステージでつけて出てほしいんだ…」「うん。そうする!3人で頑張ろうね!!」私は笑顔で答えた。すると、スラーは少し目線をそらしながらこう言った。「僕のミューズ、いや僕の女神様……頑張ってね」そう告げるなりスラーは部屋を飛び出して行った。午前10時会場に到着した私たちはあまりの人の多さに驚いていた。ステージ裏で最終調整をしていると観客たちの話声が聞こえてきた。「次は何?」「ええっと、『悲劇の女神エレンに告ぐ歌』みたい。」「ああ、またあの歌?」「飽きるよなー、毎年毎年駆け出しの微妙な若いバンドみたいな人たちが歌うよねー」「うん。本当に飽きる…」この歌はそんなふうに思われているのか。私の中に何か込み上げてくる感情があった。歌手としてのプライドの炎が心の中でメラメラと燃えてきた。人前で歌うこと、評価されること、私はもう恐れはしない。ただこの歌の美しさに気づいてほしいと思った。「天歌…大丈夫?何か険しい顔してるけど…」スーツを着てネクタイをしめたスラーが私の顔を覗き込んで、クスリと笑った。「うん!私お客さんたちに今までに聴いたこともないくらい素敵な音を届けてくるね!!」私はスラーの手を握って言った。スラーは静かに頷いた。私たち3人はスタッフさんに呼ばれてステージに上がった。直前に私は胸元のガーベラのペンダントを強く握りしめた。(おばあちゃん、行ってきます!)この胸を打つ激しいリズムさえもが心地よく感じられた。ステージに登ると、目がくらむほどの観客がいることがわかった。しかし、皆あまり私たちには期待していない様子である。「皆さんこんにちは。私たちは作詞、作曲を自身で行っている3人組ユニット『クレセント』です。地球の英語で三日月の意味があります。今日は伝説の神話エレンの歌を歌います。それではお聴きください。作詞 リタラチュア・ブック・ポエム、作曲 スラー・トリル・スタッカート、歌 響天歌。」リタラの挨拶が終わると、スラーが伴奏に入った。優しい音色に誘われるように私は歌い始めた。思い出す。ここに来てからのたくさんの奇跡をもう私は1人じゃない。どんなに今が苦しくて、今日を生きる勇気、明日を生きる力がなくても、きっと笑える未来があるから…だから…生きて!歌の中でエレンと繋がることができた気がした。最後のひとフレーズ。まぶたをギュッと閉じてビブラートをかけた。歌い終わって目を開いた時、一瞬辺りは静まりかえった。次の瞬間割れんばかりの拍手が私たちに贈られた。「クレセント最高~!!」誰かが叫んだ。「皆さん今日はありがとうございました。」私は出来るだけ深くお辞儀した。私は夢見心地でステージを降りた。「天歌!すごくよかったよ~!!上手く言葉にできないけど…というより、言葉にするのがもったいない感情っていうか…。」「ありがとうスラー、落ちついて歌えたのはスラーのピアノの音色が優しかったからだよ!!ありがとう…て、えぇ?!」「2人とも俺は感動したー!」リタラは涙で顔をぐちゃぐちゃにしており、丸眼鏡は曇っていた。「そんなに泣くなよ、リタラ。ほらハンカチ!成功したのもリタラの詞のおかげだよ…おい僕のハンカチで鼻を噛むなったら…!」この2人の掛け合いにはいつも笑顔にしてもらえる。ずっとこのまま3人で音楽を続けられたらいいのに…。そう強く思った。その後は劇団のステージに出演し、劇の方も大成功を収めた。家に帰る頃には既に日が沈み、辺りは真っ暗に近かった。「あ!雪…」私は空から降ってくるふわふわした粉雪を指差した。「本当だね。ここは寒いから11月末にはもう雪が降るんだ。」スラーが空を見上げて呟く。「綺麗…」「そうだ!スラー、天歌ちゃん、3人で写真を撮ろうよ。」「でも、リタラ真っ暗だよ…」「大丈夫、大丈夫!そこに月明かりがあるだろ?そこで撮ればいいじゃん。」私とスラーは無理だよねとでも言うように肩をすくめたが、リタラが撮る気満々なので、仕方なく月明かりにの下に行った。「じゃあ行くよ3.2.1はい、チーズ!!」リタラが木に立てかけたスマホの画面を見るなり笑いだした。私たちも見てみる。写っていたのは幽霊のような集団だった。「何これひどすぎる…ハハハㇵ」私は笑いすぎてお腹がよじれた。「やっぱりこんなに真っ暗だったら無理…ハハあーお腹痛い!」とても変な写真だが、思い出にはなったと思う。静かな秋の終わりの今夜に私たちの笑い声が暫く響いていた。拝啓 大好きなおばあちゃん
 私…これからも頑張るね!人生の物悲しささえも愛する人になるために。
 夜の秋風が私の想いをおばあちゃんに届けてくれますように。私は家へ続く道を力強く踏み出した。
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