16 / 29
【16】公爵夫人リコリス、がんばる。
しおりを挟む
「知らなかったわ……わたし、2年間も妖精だらけのお屋敷で暮らしていたのね……」
わたしは自分の寝室で、ぐったりしながらそう呟いた。
わたしのおでこに濡れたハンカチを当ててお世話をしてくれていた侍女のアビーが、豪快に笑い飛ばしてきた。
「知らなかったんですか、奥様!! そりゃまぁ、あたしらも普段は、人間に変装してますからねぇ。見事なもんでしょ? どうみても麗しの侍女にしか見えませんでしょ? わはははは」
「……麗しいかはよくわかんないけど、人間にしか見えなかったよ、アビー」
だって、普通の小太りなおばちゃんにしか見えないもん。
「アビーって、屋敷妖精っていう妖精なんでしょ? 変装してるってことは、本当の姿はどんな感じなの?」
と、何気なく聞いてしまってから微妙に後悔した。さっきのデュオラさんみたいに、アビーが得意げな顔でほくそえんでいたからだ。
「おや。あたしの正体をご覧になりたいんですか、リコリス奥様?」
「え。なにその前振り……、また怖いパターンだったら遠慮しとくけど」
「そんなこと言わないでくださいよ! あたしなんか平凡な屋敷妖精ですから、ダイジョブですってば」
もしかしたら妖精たちは、本当は自分の正体を見せたくてたまらないのかもしれない。
「じゃあ……首引っこ抜けるみたいなビックリ展開じゃないなら、見せてもらおうかな」
「喜んで!」
妖精節の式典のときには、『使用人たちは全員、妖精本来の姿でお出迎えする』って話だし。今のうちから、誰がどんな妖精なのか把握しておきたいというのも本音だ。
「では、失礼して。……あたしは、こんな姿です」
ぼふん。と煙が吹き上がり、小太りだったアビーの体のシルエットが縮む。わたしと同じくらいの背格好になった。
「ふぅん……意外と若いんだね、アビー」
目の前の煙が徐々に晴れてきた。屋敷妖精に戻ったアビーは、見た目16歳くらいの、小柄な少女のようだった。黒髪黒瞳で地味目、まぁまぁかわいい顔立ちをしていて……
「あれ……アビーって、わたしと結構似てる? ――って、いうか、」
似てるどころか、彼女はわたしとまったく同じ顔・体つきになっていた。
「え!? なんでわたしの恰好なの? まだ変身してるってこと?」
「いぃえ、奥様。この姿が、あたしの現時点での本物の姿なんですよ」
どういうこと?
「あたしら屋敷妖精っていうのは、自分固有の姿っていうのがないんですよ」
わたしの顔と瓜二つになったアビーは、ドヤっとした顔で説明しだした。
「屋敷妖精の外見は、屋敷の女主人と同じになります。つまり、リコリス奥様が嫁がれた2年ちょっと前から、あたしの姿はリコリス奥様の複製なんです」
「そうなんだ……ごめんね、こんな地味な外見で」
なに言ってるんですか! と、アビーは頭をぶんぶん振って否定してきた。
「あたし、リコリス奥様の姿すっごく気にいってますから! 見てくださいよ、この黒髪。こんな見事な黒髪が手に入るなんて、最高です」
「黒髪って、自慢なの?」
人間にとって黒髪は、地味で不人気なのだけど。
そういえば、このお屋敷の人たちはよくわたしの黒髪をほめてくれる。
……もしかして、妖精には黒が人気なのかな?
「そりゃあ、黒は人気色ですよ! 今は亡き妖精女王ティターニア様が、それはそれは美しい黒髪だったと言われてるんです」
「へぇ」
うーん、カルチャーショック。
妖精のお話をいろいろ聞くのも、楽しそうだ。
「妖精祭が、ちょっと楽しみになって来たわ」
「えぇ、えぇ、楽しんじゃってくださいよ、奥様。奥様は初日の夜宴のときだけ大変かもしれませんけど、あとはほとんど、招待客と同じです」
「初日の夜宴??」
なんだそりゃ。
「うちの屋敷の庭園に夜宴会場を作って、お客様方をお迎えするんです。奥様はガスターク公爵家の夫人として、お出迎えしてくださいな。ちなみに妖精祭のならわしとして、お客様には王太子や大臣、他の四聖爵などなどのエライ人たちも沢山来ることになってますんで。……ちょっとかったるいかもしれませんけど、奥様がんばって!!」
「なっ!? なんですって!?」
わたしはベッドから跳ね起きて、部屋を飛び出した。
そのまま、ミュラン様の執務室へと一直線。
(ミュラン様ったら……! 聞いてないわよ夜宴の女主人役なんて! わたしにいきなり、そんな大役ができるわけないじゃないの。……マナーだって、全然できてないんだから。せめて一年くらい前から準備しなきゃ、間に合うわけないじゃない!)
ノックも忘れて、わたしは執務室に飛び込んだ。
「ミュラン様! わたし、夜宴の話なんて全然聞いてな――――」
愕然。
見知らぬ美女がミュラン様のおでこにキスしている場面を……目撃してしまった。
「リコリス、目覚めたのか。血相を変えて、一体どうし――」
「この浮気者っ!!」
腕が勝手にミュラン様に掴みかかっていた!
「なにが『他の女性を迎えるくらいなら死ぬ』よ! ミュラン様のバカ! 浮気者!」
「おい、落ち着け、君はいったい……」
「金髪巨乳では飽き足らず!? 今度は銀髪のスレンダーなご婦人ですか!? あなた、いい加減に……」
「落ち着いてくださいませ、奥様。わたくしはロドラでございます」
銀髪の見目麗しいご婦人が、やわらかく微笑みながら私に声をかけてきた。
はい??
「……ロドラ?」
侍女長のロドラ? 70歳近いおばあちゃんの、ロドラ??
「えぇ、奥様。聖水妖精にして、ガスターク公爵家の守護妖精を任されております、ロドラです」
銀髪美女が優雅に一礼すると、周囲に霧が立ち込めた。一瞬にして、美女が老婆の姿かたちに変貌する。……いつもの侍女長ロドラだった。
「妖精のキスは祝福でございます。このように、月に一度は旦那様を祝福して魔力の安定化をしております。守護妖精としての役目の一つでございますから」
ぽかーんとしながら、わたしはロドラとミュラン様を交互に見つめていた。
「……そうなの?」
ミュラン様とロドラが、うなずいている。
「……なんでいつも情報が後出しなんですか、ミュラン様」
「屋敷の者たちが説明しているかと思っていた。すまない」
本当にやめてくださいよ……今日は、心臓に悪い出来事だらけで疲れ切ってしまった。
「ところで、どうしたんだ君は。血相を変えて」
「あっ。そうでした……わたし、夜宴の女主人役やるなんて、聞いてませんでしたけど」
「女主人?」
「ミュラン様は、わたしが夜会とかすごく苦手なの、知ってるでしょ? ……どうして直前まで、そういう重大任務を教えてくれないんですか?」
「……君がやってくれるつもりだったのか?」
「え?」
「リコリスが夜会を嫌っているのは知っていたから、当日は休んでもらうつもりだった。体調がすぐれないとでも言っておけば、済む話だ。妖精たちに代理を任せる」
「また、そういうことを勝手に決めて……」
わたしは唇を尖らせて、ミュラン様に文句を言った。
「わたしはもう、あなたの妻です。……今後もずっと、妻で居続けるつもりなんです。だったらもう、逃げてばかりはいられないでしょ? 本気で、マナーも勉強しますから。今度から、事前にちゃんと教えてくださいね」
リコリス……とつぶやいて、ミュラン様は驚いたように言葉を失っていた。
わたしはロドラに向き直り、ぺこりと頭を下げた。
「あの……ロドラ。わたしにマナーとか、妖精祭のこととか、全部教えてほしいの。あと1か月じゃ、どこまでやれるか分からないけど。……ミュラン様の妻として恥ずかしくないくらいに、教育してください」
「奥様、なんとご立派な!! ロドラは嬉しゅうございます!」
ロドラは感極まった様子で声を震わせていた。
「お任せくださいませ、リコリス奥様。このロドラめは、妖精女王陛下ご幼少のみぎりには、教育係の任を預かっておりました! かならずや、リコリス奥様を『貴婦人の鑑』へと育て上げてごらんに入れます。――よろしいでしょうか、旦那様?」
「あぁ……お手柔らかに頼む」
ふだん穏やかで物静かなロドラの瞳に、やる気の炎が燃え上がってた……
* * * * *
そして。
水妖精ロドラのスパルタ教育の甲斐もありまして。
元・貧乏令嬢リコリスは…………
りっぱな公爵夫人に進化いたしました!!
「お見事でございます、奥様! もはや押しも押されもせぬ、立派な公爵夫人でございます」
「有り難う、ロドラ。全ては、貴女のお陰よ」
妖精節の前日、深夜。
ようやくロドラの満足いく仕上がりまで到達したわたしは、みんなの前で貴族淑女の礼をとって見せた。
「あぁ……なんとお美しい!」
居並ぶ侍女たちが、感動の涙を目に浮かべている。
明日の夜宴で着る予定の深紅のドレスを身にまとい、わたしは恭しくミュラン様に礼をしてみせた。
壁際で突っ立っていたミュラン様が、引き気味な態度でわたしを眺めて呆気に取られている。
「如何でしょうか、ミュラン様。貴方の妻として、相応しい振舞いを身に着けたつもりです」
「あぁ。見事だよ。…………少し痩せたな、リコリス」
ふふふ。どーですか? ミュラン様。
わたしだって、やれば出来る子なんですからね! 貧乏出身は、根性が違うんですから!!
「嗚呼、嬉しいですわ、ミュラン様。妖精祭に間に合って、本当に良かった……!」
「そうだね。……違和感しかしないから、そのしゃべり方は明日だけで良いよ。ひとまず、今は普通にするといい」
「そうですか? あー、良かった……疲れますねマナーって。お腹減っちゃったので、お夜食いただいてもいいですか?」
肩の力をだら~っと抜いて、へらへらわたしが笑っていると、ミュラン様は苦笑しながらわたしの頭を撫でていた。
「頼もしいよ、リコリス。妖精節もがんばろう」
* * * * *
そしてとうとう訪れた、妖精祭。
妖精節というのは四聖爵の家を守る妖精たちが妖精王の代理となって、国賓の前に姿を現し、妖精と人間の末永い友好を誓うための儀式だ。
1週間の期間内は、儀式のほとんどを妖精たちが執り行う。でも、初日の夜宴だけは、四聖爵の当主と夫人が取り仕切るのが伝統なのだという。
……というわけで、わたしの出番。
今ではすっかり日が落ちて、夜宴の準備はすべて整っている。わたしは、隣のミュラン様に微笑みかけた。
「準備万端ですわ、ミュラン様」
侍女たちが腕によりをかけて、わたしの黒髪をしとやかにまとめ上げてくれた。黒髪に映えるという深紅のドレスも、きちんと着こなしているつもりだ。
以前は「ちっぽけで貧相」と笑われたわたしだけれど。今日はきちんとマナーも心得ているから、怖くない。
ミュラン様は優しい顔でわたしを見ていたけれど、やがて、わずかに表情を曇らせた。
「ありがとう、君はよく頑張ってくれている。……だが、貴族というのは底意地が悪い生き物だ。彼らからの称賛を期待しない方がいい」
「? それって、どういう意味です?」
「心無い言葉を投げて、君を不快にさせたがる人間は必ずいる。そういう連中の話は真正面から受け止めず、聞き流して堂々としているんだ。泣いたり、媚び笑いをしたりしてはいけない、……傷ついてはいけない。三日月のように静かに笑って、その場限りの礼を尽くしておけばいい」
あぁ。ミュラン様は本当にわたしを心配してくれているんだ。
そう思ったら、とても嬉しかった。
わたしはそっと彼に寄り添い、小さくつぶやいた。
「他の人の称賛なんていりません。ミュラン様が喜んでくれたら、ほかは全部、どうでもいいです。……わたしが頑張ったら、あなたは褒めてくれるでしょ?」
「もちろんだ。あとで二人きりになったら、たっぷり褒めさせてくれ」
「……その言い方は、恥ずかしいです」
あなたがいるから、大丈夫。
わたしはそっとミュラン様から離れて、夜宴会場にいらっしゃるお客様をお迎えに行った。
……夜宴であんなことが起こるなんて、その時はまだ、わたしたちの誰もが予想していなかった。
ミュラン様とわたしに、再び離婚の危機が訪れるなんて……
わたしは自分の寝室で、ぐったりしながらそう呟いた。
わたしのおでこに濡れたハンカチを当ててお世話をしてくれていた侍女のアビーが、豪快に笑い飛ばしてきた。
「知らなかったんですか、奥様!! そりゃまぁ、あたしらも普段は、人間に変装してますからねぇ。見事なもんでしょ? どうみても麗しの侍女にしか見えませんでしょ? わはははは」
「……麗しいかはよくわかんないけど、人間にしか見えなかったよ、アビー」
だって、普通の小太りなおばちゃんにしか見えないもん。
「アビーって、屋敷妖精っていう妖精なんでしょ? 変装してるってことは、本当の姿はどんな感じなの?」
と、何気なく聞いてしまってから微妙に後悔した。さっきのデュオラさんみたいに、アビーが得意げな顔でほくそえんでいたからだ。
「おや。あたしの正体をご覧になりたいんですか、リコリス奥様?」
「え。なにその前振り……、また怖いパターンだったら遠慮しとくけど」
「そんなこと言わないでくださいよ! あたしなんか平凡な屋敷妖精ですから、ダイジョブですってば」
もしかしたら妖精たちは、本当は自分の正体を見せたくてたまらないのかもしれない。
「じゃあ……首引っこ抜けるみたいなビックリ展開じゃないなら、見せてもらおうかな」
「喜んで!」
妖精節の式典のときには、『使用人たちは全員、妖精本来の姿でお出迎えする』って話だし。今のうちから、誰がどんな妖精なのか把握しておきたいというのも本音だ。
「では、失礼して。……あたしは、こんな姿です」
ぼふん。と煙が吹き上がり、小太りだったアビーの体のシルエットが縮む。わたしと同じくらいの背格好になった。
「ふぅん……意外と若いんだね、アビー」
目の前の煙が徐々に晴れてきた。屋敷妖精に戻ったアビーは、見た目16歳くらいの、小柄な少女のようだった。黒髪黒瞳で地味目、まぁまぁかわいい顔立ちをしていて……
「あれ……アビーって、わたしと結構似てる? ――って、いうか、」
似てるどころか、彼女はわたしとまったく同じ顔・体つきになっていた。
「え!? なんでわたしの恰好なの? まだ変身してるってこと?」
「いぃえ、奥様。この姿が、あたしの現時点での本物の姿なんですよ」
どういうこと?
「あたしら屋敷妖精っていうのは、自分固有の姿っていうのがないんですよ」
わたしの顔と瓜二つになったアビーは、ドヤっとした顔で説明しだした。
「屋敷妖精の外見は、屋敷の女主人と同じになります。つまり、リコリス奥様が嫁がれた2年ちょっと前から、あたしの姿はリコリス奥様の複製なんです」
「そうなんだ……ごめんね、こんな地味な外見で」
なに言ってるんですか! と、アビーは頭をぶんぶん振って否定してきた。
「あたし、リコリス奥様の姿すっごく気にいってますから! 見てくださいよ、この黒髪。こんな見事な黒髪が手に入るなんて、最高です」
「黒髪って、自慢なの?」
人間にとって黒髪は、地味で不人気なのだけど。
そういえば、このお屋敷の人たちはよくわたしの黒髪をほめてくれる。
……もしかして、妖精には黒が人気なのかな?
「そりゃあ、黒は人気色ですよ! 今は亡き妖精女王ティターニア様が、それはそれは美しい黒髪だったと言われてるんです」
「へぇ」
うーん、カルチャーショック。
妖精のお話をいろいろ聞くのも、楽しそうだ。
「妖精祭が、ちょっと楽しみになって来たわ」
「えぇ、えぇ、楽しんじゃってくださいよ、奥様。奥様は初日の夜宴のときだけ大変かもしれませんけど、あとはほとんど、招待客と同じです」
「初日の夜宴??」
なんだそりゃ。
「うちの屋敷の庭園に夜宴会場を作って、お客様方をお迎えするんです。奥様はガスターク公爵家の夫人として、お出迎えしてくださいな。ちなみに妖精祭のならわしとして、お客様には王太子や大臣、他の四聖爵などなどのエライ人たちも沢山来ることになってますんで。……ちょっとかったるいかもしれませんけど、奥様がんばって!!」
「なっ!? なんですって!?」
わたしはベッドから跳ね起きて、部屋を飛び出した。
そのまま、ミュラン様の執務室へと一直線。
(ミュラン様ったら……! 聞いてないわよ夜宴の女主人役なんて! わたしにいきなり、そんな大役ができるわけないじゃないの。……マナーだって、全然できてないんだから。せめて一年くらい前から準備しなきゃ、間に合うわけないじゃない!)
ノックも忘れて、わたしは執務室に飛び込んだ。
「ミュラン様! わたし、夜宴の話なんて全然聞いてな――――」
愕然。
見知らぬ美女がミュラン様のおでこにキスしている場面を……目撃してしまった。
「リコリス、目覚めたのか。血相を変えて、一体どうし――」
「この浮気者っ!!」
腕が勝手にミュラン様に掴みかかっていた!
「なにが『他の女性を迎えるくらいなら死ぬ』よ! ミュラン様のバカ! 浮気者!」
「おい、落ち着け、君はいったい……」
「金髪巨乳では飽き足らず!? 今度は銀髪のスレンダーなご婦人ですか!? あなた、いい加減に……」
「落ち着いてくださいませ、奥様。わたくしはロドラでございます」
銀髪の見目麗しいご婦人が、やわらかく微笑みながら私に声をかけてきた。
はい??
「……ロドラ?」
侍女長のロドラ? 70歳近いおばあちゃんの、ロドラ??
「えぇ、奥様。聖水妖精にして、ガスターク公爵家の守護妖精を任されております、ロドラです」
銀髪美女が優雅に一礼すると、周囲に霧が立ち込めた。一瞬にして、美女が老婆の姿かたちに変貌する。……いつもの侍女長ロドラだった。
「妖精のキスは祝福でございます。このように、月に一度は旦那様を祝福して魔力の安定化をしております。守護妖精としての役目の一つでございますから」
ぽかーんとしながら、わたしはロドラとミュラン様を交互に見つめていた。
「……そうなの?」
ミュラン様とロドラが、うなずいている。
「……なんでいつも情報が後出しなんですか、ミュラン様」
「屋敷の者たちが説明しているかと思っていた。すまない」
本当にやめてくださいよ……今日は、心臓に悪い出来事だらけで疲れ切ってしまった。
「ところで、どうしたんだ君は。血相を変えて」
「あっ。そうでした……わたし、夜宴の女主人役やるなんて、聞いてませんでしたけど」
「女主人?」
「ミュラン様は、わたしが夜会とかすごく苦手なの、知ってるでしょ? ……どうして直前まで、そういう重大任務を教えてくれないんですか?」
「……君がやってくれるつもりだったのか?」
「え?」
「リコリスが夜会を嫌っているのは知っていたから、当日は休んでもらうつもりだった。体調がすぐれないとでも言っておけば、済む話だ。妖精たちに代理を任せる」
「また、そういうことを勝手に決めて……」
わたしは唇を尖らせて、ミュラン様に文句を言った。
「わたしはもう、あなたの妻です。……今後もずっと、妻で居続けるつもりなんです。だったらもう、逃げてばかりはいられないでしょ? 本気で、マナーも勉強しますから。今度から、事前にちゃんと教えてくださいね」
リコリス……とつぶやいて、ミュラン様は驚いたように言葉を失っていた。
わたしはロドラに向き直り、ぺこりと頭を下げた。
「あの……ロドラ。わたしにマナーとか、妖精祭のこととか、全部教えてほしいの。あと1か月じゃ、どこまでやれるか分からないけど。……ミュラン様の妻として恥ずかしくないくらいに、教育してください」
「奥様、なんとご立派な!! ロドラは嬉しゅうございます!」
ロドラは感極まった様子で声を震わせていた。
「お任せくださいませ、リコリス奥様。このロドラめは、妖精女王陛下ご幼少のみぎりには、教育係の任を預かっておりました! かならずや、リコリス奥様を『貴婦人の鑑』へと育て上げてごらんに入れます。――よろしいでしょうか、旦那様?」
「あぁ……お手柔らかに頼む」
ふだん穏やかで物静かなロドラの瞳に、やる気の炎が燃え上がってた……
* * * * *
そして。
水妖精ロドラのスパルタ教育の甲斐もありまして。
元・貧乏令嬢リコリスは…………
りっぱな公爵夫人に進化いたしました!!
「お見事でございます、奥様! もはや押しも押されもせぬ、立派な公爵夫人でございます」
「有り難う、ロドラ。全ては、貴女のお陰よ」
妖精節の前日、深夜。
ようやくロドラの満足いく仕上がりまで到達したわたしは、みんなの前で貴族淑女の礼をとって見せた。
「あぁ……なんとお美しい!」
居並ぶ侍女たちが、感動の涙を目に浮かべている。
明日の夜宴で着る予定の深紅のドレスを身にまとい、わたしは恭しくミュラン様に礼をしてみせた。
壁際で突っ立っていたミュラン様が、引き気味な態度でわたしを眺めて呆気に取られている。
「如何でしょうか、ミュラン様。貴方の妻として、相応しい振舞いを身に着けたつもりです」
「あぁ。見事だよ。…………少し痩せたな、リコリス」
ふふふ。どーですか? ミュラン様。
わたしだって、やれば出来る子なんですからね! 貧乏出身は、根性が違うんですから!!
「嗚呼、嬉しいですわ、ミュラン様。妖精祭に間に合って、本当に良かった……!」
「そうだね。……違和感しかしないから、そのしゃべり方は明日だけで良いよ。ひとまず、今は普通にするといい」
「そうですか? あー、良かった……疲れますねマナーって。お腹減っちゃったので、お夜食いただいてもいいですか?」
肩の力をだら~っと抜いて、へらへらわたしが笑っていると、ミュラン様は苦笑しながらわたしの頭を撫でていた。
「頼もしいよ、リコリス。妖精節もがんばろう」
* * * * *
そしてとうとう訪れた、妖精祭。
妖精節というのは四聖爵の家を守る妖精たちが妖精王の代理となって、国賓の前に姿を現し、妖精と人間の末永い友好を誓うための儀式だ。
1週間の期間内は、儀式のほとんどを妖精たちが執り行う。でも、初日の夜宴だけは、四聖爵の当主と夫人が取り仕切るのが伝統なのだという。
……というわけで、わたしの出番。
今ではすっかり日が落ちて、夜宴の準備はすべて整っている。わたしは、隣のミュラン様に微笑みかけた。
「準備万端ですわ、ミュラン様」
侍女たちが腕によりをかけて、わたしの黒髪をしとやかにまとめ上げてくれた。黒髪に映えるという深紅のドレスも、きちんと着こなしているつもりだ。
以前は「ちっぽけで貧相」と笑われたわたしだけれど。今日はきちんとマナーも心得ているから、怖くない。
ミュラン様は優しい顔でわたしを見ていたけれど、やがて、わずかに表情を曇らせた。
「ありがとう、君はよく頑張ってくれている。……だが、貴族というのは底意地が悪い生き物だ。彼らからの称賛を期待しない方がいい」
「? それって、どういう意味です?」
「心無い言葉を投げて、君を不快にさせたがる人間は必ずいる。そういう連中の話は真正面から受け止めず、聞き流して堂々としているんだ。泣いたり、媚び笑いをしたりしてはいけない、……傷ついてはいけない。三日月のように静かに笑って、その場限りの礼を尽くしておけばいい」
あぁ。ミュラン様は本当にわたしを心配してくれているんだ。
そう思ったら、とても嬉しかった。
わたしはそっと彼に寄り添い、小さくつぶやいた。
「他の人の称賛なんていりません。ミュラン様が喜んでくれたら、ほかは全部、どうでもいいです。……わたしが頑張ったら、あなたは褒めてくれるでしょ?」
「もちろんだ。あとで二人きりになったら、たっぷり褒めさせてくれ」
「……その言い方は、恥ずかしいです」
あなたがいるから、大丈夫。
わたしはそっとミュラン様から離れて、夜宴会場にいらっしゃるお客様をお迎えに行った。
……夜宴であんなことが起こるなんて、その時はまだ、わたしたちの誰もが予想していなかった。
ミュラン様とわたしに、再び離婚の危機が訪れるなんて……
139
お気に入りに追加
1,903
あなたにおすすめの小説
ほらやっぱり、結局貴方は彼女を好きになるんでしょう?
望月 或
恋愛
ベラトリクス侯爵家のセイフィーラと、ライオロック王国の第一王子であるユークリットは婚約者同士だ。二人は周りが羨むほどの相思相愛な仲で、通っている学園で日々仲睦まじく過ごしていた。
ある日、セイフィーラは落馬をし、その衝撃で《前世》の記憶を取り戻す。ここはゲームの中の世界で、自分は“悪役令嬢”だということを。
転入生のヒロインにユークリットが一目惚れをしてしまい、セイフィーラは二人の仲に嫉妬してヒロインを虐め、最後は『婚約破棄』をされ修道院に送られる運命であることを――
そのことをユークリットに告げると、「絶対にその彼女に目移りなんてしない。俺がこの世で愛しているのは君だけなんだ」と真剣に言ってくれたのだが……。
その日の朝礼後、ゲームの展開通り、ヒロインのリルカが転入してくる。
――そして、セイフィーラは見てしまった。
目を見開き、頬を紅潮させながらリルカを見つめているユークリットの顔を――
※作者独自の世界設定です。ゆるめなので、突っ込みは心の中でお手柔らかに願います……。
※たまに第三者視点が入ります。(タイトルに記載)
【完結】名ばかりの妻を押しつけられた公女は、人生のやり直しを求めます。2度目は絶対に飼殺し妃ルートの回避に全力をつくします。
yukiwa (旧PN 雪花)
恋愛
*タイトル変更しました。(旧題 黄金竜の花嫁~飼殺し妃は遡る~)
パウラ・ヘルムダールは、竜の血を継ぐ名門大公家の跡継ぎ公女。
この世を支配する黄金竜オーディに望まれて側室にされるが、その実態は正室の仕事を丸投げされてこなすだけの、名のみの妻だった。
しかもその名のみの妻、側室なのに選抜試験などと御大層なものがあって。生真面目パウラは手を抜くことを知らず、ついつい頑張ってなりたくもなかった側室に見事当選。
もう一人の側室候補エリーヌは、イケメン試験官と恋をしてさっさと選抜試験から引き揚げていた。
「やられた!」と後悔しても、後の祭り。仕方ないからパウラは丸投げされた仕事をこなし、こなして一生を終える。そしてご褒美にやり直しの転生を願った。
「二度と絶対、飼殺しの妃はごめんです」
そうして始まった2度目の人生、なんだか周りが騒がしい。
竜の血を継ぐ4人の青年(後に試験官になる)たちは、なぜだかみんなパウラに甘い。
後半、シリアス風味のハピエン。
3章からルート分岐します。
小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。
表紙画像はwaifulabsで作成していただきました。
https://waifulabs.com/
雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜
川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。
前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。
恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。
だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。
そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。
「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」
レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。
実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。
女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。
過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。
二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。
妹に一度殺された。明日結婚するはずの死に戻り公爵令嬢は、もう二度と死にたくない。
たかたちひろ【令嬢節約ごはん23日発売】
恋愛
婚約者アルフレッドとの結婚を明日に控えた、公爵令嬢のバレッタ。
しかしその夜、無惨にも殺害されてしまう。
それを指示したのは、妹であるエライザであった。
姉が幸せになることを憎んだのだ。
容姿が整っていることから皆や父に気に入られてきた妹と、
顔が醜いことから蔑まされてきた自分。
やっとそのしがらみから逃れられる、そう思った矢先の突然の死だった。
しかし、バレッタは甦る。死に戻りにより、殺される数時間前へと時間を遡ったのだ。
幸せな結婚式を迎えるため、己のこれまでを精算するため、バレッタは妹、協力者である父を捕まえ処罰するべく動き出す。
もう二度と死なない。
そう、心に決めて。
四回目の人生は、お飾りの妃。でも冷酷な夫(予定)の様子が変わってきてます。
千堂みくま
恋愛
「あぁああーっ!?」婚約者の肖像画を見た瞬間、すべての記憶がよみがえった。私、前回の人生でこの男に殺されたんだわ! ララシーナ姫の人生は今世で四回目。今まで三回も死んだ原因は、すべて大国エンヴィードの皇子フェリオスのせいだった。婚約を突っぱねて死んだのなら、今世は彼に嫁いでみよう。死にたくないし!――安直な理由でフェリオスと婚約したララシーナだったが、初対面から夫(予定)は冷酷だった。「政略結婚だ」ときっぱり言い放ち、妃(予定)を高い塔に監禁し、見張りに騎士までつける。「このままじゃ人質のまま人生が終わる!」ブチ切れたララシーナは前世での経験をいかし、塔から脱走したり皇子の秘密を探ったりする、のだが……。あれ? 冷酷だと思った皇子だけど、意外とそうでもない? なぜかフェリオスの様子が変わり始め――。
○初対面からすれ違う二人が、少しずつ距離を縮めるお話○最初はコメディですが、後半は少しシリアス(予定)○書き溜め→予約投稿を繰り返しながら連載します。
婚姻契約には愛情は含まれていません。 旦那様には愛人がいるのですから十分でしょう?
すもも
恋愛
伯爵令嬢エーファの最も嫌いなものは善人……そう思っていた。
人を救う事に生き甲斐を感じていた両親が、陥った罠によって借金まみれとなった我が家。
これでは領民が冬を越せない!!
善良で善人で、人に尽くすのが好きな両親は何の迷いもなくこう言った。
『エーファ、君の結婚が決まったんだよ!! 君が嫁ぐなら、お金をくれるそうだ!! 領民のために尽くすのは領主として当然の事。 多くの命が救えるなんて最高の幸福だろう。 それに公爵家に嫁げばお前も幸福になるに違いない。 これは全員が幸福になれる機会なんだ、当然嫁いでくれるよな?』
と……。
そして、夫となる男の屋敷にいたのは……三人の愛人だった。
「君以外を愛する気は無い」と婚約者様が溺愛し始めたので、異世界から聖女が来ても大丈夫なようです。
海空里和
恋愛
婚約者のアシュリー第二王子にべた惚れなステラは、彼のために努力を重ね、剣も魔法もトップクラス。彼にも隠すことなく、重い恋心をぶつけてきた。
アシュリーも、そんなステラの愛を静かに受け止めていた。
しかし、この国は20年に一度聖女を召喚し、皇太子と結婚をする。アシュリーは、この国の皇太子。
「たとえ聖女様にだって、アシュリー様は渡さない!」
聖女と勝負してでも彼を渡さないと思う一方、ステラはアシュリーに切り捨てられる覚悟をしていた。そんなステラに、彼が告げたのは意外な言葉で………。
※本編は全7話で完結します。
※こんなお話が書いてみたくて、勢いで書き上げたので、設定が緩めです。
今世ではあなたと結婚なんてお断りです!
水川サキ
恋愛
私は夫に殺された。
正確には、夫とその愛人である私の親友に。
夫である王太子殿下に剣で身体を貫かれ、死んだと思ったら1年前に戻っていた。
もう二度とあんな目に遭いたくない。
今度はあなたと結婚なんて、絶対にしませんから。
あなたの人生なんて知ったことではないけれど、
破滅するまで見守ってさしあげますわ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる